市街地

2020年07月30日

2020年7月30日 糸田川・神崎川→安威川→正雀川→山田川→大正川→茨木川→勝尾寺川

 諸事情でここ数年「自転車でお出かけ」できないでいました。
 それも少しづつ解消して、今年の春から徐々に復活と考えて、あちこちコースを考えていたのですが、世界的な事情が生じてそれどころではなくなりました。

 長閑な田園を自転車で走る事自体は比較的問題無いと思うのですが、そこまでの行程が問題です。
 通行人や自動車の多い市街地を長距離走るのは危険でもあり、苦痛でもあります。そこで輪行となるのですが、そうなると、よほど時間帯と行き先を選はない限り、多数の人との接触が避けられません。時間的に輪行で行ける行き先が限られてしまいます。今年は夏の鉄旅も自粛するつもりでいます。

 とは言っても、まったく引きこもっているのも悔しいので、比較的近いエリアで走り残しているエリアを探してお出かけすることにしました。例年より長く続いた梅雨がやっと開けそうな時期、ぎりぎり7月のうちのお出かけです。

 しばらくぶりの『お出かけ自転車』なので、自転車の調子の確認と人間の脚慣らしの意味で、輪行無しのコースを考えました。自宅から川筋を辿って半円状に走るコースで、鉄道駅が近くにあり、何かあればエスケープが可能です。


 自宅から江坂の街を抜けて糸田川に沿って神崎川まで来ました。神崎川の左岸は以前に走っていますが、今回は右岸を遡上します。以前のRUNはこちら


神崎川の河岸は歩道/自転車道になっています。川には鉄道橋や道路橋が多く架かっていて、土手道はこれらと交錯して面倒なので、河岸の道を走ります。


阪急千里線の鉄橋の下をくぐります。この橋は最近架け替えられた物です。古い鉄橋の橋脚のうち、河川敷ににある物は残されてますが、川の中にあった歴史的な橋脚は撤去されています。


安威川と神崎川の合流点です。神崎川は淀川から別れて来て、猪名川に流れ込みます。安威川は茨木の山から流れて来ていて、流量的にはこちらの方が多いのではないでしょうか。安威川については、以前のRUNを。


阪急京都線と交差します。この近くの阪急の駅名は"相川(あいかわ)"です。川の名は安威川(あいがわ)です。


岸部駅の南あちりまで来ましたが、ここで河川敷が通行止めになっていました。仕方ないので土手の上に上がります。


正雀川が合流して来ます。千里丘陵は箕面の山塊から南に張り出した丘陵状の土地で、放射状に小さな川が流れ出ています。これらは最終的にはすべて神崎川に流入します。局地的な豪雨などあれば、短時間に水位が上がります。


続いて山田川が合流して来ます。ここを渡る橋は少し川上にあります。ここの迂回は僅かですが、川岸を辿る場合、道の続き具合が気になります。このあたりは河川敷の歩道も途切れています。


鳥飼の近くまで来ました。近畿道と中央環状とモノレールの橋の下をくぐります。


すぐ先で今度は大正川が合流して来ます。この川は千里丘陵の東側から摂津市内を流れて来た川でけっこう大きいです。写真の橋を渡ります。(大正川の様子はこちら)


この付近、河川敷が通行できなくなっています。そこで土手道を行くのですが、草が茂って『シングルトラック』になっています。


河川敷の通行止めは梅雨時の増水で荒れた後の復旧作業のためのようです。川縁の手すりに草がひっかかっていて、路面には泥が溜まっています。淀川と猪名川の水位が上がると神崎川の水位も上がります。その状態で山地に雨が降ると、この付近の川が増水します。まあ、河川敷は増水時の遊水池的な役割を持っているので、こうなるのは本来の姿なのですが。


土手道が舗装道路になりました。左岸はちゃんとした道なのですが、こちら岸は細道です。地元らしい車は時々通りますが、おおむね静かな道です。北摂の山塊に向かって、川の流れは東からゆっくり北に向きを変えます。まだこのあたりは川が作った堆積地で、傾斜は緩いです。のたのた走ります。


阪急京都線と交差します。土手道はこの先は途切れています。普通なら、歩行者や自転車は河川敷へ降りるのですが、このあたりの河川敷は整備のため通れません。仕方ないので、少し戻って土手下の道を通って迂回します。


続いて、JR線と交差します。幸い、この付近の河川敷は通行できるので、下へ降りて進みます。


すぐ先が茨木川の合流点です。右が安威川で左が茨木川。ここは昭和初期に付け替えられた流れで、昔は茨木市街地を流れていたようです。
安威川に沿って進むと山地に入り込んで、その先は亀岡です。これは以前に通ったコース。今回は左の茨木川に沿って進みます。


川はすぐに国道171号と交差します。国道171号は昔の西国街道。このあたりも、以前に走りました


茨木川はここで2つに分かれます。右は佐保川で、府道110号が通る谷を登ります。今回は左の勝尾寺川に沿って進みます。府道110号のURNはこちら


川は箕面の山塊と千里丘陵の間の鞍部に向かって東から南東に向きを変えます。そして国道171号と交錯します。このあたり、昔の西国街道は川に沿って通っていました。写真で国道の橋の手前の川沿いの細い道が昔の街道です。


山の間の傾斜を探るように、川筋は細かく曲がります。ところどころで土手道は途切れます。仕方ないので、対岸に渡り、先へ進みます。


この道は旧西国街道。歴史的な道として整備したのでしょうか、このあたりは土色のカラー舗装になっています。街道は少し手前で川を渡っていました。そして、この少し先で再び右岸に渡ります。


川はこの少し手前で2つに分かれています。左は西に続く鞍部から来る支流で、本流は箕面の山塊に向かって北に向きます。そして、ふたたび国道171号と交差します。


地図では川の右岸には道が描かれていませんが、こちら側は自動車通行止めの道になっていました。自転車で進むにはかえって好都合です。この細道はしばらく先まで続きます。


茨木市から箕面市に入りました。ここで『彩都』へのアクセス道路府道1号とモノレールの高価をくぐります。このあたりから、北西の山に向かって登り傾斜が増して来ます。


丘陵地で開発が進んでいるエリアです。山を切り開いた住宅地と谷間に残る農地が混在しています。道を探りながら川沿いに進むのがだんだん厳しくなってきました。


粟生間谷のあたりまで来ました。川が刻む谷が狭く深くなって来て、この先で川沿いの道は消えます。この川が刻む谷に沿って進む道は府道4号で、これを辿ると勝尾寺を経て、箕面の山を越えて豊能に向かいます。


その府道4号。さきほどの橋のすぐ右側です。今回は山登りではなく、川を巡る旅なので、勝尾寺川とのつきあいもここまで。

この先は府道4号から府道9号で粟生外院で鞍部を越え、丘陵の西側へ出ました。そこは千里川の流域。千里川に沿う道は何度も走って慣れた道。途中の野畑から府道43号に逸れると自宅まですぐなのですが、それではちょっと物足りない。そこで川沿いの道のまま、豊中駅の北側を抜けて伊丹空港の際を通り、猪名川との合流点まで走りました。このあたりも「お買い物自転車」でしょっちゅう走っているエリア。


次は片輪行、あるいは近所で時間の厳しくない輪行のコースを考えています。その頃には夏らしい天気になっているはずです。


mars2015 at 21:00コメント(0)

2017年03月26日

2017年03月19日 JR園部駅→京都府道54号→国道372号旧道→天引峠→福住→日置→篠山市街→JR篠山口駅

 3月3日はひなまつり。最近は地域の交流や観光行事として雛祭りイベントをおこなう所があちこちあります。古い街道の街並などの普段とは違う様子が見れるので、この時期は狙ってお出かけしています。現在の暦で3月3日はまだ寒く春の花も乏しく、まだ雪の所もあります。そこで、山沿いや北の方では月遅れで4月3日に雛祭りをする所があります。この頃ならちょっとお出かけもしやすくなります。

 地域振興として雛祭りをする街にもいろいろあります。普通に観光客が訪れるような所もあれば、昔の街道街などでなかなか遠方から訪れる人の多くない所もあります。鉄道駅から遠いなどで、地元の生活が自家用車に依存するようになると、余計に公共交通が貧弱になります。そういった所へ行くのに役立つ手段のひとつが自転車。
 観光対象となる景観地区などのエリアが駅からある程度広いとか駅から離れているというような場合、駅前にレンタサイクルがある所があります。昨年訪れた竹原ではこれを利用して楽に街巡りができました。しかしレンタサイクルは台数に限りがあり、予約ができず利用できない場合もありますから、これに頼った計画はリスクが大きいです。そこで昨年は小型軽量の折り畳みの自転車を導入しました。平坦地であれば駆け足程度の速さで総計十数m程度の行動ができます。大げさに見えなくて多少の荷物も積めます。今年の亀岡の城下町エリアの雛祭り訪問にはこれを活用しました。
 逆に自転車前提で考えると、別の可能性が出て来ます。サイクリング用の自転車であれば、より長い距離を走れますから、駅から遠い所や広く分散した会場を回ることもできますし、周辺地域も併せて見て回ることができます。お出かけ自転車の難点は、嵩張って重いこと、分解組み立てに時間がかかること、土産物などあまり積載できないこと、頻繁に駐停車するのに適していないことです。

 地域の雛祭りイベントの情報を集めている中に「丹波篠山ひなまつり」という催しがありました。観光地でもある篠山市街のほか、市内のいくつかの集落を会場にして、3/18〜3/26の開催。篠山の市街は鉄道駅からは離れていますが、バス交通が容易です。
 当初はバス利用で篠山市街だけ見に行くつもりだったのですが、お出かけ自転車を利用して以前から気になっていた場所を訪ねることにしました。会場のひとつの福住の『田舎の街道集落』は伝統的建造物群保存地区になっていますが、バスでの訪問がたいへん難しい場所です。

 篠山は丹波地域の中核となる城下町ですが、奇妙ないきさつで鉄道に裏切られてきた歴史があります。最初は京都から亀岡・篠山・社を経て姫路に至る「京姫鉄道線」が計画され、これとの絡みもあったらしく「阪鶴鉄道(現福知山線)」は市街地からかなり離れた所を通りました。京姫線が中止されたため、篠山口駅と市街地を結ぶ「篠山(軽便)鉄道」が建設されました。その後は東に伸ばして園部に結ぶ「園篠鉄道」も計画されましたが、これは結局建設されませんでした。しかしこの福知山線と山陰線を結ぶ線は太平洋戦争との絡みで国策として建設されることになり、これと同時に篠山鉄道は廃止されました。「国鉄篠山線」は早い開通を目指したらしく、篠山口から市街地の南を直線的に抜けて福住までで建設されました。目的の京都連絡は果たせず、市街地から遠い路線は利用が振るわずに、結局赤字路線整理の第一陣として昭和47年に廃止されました。

 篠山口駅から篠山市街地までは約5kmの距離。ここから福住までは15kmほど。観光用のママチャリでは厳しい距離ですが、お出かけ自転車なら観光して往復するのにちょうど良いぐらいの距離です。
 昔の「西京街道」はこの先の天引峠を越えて亀岡に向かいますが、天引峠を下った所から北東に行けば園部はあまり遠くないです。峠を越える必要はありますが、距離的には篠山へ戻るよりも園部の方が近いです。そして、このルートは計画倒れになった篠山線延伸ルート。
 という事で、今回は{未着工計画線+古い街道街+2つの廃線跡+雛祭り観光}という盛りだくさんなプランになりました。ルートを調べている中で、天引峠のトンネルの上に国道の旧道がある事が判り、ここも辿ることにしました。

[園部駅]

 新大阪から輪行。京都駅で乗り換えて園部駅まで来ました。ここから走ります。
ひな祭りのイベントの中身が判りませんでしたが、休日の方が賑わっているだろうという考えで、開幕直後の日曜に訪ねることにしました。ひな祭りの観光時間をじゅうぶん取るため、朝のやや早い時間の出発です。

[国道477号]

 駅前から国道9号で園部の市街へ進み、国道477号を西へ。青看板に篠山の地名が出てきました。

[府道54号へ]

 国道477号は亀岡の近くまで南下し、そこから豊能を経て川西へ向かいます。2013年に走ったコースに繋がる道です。
 今日は直進して府道54号に入ります。

[府道54号]

 府道は市街地を抜けると田園地帯を進みます。道が立派な割には交通は多くないですが、休日の午前中だからでしょうか。

[園部川の谷]

 府道54号の行き先に「能勢」が出てきました。この府道は国道447と国道173の間を南下して峠を越します。今日はその前に西へ折れます。

[鉄道が通ったかもしれない]

 府道54号は園部川の谷を緩く登って行きます。カーブも緩く単調な道です。国鉄の線路が当初の計画どおり建設された場合はここを通ったはずですが、蒸気機関車でもあまりきつくない程度の勾配です。自転車もアウターで楽々走れます。鉄道が建設されたなら、天引峠はトンネルになったはずです。園部駅から現国道のトンネルまでの標高差とすると、平均の勾配は15‰程度になります。最急勾配を20‰程度に抑えるなら、このあたりから登りかけなければなりません。

[天引の集落道]

 府道は国道372号と交差しますが、その手前で天引の集落を抜ける道へ折れました。
 山裾に沿って緩くカーブする道に沿って古い集落が続いています。峠道が通る谷の集落らしい雰囲気です。

[国道の分岐]

 集落を抜けてそのまま進み、国道372号に出会うところまで来ました。どうやらここが天引峠を越える国道の新道と旧道の切り替え点のようです。新道はここからトンネルに向かって直線的に登ります。旧道の入り口は間違って侵入しないように狭められていますが、この先しばらくは地元交通に利用されています。
 写真は振り返って東を向いて撮っています。遠方に見える青看板の所が府道54号の分岐です。

[峠の旧道の封鎖点]

 新道に沿って少し進んだ所。新道へのエスケープのすぐ先に緩い封鎖がありました。旧道は林道か作業道として使われているらしく、路面にはタイヤの痕がたくさんあります。
 道はここから少し勾配を増して登って行きます。ひと昔前の国道としてはありがちな程度の勾配です。ギヤをインナーに落としてゆるゆると登って行きます。

[林道っぽい]

 大きく1回折り返して高度を稼いで、そのままカーブしながら山腹を登ります。落ち葉はかなり積もっていますが、枝は少なく路面が隠れるほどではありません。タイヤ跡もはっきりしています。定期的に清掃されているのでしょうか。
 路面は林道っぽいですが、カーブの所は広く道幅が採ってありところどころ中央の白線も残っています。道路標識も残っています。

[県境の峠]

 林間を登ったところに看板がありました。ここから篠山のようです。この手前の路傍には台座に「往来安全」と彫られたお地蔵さんがありました。

[国道の標]

 旧道好きには知られた残置看板です。
 現国道のトンネルは峠の真下を斜交するように通っています。トンネルは標高で50mほど峠を下げたことになります。

[篠山側の下り道]

 峠を過ぎるとやや急な勾配で下ります。やや開けた谷間の道で、路面は比較的綺麗です。旧道区間は落ち葉と路傍の倒木程度で崩落は無し。封鎖のため4輪は通れませんが、2輪なら通り抜け可能。ランドナーには気持ち良い道でした。

[新道への出会い]

 篠山側は新道から分岐する線形に整形されていて、入り口にはオレンジ色のポールが立てられています。
 ここから新道に入って少し進み、西野々で左の集落道へ折れます。

[福住の集落へ]

 ここは京都から播磨や山陰への交通路「西京街道」の集落です。伝統的建造物群保存地区に指定されています。国道から逸れて集落の中の道を走ります。

[一里塚]

 この道は篠山から峠を越えて亀岡へ向かう街道でした。篠山藩が道しるべに置いた物だそうです。篠山城下から3番目の一里塚という事ですから、ここから篠山城の大手門までは約12km。

[福住の家並]

 福住地区では2つの古い建築がひな祭りの会場になっていました。
 イベントの際に街並を訪ねる楽しみのひとつはこういった古い建築を中から見れることです。

[国道173号]

 福住は東西の西京街道と北摂から登ってきた街道が交わる街道街。古い集落を抜けたすぐ先で、国道372と国道173がひとからみします。
 国道372は、この先を西に進んで緩い丘越えします。

[篠山川に沿って]

 国鉄篠山線の線路は丘を避けて川に沿って北側を回っていました。国道の喧噪を避ける意味もあって、こちらを通って日置へ向かいます。
 日置の集落もひなまつりの会場になっています。日置も福住も現国道は直線的に集落の外を通っています。集落内の道は拡幅されて昔の街道の道幅ではありません。

[国鉄篠山線跡?]

 日置から篠山市街へはいくつかのルートが取れます。日置を抜けた旧街道らしい道は国道372号と交差して、その先は県道77号になります。
 今回は一旦昔の街道から離れて農地の中を直線的に抜けている細い道を選びました。道筋の続き具合から見て、おそらくこれが国鉄篠山線の廃線跡でしょう。この道は県道77号と交差した先は県道306号となり、篠山口へ向かいます。

[京口橋]

 県道77号に折れて篠山市街へ向かいます。篠山川を渡る橋の名は「京口橋」。篠山の城下を出て京へ向かう橋という事でしょう。

[河原町の街並み]

 御城下の南東側。お城観光の人波からはちょっと外れた一角です。街道沿いの商家の並ぶ街並が綺麗に残っています。
 篠山市街でのひなまつりは、ここ河原町のあたりと、お城の西側の西町の2カ所の保存地区が中心で、二階町あたりのお店にもひな人形が飾られていました。観光案内所にレンタサイクルがあるようですが、徒歩で回ると、この付近だけでもけっこう広さがあります。

[城下町を出て]

 西町を出て、篠山口駅へ向かいます。県道36号はひと山越えて西脇へ向かいます。ここで左に分岐して県道299号へ進みます。この道筋が昔の「篠山鉄道」のルートに近いらしいです。

[篠山口へ]

 舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インターの近くまで来ました。今ではこのあたりが交通の要衝。この先、亀岡43kmの表示は県道306号から国道372号と辿るルート。篠山口の駅もあと少し。

 篠山口で自転車を袋詰め。ここから大阪方向は快速電車が毎時ほぼ2本あります。電車の時間を気にしなくても良いのは気分的に楽です。快速電車は大阪駅終着です。今回は楽をする事を考え、伊丹駅で後続の高槻行き各停に乗り換えました。大阪駅の乗り換えは混雑して階段通りますが、川西池田または伊丹駅なら同一ホームです。各停なので吹田駅(自宅には新大阪より少し近い)まで乗車しました。
 ひな人形と古い家屋や街並を見てゆっくりしましたが、園部から篠山口まで走るだけなら3時間ほどでしょう。


mars2015 at 20:21コメント(0)

2016年10月29日

2016年10月22日 浜大津→琵琶湖疏水→小関峠→山科→蹴上→インクライン→南禅寺

 以前に琵琶湖と淀川の流れに沿って走りました。栃の木峠を発した流れは湖東へ下り琵琶湖に注ぎます。近江と若狭を隔てる野坂山地の谷筋も走りました。先々月先月のコース一帯も琵琶湖に流入する川の流域です。
 たくさんの川の水を集めた琵琶湖ですが、その出口は少ないです。自然の出口は宇治へ至る瀬田川だけですが、山地をトンネルで抜けて京都市内へ水を引く人口的な出口が作られています。これが琵琶湖疎水(京都疎水)。疎水は第一と第二の2つの水路が造られていて、このうち古い第一疏水は1885年(明治18年)着工、1890年(明治23年)完成。荷物を運ぶ舟の通行も考慮して作られていて、途中のかなりの部分が地表を通っています。

 琵琶湖と鴨川の水位の差が約45mあり、ここをそのまま繋ぐと流れが速くなって舟運には不都合です。この差を解消するため、京都側の『蹴上』にインクラインが作られました。この落差を利用して発電所が設けられ、その電力はインクラインで使われたほか、日本初の電車の運転にも使われました。
 京都市内の観光地に近いこともあって、インクラインは学校の遠足などでも訪れる観光地として知名度が高いですが、疎水自体はあまり知られていないように思います。

 琵琶湖がらみで残った大物!疎水の流れを追って自転車で走ることを計画しました。なるべく水路に近い道を辿って、三井寺近くの取水口から京都の東の蹴上へ。山科あたりの山腹に沿って流れるあたりは公園や遊歩道が整備されています。距離は短いですが、スピード出して走れる道ではありません。止まってあちこち見ながらだと、休憩いれて3〜4時間ぐらいでしょう。
 紅葉の時期には早いですが、のったりゆったり秋の散策サイクリングにすることにしました。今回も知人のIさんと一緒です。

[疏水の取水堰]

 新大阪から輪行で湖西線の大津京駅へ。ここから住宅地の中の古道らしい道筋を走って少し。京阪電車の三井寺駅の近くです。ここから疏水のたびが始まります。

[山へ向かって流れます]

 普通の川とは逆で、水は山へ向かって流れています。

[閘門があります]

 この先で水路は長い隧道に入ります。
 水路の水位と流れを調節するように、閘門が設けられています。この横に迂回水路があります。

[隧道の東口]

 湖畔からここまで、水路に沿って道が付けられています。
 水路はここからトンネルで湖西の山の下を抜けて山科へ向かいます。街道(国道)は南側の低い所へ廻っていますが、水路の真上近くを通って峠越えする道もあります。道の入り口はこの左側。

[峠のお地蔵さん]

 峠に至るの道は、途中の分岐が判りにくくて少し迷いました。標識が中途半端です。
 この「小関越え」の道は、高低差は小さいですが、けっこう急な坂です。上り詰めた所にお地蔵さんがありました。

[第一トンネルの西口]

 峠を下ると道はR161(西大津バイパス)をくぐり、JR線の近くまで来ます。ここから右に枝道を入った所が西の坑口。曲がり角が判り難いです。標識が欲しいですね。
 第一トンネルは当時日本最長2436m。

[疏水沿いの道]

 第一トンネル西口から先、しばらくの区間は疏水に沿って細道が続いています。曇天ですがほどよい気候の休日で、地図を片手に疏水探訪らしい人影があります。

[諸羽トンネル東口]

 元々は山裾に沿って流れていたのを、湖西線の線路を敷設するために付け替えたもの。昭和45年(1970年)にできた新しいトンネルなので扁額は無し。全長520mで出口が見えています。

[山裾の公園の道]

 この公園の部分は諸羽トンネルに付け替えられた疏水が通っていた跡地。
 地元の散策道として利用されているようです。

[諸羽トンネル西口]

 こちらの口も扁額は無しです。付け替えのよって流路が約260m短縮されたため、この区間は少し勾配がきつくなっているそうです。

[川の上]

 疏水はほぼ一定の勾配です。山科駅の北あたり、山裾に沿って緩く曲がっています。ほぼ等高線に沿うルートで、高い所は掘り下げて、低い所土手になっています。ここで疏水は谷の川と交差します。

[水路橋]

 上の写真の反対側(北側)から。
 谷の川より高いです。疏水は橋になって谷川を跨ぎ越えています。水は混じり合いません。

[山腹を辿る]

 高度を下げないように、山腹をへつるように水路が続いています。
 疏水に沿って散策道が続いています。モミジなどがたくさん植わっていますから、紅葉の時期には綺麗でしょう。

[街を見下ろす]

 山科駅の少し西のあたり。山裾を削り込むように東海道線が通っています。疏水がだいぶ高いと頃を通っていることが判ります。
 鉄道線は盛り土の路盤で少し南に寄りに進んで東山トンネルへ。疏水は山腹に沿って御陵へと、北西に向かいます。

[第二トンネル東口]

 天智天皇陵の北側を抜けて少し先。小山の突出部を避ける124mの短いトンネルがあります。
 疏水沿いの散策道はここで一旦途切れます。住宅地の中を辿って反対側へ廻りますが、この区間の道が判りにくかったです。

[第二トンネル西口]

 ここもレンガ積みのポータルです。装飾が凝っています。古い3つのトンネルの両側の口はそれぞれ意匠が異なっています。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 橋のたもにと石の標柱がありました。
 異様なほど大げさな鉄柵の内側の曲がった部分が「最古の鉄筋コンクリート橋」。橋に手摺りが無いので、両側に手摺りだけの鋼橋のような物を付け加えた形になってます。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 人道橋で、橋自体はたいへん薄い構造物です。
 貴重な物に手を加えずに置こうとした意図は判りますが、手摺りの見かけが台無しにしてます。下縁が橋の路面より少し高い位置で、橋に沿って湾曲した物にしてほしかったです。

[第三トンネル東口]

 最後の水路隧道の入り口。この隧道で東山を抜けた先が蹴上です。
 水路沿いの道はここまで、ここから一旦山裾の広い道へ廻ります。

[蹴上の坂]

 東山の山地を水路はトンネルで抜けていますが、道路は峠越えです。山科から三条へ向かうこの道は旧東海道。ぐっと登って峠を越えると京都の街が見えてきます。坂を少し下ったところを右に入ると

[蹴上船溜まり]

 第三トンネルを出たところは少し広い水面になっています。ここがインクライン上部の船溜まり。ここまで来た船は順番にインクラインに載ります。
 流れて来た水は、第二疏水の水と合わさり、水路鉄管を流れて発電所へ。一部は疏水分線として南禅寺の中を通って北へ流れます。

[インクライン]

 インクラインは一種のケーブルカーです。ここで舟を台車に載せて陸揚げして、下の船溜まりまで坂を下ります。展示されている台車には舟が載っていますが、公園のボートより少し大きい程度です。
 インクラインは1948年(昭和23年)に運行を終了し設備は撤去されました。現在は見られるレールなどは産業遺産として保存するために1977年(昭和52年)に復元されたもの。

[南禅寺]

 蹴上のインクラインのすぐ横。有名な大きなお寺です。
 疎水の水の一部はこの南禅寺の中を導水橋(水路閣)で抜け、京都市街の北東をぐるっと流れて鴨川縁へと高度を下げて行きます。このあたりが「哲学の道」として知られる水路。このあたりは(だいぶ昔ですが)一度走ったことがあるので、今日はインクラインの先の水路へ向かいます。

[南禅寺船溜り]

 インクライン下の船溜まりです。正面は動物園。観光地です。

[京都の街の中]

 南禅寺から鴨川へ、京都市美術館、平安神宮と続く一帯。水路は観光都市京都の中心部を流れています。

 すっかり油断していましたが、今日は「時代祭」の日でした。沿道は人出が多く交通規制されていて、水路に沿って辿るのは厳しい状態でした。仕方なしに水路から離れて鴨川の河川敷を通って四条に行きました。帰路は河原町から阪急電車に乗りました。


 小関峠の区間と蹴上手前の坂の他はほとんど平坦です。コースは大半が市街地に近い所を通っています。鉄道駅も多くあり、どこでもエスケープ可能です。小型の折りたたみ自転車でも支障無く走れますが、土や砂利の公園路の区間が多いのでロードバイクは不向きでしょう。
 昼食は、途中でコースを逸れて適当に探すつもりだったのですが、惰性で走るうちに食いはぐれました。樹木の多い公園のような所を走るのですがら、お弁当持ちの方が良かったかもしれません。


2016年09月26日

2016年09月25日 関宿→大和街道(国道25号)→加太峠→柘植→杣街道(県道4号)→甲賀→横田の渡し→三雲駅

 先月は亀山から関を経て鈴鹿峠を越え、土山、水口と東海道を走りました。現国道1号この鈴鹿越えのルートですが、鉄道(関西線+草津線)はこの峠を通らずに鈴鹿山地の端まで西に進み、鞍部を越えて杣川に沿って下るコースを取っています。街道でいえば、柘植までは大和街道で、ここから甲賀を経て杣川に沿って近江へ向かう道筋が街道。このれは平安時代に鈴鹿峠が開かれるまで官道が通っていたルートつまり昔の東海道です。
 大和街道は関宿の西の追分で東海道と別れ、加太峠を越えて柘植に至り、伊賀を通って奈良に至ります。このルートの大部分は現国道25号です。柘植から南下する道は杣街道で、横田の渡し(JR三雲駅近く)で水口宿から来る東海道と合流します。この道筋の大部分は県道4号となっています。旧街道の大部分は国道・県道に上書きされていますが、集落のあたりなど古い道らしい線形が残っているところはなるべくそちらを辿るようにしました。
 早朝発でJRの関駅まで輪行、帰路は三雲駅から輪行です。コースは大部分がJR線に沿っていて、特に柘植以降はエスケープが容易です。注意点は、関宿近くから甲賀まで食料の調達が困難なことです。

 大和街道は三重県の「みえの歴史街道のウォーキング・マップ」に記載の道筋を辿りました。
 杣街道については、集落を繋ぐような線形の道を地形図で探して走ることにしました。

 現在の国道25号は大阪と四日市を結ぶ国道です。大阪から奈良の区間は元の奈良街道で、大阪市内の区間は4〜8車線の大通りとなり、末端部は御堂筋です。東側の亀山から天理までの区間は『名阪国道』の名で知られていますが、この区間は一般道ですが、高規格の自動車専用道です。この新しい道が造られる際に、国道25号に組み入れられ、同時に近くを通る道(大和街道)が側道として国道25号となりました。メインは高規格の名阪国道なのでこの側道は国道指定されてもほとんど改良されませんでした。このため若番の国道ながら『酷道』として知られる状態です。(つまり同時指定なので、酷道の方は旧道ではありません。)

 このルートを自転車で辿る際の最大の問題点は、加太峠付近で砕石場に出入りするダンプです。歩道の無い坂道で大型車に寄られるのは困るので、砕石場が休みの日曜日に行くことにします。

 今回も知人のIさんと一緒に走ることになりました。お天気の具合で、当初の予定より1週間遅れました。

[関宿の東の追分]

 関駅から国道1号を少し東に走り、コンビニで昼食を調達。コンビニの交差点を北に折れるとすぐに関宿の東の追分です。
 ここは先月も来たところです。この鳥居は伊勢神宮の鳥居で、道の先は伊勢です。

[関宿の西の追分]

 関宿の家並みを抜けて西の端まで来ました。ここかが西の追分。道標には左やまとみちと書かれています。

[国道25号への分岐]

 現国道の分岐です。国道1号から分かれる道が国道25号です。

[線無し国道]

 分岐を過ぎて少し行くと、線無しになりました。20番台国道なのに。40km/s指定です。

[旧道]

 国道らしく一応は手が加わっています。集落のあたりや狭隘部など、一部はバイパス化されています。今回は街道と集落を訪ねるのが目的なので、なるべく旧道へそれて走ります。

[酷道]

 同じ国道25号でも大阪市内の区間とは大違い。たいへんのどかな風景です。車の通行もほとんどありません。その割かわり、あまり補修もされていないらしく路面の傷んだ区間も多いです。

[レンガトンネル]

 上は関西本線。トンネルというより、跨道橋ですね。昔に鉄道が造られた時に街道を跨ぐように造られたようです。つまり昔からこの道幅らしいです。ここから加太峠の峠越えです。
 関からここまで、関西線と交錯しながら谷間を登って来ましたが、鉄道線は狭くなる谷間を避けて左に折れて、山腹を斜めに登って高さを稼ぎ、短いトンネルで戻って来ます。

[砕石場]

 加太峠の峠越え区間には2つの大きな砕石場があります。操業中には国道を砂利ダンプが通ります。これを避けて日曜日に来た訳です。
 砕石場の手前から、道は山腹をへつり登る線形になっています。

[峠へ]

 酷道です。路面の荒れもありますが、路肩やあちこちに小石が散らばっています。これで横にトラックが来たら恐いですが、今日は全然通行がありません。

[伊賀へ]

 道は峠手前から少し勾配を増して登り続けています。あと少しで峠です。峠の手前から道が少し綺麗に整備されています。
 ここは紀伊半島の山塊の付け根にあたる分水界。ここまでは伊勢湾に注ぎ、この先は大阪湾に注ぎます。

[旧道]

 峠を下る道。下りはじめたあたりで、左からトンネルを抜けたJR線が寄ってきます。その先で国道はJR線を潜り、名阪国道の方に向かいます。下る途中で右に分かれて柘植の街並みに向かう細道が昔の街道です。

[柘植の街]

 柘植の街並みを走って来ました。緩く下る道を辿って街をぬけるあたりで、道は緩いY字になり、ここが街道の分岐。右手に折れると道は登り坂になります。

[広い谷間]

 柘植の街を抜けて田の拡がる広い谷間に出ました。ここで景色を眺めながら昼食。あちこちに赤いヒガンバナが咲いていました。
 鉄道線路はJR関西線。左が奈良方向で右が柘植駅。関西線は加太峠に向けて高さを稼ぐため山腹をへつり登るため、柘植の街の外側を通っています。街を抜けて来た旧街道らしき道はこの右側にあり、現県道はこの左側を通っています。

[県境]

 忍者で知られる伊賀と甲賀は背中合わせで、その国境は山の間の広い谷間の鞍部越えです。県境まで来ました。道はまだ少し緩く登ります。
 後側の雨水は伊賀を通って木津川から淀川へ、この先の水は琵琶湖を経て瀬田川から淀川へ。このあたりはどちらも淀川の流域という事になります。

[県道4号]

 この道は甲賀を南北に貫く重要に交通路のひとつです。地元の交通らしい乗用車がけっこう通る区間があります。

[油日駅]

 県道4号はほぼJR草津線に平行しています。草津線は単線ですが、電化されて京都方面への直通もあります。峠から緩く下って来ると、街道集落らしい街並みがあります。
 油日駅で小休止。この駅舎は観光拠点として作られています。

[甲賀の街]

 甲賀の街並み。街道らしさは薄いですが、地方の駅前らしい街並です。都市機能としては能登川や水口が中心なのでしょうか、伊賀にくらべるとだいぶこじんまりしています。

[忍者の里]

 甲賀といえばやはり忍者。ちゃんと観光施設があります。道端の『飛び出し看板』が忍者です。

[川沿いの道]

 谷の中を緩く蛇行しながら川が流れています。河道の動きにつれて街道も移ったのでしょうか。古い道らしい線形で集落を連ねる道があちこちにありますが、田畑の区画整理などで分断された感じで辿りにくいです。県道は川に沿う形でこのあたりを抜けています。

[集落道]

 県道はこの地域の交通の要になっているらしく、区間によってはかなり通行があって改良整備されています。ます。田畑の中の区間は直線的な道になり、集落のあたりでは外側を迂回しています。喧噪を避ける意味もあって、辿れる区間は集落道にそれて走っています。

[横田の渡し跡]

 先月も来た場所です。鈴鹿峠を越えた東海道は土山宿、水口宿と通って、ここで川を渡っていました。杣街道はここで東海道に合流していました。
 なお、この灯籠は元々の位置かせ下流側に約200m動かされているらしいです。ここで東海道を歩いて訪ねるツアーらしい一行と行き会いました。

  JR三雲の駅はこのすぐ近くです。今回の自転車旅はここが終点。あまり暑くない晴天で、関から約40kmの距離を休憩時間を含めて約4時間でした。ここから草津線・東海道線と乗り継いで新大阪まで2時間もかかりません。


2016年07月03日

2016年07月01日 榎木橋→[なにわ自転車道]→[西島川自転車道]→[大野川緑道]→[舞洲緑道]→[大野川緑道]→[淀川河川敷]→[なにわ自転車道]→榎木橋

 毎月1回お出かけを目標にしていますが、お天気と雑事の都合を見合わせているうちに月が変わってしまいました。そこで6月分の繰り越しということで、今日は近いエリアの取りこぼしを拾いに行くことにしました。お天気が読みにくい時期ですから、切符を用意して遠出とかはしにくいです。突然の雨とかも面倒です。この点で、輪行なしの行程は気楽です。考えたのは自宅近所から「大阪の河岸の自転車道」をめぐるコース。平坦で車の心配もなく、コース近くに鉄道駅がたくさんあるので途中打ち切りも簡単です。

 大阪には自転車道がいくつかあります。一昨年の「淀川河口へ」では「北大阪周遊自転車道(大阪府道801号大阪吹田自転車道線)」の一部を走りました。 自宅のある吹田市の南側に沿って流れる神崎川の河岸には、大阪府道803号旭西淀川自転車道線は通称「なにわ自転車道」が通っています。この「なにわ自転車道」は起点で「北大阪周遊自転車道」に繋がっていて、終点からは「西島川自転車道」と「大野川緑道」と辿って淀川河川敷の近くへ出れます。こうしてほとんど自転車道だけ繋いで一周できるコースができます。


[榎木橋]

 自宅から少し走って神崎川まできました。いつも新大阪へ出る時に渡ってる「榎木橋」。今日はここがスタートです。

[なにわ自転車道]

 ここからしばらくは、以前「西国街道の西側」を走った時の帰路に通った区間です。堤防の内側の部分が自転車と歩行者の道になっています。道の横には花壇も作られています。

[阪急電車]

 神崎川は淀川から分かれ、大阪の西縁を流れて猪名川と合流し、大阪湾へ注ぎます。大阪から北や西へ向かう道路や鉄道の橋がたくさん架かっています。

[猪名川と合流]

 新幹線の高架を潜るあたりで猪名川と合流します。

[JR線を潜る]

 川幅がずいぶん広くなりました。

[土手の外側へ]

 自転車道は、途中から堤防の内側から外側へ移ります。川沿いの道路の歩道という感じです。

[神崎大橋]

 国道2号と交差します。道路の路面は堤防より低く、洪水に備えて門が作られています。
 ここまでの区間は昨年は西宮からの帰路に通った逆コースです。ここから先は初走行です。

[千舟大橋]

 そろそろやにわ自転車道も終わりが近いです。ここまで堤防に沿った外側をずっときましたが、ここで先が判らなくなりました。横断歩道で道の反対側へ渡り、先を探します。

[堤防工事でした]

 少し進むと立看板がありました。どうやら堤防工事のために自転車道が通れなくなっているようです。

[自転車道復活]

 そのまま車道を少し進むと、自転車道が復活しました。

[自転車道の案内]

 コース途中にはところどころ案内標識があり、番号と出入り口までの距離がかかれています。ここまで来て、終点の出来島橋の名が出てきました。そして、その先の「西島川自転車道」の名も出てきました。

[なにわ自転車道の終点]

 案内板は終点となっていますが、道はそのまま先へ続いています。私もそのまま先へ進みます。

[防潮水門]

 道の先には水門がありました。この右側が神崎川。左に分かれる流れに沿う余地が幅広い歩道ような公園のような感じに整備されています。ここを辿って進みます。

[西島川自転車道の標識]

 川に沿う歩道を進むと、西島川自転車道の表示がありました。

[自転車道/歩道]

 川に沿う草藪の中に細い道が続いています。標識がありますから、どうやらこの道が自転車道のようです。草がかなり押し出して来ていて、あまり道らしくありません。

[新淀川へ]

 そのまま進むと前方に水門が見えてきました。この先はもう新淀川です。
 ここまでたいして迷うような事もなく順調に来れました。坂が無いうえに信号や車止めも少なく大きな車に脅かされることもありません。無理ない程度に走り続けて、榎木橋からここまで1時間ほどです。

[公園l緑地]

 淀川の土手に向かうように少し進むと、左側に細長く続く公園のようなものが見えて来ました。ここが「大野川緑道」。もともとは神崎川から分かれて新淀川に注ぐ「大野川」という川の河川敷。水質悪化もあって川が埋められたあと、緑地帯になったそうです。

[自転車専用道]

 ここまでの道には自転車と歩行者を描いた青丸の標識がありました。自転車道ですが歩行者も通行可能です。しかし、この大野川緑地では道は自転車の道と歩行者の道は分離されています。青色に塗られている道は自転車専用で、道の横の標識の絵は自転車だけ。ただし、地元民にはほとんど意識されていないようで、普通に歩行者も歩いています。

[国道43号]

 予定よりもかなり順調に来れています。幸い天候の心配もありません。このまま進んだのでは微妙に走り足りない感じなので、もうひとつ近い場所の「緑道」の様子見に行くことにしました。ここから往復で10kmほどの寄り道です。

 一昨年は大川(旧淀川)を河口まで下って新淀川の左岸を上りました。その際にの折り返し点だったのが「舞洲」の埋め立て地。後でしらべると、その西側の護岸のあたりに公園緑道がありました。せっかく近くまで来ているのだから寄ってみようと思った訳です。

[新淀川の堤防]

 国道43号を少し走って、伝法大橋を渡り、左岸に出ました。一昨年は、舞洲から北港へ渡って、そのまま「此花通り」を走りましたから、今回は護岸の上の土手道を走ることにしました。風が吹いたら嫌な道ですが、今日は幸い穏やかです。

[舞洲へ]

 北港から橋を渡って舞洲へ向かいます。この橋は歩道が片側しかありません。南下する場合は手前の交差点で渡っておく必要があります。 

[舞洲緑道]

 緑道の入り口は橋(の歩道)を降りたすぐの所にありました。普通に走っていると見落とすような位置です。

[埋め立て地の縁]

 ここは埋め立て地の護岸に沿った公園緑地。河岸なのか海岸なのか。埋め立て地の地盤より一段低く造成されていて、石積みのあたりがちょっと磯っぽく造られています。しかし全体に放置感がします。人の姿はありません。

[僻地]

 緑道の末端部まで来ました。草に飲み込まれてはいませんが、大都市の港湾という感じではありません。道はここから一段上って公園の中の道へ続いています。

[舞洲の百合園]

 緑道の末端部のすぐ先は「百合園」になっていました。今年の百合園はあと数日で終わり。平日ですが、観光客がかなり来ていました。

[高速道路の橋]

 舞洲は淀川の左岸の河口にあります。前回はそのまま左岸を遡上しました。今回は右岸を走るつもりですから、どこかで橋を渡らなければなりません。
 これは淀川の河口にいちばん近い橋ですが、残念ながら高速道路の橋で、自転車は通れません。次の橋は伝法大橋で、そこまで戻らなければなりません。

[伝法大橋]

 一般道でいちばん川下の橋がこの橋。阪神間の工業地帯を結ぶ幹線道路の橋で、立派な鋼橋です。ちょっと狭いですが歩道もあります。

[大野川緑道]

 河川敷の緑道へ戻ってきました。元の川のまま、道路や鉄道線路とはすべて立体交差になっています。

[市街地を貫く]

 元の川幅はかなり広かったようです。中央の青色の部分が自転車道で、緑地帯を挟んでその両横が歩行者用。その外側が自動車道で、これはもともとの川沿い道のようです。河道の大部分は地平近くまで埋められていますから、立体交差する部分に少しアップダウンがあります。

[緑道の端]

 緑道の端まで来ました。この先もそのまま道が続いていますから、歩道を伝って進みます。

[JRの下をくぐる]

 道路の中央には細いながら歩行者自転車用の通路があり、これはそのままJR線路の下をくぐっていました。ここも元々は川だったような感じです。
 くぐった先も川筋だった感じの道が延びていましたが、道の雰囲気は普通の市街地の道。先へ進んでも遠回りになるので、ここで線路沿いに右に折れて新淀川の堤へ向かいます。

[新淀川]

 土手の上に出てきました。対岸は梅田の北側のエリア。高いビルが並んでいます。

[河川敷]

 土手の下の河川敷は広場として使われていて、道が通っています。休日なら人が多いのですが、平日の昼過ぎの時刻では閑散としています。この先は橋がいくつもあるので、河川敷の道を走ることにしました。

[赤川鉄橋]

 JR貨物線の鉄橋のところで土手の上にあがりました。
 なにわ自転車道の本来の起点はこの橋の対岸で、そこで「北大阪周遊自転車道」に繋がっているのですが、JRの工事でこの橋が渡れなくなっています。つまりこの橋の区間は府道の通行不能区間。

[自転車道]

 ここから土手道が「なにわ自転車道」になるはずです。しかしそれを示す案内はありません。ただ色あせた丸標識があるだけ。もちろん府道のヘキサ標識はありません。

[一津屋]

 土手の上の道を走って来ました。ここが神崎川の分流点。
 土手道はそのまま淀川に沿って続いていて、「なにわ自転車道」を示す表示のような物は何もありません。神崎川の方向へ続く道もありません。そこで一旦土手の下へ降ります。

[江口橋付近]

 土手を降りたところからそのまま道路を進んで神崎川へ。橋の横に河川敷に降りる入り口がありました。


[なにわ自転車道]

 河川敷を進むと横に標識がありました。やはりこここが自転車道でした。神崎川を渡る鉄道線路や道路は多くあります。その下をくぐりながら榎木橋へ向かって進みます。

[新神崎川橋梁]

 神崎川を越す橋梁はたくさんありますが、ここは下新庄駅近くの阪急千里線の古いほうの橋梁。構造もデザインもまったく違う3種類の橋脚が並んでいますが、この橋の古い歴史のあらわれです。この橋はもともとは東海道本線のもので、経路変更にともなって廃止されたものを北大阪電鉄が利用したもの。下部が円筒状のレンガ造りの橋脚が東海道本線のものだそうです。
 この建築遺産クラスの橋ですが、阪急線路の高架化にともなって架け替えられ、もうじき解体撤去されるらしいです。すでに片側線路は横に造られた新しい橋に移っています。

[榎木橋]

 出発点まで戻ってきました。

 途中の寄り道や休憩も含んでややゆっくりぎみに走って4時間あまり。舞洲への寄り道の区間を除けば3時間弱でしょうか。平日の昼間であまり人出が無かったのも幸いでした。(特に淀川河川敷は休日は混雑しますから。)

 平坦なコースで、 コースのほとんどが自転車道です。スピード出して走るのでなければ路面の状態もさほど悪くはありません。道路部分もほとんど歩道がありますから、大型車に脅かされる心配はありません。家族サイクリングにも良さそうです。


2016年02月16日

2016年02月11日 [国道479号] 江坂→上新庄→豊里大橋→布施→[府道702号]→枚岡梅林→[国道170号(旧)]→寝屋川市駅→鳥飼仁和寺大橋→[府道14号]

 少し陽は長くなって来ましたが、朝晩の風はまだまだ寒いです。だから2月は、輪行は避けてあまり早くない時間に出て陽のあるうちに帰れるコースを考えています。

 自宅の近くの駅前の国道479号の通称は「内環」で、西へ進むと尼崎市内で細って果てます。東に進むと南寄りに向きを変えて大阪市内の東部を南下して住之江へと続きます。西の方は良く通っているのですが、東の方は淀川から先へ行った事がありません。そこで、この道を通って大阪市内へ行くことにしました。住之江まで行っても面白くないので、途中で観光できそうな所へ立ち寄って、中央環状か外環状を辿って帰るといういいかげんな計画を立てました。交通量のある市街地の道を走るので、お天気の良い休日を狙って出発。

 大阪には『内環状』のほかに『中央環状(府道2号)』『外環状(国道170+国道171)』があります。いずれも大阪市内から放射状に伸びる道を周方向に結ぶ道ですが、内環状と同様にちゃんと環にはなっていません。南西側は大阪湾ですから仕方ないのですが、いずれもけっこうツギハギ感のある道です。
 
[江坂駅前]

 普段はお買い物自転車で走っている道。ランドナーで走ると何か違和感があります。まだ街が賑やかになる前の時刻で通行人は少ないですが、安全第一でゆっくり進みます。

[ 折れ曲がります ]

 環状道路は大阪市内から放射状に広がる道を繋ぎますが、同様に放射状に伸びる鉄道とも交錯します。この先は阪急千里線とJR京都線がからみあう所。豊中側からまっすぐ東に進んできた道は一旦北寄りに向きを変えます。

[ 阪急吹田駅付近 ]

 内環は高架と地下道で立体交差して線路の向こう側の、上新庄から茨木へ続く道へ割り込みます。
 自転車は駅横の連絡地下道を(押して)通ります。

[ 上新庄の近く ]

 まっすく南下して神崎川を渡って大阪市内へ入って少し。大きなY字の交差点。内環はここで一旦東を向き、上新庄駅を過ぎて南へ向き直ります。このあたりツギハギ感があります。このあたりまではお買い物自転車で時々来るエリアです。

[ 豊里大橋へ ]

 豊里大橋で淀川を渡ります。道は高い土手へと上ります。この橋は自動車も多いですが、通行人や自転車も多いです。両側に広い歩道があり、橋のたもとにはスロープも付けられています。当然スロープ&歩道を通ります。

[ 太子橋今市 ]

 そのまま大阪の街へと進んで来ました。ここは太子橋今市。交差点の下を地下鉄が通っています。地下鉄で江坂からここへ来る場合は一旦梅田へ出て乗り換えになりますから、なんとなく遠いイメージでしたが、自転車で来てみると案外近い感じです。

[ 滝井 ]

 京阪電車の下をくぐって少し先。ここで緩く曲がれば、あとしばらく真っ直ぐ南へ進みます。
 この道は市内交通の主要道路。休日の午前中で大型車や配送のトラックは居ませんが、乗用車はそれなりに通ります。広い歩道は自転車通行可ですから、面倒な自動車は避けて歩道を通ります。地域住民のお買い物自転車に混じってのたのた走行です。

[ 花博通り ]

 この道自体を通ったことは無いのですが、馴染みのある地名が次々と出て来ます。
 この道は市街地の幹線道路で、交差点には信号があります。ゆっくり走っているので、次々と信号にひっかかります。少し走って止まることを繰り返すので、キヤはアウター2速に入れっぱなしです。

[ 放出 ]

 大阪周辺の私鉄は高架化が進んでいるのですが、JR線はまだ地平の区間が多いです。おおさか東線の工事でもこのあたりの片町線は高架化されませんでした。内環は放出駅近くで高架橋で越えます。ここに踏切は無いので、自転車はスロープを登って越えます。

[ 深江橋 ]

 中央通りと交差します。名前のとおり大阪市街の南北の中心。内環は行き先表示にある「瓜破」で西に折れるまで南下し続けます。

[ 新深江 ]

 この先で交差する道は千日前通り。標識では重複している国道府道の番号になっていますが、難波から続いてきている府道702号です。目的地の枚岡へはここを左なのですが、区切りの良い所までまっすぐ進みます。

[ 近鉄電車の高架 ]

 近鉄の高架まで来たところで、これに沿って東に折れました。このすぐ先が布施駅。
 近鉄電車は布施で二手に分かれます。大阪線は生駒山を南へ迂回し、奈良線は山腹に沿って登ってトンネルで抜けます。

[ 布施駅近く ]

 高架に沿って布施駅を過ぎました。この先もしばらくは線路沿いに進めそうですが、一旦北へ上がって分かりやすい道を走ることにしました。

[ 府道702号 ]

 千日前通りの末端部。府道702号は微妙に細りながら東に進みます。ここは中央環状と交差して外環状を越えたあたり。正面の生駒山に向かって少しづつ登りが続いています。枚岡まであと少し。直進でも良いのですが、ここを右折して枚岡駅の方から登ることにしました。

[ 枚岡神社 ]

 河内の国の一宮。立派な神社です。梅林は神社の右横です。

[ 枚岡梅林 ]

 梅林は山腹を少し登ったところ。高低差はわずかですが、大阪の市街地が見えます。ここへは学生時代に一度自転車で来たことがあります。その時は天王寺まで輪行で、大和川沿いに東進して国道170号を北上するコースで、帰路は中央環状と外環状を通って池田まで走ったように記憶しています。

[ 晴天 ]

 この時期のお出かけは天気が微妙です。今日は穏やかな晴天になりました。ほんど風が無いのも幸い。朝のうちは低かった気温もだんだん暖かくなりました。信号で止まりながらのたのた走行で、ここまで2時間半ほどかかってます。梅を見ながら昼食。

 ここで帰路を再検討。中央環状は府道2号で、これには新旧2つの道があります。本当は新しい方の2号が中央環状なのですが、古い方の2号は『旧中環』と呼ばれたりします。外環状は国道170号ですが、こちらも平行して古い道があります。都合4つの経路があることになります。ツーリングの自転車で市街地を走るのはけっこう疲れます。午前中ですっかり飽きたので、帰路は『古い方の』国道170号を辿ることにしました。幸いお天気も良いので多少遠回りになりますが問題ありません。

[ 国道308号(旧) ]

 枚岡から少し北上して、往路で折れた府道702号の交差点へ続く道へ入りました。住宅地の中の細道のようですが、ここは立派に国道。暗峠(くらがりとうげ)を越えて奈良と大阪を結ぶ道ですが、一般人的には国道308号というと第二阪名道路を指すようです。

[ 国道170号(旧) ]

 外環状は国道170号の新しい方の道です。広くて綺麗で歩道も完備ですが、通行量が多くて喧噪な道です。古い方の道もそのまま国道170号になっていますが、こちらは実質てきに地域の道。部分的に狭くて歩道も切れ切れですが、古い街並みの続く一帯を抜けて行きます。

[ 東高野街道 ]

 旧道は生駒の山裾の平野部より少し高いあたりを通っています。国道の元は「東高野街道」の古名のある往来です。沿道には有名な社寺がいくつもあります。東高野街道の古道はこの国道の少し山側の細道らしいですが、今日はそのまま国道を通っています。

[ 白看板 ]

 道はずっと北上を続けて四条畷まで来ています。百番代国道ですが現在の役目はすっかり地域の生活道路。さびた白看板がここが昔の主要交通路だった事を示しています。道は山裾を緩く上りながら続いています。微妙にくねっている線形は古い道らしいです。

[ バス通り ]

 実態は地域の道です。お買い物自転車も通ります。大きなトラックはほとんど居ませんが、路線バスは通ります。少しづつ歩道整備や拡幅もされていますが、簡単では無さそうです。
 古い街道はこの先で京阪電車に沿って曲がって京都方向に向かいます。左側に折れて国道に戻ります。

[ 国道1号(新) ]

 忍が丘からふたたび国道170号の古い方に戻って北上して来ました。ここは国道1号(新)との交差点。1号線の表示はありますが、こちら側の「170号のおにぎり」は書かれてません。しかも、この先の方の道の描き方が妙に細いです。

[ 旧170号 ]

 国道1号と交差して、いちだんと細った道。中央の白線も消失しました。それでもここは天下の国道。ちゃんとおにぎり看板がありますが・・・旧170号線って、現国道なのに。

[ 新旧170号 ]

 寝屋川市駅の近くで新旧の170号は一旦合流し、さらに北へ向かいます。国道を進み続けると、枚方大橋まで行って高槻に至ります。大阪の外周路と言っても、そこまで行くと大回りすぎます。170号の新道の曲がり具合から見ると、府道19号に入って「淀川新橋」を渡って欲しそうに見えます。しかし箕面方向に向かうには、その先の茨木市内の道の整備が中途半端な感じです。この道から吹田市内へ向かうなら府道14号(新)でしょうが、それならもっと面白そうなルートがあります。

[ 府道18号 ]

 170号の新旧合流点から府道18号で寝屋川市駅へ向かっています。新しい住宅地の駅前らしい道になりました。

[ 京阪電車の寝屋川市駅 ]

 京阪電車の寝屋川市駅です。

[ 駅前の通り ]

 駅の北側は南側とはずいぶん雰囲気が違います。府道18号も大変身。

[ 府道15号 ]

 微妙に切れ切れ感がありますが、中央環状と外環状の間を南北に通る道筋がいくつかあります。府道番号が付いていますが、重複区間も多くてわかりにくいです。ここは府道15号。ここから橋を越えて摂津市へ向かいます。この先、立体交差で国道1号(旧)を越えて淀川の上に登ります。高規格の道ですが、通行量は少ないです。自転車は下を行きます

[ 淀川へ ]

 国道1号(旧)は淀川沿いです。歩道橋(スロープ無し)でこれを越えてそのまま川の土手の上へ。

[ 鳥飼仁和寺大橋 ]

 こんな時でもなければまず通らない橋です。今日渡っておかないと、この先渡ることが無い可能性が大きいですから。
 淀川にはいくつか橋がありますが、あまり利用されていない橋もあります。城北橋のように、橋は立派でも接続道路が不便だと意味が薄いです。ここもあまり便利では無いうえに、『有料』なのです。隣の鳥飼大橋はいつも混んでいるのですが、ここは閑散としています。自転車も有料で、通路脇に立派な箱が置かれています。通行料で箱代が出ているのかしら? スロープ付いていないので、お買い物自転車は来にくいでしょう。歩行者は数人いましたが、自転車とは出会いませんでした。

[ 神崎川を渡る ]

 そのまま道なりに進んで神崎川を渡りました。宮鳥橋。神崎川には大小の橋がたくさんありますが、この橋は渡ったことがありませんでした。ここ渡ると摂津市域。
 摂津市域に入れば、このへんからはお買い物自転車での行動圏です。枚岡からここまで2時間半ほど。夕方に向けてそろそろ気温も下がって来ますから、分かりやすくて交通の少ない道を辿ることにしました。

[ 中央環状 ]

 千里丘駅前へはまわらず、そのまま西へ進んで中央環状に行き当たる所まで来ました。府道2号は近畿道+中国道の側道でもあり、交通量の多い道です。休日でも大小の自動車がたくさん走っています。
 この大通りを渡ってから、摂津市内の道を抜けて正雀から吹田駅南側へ。最後までのったり安全走行で帰ります。

 来月はふたたび輪行で遠出の予定。今年は花が早いですが、やはり3月は梅でしょうか。

2016年01月03日

2016年01月02日 豊中市内→伊丹市内→清荒神→中山寺→呉服神社→龍安寺→西江寺→円満寺→東光院



 毎月どこへ行くか、いろいろ計画を立てています。陽が短くて寒い時期は輪行無しで行ける所が良いです。昨年は北の山塊を予定して雪に邪魔されました。今年は新春らしいお出かけと考えて「七福神めぐり」をすることにしました。
 大阪近辺で「七福神めぐり」はいくつかありますが、いちばん地元の「西国七福神めぐり」に行くことにしました。これは阪急電車がやっているもので、阪急宝塚線沿線から7カ所が選ぎれています。
 1 毘沙門天 担当が 東光院 で、曽根駅
 2 福禄寿 担当が 円満寺 で、蛍池駅
 3 大黒天 担当が 西江寺 で、箕面駅
 4 弁財天 担当が 龍安寺 で、箕面駅
 5 恵比寿 担当が 呉服神社 で、池田駅
 6 寿老人 担当が 中山寺 で、中山駅
 7 布袋尊 担当が 清荒神 で、清荒神駅

 電車で行くのが本来なのでしょうけど、これを自転車でまわる訳です。実は学生時代にできたての自転車でこの七福神を一度まわっています。その頃は池田に住んでいたので、一度南下して1番から順に北上するコースをとりました。だから今回は逆順でまわることにしました。7カ所の中でいちばん参道が長く混雑する「清荒神」を先にまわっておこうという意図もあります。

 清荒神は宝塚の少し手前です。吹田から行くコースはいろいろかんがえられますが、狭くて交通量の多い道はなるべく避けて、以前からなんとなくなじみのあるあたりを辿る道筋を選びました。


[ 国道176を越えて ]

 江坂村の北側から吹田街道の1すじ北側の道を辿って豊中方向へ。このあたりはお買い物自転車でも良く走っているあたり。そのまま国道を越えて西へ進みます。

[ 伊丹空港 ]

 道は曽根駅の南の公園の横を通り、阪神高速と交差します。急ぐならここから高速の側道伝いなのでしょうが、ここはそのまま進みます。少し行くと緩く曲がって伊丹空港の南端へ出ます。このあたり、伊丹空港が「大阪国際空港」だった頃には飛行機を見に良く来ました。正月で大きな車は通りませんが、時折スピードを出した乗用車が通ります。

[ 猪名川の土手 ]

 風も無いので、川の土手道へ出ました。この先の公園や尼崎市内へ出るのに、私はこの道を良く使います。ここはロードバイクが集団で走っていることもあるのですが、今日は閑散としています。

[ 伊丹市内 ]

 そのまま土手道を進み、大きな橋を渡ると伊丹市内の中心部へ出ます。目的地はここから北西の方向。少しまわり道になりますが、広い県道を北上します。この道は川西から猪名川町へと続く道で、昨年2月に走った道の片割れです。

[ 伊丹坂 ]

 昨年に「西国街道」を辿って走りました。その時に通った短い坂道。ここを越えて昆陽池の公園の方へ抜けます。

[ 荒牧への道 ]

 伊丹市内を西へ進み、斜めに北上する幹線道路へでました。この道は「荒牧のバラ園」へ行く時に通ります。このあたりまでがお買い物自転車の行動圏。

[ 宝塚市内へ ]

 荒牧は伊丹市の北の端。すぐ宝塚市内です。道なりに進んで、中山の駅近くから古い方の国道176へ進みます。昔は狭くて歩道も無かった国道は綺麗に整備されていました。周辺の道が整備されたからか、交通量も少なくなっていました。

[ 清荒神 ]

 昨年が悪天候だったのもあるのでしょうか、清荒神への参拝者はすごく大勢でした。ここの参道は狭くて長いです。普段はそれほど混まないのですが、何かあるとたいへんです。駅前からの人の列はゆっくりゆっくり進み、ずいぶんかかってやっと荒神さんへ。境内も人でいっぱい。お参りするのも行列。

[ 中山寺への道 ]

 荒神さんからの戻り道も大混雑。お昼近い時刻になって、さきほどより上ってくる人が増えている感じです。もっと早く来ればもう少しはすいていたでしょうか。上って下りて、1時間あまり経っています。
 参道の途中に道案内の標識がありました。ここから横道へ逃れることにしました。

[ 巡礼街道 ]

 宝塚市が観光コースとして市内のお寺などを繋ぐように案内標識を整備したものらしいです。ここから中山寺まで、要所要所に標識がありました。

[ 中山観音 ]

 ここも有名なところ。やはり混雑していました。階段の列はゆっくりゆっくり進み、本堂のあたりはやはり人でいっぱい。

[ 寿老人 ]

 上段の本堂は観音さんで、寿老人は中段の横の方。このあたりは意外とすいていました。
 清荒神で時間をとった関係で、ここでもうお昼過ぎ。無理して進んで食いっぱぐれるのも困るので、ここ屋台で軽食。下る頃にはお参りする人がさらに増えているらしく、階段で混雑規制がされていました。

[ 呉服橋 ]

 巡礼街道らしき道筋は途中で判らなくなってしまいました。仕方なく南に下がって古い方の国道176へ。昔はこの道は大型車が多くて狭くて危険な道でしたが、歩道も整備されてずいぶん走りやすくなっていました。何度も走って馴染みのはずの道がいつのまにかすっかり綺麗な姿になっていてびっくり。そのまま走って、山本・雲雀丘・川西と抜けて来ました。
 この呉服橋は猪名川を渡る橋。昔馴染みの名前ですが、この橋もすっかり昔と違う姿になっています。橋の上を高速道路が跨いでいます。 

[ くれは神社 ]

 呉服と書いて{くれは}と読みます。鉄道の高架工事で池田駅の周辺は私が知っている頃とはすっかり様子が変わっていました。カン頼りに駅の手前で高架をくぐったら、すぐ先が神社でした。
 先の2つとは違って、ここはそれほど混でいませんでした。順番待ちは数人。境内の屋台もちょびっと。

 池田市内はある程度土地勘があります。池田市内から箕面へ向かう道はいろんなコースが取れます。交通が多い国道は避けて、起伏はあるれれどちょっと近い、丘越えの道を通ることにしました。商店街を抜けて東に折れて、桜塚の方へ。あとは電車沿いに箕面へ。

[ 弁財天 ]

 箕面は有名な観光地です。紅葉の時期でなくてもそれなりに観光客があります。観光客以外にジョギングする人などもあって滝道が混雑する事もあります。幸い、心配したほどの人出ではなく済みました。この滝道には大黒天と弁財天がいます。順番にしたがって、弁財天まで一気に登ります。弁天さんのあたりはまだ傾斜が緩いのですが、ここは安全のため最徐行。ギヤはインナーで。

[ 西江寺 ]

 しっかりブレーキをかけて、観光客の歩く速さでゆっくり坂を下って、滝道の登り坂をほとんど下ったあたり。道案内が出ていました。ここから急坂を押して登ればすぐに西江寺です。
 ここへ来る人は朝のうちにお参りを済ませたのでしょうか、境内はほとんど人影もなく静かでした。

 この次の円満寺は蛍池駅の少し南です。箕面からの蛍池は南南西ぐらいの方向。早い道ならば、南下して国道171へ出て、石橋から国道176でしょうか。でも喧噪な道は避けたいので、集落道伝いに千里川へ出るコースを考えました。なんとなく道をたどって、うねうね走って野畑のあたりへ出てきました。お買い物自転車で走り慣れた府道43号を回っても良かった感じです。川の横の道を走るうちに国道176に出ました。
 
[ 円満寺 ]

 国道から斜め横の道に入るとすぐお寺でした。門を入るとすぐにお堂が見えます。最初の2つと比べるとずいぶん規模が違います。そのかわり境内は静かで、ゆっくりとお参りできました。七福神の7カ所がどういう基準で選ばれたのか、ちょっと気になります。

[ 毘沙門天 ]

 蛍池から曽根へ。この区間は阪急電車の高架工事にともなって、高架沿いの道が整備されました。喧噪な国道は避けて、この道を辿って曽根へ。交通も少なく直線的に続いていて自転車で走りやすい道です。(コメで教えてくださった方、ありがとうございます。)
 曽根が近くなると、道に東光院への案内がありました。ここは萩の寺としても有名な所ですが、やはりここも静かでした。

[ 今年も元気に ]

 境内に七福神のレリーフがありました。今年も良い年でありますように。今年は逆順でまわったので、ここが終着。もうこのあたりは普段のお買い物自転車のエリアですが、家に帰るまでが旅。寄り道はせずに、駅前から国道に出て、そこから往路の道へ回りました。

 だいたい土地勘のあるずのエリアですが、しばらくぶりに走る道はすっかり様子が変わっていました。人出の多い所で時間をとられた事もありますが、20kmあまりの行程で5時間ほどかかりました。昨年とは違って風も穏やかで暖かい晴天。平地をゆっくり走ってもほんのり汗が出るぐらい。もっとも、雪でこのコースも辛いものですが。来月も好天でありますように。


2015年12月27日

2015年12月26日 湯浅駅→湯浅の町並み→小浦→広川ビーチ→和歌山県道23号→衣奈→戸津井→和歌山県道24号→小引→白崎→大引→紀伊由良駅


 毎月自転車で走るつもりでいますが、寒い時期はどこへ行くか悩ましいです。ある程度走れば体は温まりますが、走る前は寒いし、走った後は冷えます。寒風の中で自転車の分解組み立ては辛いですし、防寒着はかさばります。それでも今年はまだ少し暖かいです。本格的に寒くならないうちにお出かけすることにしました。
 陽の短い時期なので、輪行の時間も含めるとあまり長くは走れません。どうせならちょっとは暖かい所が良いです。そこで以前からちょっと気になっていたあたりをひと走りすることにしました。季節の花もありそうです。

 目当ての花は「白崎の水仙」。水仙群落へは何度か行っています。由良の駅からバスで終点まで行って、そこから海辺を徒歩2kmあまり。バスの本数が少ないのが難点ですが、道から見える海はたいへん綺麗です。そして、水仙郷の向こうにも綺麗な海広がって見えます。ここを自転車で走るのは気持ち良さそうです。
 由良駅の手前の駅は「広川ビーチ」。駅は海辺ではありませんが、車窓から見える海岸もいい感じです。もうひとつ手前の湯浅は醤油で有名な街で、昔の町並みが残っています。ここをちょこっと観光。ここから由良へ向かう道は和歌山県道23号と24号ですが、海辺の集落を通る道がこれと交錯するようにあります。旧道と新道の関係のように見えます海岸に近いあたりを辿って、なるべく車が少なくて静かで楽しく景色を見ながら走れそうなコースを考えました。寄り道の分も含めて20kmほどの行程です。

[ 湯浅の町並み ]

 日の出早々に家を出て新大阪へ。電車を乗り継いで2時間半あまり。組み立てた自転車に乗って、町並み保存地区をひとまわり。

[ 海辺へ ]

 市街をぬけて来た県道はここで左に折れますが、その道は広川まで鉄道線に沿って内陸を進みます。右の道は港の手前で曲がって、外海の方へと向かいます。

[ 湯浅の街を見おろす ]

 岩海岸には小さな半島のような突出部が多くあります。波のあたる崖下を避けて、たいていの道は一段高い所を越しています。このため、道はアップダウンの繰り返しになります。
 道は海岸へと小山の間の低い鞍部を越します。

[ 外海が見えて来ました ]

 ひと山越して少し下ると海が見えて来ました。ここは太平洋に続く紀州の外海。瀬戸内の海とは海の青さが違います。

[ ミカンの産地 ]

 海岸の突出部の間の小湾とその背後の土地に集落があり、道はこれを繋ぐようにひと山づつ越えています。道の沿った陽あたりの良さそうな山腹はミカン畑になっています。畑はすいぶん上の方まで続いていて、収穫作業をされている方の姿もありました。

[ 広川ビーチ ]

 気持ち良く走るうちに、少し大きな湾に出ました。海岸は砂浜になっています。ここが広川の海水浴場のようです。様子を見にちょっと寄り道しました。当然ながら、誰もいません。
 ここからJRの「広川ビーチ駅」へ行ってみることにしました。案内看板には1.2kmと書かれています。徒歩ならはちょっと遠い距離です。

[ 広川ビーチ駅 ]

 ここはホームだけの無人駅。駅舎に見えるのは観光物産センター「ふれあい館」。季節はずれだから閉まっているかとも思ったけれど、地元産の野菜ものとか、いろいろありました。駅前が湯浅から来ている県道23号ですから、道の駅的な機能も果たしているのでしょう。
 元々ここにあった信号所を駅に昇格し、その際に観光っぽい名にしたようです。海岸からも集落からも遠いのはそのためらしいですが、もう少し西側にずらした位置にできなかったのでしょうか。

[ 集落道 ]

 駅前から県道23号を進んで来ました。現県道は昔の道を拡幅した姿のようですが、集落の所だけ家並みを避けて迂回したようです。ところどころ、集落へ続く細道があります。こちらを辿ってすすみますが、またすぐに新しい道に取り込まれます。

[ 海岸をみおろす ]

 展望台というほどでは無いですが、海岸の崖の上に出たところに、ちょっと広い場所が作られていました。

[ 旧道へ ]

 鈴子という集落の手前。県道はこのまま坂を下り、海岸の高い護岸の上を通っていますが、左の細道は山腹に沿ってぐるっと回って進み、海岸の崖の上縁を辿っています。こちらが古い道でしょう。

[ 崖上の道 ]

 畑の脇、集落の脇を通った道は少し登って海岸の崖の上に出ました。小型の自動車でないと厳しい道ですが、そこそこ利用されているようです。標識によると、広川町から由良町に入るようです。

[ 見晴らし ]

 細道は地形に合わせて上下しながらうねうね続いています。この場所では拡幅も線形改良もできません。新しい広い道はこのすぐ下を通っていて、三尾川の谷間を越えて向かい側の崖上(段丘?)へ登ります。細道は山腹に沿って谷奥から登り返します。

[ 山越え ]

 海岸の突出部の上を回った先に分岐があります。ここが今回の行程の重要ポイント。
 左の広い道が県道23号。このまま山腹に沿って進み、陸側のずっと奥へ向かい、稜線を越えて国道が通る低地へ出ます。右の細道は一旦海岸の集落へ下ります。この2つの道はまた交錯するので、実はどちらを進んでも良いのですが、ここは右を選びました。

[ 県道との別れ ]

 集落を抜けて谷間を少し登ると、また広い道に出ました。そこで振り返ったのがこの写真。
 左の細道が集落から来た道。その上段を奥から来るのが県道。県道は中央のY字を曲がって写真の右へ行きます。写真手前方向がこれから進む道。この部分は県道整備の際に綺麗にしたのでしょうが・・・

[ 衣奈へ向かう ]

 県道から分かれた道は・・・すぐに細道に戻りました。そのまま右側の山腹にとりついて登りはじめます。右側の山は大島山というらしいです。左側の谷間には畑やミカン畑があります。その向こうの山腹のだいぶ高い所に白いガードレールが見えますが、あれが県道のようです。こちらの道もやや傾斜を増して登って行きます。

[ バス通り ]

 農地へのアクセス以外にも利用されていらしく、乗用車の通行もあります。大きなのが来たらイヤだと思っていたら、やはり来ました。道が細いのでミニのバスでも大きく見えます。

[ 切り通し ]

 緩くうねりながら登ってゆくと、その先は深い切り通しになっていました。

[ 衣奈 ]

 峠を越えると海側からの谷間に続いていました。その先が衣奈。大きな漁港がある集落です。
 衣奈へは国道の方から県道23号から県道24号を通って来れます。それでもこの道は周辺地域との交通路として重要な道のようです。軽トラや小型の乗用車が断続的に通ります。

[ 紀伊水道 ]

 この地域は紀伊半島が西へ張り出したところの南端のあたり。南側を流れる黒潮が横を擦って通ります。和歌山を過ぎてこのあたりまで来ると、急に一段暖かく感じられます。今日は風も弱くて陽も差して、ほど良いサイクリング日よりになりました。海を眺めながら、ここでちょっと遅い目の昼食にしました。

[ 県道? ]

 衣奈の漁港を過ぎた少し先。地図では、ここに新旧の道の分岐があるように描かれています。海岸線に沿って長いトンネルで突出部を抜いて海岸線近くを行く道と、崖の上に登って山塊の鞍部を越える道。線形では前者が新道で後者が旧道でしょう。しかし黄色(県道の色)で描かれているのは後者。
 右の広い道はそのままトンネルに続きます。すると、左のひょろい道が県道??

[ 海岸のトンネル ]

 大きなトンネルはちょっと長く、しかも緩く曲がっています。ほとんど車が通らないのが幸い。路面も綺麗です。それでもちょっと緊張して走るうちに出口が見えて来ました。
 
[ 建設技術のコラボ ]

 緩くカーブした大きなトンネルと大きく高い橋。現代の道路建設の定番です。こういう場所は大きなトラックが主役で自転車は肩身が狭いのが普通ですが、ここは軽自動車が時々通る程度。(大型車は県道を通っているという事は無いはずですが。)

[ 戸津井の港 ]

 橋は漁港の湾の上をひと跨ぎしています。風が強ければちょっと怖い高さです。

[ 橋を渡って ]

 橋を渡った新しい道はすぐに次のトンネルへ進みます。ここはその手前。左は戸津井の集落へ行く道で、その先には山中を抜けて来た県道24号があるのですが、(当然か)何も書かれていません。
 新しい道はここから長いトンネルで次の「小引」へ抜けるのですが、闇の中では面白くないですから、崖の上を行く「県道」へ進みます。

[ 県道の標識 ]

 集落側から折り返して一段上って来ました。下に新しい道の橋が見えるあたりに、やっと県道の標識がありました。こちらが県道だとは、新道を通っている人に気づかれたくないのかもしれません。

[ 白崎 ]

 一段高い所へ出ると視野がかわります。道脇の藪の間から海が見えます。視線のずっと先、ここまでとはちょっと形の違う岩が見えます。あのあたりが白崎鼻でしょうか。

[ 戸津井からの道 ]

 広い新道は小引までのようです。小引をすぎると、細道ではないけど、あまり広くない普通の道になりました。道は海岸沿いに進み、途中から崖の中段へ登ります。
 振り返ると、戸津井から来た道が見えます。遠くにトンネルと橋。手前の突出部の中段を県道が通り、新道はその下の地中です。

[ 白崎の水仙 ]

 白崎の水仙群落は見応えがあります。山腹と海岸近くに群生地があり、お天気が良ければ広大な海の景色とたくさんの水仙が楽しめます。
 観光地としては余所ほど知名度が高くないですが、それでも時期には賑わうらしいです。公共交通機関では来にくい所ですが、自家用車やバイクなら難しくない所です。今日は休日ですから、自家用車やバイク集団がたくさん居るのではないかと少し心配したのですが、やはりほとんどいませんでした。(ここまでの行程で行き会ったサイクリストの無し。)
 昨年は開花が不揃いで咲き具合も良くなかったですが、今年は早くからたくさん咲いていました。昼を過ぎて少し陽が傾きかけた時間ですが、やはり青い海とスイセンの取り合わせは綺麗です。

[ 白崎の奇岩 ]

 水仙群生地からはすぐ近く。名前のとおり、岬のあたりの岩山は白いです。ここは海洋公園として整備されていて、道の駅も置かれています。ここからは良く知った道ですから、ここでミカンを買いました。自転車でお出かけする場合の難点のひとつが荷物。あまりかさばる物や重い物は買って帰れません。

[ 由良への道 ]

 白崎から道は海岸に沿っていて、この区間は比較的綺麗に整備されています。歩くとちょっと長く感じる道ですが、自転車だとあっけいなほどです。

[ 大引 ]

 ここは大引の集落。ここまで由良からバスが来ています。左の木造の小屋がバスの待合所。民間の路線バスですが、事実上はコミュニティバスです。

[ ふりかえって ]

 ここから由良の駅へ向かいます。ふりかえると、青い海の向こうに白崎の白い岩が見えます。
 バスは途中で海岸を離れるルートを通りますが、今日はこのまま海に沿う県道を走ることにしました。見覚えのある景色と初めて見る景色。

 あまり風が無かったのが幸い。青空からの陽が気持ち良かったです。全部舗装された道で、ロードでも走れる程度の道です。微妙にアップダウンがありますが、長く続く登りはありません。観光時期でない休日という事もあるのでしょうか、新しい道も交通量は多くありませんでした。難点は途中で食料の調達が難しいぐらいです。(新大阪で買って行きました)
 ゆっくり走って景色を堪能して、町並み観光なども含めて所要3時間半ほど。電車を乗り継いで、帰路はやはりライトが要る時間になりました。


2015年10月25日

2015年10月24日 垂水駅→滑→中山→運動公園→大山寺→伊川谷→神陵台→小束山→乗越峠→上高丸→アリラン峠→垂水駅

 先々月と先月と、昔から続く歴史ある街道を辿って走りました。今月も歴史を辿る行程。といっても日本の歴史ではなく私自身の個人的な歴史。だから、ここの記事も今回は完全に私的な記録です。

 私の実家は神戸市の西の方の垂水の古い街の背後の丘陵地にあります。ここが宅地開発で開かれる頃に住み着いて、私は中学高校時代をここで過ごしました。きっかけは覚えていないのですが、中学時代に学友と「大山寺」へハイキングに行くことになりました。大山寺のある伊川谷のあたりは、神戸市ですが明石の上の方の辺境地というイメージでした。垂水の街の東側の福田川が流れる谷が名谷で、地図で見るとその最奥の集落から山林を抜けて大山寺の方へ続く道がありしまた。集落まで路線バスで行き、そこから山道を歩けば大山寺はけっこう近い。大山寺まで行って、帰りはバスで明石へ下って、電車で垂水に戻る。

 その後、この名谷のあたりからその奥の丘陵地一帯は大規模開発され、地下鉄や高速道路が通ってすっかり現代的な街に変わってしまいました。広くて新しい道は垂水へも伸びて、地下鉄駅と結ぶバス路線もいくつかできました。でも、このあたりを通っても、昔の感覚とは差が大きすぎて、どこがどこやら全然見当がつきませんでした。
 昨年末に用事で乗ったタクシーは近道をしたようで、バス通りではなく少しくねって細い道を通りました。その途中に『記憶にある物』ありました。そして、子ども時代のハイキングを思い出したのです。昔の道筋が一部は残っている。ならば、残りを辿って自転車で「大山寺」へ行ってみよう。

 地図を見ているうちに、宅地の一角に「乗越峠」という文字を見つけました。子どもの頃、実家の近くの道の路線名が「??乗越峠線」という事をみつけ、この名の峠がいったい何処なのか気になっていた事を思い出しました。峠の姿はすっかり変わっていても、名前だけ残っているのでしょう。ここへも行ってみたくなりました。

[ 垂水駅東のお地蔵さん ]
151001
 ここは垂水の東口から北へと商店街を抜けたところ。昔から「地蔵前」と言われる所で、駅東口周辺が整備されるまで、ここが街の出入り口でした。バス乗り場もここにありました。

[ 昔からの牛乳屋 ]
151002
 現在の自動車交通は川に沿う方の道ですが、昔の交通は丘陵の裾に沿って伸びる道でした。その道の要衝。角にあった牛乳屋さんにちなんで、ここは「明治牛乳」と呼ばれていました。見ると、今でも牛乳屋さんのようです。ここから道は東に折れます。

[ クラブ前 ]
151003
 八幡神社の前を通ってもう少し。丘陵の裾の道と谷の道がちょっとだけ接触する所が「クラブ前」。何のクラブがどこにあったのか何もわかりませんでしたが、そう呼ばれていました。今でもここのバス停がこの名を名乗っています。

[ 名谷の谷間 ]
151004
 拡幅された谷筋の道を進み、第2神明の高をくぐったあたりからが昔の「名谷」。あたりは農地が広がっていたのですが、今は明石大橋などと繋がる交通網の結節点になっています。

[ 昔からの地名 ]
151005
 昔の道の大部分は新道に上書きされていますが、一部は集落道として残っているようです。たどれるところは古い道をたどりながら進むと、記憶にある地名が出てきました。

[ 昔の集落 ]
151006
 広い道から左の脇道へ入って少し進むと名谷小学校で、その先が「中山」。昔はここがバスの終点でした。今「名谷」というと、このしばらく先の地下鉄の駅あたりにできた小綺麗な街ですが、昔の名谷の集落の中心。今でも路線バスはここを通っているようです。

[ 新道 ]
151007
 旧道からふたたび新道へ。この道をまっすぐ進むと須磨の上の方。地下鉄の「名谷」駅の方へ続きます。

[ 奥畑 ]
151008
 昔の垂水から続いてきた名谷の農村の最奥にあたる「奥畑」。ここから北へ向かう道が分かれています。

[ 坂道 ]
151009
 奥畑で折れた道は、ぐっと勾配を増して支流の谷に沿ってくねりながら登ります。道幅も狭くなって裏道のようですが、けっこう乗用車が通ります。総合運動公園のアクセス道の一部としても機能しているようです。昔に通った時には、両側とも雑木の茂った山だったのですが、すっかり地形が改変されています。

[ 鉄道の高架 ]
151010
 公園への入り口を過ぎたあたり、上を2段の高架が越えています。上段は市営地下鉄の高架で、名前とは違ってこのあたりはほとんど高い高架を走っています。昔に私が通った時にはありませんでした。
 下の段が問題の物。片側の山腹のトンネルから出て、狭い谷を渡ってすぐに、対岸の山腹のトンネルに入る。ここは山陽新幹線の神戸トンネルと須磨トンネルの間の短い明かり区間です。道や両側の景色はすっかり変わっていますが、この突然現れる短い鉄道高架は覚えていました。昔にここを通った時には、まだ山陽新幹線は開通していませんでした。しかしこの短い高架はひと足先に完成していたのでしょう。

[ 新幹線が通ります ]
151011
 高架の下をくぐって北側に来ました。記憶にあるのはもっと下から見た構図。運動公園の整備の中で谷間が埋められて、視点がだいぶ高くなっているのでしょう。高架を見ていると新幹線が走り抜けて行きました。開通後に車窓からここの風景を見ようとしたことがあります。でもあまりに短い明かり区間で、景色も何も判りませんでした。

[ 住宅地 ]
151012
 この丘陵地一帯はすっかり地形が改変されています。丘を削って谷を埋めて、造成した区画を結んで新しい道が作られて。昔の航空写真が見つかりましたが、これと現在の街を重ねてみても、昔の道筋があったあたりはすっかり住宅地になっています。かろうじて、昔の道らしい断片の残ったあたりに向けて、造成地の外周部を走りました。

[ 廃道 ]
151013
 航空写真に写っていた道らしい影とは少し位置がずれていますが、地形図には緩く曲がって続く細道が描かれていました。旧道の跡かもしれないと思ってこちらに入り込んでみました。
 ちょっと細いけれど、やはり昔の道では無いです。山裾より一段高い所を辿る線形で、どうも古い山道を付け替えた道のようです。今は入り口で車止めがしてありますが、散策道として使うように残されているようです。

[ 今は住宅地 ]
151014
 一段高い所を通る散策道からは谷間のあたりが見えます。谷間はすっかり住宅地になっています。

[ 景色が変わります ]
151015
 廃道を抜けると再び住宅地の縁の道に出ました。ここからは昔の写真に相当する現道があります。狭い尾根を越えると景色が一変。ビニルハウスが並ぶ近郊農村になりました。綺麗に舗装されていますがちょっと細くて白線も無し。段々畑に沿って緩く下る線形は完全に農道です。

[ 伊川谷 ]
151016
 谷を下るとすぐに伊川の流れる谷。稲刈りした田の向こうにはよく実った柿の木がありました。現代の住宅がぎっしり並んだ街かからすぐ近くに田舎っぽい雰囲気の集落があるという、このギャップはすごいです。

[ 大山寺 ]
151017
 伊川の谷間は昔からバスが広い通る道がありました。そこをではなく、集落道から伊川に沿う道へと辿って、大山寺の門前のあたりへ出てきました。垂水駅からここまで、あちこち見ながらゆっくり走って1時間半ほど。

[ 大山寺の境内 ]
151018
 大山寺の境内はたいへん静かでした。秋らしい好天の休日のお昼頃ですが、人の姿はほとんどありません。昔の記憶ではけっこう賑わっていたと思うのですが、中途半端に交通が便利になって、かえって存在感が無くなったのかもしれません。近くの温泉とその横の野菜直売所はけっこう賑わっていました。(荷物にならない程度に葉ものを購入)

[ 伊川の谷から ]
151019
 帰路は「乗越峠」を探しながら帰ります。乗越峠は「小束山」の近くですが、できればこの峠を越えていた昔の道を探してみたいです。昔の航空写真から道影らしい線を辿って、これに近い道筋で峠に向かいます。
 バス通りの県道を下って伊川谷の駅を過ぎて少し。「第2神明北線」の横まで来ました。峠はこの丘陵地の向こう側です。昔の道は右側から谷筋を上っていたようです。集落道を伝いながら行くことにしました。

[ 団地の中へ ]
151020
 伊川の谷筋からひとつ越すと朝霧駅から登って来る谷間。ここでまた景色が一変します。この隣の舞子駅に続く谷間と合わせて、ニュータウンが建設された所です。それぞれが拡張を続けて、今はひと続きになっています。

[ 稜線からの風景 ]
151021
 谷筋と稜線を上り下りしながら東へ進みます。鉄道駅のある海岸から谷間を辿り斜面を這い上がる住宅地。その間に残った稜線も切り崩されています。

[ 小束山 ]
151022
 今は「学びが丘」といういかにもニュータウンらしい地名ですが、ここを越える道筋は昔の写真にもありました。舞子から登った谷筋と垂水の東の谷筋を結ぶ抜け道だったのでしょう。谷から登ってこのあたりが稜線。ここで右手に折れて進みます。

[ 稜線を登ると ]
151023
 小束山の峠は宅地開発と現道の整備で切り下げられたのでしょう。南へ続く道へは少し登らなければなりません。

[ 乗越峠 ]
151024
 稜線の道は住宅地の中を緩く上って、そのまま緩く下りになります。どうやらこのあたりが「乗越峠」。稜線越えの峠というよりも、稜線伝いに台地状の小山を登り越す道のようです。小山の部分は今は公園緑地になっていて、この道はそこへのアクセス道となっています。

[ 峠の古い道 ]
151025
 健康公園を過ぎると、道は急に細くしょぼくなります。路面は舗装されていますが、道の姿は昔の集落道。

[ 名谷を見下ろす ]
151026
 細道は台地の縁に沿ってうねって続きます。右横の台地部分は「垂水ゴルフ場」になっています。道の左は急傾斜で谷に落ち込んでいます。このあたりまでは、子ども時代によく遊びに来ていたのですが、眼下の景色はすっかり変わっていました。

[ 垂水へ下る道 ]
151027
 ゴルフ場を過ぎて、ここから垂水駅へ向かって下ります。

[ 高丸陸 ]
151028

 ここの現地名は「上高丸」で、昔の地名は「たかまるくが」。垂水の背後の丘陵斜面一帯が「高丸」で、その上の台地状の部分が「高丸陸」。道はその台地の縁に刻まれた細い谷に入ります。このまま下ると、舞子台との間の谷間の道(通称:商大筋)に合流して垂水の西側に下ります。

[ アリラン峠 ]
151029
 ここは通称アリラン峠。高丸陸を下る道から垂水の街の中心部へ、稜線の低く狭くなった所を越える近道。ちょっと細くて坂もきついですが、徒歩で街へ出るには便利な道。子ども時代にはこの道を良く通りました。
 アリラン峠は狭い稜線越えなので急坂の峠。道幅も狭くて地元でない自動車は敬遠するような所でしたが。最近片側が開削されて低くなりました。

 アリラン峠からの道を下ると、朝に曲がった「明治牛乳」の交差点に出ます。道の両側の建物はほとんど建て変わったようですが、枝道や道横の石垣など、記憶にある光景がたくさんありました。

 帰路は少し回り道のうえに団地の中で道を探して迷いましたし、アップダウンもありました。所要時間は2時間あまり。垂水駅前で自転車を袋詰めして、陽のあるうちに帰宅しました。


2015年08月22日

2015年08月22日 美濃赤坂→垂井→関ヶ原→国道365号→県道531号→大清水→春照→郡上→高月→木之本

 夏の暑さは一段落して急に秋っぽくなって来ました。問題はお天気が不安定なこと。前線がのったり横たわっていて、台風も近 くを通ってゆきます。お天気の具合を見てお出かけの計画を立てました。
 急な降雨がありそうな時は山地越えのコースは避けたいです。雨のあとは地道とか路面や路肩の心配もあります。交通量の多い 幹線道路も、降られれば危険が増します。

 前線の雨と台風の合間の晴れ間を利用して、美濃から関ヶ原を越えて近江へと、比較的軟弱なコースを走ることにしました。 がっつり山地を越えて彦根へ向かう中山道に対して、伊吹山の裾をまわる「北国脇往還」の道。電車の窓から何度も遠くに眺めて いたあたりで、昔の東海道線の鉄道線路はこちら側を通って長浜へ向かっていました。北国脇往還は美濃から若狭・越前への短絡 ルートです。賤ヶ岳の合戦の際には、大垣から木之本へと、豊臣秀吉の軍勢が5時間ほどで走り抜けた道です。
 いろいろあるあたりですが、今回の目的は、歴史街道を辿るというのでもなく、旧線路跡を辿るというのでもなく、ただのんび り伊吹山山麓を満喫する旅という感じ。

 昔の街道に相当するのが現国道365号。関ヶ原から長浜への鉄道線路跡は道路転用され、国道と県道になっています。この道 に沿う集落をつなぐように続く細い道が旧街道でしょう。峠越え区間の最高点は300mあまり。蒸気機関車の列車が通っていた 道筋ですから、自転車にとっては急勾配というほどではないでしょう。
 一応の終点は、長浜または木之本。出発地は、中山道 の宿場の美濃赤坂にしました。コース全体が現在の鉄道駅からあまり遠くない所を通っています。国道でも集落道でも道の具合と 気分で適当に選んで走れます。コース沿いに集落がたくさんあり、自販機やコンビニもあちこちあります。つまり、どこでも途中 エスケープ可能で、ルートもコースタイムも適当ですみます。

[ 美濃赤坂駅 ]
1508a
 夏の鉄旅の時期です。少し早く家を出て、ここまで輪行。大垣で乗り換えて2駅で終点の美濃赤坂。無人駅ですが、駅舎は大き く立派です。

[赤坂の宿場 ]
1508b
 ここは中山道の宿場街。本陣の跡のあたりまで来ました。ここから近江へと、古い街並みを眺めながら西へ向かいます。

[道の案内看板 ]
1508c
 集落道より少し太いぐらいの道筋です。家並みの中を緩くうねりながら続いている線形は古い街道っぽいてす。主要道と交差す るあたり、ところどころに案内看板がありました。地図を見て道を辿りながら垂井に向かいます。川沿いの平地ですが、少しづつ 登っています。

[垂井宿]
1508d
 中山道はここで川を渡って右岸の山腹へとりつくようです。地図で見ると、点在する集落を辿ってそのまま左岸を進む道もあり ます。左岸の道の方が古い時代のものでしょうか。微妙に悩みましたが、今回は中山道を辿ることにします。
 最初のエスケープポイントの垂井駅がありますが、当然ここはそのまま進みます。

[垂井の一里塚 ]
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 垂井の集落を抜けると現中山道の国道21号と交差します。山腹に沿って登る道の途中にある中山道の一里塚です。集落道は現 国道と交錯しながら続きます。横の国道は大型車が通って喧噪ですが、こちらは静かです。

[相川の谷間]
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 旧街道が現国道と交錯するあたりで、歩道橋の上に登ってみました。右が現国道21号。真下が現JR東海道線。この区間の勾 配は25‰だそうで、貨物列車などは勾配緩和のため向こう側の山腹に沿って(迂回)登っています。自転車にはさほどきつくな い登りです。

[関ヶ原 ]
1508g
 なるべく国道は避けて旧道らしい道を走っています。しかし一部は上書きてれて細道が途切れています。大型車も通るので、道を渡るのもやっかいです。
 ここは第2のエスケープポイントの関ヶ原駅。集落道はゆっくり走って、のったり観光しながらですが、ここまで1時間あまり。 自転車の調子も問題無いので、そのまま先へ進みます。

[関ヶ原の集落道]
1508h
 関ヶ原駅の西で線路を渡りました。このあたりは「関ヶ原の合戦」の戦場となったあたり。陣地跡とか塚とかいろいろありますが、それらは横目で見流して先へ進みます。
 関ヶ原からの先の区間の現国道は365号で、国道のルートが鉄道跡らしいです。地図ではこの国道と交錯してながら集落を抜ける道が見え ます。こちらが旧街道よのようです。街道といって脇街道だからでしょうか、けっこう細い道です。

[観光地]
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 関ヶ原は歴史上有名な場所。いろんな物があります。ここは『珍』かがった施設らしいですが、今日は横目で見てそのまま通過。

[長浜・木之本へ]
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 伊吹山への登山道の入り口の交差点。ここからもう少し峠道が続きます。青看板に長浜と木之本の地名がありました。長浜へは19kmで、木之元へは31km。近いような遠いような微妙な距離。

[峠の街道っぽい]
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 休日ですが交通量はそれほど多くないです。それでも国道は喧噪。乗用車は速いし、大型車は威圧感がありますし。鉄道線路跡を忠実に辿るという気は全然無いので、なるべく横の集落の道へ入り込みます。
 細い道は緩く曲がりながら続きます。狭いし凹凸はあるし落ち葉や小石もあります。ロードバイクで急ぐ人は国道をどうぞ。のたのたとろとろ走るランドナー にはこんな道が最高!! って、きもち良く走っていたら、この道は少し先で新道に踏みつけられてとぎれていました。ちょっと引き返して、右手上の国道へ戻 りました。

[鉄道線路跡と街道の分岐]
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 県境を越えて滋賀県に入ってます。関ヶ原からここまで藤古川に沿って登ってきました。旧東海道本線は地形の緩い所を狙って、ここから川筋を離れて左手の支谷から峠越えし、長浜へ向かいます。
 ここは重要なセーブポイント。鉄道跡をたどるならば左へ。低い峠を越えれば、現東海道線の近江長岡駅も近いです。鉄道線のルートにも興味はありますが、まだ時間はお昼前。旧街道ルートを行くことにしました。

[旧街道はこちら]
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 さきほどの交差点は騙しでした。青看板が木之本を示していたのはバイパス道で、旧街道はこちらのようです。少し坂を登って集落へ。結局はその先でバイパス道に回されるのですが・・・

[峠を前にして]
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 峠下の集落を抜けました。岐阜側をふりかえって見ています。この谷間を登ってきた訳です。道の先に細い地道がありました。これが旧街道でしょうか。地図 では県道色に塗られていますが、途中で檄藪になってて通り抜けられそうにありませんでした。(廃道?) バイパスへ回りました。

[峠]
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 県道(バイパス)は山裾の丘陵部を越えます。ここが峠でしょう。この先の雨水は天野川となり、米原へ流れます。

[林間の道 ]
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 峠を越えて少し。林間の細道がありました。どうやら、こちらが旧道。バイパス道は伊吹山の裾に沿ってそのまま高度を保って進みます。先を急ぐなら右でしょうけど、まだ陽は高いです。こんな美味しそうな道を通らない手はありません。
 時刻はお昼を少し過ぎた頃。ここで休憩して昼食。

[大清水の集落]
1508q
 丘陵地から下って来ました。視界が一気に開けました。このあたりから先は伊吹山の南西側の大きな扇状地。伊吹山から地中を流れ下った水が湧き出す所で、このような地名なのでしょう。

[泉神社のわき水]
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 せっかくだから、集落の中へと少しまわり道。お賽銭を置いて、お水をいただきました。有名な湧水ですが、冷たくて口あたりの良い水でした。水質はもちろ ん湧き出す勢いもたいしたもの。大きなボトルとかポリタンクとか持って水を汲みに来ている方が何人も。
 峠も越えたし、この先の道には自販機も多いです。残り少ない自転車のボトルの水は飲みきって、ここに御神水をいっぱい詰めました。この先、何ごともなければ家まで持ち帰ってお茶をいれることにします。

[伊吹山]
1508s
 弥高川の扇状地の中段を通る道(県道)を辿っています。現県道バイパスはこの少し上を通っています。地図で見ると、扇状地の裾に連なる集落を繋ぐような道筋もあります。現国道365号(線路跡)はこの少し下を斜めに下るように通っています。

[春照の街 ]
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 扇状地を巻くように進んで来ました。ここは春照。脇街道の重要な宿場でした。一見ふつうの農村ですが、道に沿って長く伸びた街の中には立派な建物や大きなお寺などがあります。

[みちしるべ ]
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 陸路で木之本・越前へ向かう北国脇往還。長浜へ出て船で湖上を北や西へ向かう行き方もあります。ここは昔の道の分岐点。今日は右へ進みます。

[田園サイクリング]
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 伊吹山に沿って走って来るうちに、南側の山塊が迫ってきました。自動車が多くて喧噪な道を避けて細道を辿っています。この山間を流れる川は姉川。国道 (線路跡)は川の対岸を通っています。のどかな田園風景です。陽が照るとちょっと暑いけれど、やはり青空は気持ち良いです。
 このあたりから、だんだん向かい風が強くなって来ました。平地だけど、いくらか漕がないと進みません。スピードを出そうとすると空気抵抗が大きくなるので、そのままのたのた走行を続けます。
 
[今荘橋]
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 ここもコース上の重要なポイント。山塊を避けて対岸を北上してきた鉄道線路は、ここで西に向きを変えて長浜へ向かいます。鉄道跡を辿るなら、長浜へエス ケープするなら、ここが分岐点。現国道はそのまま対岸を北上します。急ぐなら橋を渡って国道へ。でも今日はこのまま集落づたいに走ります。

[草野川橋]
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 姉川に沿った平地はきれいに区画整備されています。点在する集落と集落の間の道は整理されて旧道らしい道筋は判らなくなっています。どのみち、大きな川 は新しい道の橋を渡ることになるので、国道を通っています。(地図で集落の繋がりを辿ると、街道はもうひとつ下流の新湯田橋を渡るコースだったかもしれません)

[虎姫へ ]
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 今回のコースは少し横を鉄道が通っています。だから随所でエスケープ可能です。この点は先月のコースとは真逆。道ばたに自販機やコンビニがあるのも大違い。
 ほぼ平坦な農地の中を行く道で、国道の歩道は走りやすいです。でもそれではこの地を走る値打ちが無いです。地図で道を探しながら田んぼの中の道へ進みます。

[農道サイクリング]
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 という事で、国道から農地の間の道へ。水田の稲穂は少し色づいて来ています。なんとなく夏も終わりが近い雰囲気です。
 琵琶湖周辺の平地には小さな山塊がいくつも散らばっています。山地が沈降してその間の谷が湖の堆積で埋められたのでしょうか。道はその山塊(元は島?)の間の平地を伝うようにうねうねと続いていたのでしょう。

[郡上宿跡]
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 小谷の城跡の近く。郡上宿の看板がありました。何も無いよりはずっとマシだけど、観光的な意味はどのぐらいあるのかしら。
 ここもエスケープポイントです。このあたりから真西の位置に河毛駅があります。向かい風が続いてちょっとしんどいですが、お天気は良いです。このまま先へ進みます。

[道標]
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 すぐ横を現国道が通っていますが、それは最後の手段。できるだけ集落伝いに細道を走っています。耕地ではあきらかに旧道の線形では無いところが多いです が、集落内をうねりながら通るような道は古い道っぽいです。ところどころ、文字のかすれた道標があったりします。中にはあきらかに新しい物もあります。石造りでも、この手形はどうかと思います。

[高時川を渡る]
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 高時川は福井県境の栃の木峠から流れて来る川。ここまで来ると湖北という感じがします。木之本まではあと少し。

[サイクリングロードの標識]
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 橋を渡ると、なんとなくお馴染みの標識が迎えてくれました。ここからしばらく、高時側の土手の桜並木の道がサイクリングロードになっているようです。葉陰でちょっと涼しい道を走ります。
 ここも予定したエスケープポイントのひとつ。このまま直進すると高月駅です。微妙な時間ですが、ここまで来たのだから、予定どおり木之本を目指すことにします。

[木之本]
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 高月の街並の先には木之本の家並みが続いていました。国道365号と国道303号と国道バイパスがからみ合ったあたりを避けて、集落道を適当に走ってい るうちに、木之本の宿の南側の鍵の手に出て来ました。(写真は鍵の手側からふり返ったところ)
 木之本の街はなにやら飾り付けがされていて、屋台とか準備中。お地蔵さんのお祭りでしょうか。何度が来てお馴染みの通りを抜けて木之本の駅へ。自転車を袋詰めにして、新快速電車に乗ればそのまま新大阪です。夕飯頃には帰れます。

 途中で寄り道や観光や休憩もしましたが、美濃赤坂から木之本まで、5時間半ほどかかりました。後半向かい風に遭いましたが、平均時速10kmほど。自転 車ツーリングとしてはゆっくり目でしょうか。馬を乗り継いでこの行程を5時間で駆け抜けた秀吉軍はずいぶんしんどかったで しよう。
 木之本の駅前の観光案内所は地元産物の直売所になっています。あとは電車にのって帰るだけです。お土産は茄子や羊羹。そして道中の御神泉の水。 


2015年06月29日

2015年06月28日 萱野→牧落→石橋→[軍行橋]→[辻の碑]→[伊丹坂]→武庫川→門戸厄神→ [西宮]→ [旧国道]→[なにわ自転車道]→江坂

 梅雨どきはお天気の具合が心配です。遠出の計画は立てにくいです。降られなくても山沿いでは路面の心配もあります。だいぶ乗って緩みが増えたチェーンを交換したので、その馴らしと変速機の調整のちょい走りも兼ねて、今月は御近所をひと走りすることにしました。

 考えたコースは、昨年夏の「西国街道」の残り。箕面から京都へと東に走りましたから、箕面から西宮へと西へ走ることにしました。旧街道は現国道171号に沿っていて、途中に鉄道駅の近くをいくつも通ります。万一天候が急変したり、チェーンや変速機に不調が生じればそこから輪行で帰れます。位置的には普段の「お買い物自転車」で走っているエリアのほぼ外周あたり。終点の西宮から自宅までは、時間や体調などに合わせて適当なコースで走って帰ることができます。

 西国街道の現道は国道171です。国道171号は学生時代から何度も走っているのですが、旧道を意識したことはありませんでした。あらためて地図で確かめると、国道に上書きされずに集落道として残っている区間がたいへん多いです。道沿いに集落が続いたいたからでしょうか。急いで走るなら国道でしようけど、脇を走る自動車の喧噪は面白くないです。静かな細道をのったり走れば何か発見がありそうです。

[ 西国街道の標識 ]
1506a
 自宅から出発して箕面へ。自動車の多い道を避けて川沿いの集落道を辿る馴染みのコース。国道171のすぐ手前で横切る細道が旧街道。道端に文字の薄れた標識が立っていました。昨年はここを右に曲がりました。

[ 西への旅立ち ]
1506b
 標識のところで左に曲がると、すぐ先に現国道が斜めに横切っています。見通すと、その先に細い道筋がつついているようです。横断歩道を渡って、その道に入り込みます。

[ 集落道 ]
1506c
 細道は古い道にありがちな程度にゆるくうねりながらまっすぐに続いています。今は完全に集落道です。道の先に阪急電車が見えます。

[ 桜井を過ぎて ]
1506d
 細道は桜井の駅のすぐ側を通って、そのまま続いています。自動車にはちょっと細くて微妙にうねった道。地域の住民が通っています。かけ足ぐらいの速さでのたのたと自転車を進めます。
 道の曲がり具合と電車線路の曲がり具合の関係で、ここのあたりでは道と電車線路は少し離れて並進する感じです。電車を通すときに、道沿いの集落の外側に沿って線路を引いたのでしょう。

[ 石橋駅の近く ]
1506e
 石橋駅で阪急電車は宝塚方面と箕面方面と分岐しています。現国道はこの駅の近くで線路を越えています。細道は踏切で箕面線を渡ります。上は現国道のバイパスの高架です。

[ 国道の交差点 ]
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 踏切を渡った細道は、国道の古い方の道に緩く斜めに合流します。ここで少しの区間だけ国道(の歩道)を走ります。
 東から西へ進む国道171号は大阪から北上してきた国道176号と交差します。この交差点の横のあたり、ちょうどさきほどの細道の延長のあたりに斜めの細道があり、これが旧街道のようです。

[ 西宮は右 ]
1506g
 国道176と交差すると国道171は高架で阪急宝塚線を越えますが、細道はその左横を踏切で渡っています。踏切の横に石の標識がありました。その横には古い道標もありました。右は西宮、左は大坂と。

[ 現国道に合流 ]
1506h
 阪急線を越えても、少しうねりを増しながら細道は続いてます。道の両側の家並みには古そうな垣の家やお寺があります。中国道の高架をくぐって、もう少しそのまま続きます。
 箕面川のあたり、現国道の古い方の道とバイパス道が合流するあたりで、旧街道は途切れます。おそらくこの先のあたりで猪名川を渡っていたはずです。ここから川を渡る橋まで現国道(の歩道)を走ります。

[ 猪名川を渡る橋 ]
1506i
 ここは現国道が猪名川を渡る橋。すぐ左横は大阪空港の滑走路の端です。地図上で道を延長して考えると、昔の渡河点はここより少し下流(左側)のはずです。この先は兵庫県です。

[ 猪名川の土手 ]
1506j
 軍行橋で猪名川を渡りました。向こう側は大阪空港。離陸する飛行機が頭上を通って行きます。昔の街道の続きはこの少し下流です。土手を下りてすぐの道から回り込んで街道の延長線へ復帰します。このあたりは工場や大きな施設があり、旧道は拡幅されたようです。微妙に位置も変わっている感じです。そのまま進んでJR線を渡った先で道がちょっと判りにくくなりましたが、そのまま強引に進むと、通り抜けられました。

[ 辻の碑 ]
1506k
 県道13号に出るすぐ手前。綺麗に整備されたほこらがありました。ほこらの中は大きな石があり、辻の碑(つじのいしぶみ)だそうです。県道13号は今年2月に走った道です。ここはその多田街道と西国街道の交点。石には京の東寺から10里と刻まれているそうです。

[ 伊丹坂 ]
1506l
 県道3号を渡ると、伊丹緑地の端でした。ここは低い丘になっています。箕面の丘陵を緩く下ってからしばらく平地を進んで来た道が越える坂。伊丹坂という名が付いているそうです。ここを過ぎて、道は微妙に太くなったり細くなったりしながら続きます。

[ 西国街道の表示 ]
1506m
 伊丹市内ではあちこちに街道の表示があります。このへんは、旧い道らしい感じで緩くうねった線形で、自転車で走っていると自然に道筋を辿れます。直線的な新しい道と交差しても、その延長に道が見えています。お寺や神社がこの道を向いています。街並みも古そうです。

[ 西宮への道標 ]
1506n
 道の両脇を見ながら走っているとこの石の道標が見えました。ここは伊丹市立稲野小学校の門の横。『すぐ西宮』とありますが、距離が書かれていないのが騙し。西宮の街まではまだまだ距離があります。(ホントは"まっすぐ"という意味です)

[ 武庫川を渡る ]
1506o
 集落を辿る道は右斜めから来る現国道に飲まれます。国道の先の道は、地図では不明確で途切れて辿れません。どのみちこの先の武庫川を渡るには現国道の橋を通らなければなりませんから、国道を進みます。現国道も新幹線とからみ合う形で不自然に曲がっています。国道を渡ってその先から武庫川の土手に出てみました。昔の渡し場はここよりも少し北のあたりでしょう。(前方は新幹線の橋です)

[ 旧街道の案内板 ]
1506p
 武庫川を渡ると西宮市。川を渡った先のあたりは街道の続き具合がかなり怪しいです。道が付け替えられているのでしょう。古い道という雰囲気が薄いです。新幹線の高架を潜ったあたりで迷いかけましたが、このような案内標識に助けられました。

[ 門戸厄神の道標 ]
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 辿る道が古い道らしくなって来たと思ったら、この標柱がありました。このすぐ先は阪急の門戸厄神駅。道は線路を斜めに横切って、そのまま続きます。自動車にはちょっと辛いぐらいの道幅で、街道というよりも古い集落道といった姿ですが・・・

[ 現国道へ ]
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 河川改修や区画整理がおこなわれたらしく、市街地にさしかかったあたりで、道筋が途切れてしまいました。そのしばらく先の街道の延長上のあたりにも切れ切れに道はあるようですが、あまり無理はせずに国道へ出てしまいました。

[ 浜の街道に合流 ]
1506s
 現国道171号は西宮市内で大阪からの国道2号線に合流します。昔の西国街道もここ西宮で大坂から海沿いに来た道と合流して西へ向かいます。その浜街道の道筋は現国道2号線より南側で、現在の国道43号に近い位置です。西宮の戎神社の角にある道しるべの常夜灯を今回の終着点にしました。

[ 街道の常夜灯 ]
1506t
 箕面から旧道を辿ってのたのた走って、3約時間かかりました。寄り道して写真撮ったり道に迷ったり休憩したりしていますが、平均すると駆け足程度のスピードです。時刻はちょうどお昼。ここで昼食をとって、帰路につきます。

[ 旧国道 ]
1506u
 ゆっくり走って来ましたが、人間も自転車も調子に問題はありません。西宮から輪行というのはもったいない。このまま吹田まで走って帰ることにしました。何度か通って見知った道もありますが、時間にゆとりがあるので、通ったことの無い道を選びました。
 ここは『旧国道』。現国道2号線の旧道つまり、昔の浜街道の新道です。西の方は国道43号に転用されているらしいですが、西宮から東のかなりの区間が残っているようです。市内の抜け道的に使われているらしく、黄色線の道幅ですが、交通量は多くないです。元が国道だからか、平坦でまっすぐな線形です。

[ 武庫川を渡る ]
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 今津、甲子園とそのまま旧国道を進んで武庫川を渡りました。道はまだまっすぐに続いていますから、そのまま行けるところまで進むことにしました。

[ 右は大坂 ]
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 尼崎市内に入ってもしばらく道は続きました。それがだんだん少し怪しく細って、出屋敷のあたりで普通の集落道になってしまいました。仕方無いので、そのまま進んでゆくと、商店の並ぶ街角に石の道標がありました。旧国道は見失っていましましたが、このあたりはもっと古い道が通る街のようです。

[ 神崎川を渡る ]
1506x
 そのまま進むと尼崎の駅前に出てきました。ここまで来たのだから、国道2号線に出て、神崎川まで進むことにしました。

[ 神崎川の河川敷 ]
1506y
 神崎川は淀川から別れた流れと安威川が合わさった流れですが、猪名川もここに注いでいます。西岸を遡上すると猪名川の方へ連れて行かれますから、吹田へ向かうには橋を渡って一旦東側へ越します。
 川岸の土手道は信号も少なくて速いルートですが、それなりに交通もあります。河川敷の部分に歩道兼自転車道があり、これを利用すれば楽に吹田へ抜けられます。

[ なにわ自転車道 ]
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 この神崎川の河川敷の道は大阪府道803号で、愛称が『なにわ自転車道』。起点は淀川の赤川鉄橋で、淀川から神崎川へと続いて来ている道。多くの橋の下をくぐり抜けていますから、ほとんどノンストップで信号も無し。ここを通って吹田の榎木橋へ向かいます。今日の行程は、前半はたいへんゆっくり走りました。新しいチェーンの様子見のためにも、ここはちょっとスピードを出して走りました。

 旧国道を気持ち良く走って、神崎川の河川敷を一気に走って。西宮から吹田まで1時間半ほどで着きました。次はお天気の様子を見て、ちょっと遠出するつもりです。


2015年02月13日

2015年02月13日 吹田→ 池田 → 県道12号 → [多田] → [多田の銀山跡] → 県道12号 → 川西 → 吹田

 寒い時期は輪行はしたくないです。まだ陽も短いので、自宅から遠出というほどには遠くないあたりを走って、そのまま自宅へ帰るコースが良いです。
 今年は雪に阻まれましたが、昨年の正月は池田から能勢の妙見山を回って帰りました。学生時代に何度か走ったコースですが、学生時代よりも出発地が遠くなった分、後半をショートカットしました。ずいぶん昔のことで、コース沿いのあたりの風景も道自体もその後の開発で大きく変わっていました。
 今回はこの「走っていないエリア」にからめて、川西から猪名川町のあたりをひとまわりすることにしました。このあたり、しばらく前に大きな団地が造成されて、田舎っぽい細い道を代替するバイパスが造られています。そして、新名神の関係もあってか、最近また道に手が加わっているらしいです。

 このエリアの中心地の多田は昔から開けたところ。その神社より西のあたりに、昔は銀や銅を採掘していた鉱山がありました。この鉱山は私がこのあたりを走るしばらく前に閉山して、跡地はすっかり整地されて何もなくなっていました。最近になって、手堀り時代の古い坑口のあたりとかちょっと整備して資料館のような物が造られましたが、なかなか訪ねる機会がありませんでした。
 ここと合わせて、昔の道と新しい道のからみあったあたりをへろへろと走る計画を立てました。名付けて「新旧兵庫県道12号と多田銀山の旅」。前半は旧道→新道と辿って銀山へ。ひと山越えて(後述)から旧道→新道と走って川西へ。

[ 絹延橋を渡る ]
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 池田から多田へは国道173で行くのが早いですが、自転車ではおもしろくありません。川の西岸を辿る抜け道へまわります。それにはこの橋が便利。なじみの橋は、護岸の整備と合わせて掛け替えられたらしく、きれいな橋になっていました。渡って少し川に沿って北上すると、県道12号に入ります。

[ 多田へ ]
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 川西市街と多田の街を分ける狭隘部を抜けたすぐ先。川を渡って国道と県道をつなぐ橋がありますが、その名は「銀橋」。銀山と関係あるのかしら。

[ 川沿いの旧道 ]
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 多田からしばらくそのまま川沿いに北上します。この道は古い方の12号。路面は綺麗になりましたが、一部を除いて道幅は細いまま。通行量は少ないですが、時々大きな車も通ります。元気そうなロードバイクに抜かれてもそのままのたのたサイクリング。

[ 旧道の上は ]
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 で、その上を見上げると、雑木の隙間から家並みが見えます。この上の丘陵地はすっかり開発されて住宅地になっています。広い新道はこの上を通っています。

[ 新道と交錯 ]
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 県道12号は川西から北上して篠山へ抜ける道。このあたり、新しい道と古い道が交錯しています。そしてどちらも県道12号の名前です。その間にいくつかの道の新道旧道が入り交じってなかなか複雑です。
 ここは清和台を抜けて(左から)来た新道との合流点。ちょっとだけ行くとまた分離します。今回はそのまま新道を進みます。帰路はまたここを通ることになります。

[ 新道は自動車道 ]
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 昔の道も部分的には改良されていますが、狭い谷間ではどうしようもない様子。まあ、車さえ少なければ川沿いの道は勾配が緩くて自転車には都合が良いのですが。対して、あたらしく造成された団地のアクセス道としては当然なのですが、新しい道は余地を求めて丘陵を登り降りするコース。現代の自動車にはどうって事の無い勾配でも自転車には優しくないです。7%の勾配の長い坂道って、乳母車とか買い物カートとか、ほとんど通行不能。

[ 銀山への分岐 ]
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 ひと山越えて少し行くと、銀山への分岐があります。このへんはすっかり昔とは違った風景でした。綺麗な道の交差点には観光地っぽい指示標がありました。

[ 抗口へ ]
1502h

 銀山のあたりへの道は綺麗に舗装されていました。いかにもって感じの公園と資料館があり、そこをひととおり見学してから、その先へ。ひととおり観光整備されていて、ちゃんと標識がありました。ここから坑口と採掘跡を見学。

[ ここは中を見れます ]
1502i

 ここは青木間歩。ここの坑道は少しだけ中へ入ってみれます。ほんの少しだけ。中は水平な坑道だけで何も無し。

[ 銀山奉行から ]
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 道なりに少し上って、その先のY字を左に。どんな道か不安でしたが、きれいな舗装道路で、分岐にはちゃんと標識もありました。
 ここは江戸時代の坑口。周辺の岩はかなり脆い感じです。崩れを防止してそれらしく見える程度に整備されていますが、当然立ち入りできる状態ではありません。

[ 通り抜けできません ]
1502k

 先の分岐まで戻って、今度は右へ。この鉱山のある谷間の道は行き止まりで、本来なら下まで戻るのですが、ここでちょっとズルします。地図ではこの1本線の道の先は点線になってて、猪名川の大きな谷へ抜けています。点線区間は2km弱。私の自転車はランドナー。不整地でもある程度は走れるし、押したり担いだりしてもけっこう行けます。

[ 谷間の農地 ]
1502l

 通り抜け不能が告げられた道は、軽トラ幅になったまま続きます。少し広がった谷間には段々になった耕地がありました。

[ ここから徒歩道 ]
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 耕地を抜けた先の池のあたり、自然歩道との分岐から先は本当に徒歩道になりました。少しは乗車できましたが、流水跡があったり、岩があったり。一部はかなりの傾斜。2/3ぐらい押しで坂道を上ると視界が開けて峠へ。

[ 稜線の道 ]
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 峠から少しの間、稜線を行く細道になっていました。砂っぽい路面で幅が狭いので、ここは無理せずに押して通りました。朝のうちは陽も出ていたのですが、残念ながら曇天になって、時々粉雪がチラチラする天気になりました。下界が近いらしく、下から自動車の音が聞こえます。

[ 高低差があります ]
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 稜線が切れた所から、下の谷が見えます。けっこう高低差があり、これを下る道はかなり厳しい道が予想される状況。道はどうやって続いているのか。見ると、丸木を装った資材で階段状に歩道が付けられていました。一応は「歴史街道」という事で、ひととおりの整備がされたようです。
 という事で、自転車は担いで降りることにしました。歩道整備されていなければ、戻ることを考えた状況です。

[ 住宅地の裏の藪 ]
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 歩道は階段化された急傾斜の箇所がいくつかありました。マウンテンなら乗車できそうな区間もいくらかありましたが、無理せずに全部押して通りました。この山自体が鉱山の続きの地質のようです。岩は脆くて、所々に鉱物質を感じさせる岩の路頭が見えてます。
 地面が砂地から落ち葉にかわって少し。唐突に住宅地の裏に出てきました。こちらから見ると。この獣道が向こうの谷へ続いているようには観じられません。逆コースなら自転車連れて入り込もうなんて思わないような場所。

[ 道の駅へ ]
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 住宅の間を抜けると、すぐに「道の駅」の施設がありました。ここは意外と大きな施設でけっこう賑わっていました。ちょっと休憩して、直売所の農産物を買いました。立派な野菜がいろいろあって、自転車のバッグに入る程度しか買えないのがちょっと悔しいです。お餅を買うか苺を買うか迷って苺を選択。

 荷物が増えて、カメラを取り出せなくなったので、ここから先は写真無しです。ごめんなさい。

 ここは万善。すぐ前の道は(新道が合流して1本になった)県道12号。このあたりは昔は何度も走ったところです。一部は拡幅されたりカーブとか修正されていますが、道の位置はほぼ同じです。でもまわりの景色はすっかり違っていてどこがどこだか。

 今回のコースはだいたい8の字を描くような形。万善から12号を辿って、紫合へ。ここは国道173方向への分岐点。昔はその時の気分で直進か左折か。今は右折が加わっています。右折(つまり173から直進)は県道12号の新道。ひと山越えて朝に通った道に続きますが、今回はそのまま古い方の道を進みます。
 往路の交錯地点で、今度は新道を辿って川西へ。片側2車線で綺麗な歩道がある道で、安全なことは確かですが、無駄に急坂を上り下りするのはしんどいです。自転車はアウターの1段からインナーの2段。お買い物だと電動自転車が要るぐらいの坂。延々と登ってサミットを越えても、周囲は同じような住宅地が続く。峠を2つ越えたけど、精神的には全然面白くないです。次は気持ちの良い峠越えをしたいです。

 のったり走行と観光と徒歩と買い物、全部合わせて約6時間の行程でした。

2014年09月16日

2014年09月14日 吹田→ 萱野 → [郡山宿] → 中河原 → [芥川宿] → 島本 → 山崎 → 神足 → 向日町 → 京都

 自転車の一部を分解整備したので、まずはひと走り。いきなり峠道のロングランではなく、まずは平地をぽたぽたと走行です。

 先日安威川に沿って茨木から亀岡へ走った際、交差する細道に「旧西国街道」と書かれているのを見つけました。西国街道は京都から西国を結ぶ道ですが、狭義には山裾に沿って大阪を通らずに京都から西宮へ向かう一種のバイパス道の部分を指します。現国道171号がほぼこのルートに該当します。交通量も多いですが、全体に平坦で、大半は歩道付きで道幅も広く、自転車で走るのに不都合はありません。学生時代には池田から京都へ神戸へと何度もここを走りました。ただ、交通量が多くて騒がしくて景色も殺風景で、急いで通るには良いけれど、ランドナーで走って楽しい道ではありまぜん。旧道はどんな残り具合かしら。

 ネットで調べると、「歴史街道推進協議会」に詳細なウォーキングマップがありました。どうやら、古い道筋がかなり残っているようです。こうなれば、京都まで辿ってみるしかありません。コースの大半は鉄道駅から近いですから、何か不具合が生じてもそのまま輪行で帰れます。チェックと馴らしを兼ねてゆっくり走るにはちょうど良さそう。

[ 江坂村の道しるべ ]
1409a 江坂の村の中。バス通り(吹田豊中線)の1本北側の集落道は昔の吹田街道。ここに古い道標があります。この先は尼崎へ、右に折れると箕面・勝尾寺へ。このあたりは、千里の丘陵から箕面能勢や亀岡あたりを結ぶ地域交通の道が交錯していたようです。
 今回はここを出発点にして、谷筋に沿って勝尾寺の方へ向かいます。

[ 千里川の土手道 ]
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 高川沿いの道は丘陵の襞をひとつ越えて、千里川の筋に入ります。府道43号はそのまま箕面へ直進しますが、川に沿う細道に入ります。道と川は団地の中を抜けて続き、道の先には箕面の山が見えて来ます。

[ 現代の西国街道 ]
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 川沿いの道は萱野で国道171号に出会います。このあたり、現国道は旧街道を上書きしています。広い道が国道171号。国道423号(新御堂筋)の高架の下をくぐって、京の都を目指します。

[ 国道脇の旧道跡 ]
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 新しい時代の道は直線的に伸びています。対して古い道は微妙にうねりながら続進みます。現道から緩く斜めに逸れて続く細道が旧道。細道はそのまま集落の中を通り抜けています。

[ 勝尾寺への道 ]
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 このあたりは街道にちなんだ景観整備らしく、細道の舗装が石敷の装飾になっています。旧道から左の山手に向かう道の入り口に大きな鳥居がありました。昔はここが勝尾寺への登り口だったのでしょうか。この先を広い道が現国道が横切っています。

[ 集落道 ]
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 道は部分的に広くなったりしながら集落を抜けて続いています。両側は古い屋敷と新しい家が混ざっています。このあたりは大阪市内への交通が便利なところ。所々に農地も残っていますが、ほとんど市街地化そています。

[ 京は左へ ]
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 鍵の手に折れた道ばたに道標がありました。目的地の「京」が近づいた気がします。ここから京へはまだ30kmほどの距離。徒歩の旅人にはまだ遠い道のりでしょうが、ランドナーならほど良い距離です。
 この先の箕面から茨木へ入ったあたり、モノレールの駅の付近は道路整備で旧街道がとぎれていて、ここでちょっと迷わされました。

[ 郡山宿本陣 ]
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 昔の郡山宿のあたりは、景観整備されていて、道はカラー舗装されています。本陣の建物は綺麗に維持されていますが、道筋の姿としてはあまり街道らしくない感じです。

[ 中河原の道標 ]
1409i ここは府道110号との交点。このあたりは、北の山並みを越えて能勢・亀岡へ向かう道がいくつも通っています。

[ 細い道 ]
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 自動車交通が盛んになる前の古い道は幅が狭いです。このため両側に家が建て込んだ所では道幅が狭いままの所が多くなります。昔の街道筋の幅では現代の自動車のすれ違いは無理。市街地では一方通行規制が多くなります。幸い「自転車は除外」されていますから、脇へ避けながら気をつけてゆっくり走ります。

[ 古い道しるべ ]
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 ほとんど集落道の細い道の辻。よく見るといろんな物があります。ゴミステーションの石柱は道しるべのようです。何やら文字が刻まれていますが、古びて判然としません。せっかく古い道を辿っているのだから、ゆっくり眺めながら走ります。ゆっくり走れるのもランドナーの利点。地元民の自転車に追い抜かれながら、ほとんど駆け足程度の速さ。

[ 生活道路 ]
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 旧街道はいろいろ姿を変えて生き残っているようです。道が拡幅されていたり、別の道に上書きされてしまったような所は街道が辿りにくいです。資料の地図がなければ、ここが街道筋だとは判らないような所もあります。
 昔の街道の両側はどんな風景だったのでしょうか。新しい住宅が整然と並んでいるあたりは、比較的最近まで農地だったのかもしれません。やや狭い道筋にさまざまな年代の家が混在している所は都市化が少し古いのでしょう。歩行者やお買い物自転車に混じって、ゆっくり走り気をつけながら走っているうちに高槻あたりまで来ました。

[ 芥川宿 ]
1409m ここは高槻駅の近く。家並みの向こうにはすました姿の高層ビルが見えます。芥川の一里塚は道が鍵の手になった所にありました。これは宿場の東端だそうですが、ここより西側の道自体はあまり街道らしくありません。この先の道沿いの商店街のあたりの方が街道らしい道幅です。

[ 市街を抜けて ]
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 商業地を抜けて古い住宅が並ぶ町並みへ。細道はそのまま緩くうねりながら続いています。この線形はやはり年代ものの街道らしい感じがします。

[ 梶原一里塚の跡 ]
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 左手から山並みがせり出して来て、道は緩く北へ向きを変えます。山裾の微妙な起伏の向こうに淀川対岸が見えます。道の先の築堤はJR東海道線です。街道はほとんど田舎道といった雰囲気で続いています。
 ここは一里塚の跡だそうです。昔の街道を辿るのでしょうか、このあたりではランニングやハイキング姿の人と何人も行き交いました。しかし私のような自転車旅らしい人は見かけませんでした。(みんな国道を走っているのかしら?)

[ 東海道線をくぐる ]
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 JR東海道線の4本の線路が旧街道を跨いでいますが、その東側半分は煉瓦積みのアーチでした。古い時代に造られ、複々線化の時に拡幅されなかった、自動車が往来するには狭いトンネル。このアーチが作られた頃のこの道の往来はどんなだったのでしょうか。道は島本へ入ります。

[ 山城の国へ ]
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 道は微妙に広くなったり細くなったりして、まっすぐ島本町を抜けます。ふたたび山裾が近づいたあたりが山崎。京都と大阪の間の淀川の谷間がいちばん狭くなった所が府の境界。ここから京都です。

[ 神足の町屋 ]
1409r 神足はこのあたりの昔の村の名で、現在のJR長岡京駅は昔は神足駅と名乗っていました。ここは「神足ふれあい町屋」。神足の町並みが長岡京駅へ続く道にあります。昔の建物をうまく利用した施設になっています。この通り自体は、観光を意識して景観整備したのでしようけど、街道らしい雰囲気はいまふたつぐらいです。


[ 長岡京 ]
1409s この道標は長岡京の駅前の通りにある物。新しい物です。

[ 所々に ]
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 京都府に入ってから、旧街道はいろんな道と交錯し、所どころ上書きされながらも、ほぼまっすぐに続いています。一部は昔の街道らしい狭隘路ですが、片側拡幅されたような感じの区間が多いです。削り残された町屋らしい建物がところどころに残っています。

[ 向日町 ]
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 都市名は向日市なのですが、"むこうまち"の方がとおりが良いです。ここは亀岡宮津と京大阪を結ぶルートにも近く、京の都の後背地として栄えた街。古い街道というよりも静かな古びた街筋。落ち着いて雰囲気が良いです。
 自転車で向日町というと競輪。実は私の自転車はこの街の生まれ。完成した晩はナイトランで池田まで現国道を乗って帰りました。

[ 桂川を渡る ]
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 久世橋を渡ると京都市街です。橋を渡ってふりかえると、西山の山並みが見えます。

[ 京都の家並み ]
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 終点まであと少し。ほとんどフツウの生活道路ですが、現国道と斜めにからむように緩く曲がって続く線形は昔の道らしいです。

[ 京の都 ]
1409x ここは羅城門の跡。かっての都の入り口。平安時代の西国街道の起点です。今回の旅はここが終点。ここから烏丸駅までゆっくりと市街地走行で、自転車を袋に詰めて電車に。
 40kmほどの行程で、休憩など含んで約5時間の走行。平均するとほぼ駆け足程度のスピードです。お買い物自転車よりも遅いぐらいですが、街の様子を見ながら走るにはこれぐらいでしょう。

[ 帰路 ]
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 京都(烏丸)から輪行で、阪急豊津駅まで帰って来ました。ここは吹田街道の踏切の横。ここで自転車を組み立てて、吹田街道を西にちょびっと走れば今日の出発点です。

 私の自転車は昔のランドナー。ちゃんと泥よけも付けています。いくらか手間はかかりますが、袋に詰めていちばんコンパクトになる「フォーク抜き」輪行をしています。昔は今よりも規則が厳しかったですし、それ以上に遠慮して載せてもらう雰囲気でした。
 最近のロード乗りの人の中には"シートすら下げず、袋から車輪半分はみ出したまま"という嵩高い方がいます。きちんと輪行のルールを守るのは当然!なるべくコンパクトで安定よく詰めて、なるべく邪魔にならないようにすべきだと思います。トラブルとかがあって輪行が禁止されたりすると困ります。


[ お土産 ]
1409z
 朝ちょっと早くに家を出たので、夕方になる前に帰宅できました。向日町の街の和菓子屋で買った『栗水無月』は午後のお茶に。たいへん美味しかったです。


2014年02月12日

2014/02/11 豊里大橋→毛馬の閘門→中之島→安治川トンネル→天保山の渡し→北港→長柄運河跡→長柄橋

 春まであともう少し。暖かい所へ行くことも考えましたが、寒い時期の輪行は面倒なので、輪行なしで行ける所にしました。自宅から走り出して、のったり街中の走行です。大型自動車が少ない休日に走りました。

 昨年行った「栃の木峠」には淀川の源流の碑がありしまた。ここを発した高時川の流れは琵琶湖を経て延々と流れて淀川となって大阪湾に注ぎます。琵琶湖周回計画再開までの合間に、淀川の河口を訪ねて自転車でお出かけです。新旧淀川の分岐点から、旧淀川(大川)に沿って下って、新淀川に沿って戻る計画です。

[豊里大橋]
1402a

 吹田から淀川を渡ろうとすると、通りやすい橋が少ないです。少し上流側へ戻るかたちになりますが、豊里大橋を起点にしました。このひとつ下に城北橋があるのですが、自転車だとアプローチが良くないからです。川の堰堤の上と河川敷に道があります。風あたりが少ない河川敷を走りました。

[赤川鉄橋]
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 実はもうひとつ淀川を渡るルートがあったのですが、しばらく前に閉鎖されています。この赤川鉄橋はJRの貨物線が渡っていますが、橋は複線規格で線路は単線。余った半分が歩道になっていたのです。ちょっと珍しい景色だったのですが、それが線路の複線化で通れなくなってしまいました。交通の点では代わりの橋が欲しいです。

[毛馬水門]
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 ここは新淀川と旧淀川(大川)の分岐点。今は水門と排水ポンプで大川の水位を調整しています。明治時代に河川改修で開削された新淀川と流れを分けるために作られたのが最初で、当時の水門の一部が横の方の土手の下に保存されています。

[毛馬の閘門]
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 これは昔の第一閘門で、水位の調整をして船を通すための設備。作られたのは明治40年。この閘門は毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定されています。このあたりは淀川河川公園の一部として整備されていて、全体を近くから見ることができますが・・・完全に陸地の中で、中は水ではなくて芝生。

[毛馬の眼鏡橋]
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 毛馬の閘門から下流へ、昔は新淀川に沿って長柄運河が流れていました。運河が使われなくなったあと、このあたりの河道は崩されて消えていますが、公園の一角に、かってその運河にかかっていた橋が保存されています。小さな橋ですが、ずいぶんおしゃれな姿です。桜の頃には綺麗でしょう。

[天満橋付近]
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 毛馬から桜宮を経て川崎橋まで来ました。赤川鉄橋からこの先の中之島までは「大阪府道801号」愛称北大阪サイクルラインという自転車・歩道になっています。府道だからヘキサの看板があるかと思ったけれど、見つけられませんでした。まあ、実態は公園の中の舗道ですが。
 大川はけっこう船が通っています。平たい貨物船が多いですが、屋形船とか小型のボートとか、水上バスも通りますし観光船もいます。大川はここで東から来た寝屋川と合流します。

[中之島]
1402g

 大川は中之島で2つに分かれて大阪の街のまんなかを流れています。中之島のあたり、雑多な雰囲気だったのですが、最近は観光地らしくかなり綺麗に整備されています。北側を流れる堂島川が旧淀川の本流です。こちら側を辿ります。この先、川筋は複雑に分かれたり合流したりしますが、旧淀川の主流の安治川に沿って進みます。 

[安治川トンネル]
1402h

 安治川は江戸時代に河口へ向かってまっすぐに改修された川です。大川に出入りする船の多くがここを通ったので、橋が架けられませんでした。そこで渡し船。しかし川を横切る船も邪魔。これは川底をくぐるトンネルで、西九条の近くにあります。戦時中に作られた日本最初の沈埋工法によるトンネルで、今でも立派に働いています。自動車の通行は停止されましたが、人と自転車は通れます。地元民のお買い物自転車と一緒に大きなエレベーターで川の下へ。

[安治川の大水門]
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 安治川の河口にある不思議な形の建造物が大水門。高潮の時にはこの半円形の物を回転させて水中に下ろしてせき止める構造です。アーチ型水門といって珍しい形式だそうです。
 ここが河口堰とかんがえれば、これで淀川の旅も終点なんだろうけど、まだまだ先へ水面は続いています。辿るうちに川幅が広くなって、自然と岸壁の風景にかわります。角を曲がると弁天埠頭でした。しばらく前までは四国九州への瀬戸内航路の客船が往来していました。昔の客船乗り場の建物は、屋上には色褪せた船会社の看板を載せたままの姿で残っていました。

[天保山の山頂]
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 大阪はどんどん陸地が広がって港も沖の方へ移って来ました。安治川の先にあるのが天保山。弁天埠頭の次の時代、淡路や四国行きの高速船の乗り場はここでした。天保山に来れば、やはりここへ登ります。いつのまにかちょっとおしゃれな看板もできています。山裾?からは対岸へ渡る渡船が出ています。そして、頭上には天保山大橋が。

[天保山の渡し]
1402k

 立派な橋がかかりましたが、船を通すために橋はすごく高くなりました。あそこまで登るのは大変です。という事で、ここには渡し船が残りました。船は歩行者と自転車用で無料です。数分間の橋の下の航海で対岸へ。USJは船着き場の近くです。まあ、USJに来るのに船は使わないだろうけど。

[此花大橋の上から]
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 安治川の河口側から今度は新淀川の河口の方へ向かいます。それには、一旦北港の埋め立て地を回るのが良さそうに思えたのですが・・・・大きな橋を渡ることになりました。
 大型船の航路をまたぐ橋は背が高いです。長い長いスロープを螺旋状にぐるぐると4周まわって橋の上へ。見晴らしは良いけど、完全に登山。眼下の水面は、海なのか川なのか。

[北港水路]
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 橋を渡って舞洲へ来ました。この景色は河畔ではなくて海岸ですね。埋め立て地はもっと先まで伸びかけています。

[北港ヨットハーバー]
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 舞洲からもうひとつ橋を渡った所。新淀川の先に伸びた埋め立て地の先端がここ。小さいけれどヨットハーバーになっています。視線の先に続くのは阪神間の海岸線。

[新淀川]
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 川の堤を通る道を上流側に走ります。新淀川はほとんどまっすぐの流れで、道もほとんどまっすぐ。コンクリートの護岸から見ると川幅はずいぶん広いです。

[長柄運河]
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 阪神電車の淀川の駅のあたりから、新淀川の土手の陸側に低い溝のような土地が続いています。これは昔の運河のあと。再開発で埋められたりしてる所もありますが、ほとんどは水の無い小川のような感じで続いています。運河を渡る橋だったのでしょうか、凝った造りの華奢な鉄橋がいくつも架かっていて、今も淀川の河川敷へ行く人の役に立っています。橋から堤の下へ降りてみると、草の茂みが緑の川のようです。
 運河の跡の窪地の横に細い道がずっと平行して通っています。運河に沿った道だったのでしょう。今は近隣の方の生活道路。この静かな道を走りました。

[河川敷]
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 この運河跡は、道や電車から、淀川のすぐ横に見えるはずです。電車の橋、国道の橋と、いくつもの橋が運河を跨ぎ越えています。まあ、橋にしたら大河の淀川を越えるついでにちょっと助走というぐらいかもしれませんが。
 橋のひとつを渡って淀川の土手に上がってみました。

[淀川大堰]
1402r

 寒い時期ですから、汗をかかない程度で、体が冷えない程度ののったり走りでした。豊里大橋から、あちこち観光しながらここまで約4時間。阪急電車の下を潜ると毛馬の水門が見えて来ました。この先は往路と重なります。同じコースを走ってもつまらないので、ちょっと戻って長柄橋を渡って、赤いレンガの柴島浄水場を見ながら対岸を帰ることにしました。


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