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2014年11月16日

北陸線旧線を辿って若狭から近江へ

2014年11月15日 敦賀駅→疋田→小刀根隧道→刀根→久々坂峠→中ノ郷駅跡→木ノ本駅

 昨年の栃の木峠、今年春の木の芽峠と、越前から近江へ越す昔の街道の峠を越えました。その繋がりで、先月は北陸本線の旧線を訪ねて明治時代の隧道をたくさん通り抜けました。ここ山中峠は平安時代の街道でもありました。
 その続きで、北陸線の跡と昔の街道筋を辿る自転車旅を考えました。琵琶湖側から若狭に向かう道筋はいくつかあり、どのルートで峠を越えても25〜35kmの道程。健脚なら荷を背負っても1日で越す距離。自転車で輪行(鉄道の時刻を含んで)するには微妙に短いぐらい。でも、道中にはこの地域の歴史を感じさせる面白そうな物があります。(栃の木峠ルートは敦賀を経由せずに湖東へ直行します)
 ルートのいくつかは綺麗な自動車道が通っていますが、それは面白くないです。辿れる所は旧道や旧街道を通りたいです。私の自転車はランドナーですから、高速走行は不向きですが、地道や多少の不整地は問題無し。サイクルシューズではなく運動靴を履いていますから、階段や徒歩道でも押したり担いで越せます。



 という事で、寒くなる前にもうひと走りすることにしました。計画はしたものの、今年は秋が短くて季節は一気に冬に向かっています。先週は完全に天候不良。悔しいけれど天気予報見ながら我慢。今週も冬型で日本海側は変わりやすい天気ですが、もう1週待ってもどうなるか判りません。待ちすぎると雪が来て来年までお預けに。

 そんな事情でお天気を気にしながらの出発です。予報では、敦賀側では雲の具合で時折小雨。滋賀県側では風の具合では雨雲が越すがおおむね曇り。という感じ。陽が無くて風があれば気温は上がりません。天候と体調で行程を調節することにました。

 敦賀に着いた頃、少し強い雨が降っていました。とりあえず輪行の自転車を組み立てて様子を見ていると、雲が過ぎて雨がやんで、明るくなって来ました。この先、天候と所要時間を見ながら行程を考えることにしました。
 とにかく出発。まずは笙の川の谷を登って疋田まで。雨が酷くなりそうなら、新疋田駅まで(約700m)行き、そこから輪行で帰る。


[ 敦賀市街から ]
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 敦賀は三方を山並みに囲まれて残り1方が海。南の山地と東の山地の角のあたりに切れ込んだ川の谷に交通が集中しています。
 ここは国道27号の分岐点。また国道8号のバイバスの分岐点。狭い谷間では足りなくて、北陸道の高速道路は山を堀抜いています。国道もバイパスを山に掘っていますが、自転車は当然直進です。

[ 旧道らしい ]
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 賑やかな現国道を避けて、脇の集落を抜ける道へ迂回します。旧街道ではなく旧国道といった感じの道幅です。この上を舞鶴若狭道が跨ぎ越えています。このあたりの谷間では、拡幅や付け替えや新線建設のたびに古い道が部分的に上書きされるような事が繰り返されたようです。

[ 現北陸線の踏切 ]
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 集落の裏山へ登る道です。この上にはお寺があるらしいです。山腹を削って北陸線が通っていて、踏切道が階段になっています。
 この先、峠までの距離が限られているので、鉄道はひたすら登らなければなりません。上下2段の線路のうち下側が旧線で複線化後の下り線(降坂)で、平地から山にとっついて、山腹をへつりながらひたすら登るコースで、この先ずっと25‰の勾配が続きます。上側が新しい上り線(登坂)で、輸送力の点から勾配を緩和するように作られています。こちらは駅を出てすぐから築堤で高度を稼ぎここまで来ました。この先、(峠までの距離を得るため)谷を渡り、反対側の山中をぐるっと1回りループして疋田へ向かいます。

[ 川沿いの谷間 ]
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 多くの交通が集中するには狭い谷間です。笙の川は谷間をうねって流れています。谷を渡った鉄道は山腹をへつって(上り線は山中を)通っています。小河口を過ぎて、現国道も対岸へ渡ります。国道の喧噪を嫌って、集落道(旧国道?)を辿って走ります。そのまま市橋を過ぎて、現国道を渡ります。

[ 疋田の街 ]
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 疋田は昔からの交通の要衝。古代の愛発関(あらちのせき)のあった場所と言われる所。そして疋田は舟運の街。小さな川船で笙の川をここまで遡上して、ここから人の背や馬の背で峠を越えて荷が運ばれた。今風に言えば貨物ターミナル。地域の歴史の見直と観光のために景観整備したそうで、街の中の通りの横には水路が造られています。元の水路はこの倍ほどの幅だったそうですが、この幅では下水か用水路でしょう。

 ここで小雨がパラつきだしましたが、とりあえず街並みを観光。風に乗った雲の悪戯程度で、ひとまわりしているうちに止みました。

[ 追分集落 ]
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 ここは昔の街道の要衝。若狭と近江を結ぶ道はいくつかありますが、そのルートのほとんどは若狭側ではここを通ります。左は新道野越えて塩津・大浦への道。直進(右)は海津へ向かう七里半越え。江戸時代の追分集落。現代の国道8号と国道161号も市街の外側で分岐しています。宿場の飯屋のかわりに、ここにはコンビニが営業しています。この先の峠越えに備えて、追分のコンビニで昼食と飲料を買いました。

[ 疋田駅跡 ]
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 旧北陸線は敦賀から笙の川の谷間を遡上して峠に向かっていました。傾斜の緩い谷の西側の登ってきた線路が東に折れて本流の谷に渡るあたり。街道の街の疋田には駅がありました。輸送力強化のために北陸線が付け替えられる際、新線は深坂峠の下を長いトンネルで抜くルートになりました。それにともなって、旧線は「柳ヶ瀬線」となりましたが、それも短期間で廃線に。この石積みはかってのホームの一部だそうですが、それらしい雰囲気はありません。1882年に開業した歴史的な鉄道駅だったのですから、もう少しそれらしく保存しても良かったのではないかしら。

[ 曽々木隧道跡 ]
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 湖東から敦賀を目指した旧北陸線には4つの隧道がありました。そのうち、トンネルとして現存するのは3つ。失われたひとつ「曽々木隧道」がここ。国道8号拡幅の際に開削されて消滅しています。この区間は線形の良い旧北陸線跡を道路転用したようです。旧国道らしい道の側から写真を撮っています。

[ 分かれ道 ]
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 国道8号と県道140号の分岐です。右の国道は峠をひとつ越えて塩津への街道筋です。左は刀根・杉箸とだけ書かれています。刀根は谷奥の集落で、杉箸はその手前を北に折れてた支谷の集落。木ノ本や近江側は触れられていません。ちなみに、杉箸の先はひと山越して(先月通った)獺河内に至ります。

 ここまで道はひたすら登ってきました。自転車にはそれほどきつくありませんが、蒸気機関車には厳しい25‰の連続。サミットまでの限られた距離で高さを稼ぐためのコース。大規模な築堤や切り通し無しで済む道筋を良く見つけたものだと思います。

 ここは今回の行程の重要な分岐点。天候が中途半端な場合、距離も所要時間も短い「新道野越」で近江塩津駅へ行くことができます。その上で滋賀県側が好天の場合は隣の谷筋へ越して永原駅へ向かうこともできます。
 幸い、一時崩れかけた天候も微妙に持ち直しぎみです。時間的にも予定よりもかなり早く進んでいるので、とりあえず刀根を目指します。ここで崩れても新疋田へ戻る余裕があります。

[ 刀根トンネル ]
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 刀根隧道は両脇を北陸道のトンネルに挟まれる位置。高速道路の工事との関係で山の斜面にも手が加わっているようです。隧道はすっきり綺麗に堀り直されて昔の姿はありません。幅も広いし歩道もあり、交通には良いですが、ちょっと残念。

 北陸道の高速道路はほぼ旧北陸線のルートを辿っています。このあたり、山中峠と似ていて面白いと思います。

[ 隧道が続きます ]
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 トンネルを進むとその先に次ぎの抗口が見えます。ここを驀進する汽車の姿が想像できます。自動車もそのまま勢い付けて・・・となると危ないです。大きな注意標識があります。

[ 小刀根隧道 ]
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 こちらは昔の姿が残っています。土被りの少ない小隧道ですから、よく残してもらえたものです。
 ガードレールがありますが、間が切れていて自動車でも入れます。一般の車が紛れ込まないようにという配慮でしょう。この先への作業道として利用されているのでしょうか、路面にはしっかり轍があります。当然、自転車で入り込みます。

[ 敦賀側のポータル ]
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 石積みとレンガ巻きの抗口です。煉瓦隧道かと見ると、中に入ってすぐの所から先は下半分石積みでした。
 この隧道は通れますが、道は通り抜けできません。旧線は橋を渡って隧道を潜ってふたたび川を渡り返す線形でした。県道は2つの橋を架けるかわりに川沿いに廻っています。といいう事で、この隧道の先には橋がありません。

[ 木ノ本側のポータル ]
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 で、通り抜けて少し先まで行って戻って来ました。木ノ本側のポータルの縁巻きは隧道内と同じく石と煉瓦です。
 この隧道は敦賀市の文化財だそうですが、近代土木遺産としも素晴らしいものです。でもはやり道なんだから「通り抜けたい」です。

[ 刀根隧道の遺物 ]
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 県道は谷間を川に沿ってひたすら登り続けますが、途中、刀根の集落へ寄り道します。この集落の横手を少し登った所に刀根駅がありました。峠の長い隧道を控えたスイッチバック駅です。駅跡は高速道のパーキングエリアに利用されて何も残っていないそうですが、集落内に大変な物があります。
 事前情報の収集の際に知りました。これは拡幅されて崩されてしまった刀根隧道の抗口の要石。集落内の刀根区公会堂の横に保存されています。ほんの少しですが、横の煉瓦もくっついています。

[ 刀根の集落の道 ]
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 県道は川に沿って集落の外を通っています。集落内を貫く道は緩く曲がりながら谷を登って行きます。昔の街道の道の雰囲気です。ここ刀根は谷奥にしては大きな集落です。この先の峠を越えて湖東と結ぶ交通がかなりあったのかもしれません。

[ 柳ヶ瀬隧道 ]
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 旧北陸線の隧道の残りひとつ。ここは昔の姿で現存していて、貫通していますが、「自転車では」通り抜けられません。長さは1352mと長く、普通の鉄道トンネルよりも狭い隧道。自動車は交互通行してますが、歩行者も自転車も通行禁止。(この横には北陸道のトンネルが通っていますが、こちらも自転車は通れません)

 という事で、迂回を考えなければなりません。
 北陸線は1882年に開業しています。先に紹介した3つのトンネルはその時の物ですが、柳ヶ瀬隧道は1884年の開通。この約2年間、この区間は徒歩連絡だったというのです。その道が残っていれば好都合なのですが、航空写真でそれらしい道筋が微かに感じられる程度で、すっかり消滅しているようです。

 しかしこのすぐ左横に「玄蕃尾城」跡へ行く道の入り口があり、ここを登ってゆけば山並みの稜線まで行けます。城跡へは滋賀県側からも登れるというのでしらべると、地形図に山腹をうねうねと下る徒歩道が記されていました。距離は2km弱。普通のハイキング道程度らしいので、ある程度時間をかければ自転車を連れて通り抜けられると判断しました。私の自転車はランドナーです。担いで斜面を歩いたり不整地を押して歩くのに不都合はありません。藪とか崩落とかがなければ、ゆっくり歩いて1時間程度でしょう。(道が途絶えていれば引き返すつもり)

[ 山間の道 ]
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 道には落ち葉や小さな転石がありますが、時々清掃されているようです。普通の林道よりも舗装もきれいです。さすがに傾斜は増してインナーの1〜2で登ります。この谷筋に沿って登る道筋が昔のものかどうかは判りませんが、徒歩での峠越えとしてさほど険しくは無い程度です。

[ ここから登山道 ]
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 谷間の先が明るくなって、峠が近い感じになった所で舗装道は終点。ここには少し広い駐車スペースとトイレがありました。この舗装道は観光道路のようです。自動車はここに置いて、あとは徒歩で城跡へという具合。横に折り返すように徒歩道があり、普通のハイキングコース程度に整備されています。幅が狭い所は自転車を担ぎ上げて、広い所は押しながら登りました。 

[ 峠らしい ]
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 湿った落ち葉を踏みながら少し登ると、尾根線に出て視界が一気に明るくなりました。鞍部を削り下げたらしく、小さな切り通しのようになっています。左の斜面にはつづら折れて登る道があり、城跡へはこちらのようです。

[ 久々坂峠 ]
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 ちゃんと観光地らしい標識がありました。峠の名は「 久々坂峠」だそうです。城跡への距離が書かれています。反対側は駐車場までの距離ですが、その先の刀根集落までの距離も書いてあって欲しかったです。

 この峠は標高約400mで中央分水界です。このルートは戦国時代まで主要交通路だったらしく、その後も湖東への短絡路として多く利用されたようです。明治11年(1878年)、明治天皇はここを輿に乗って通られたとか。

[ 景色一転 ]
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 ちょっと暗い林間の谷間を登り詰めて稜線に立つと視界が一転する。徒歩で越える峠道らしい光景です。滋賀県側に出ると山の植相も一変して、視界の先の山は色とりどりに紅葉していました。雲間からの陽があたった山並が綺麗です。しばし、晩秋の山を鑑賞。今度は真下の谷へ下ることになりますが、こちらは斜面がきついです。

[ 柳ヶ瀬へ ]
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 峠の東側は斜面をつづら折れながら斜めにトラバースして行く道。峠のすぐ下には登山道っぽい標識がありました。柳ヶ瀬まで1.3kmと。ある程度通行があるらしく、踏み跡があります。この先の道の状況は判りませんが、全く通り抜けられないという事は無さそうです。

[ 落ち葉の道 ]
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 こちら側は完全に徒歩道です。傾斜はきついですが、自転車を押して歩くには支障無い程度。ただ道幅が狭いので足場の関係で担がなければならない所が度々。落ち葉や枯れ枝が多いです。大きな倒木も何本か。これは担いで越して。乗れそうな所もありましたが終始押しと担ぎです。ハイキング道というよりも登山道に近い感じです。谷側の傾斜がきつくて深いですから、ここはMTBでも押しでしょう。

[ 案内板に迎えられて ]
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 この谷間には北陸道の高速道路と国道365号が通っています。地図にあるよりも多くつづら折れながら斜面を下ると、だんだん自動車の音が聞こえて来ます。下界が近づいて来たようです。
 落葉の林を抜けて植林地を下ってゆくと、1本の標識がありました。滋賀県側から城跡へ登る人向けの案内のようですが、距離が書かれていません。あまり通って欲しくないのでしょうか。こちら側には「倉坂峠」と書かれています。

[ 集落への道 ]
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 案内板の角を曲がると轍のある道になり、そのまま林の外に出ました。谷筋の向こうには北陸道が見えています。峠からここまで約30分で下って来れました。(峠の向こう側で分かれた県道は隧道を抜けた所で国道365号と合流しています)

[ 柳ヶ瀬の集落 ]
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 山を下った道はそのまま集落の中の道に続いていました。ここは谷奥ですが、栃の木峠を越えて越前に至る街道が通る谷。集落の規模は大きいです。
 現国道365号は集落の外を通っています。旧北陸線の跡は大部分が現国道に上書きされているようです。国道とからみあうように集落を抜けて曲がって続く道が旧街道でしょうか。

[ 国道365号 ]
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 現国道は広い谷間を緩い曲線で通っています。柳ヶ瀬隧道の抗口がサミットで、そこまでひたすら登り続けた鉄道跡らしく、勾配はほぼ一定です。
 ロードで快走というには良いかもしれないけど、ランドナーで走り続けるにはあまりに単調な道。時折通る自動車も邪魔。集落道に逃れながら、秋の田園を見ながら気持ち良く走りました。木ノ本まであと9kmと出ています。

[ 中ノ郷駅跡 ]
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 中之郷まで来ました。ここは北国街道の宿として栄えた大きな大きな集落です。旧北陸線ではここに駅が設けられ、峠に向かう列車はここで補機を連結していました。そのため長いホームを持った大きな駅だったのですが、今は国道の脇にホームの一部が残されているだけです。
 この駅名標はこのレプリカで、正しい駅名は「中ノ郷」なのですが、集落の名に合わせたのか「中之郷」になっています。

[ 新線との出会い ]
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 中之郷から国道を走って来ました。道の先右手から鉄道線が寄って来ます。これは北陸線の新線で、ここから曲がってトンネルで塩津側の谷へ抜けます。この分岐の右手先に「中ノ郷」のかわりの「余呉駅」が設けられています。
 この国道は365号。右手の道は滋賀県道33号。余呉湖畔を通って塩津へ続く道ですが、山塊を越えるあたりが未成のままの不通道です。ここへ来て、唐突に「サイクルロード」の標識が出て来ました。琵琶湖周回で見たのと同じデザインですが、国道の標識(妙に背が低い!)と合体しているとすごくヘンです。

 国道がJR線をクロスして南に曲がる所で、直進して街道筋を木之本の市街地に向かいました。柳ヶ瀬から旧線跡を上書きして来た国道365号は、この先で新道野越えて湖岸を廻ってきた国道8号と合流します。

 中之郷のあたりから急に空が曇って来ました。それがここでバラバラと降りだしました。余呉駅が近いのですが、そこは何も無い駅。多少濡れるのは覚悟してこの先の木ノ本を目指すことにしました。

[ 木ノ本駅 ]
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 木ノ本駅まで来ました。ここから輪行です。自転車を袋詰めして、新快速電車に乗れば損大阪まで直行です。途中であちこち見ながら写真を撮りながらですが、予定よりも1時間早い電車に載れました。木ノ本駅には地元物産の売店が併設されています。名物というお菓子などをお土産に買いました。夕食前には自宅に着けます。

 ちなみに、ここも街の名は木之本ですが駅名は木ノ本です。この区間の電車は今は最長4両です。旧線時代にはここで貨物列車の組成がおこなわれていたとか。その名残か、少し前までは古びた駅舎と広大な敷地がありましたが、今は小ぎれに整備されています。ただ無駄に長いホームだけが昔の駅の規模を感じさせます。

 最後の最後に雨に降られました。けっこう強い降りになって服の中までいくらか浸みるぐらいでした。木之本に着いて自転車を袋詰めしているうちに止みましたから、途中で雨宿りしていればやりすごせたかもしれません。この時期の天気は悩ましいです。


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