細道

2024年03月30日

2024/03/30
 阪急嵐山駅→京都八幡木津自転車道→淀→天王山大橋→淀川右岸河川敷→一津屋樋門

 寒い冬の間は無理せずに春を待ちました。しかし今年は春の天気が良くない。寒さが戻って来て、そのうえ振れ幅が大きいく変化が速い。ほとんど日替わり天気。少ない好天は雑事に取られてなかなかお出かけできませんでした。それでもぎりぎり3月のうちに走る事ができました。

 まずは様子見という事で、今までに走ったエリアに隣接しててまだ走ってない場所で、判りやすく状況で調節可能なコースを走る事にしました。自動車交通の喧噪が避られて起伏が少なくて面白そうなコースができました。

 『京奈和自転車道』と称している京都市西京区嵐山から奈良市を経て和歌山県和歌山港まで、全長約180kmのサイクリングルートがあります。このうち奈良県の南半分と和歌山県内の大部分は一般道に水色の印を付けた程度のようですが、京都府下の区間のほとんどは車と分離された歩行者自転車道として整備されているようです。ネットでマップを入手できました。
 起点は以前に嵐山で見かけた場所です。ここから桂川に沿って河岸の自転車道を沿って淀まで下ります。ここは桂川と宇治川と木津川の『3川合流点』で、ここから下流が淀川です。自転車道は木津川に沿って奈良市へ向かいます。
 宇治川は以前に琵琶湖からここまで走りました。 昨年は桂川に沿って胡麻の分水界から園部の手前まで走りました。また亀岡から嵐山の区間は保津峡の上から見下ろしました。途中で桂川に合流する鴨川には琵琶湖疎水を通った水も流れています。淀から下流の淀川河岸は、以前に左岸を走ってます。

※ コースのほとんどは市街地に隣接しています。鉄道駅からも比較的近いです。コンピニなどもあります。

[ 阪急嵐山駅 ]

 土曜なので観光の人出が気になりますが、通勤の混雑はありません。そこで観光には少し早いぐらいを狙って10時前にスタートするように設定しました。
[ 嵐山の渡月橋 ]

 駅前で自転車を組み立て、コンビニで昼食を調達しているうちにだんだん人が増えて来ました自転車道の入り口は渡月橋の手前、川沿いです。

[ 県道12号 ]

 今年はどこも桜が遅れています。自宅近辺はまだすっかり蕾です。京都はチラホラ咲きという情報でしたが、嵐山の桜は少し咲き出した程度。桜の時期はもっと観光客が増えるはずです。

[ 府道801号 ]

 自転車道の起点。ここから奈良県までは府道801号。おにぎりマークはありませんが。

[ 桂川の土手道 ]

 自転車道は川に沿ってうねりながら土手の上通っています。嵐山からしばらく右岸を走ります。川を渡る橋の所は下をくぐるようになっています。

[ 西大橋 ]

 国道9号線の橋です。ここで自転車道は歩道で橋を渡り右岸になります。

[ 桂川緑地 ]

 自転車道は桂大橋をくぐるため河川敷に降りました。このあたりコースの案内表示がはっきりせず、こでミスコース。そのまま緑地帯を進むうちに道が荒れて来て、前にJRの鉄橋が見えてきました。ここまでくる前に土手に上がる必要があります。どうやら登り口は橋のすぐ脇の野球広場の所のようです。そこまで戻らずにこの近くで土手に登りました。

[ 天神川の土手 ]

 桂川はこの先で市内を流れて来た天神川に合流します。自転車道は桂川の土手からこの天神川の土手に渡りました。写真右側にあるのが天神川と桂川の土手でさきほどの桂川緑地はその向こう側です。このあたり、土手上の道(自転車道)と河川敷の歩道と土手下の細道と並んで続いています。

[ 久世橋 ]

 国道171号の橋です。西国街道を辿った時に渡った橋です。標識がありました。嵐山から9kmほど来たことになります。

[ 鴨川を渡る ]

 さきほどの天神川と似たパターンです。今度は鴨川が合流して来ますが、その手前で鴨川の左岸に越します。ここは一応案内がありますが、中途半端で判りにくいです。
 名神高速の桂川大橋を潜った次、久我橋の手前で土手上に上がり、西高瀬川と鴨川の2つの川を渡ります、橋の横から河川敷に降りて橋を潜ります。写真は高瀬川と鴨川の間の緑地帯です。右側が鴨川。

[ 自転車道の案内板 ]

 コース途中にはコース全体を示す案内板が見当たりません。ここにやっと1枚。それもずいぶん広域図。途中
の道の折れ曲がりや土手の上り下りなど指示が少なくどう進めば良いのか初めてだと判りづらい。自転車道と遊歩道と普通の細道と並行してたりしてて、歩行者
やランニングの人やいろんな自転車が通っている。ネットの案内図をプリントして持っていてもところどころで迷わされました。

[宮前橋 ]

 ここはコース的に重要な分岐点。途中打ち切って阪急電車で帰るには右岸に渡る必要があるのですが、このあたり桂川を渡る橋は少ないです。この先の天王山大橋は高く入り口が複雑で渡りにくいです。

 今日は順調に予定より早く来れていますから、橋の下をくぐって3川合流点まで進みます。

[ 広い河川敷 ]

 桂川は大雨が降るとかなり増水します。流域が広く水位調節のできるダムはかなり上流。河川敷は広く土手は高いです。
 このような標識は一定距離ごとに置かれている訳でもなく、重要な分岐でも無い所が多いです。

[ 天王山の狭隘部へ ]

 正面に大きな橋が見えて来ました。下段が国道478号の橋、上段が高速の京滋バイパスの橋。

[ ぐるっと折り返す ]

 橋の下をくぐった自転車道はここで桂川と宇治川の間の中州をとりまく堤防の上を辿る形でぐるっと折り返しています。写真さきほど潜った天王山大橋。

[ 御幸橋 ]

 折り返したその先に見えるのは御幸橋。ここはもう宇治川の土手で、右側は宇治川です。自転車道は橋の歩道で宇治川と木津川を渡ります。

[ 背割の桜堤 ]

 御幸橋は2つの川を渡る橋。その仲程から下流側を見ています。左の木津川と右の宇治川の間を隔てるように築かれた背割堤。ここは桜の名所でもあります。今はちょうど桜祭りの期間中で、大勢人が来ています。もっとも、かんじんの桜は全然咲いていませんが。
 橋を渡って少し先が京阪電車の石清水八幡宮(八幡市)駅。ここまで予定より早く来ています。ここから電車で帰る事もできますが、さすがに20kmほどでは全然走り足りないです。淀川の左岸の河川敷は以前に走っていますから、今度は右岸の河川敷を走る事にしました。それにはさきほどの天王山大橋を渡らなければならない。

[ 天王山大橋を渡って ]

 天王山大橋の歩道は上流側しかありません。そしてその入り口は判りにくいです。前回も迷ったのですが、今回も迷わされました。素直に自転車道で戻った方が良かった感じです。

 橋から土手に出ると、下の河川敷に道があります。野球チームっぽい姿の集団が歩いてます。地図では切れ切れですが、航空写真では河川敷に道が付いています。河川敷内の公園や運動場などへのアクセス道のようです。

[ 土手から ]

 橋の歩道はこの先まで続いていて、国道へ出るならそちらなのですが、今回は河川敷へ降りるので土手に出て来ました。

[ 河川敷の道 ]

 河川敷の道を走っています。草藪の中をうねうね続く道。河川敷の管理道路なのでしょうか、幅は広く舗装も比較的綺麗です。でも標識も案内も何もありません。ここは大山崎駅の近く。電車で帰るならここで土手を越すのですが、このままもう少し先へ進みます。
 桂川と宇治川/木津川が合流するのはこのもう少し先です。だからこの草藪の左側はまだ桂川なのですが、濃い藪で全然見えません。(土手の上なら見えるのか??)

[ 単調な道 ]

 とにかく変化の無い道です、そのまま勢いで走ってます。地元民の散策or抜け道っぽく使われているので
しょうか、いくらか自転車や歩行者が通っています。土手の上は一般道で見るとけっこうトラックとか通っています。景色の問題はありますが、自転車で通り抜
けるならこちらの方が安全で気楽。でもどこを走ってるのは判らない。

[ 橋をつくってます ]

 さきほど渡った御幸橋/天王山大橋の下流の橋は枚方大橋。昔は渡し船があったらしいですが、この約12kmの区間は橋が無いです。ここに橋を架ける工事が昨年から少しづつ進められています。まだ橋脚が少しできた程度で、完成は未定だそうです。

[ 淀川河川公園 ]

 高槻市内に入っています。河川敷は公園や運動場などに利用されています。河川敷の道はこれらへのアクセスに使われています。自動車が走り抜けできないように途中にいくつも扉が設けられていますが、扉の横は自転車道が通れるような柵になっています。
 合計ではそこそこの距離走ってますが、特に問題ないので、このまま先へ進みます。(高槻市駅が近い)

[ 枚方大橋 ]

 高槻と枚方を結ぶ橋。ここから下流はいろんな姿の橋が架かっています。ここまで来ると淀川河川敷らしい雰囲気になります。

[ 芥川の合流点 ]

 高槻市内を流れる川。この川の上中流部はしばらく前に走っています。

[ 三島江 ]

 高槻市域の河川敷は多様な使われ方をしています。ゆっくり探るといろいろありそうです。ここは三島江河川敷切り下げ地区。水陸移行帯等を保全・再生、自然環境の特性を損なわない中で散策や観察など自然と触れ合う公園利用「水辺環境保全・再生ゾーン」だそうです。

[ 淀川新橋 ]

 茨木市と寝屋川市を結ぶ橋。シンプルな桁橋です。横はゴルフ場になっています。

[ 鳥飼仁和寺大橋 ]

 摂津市と寝屋川市を結ぶ有料の橋。2016年に無料化されるはずが10年延長されている。歩行者は無料だけど自転車は10円必要。

[ 鳥飼大橋 ]

 手前がモノレールの橋、奥が大阪中央環状線と近畿道の橋。このあたりはお買い物自転車のエリア。だらだら走ってここまで来たので、このまま自宅まで走って帰ることにします。

[ 大阪市内が見える ]

 ここまで来ると見慣れた都市の河川敷です。葦原の河原は広い水面になっています。道の横に『何か』見えて来ました。一津屋の樋門です。ここからしばらくの区間(土手道が)「なにわ自転車道」になっています。その先も河川敷の道は続いてます。この行程はしばらく前に走っています。

[ 一津屋の樋門 ]

 現在はここが淀川と神崎川の分流点。分けられた淀川の水は西に流れ、安威川と合わさって猪名川に入ります。


[ 神崎川 ]


 樋門の外側。この神崎川の左岸の河川敷に「なにわ自転車道」が続いていて、自宅近くを通ります。ここはしばらく前に走っていますから、今回の自転車旅はここでひと区切り。市内の良く知った近道を通って帰宅します。
 片輪行で40kmほどを正味4時間ほどですから、ゆっくりのたのたという感じです。

 次はどこ行こうかしら。木津川沿いの道も残ってますし、奈良から大和川というコースも面白そう。北摂や播磨の田園も良さそうです。やはり問題はお天気。



mars2015 at 19:09コメント(0)

2023年10月26日

2023/10/26 能勢電日生中央駅→万膳→猪名川町木津→くろまんぷ→林田→県道319号→上佐曽利→県道323号→波豆川→県道68号→三田市香下→千刈カンツリークラプ→山田川→JR三田駅

 今年の夏はいつまでも暑かったです。その分秋が一気進んでます。夏が不完全燃焼だった分秋らしい場所へ行きたいです。でも少しお天気が不安定になって来てるので、昨年のように出遅れてしまわないようにしなければ。

 秋の花はコスモス。公園の花壇もあるけれど、やはり広々した畑一面のお花に浸るのは格別。でも大きな花畑はたいてい交通不便。その代表格が三田市の波豆川のコスモス。猪名川町から三田市の間の丘陵地にありすま。近隣を見ると、東側には能勢電の日生中央駅、南側にはJRの武田尾と道場駅、西にはJRの三田と新三田駅。でも、どこから行くにしてもけっこうな坂を登って10km以上の行程。折りたたみのちび自転車では無理なので(一応三田からの路線バスはあるけれど)お出かけ自転車の出番です。

 一昨年は武田尾からまっすぐ北上し、少し下ってから東の日生中央へ走りました。昨年は日生中央から登って道場へ。という事で三田駅が残ってます。東からのアクセスルートは3つあり、そのうちいちばん北側の道が残ってますから、これと合わせる事を考えました。
 この北側のルートに近い所に面白そうな物を見つけました。県道の対岸の集落を山越えして結ぶ道に"くろまんぷ"と呼ばれる物があり、どうやらかなり古い隧道のようです。学生時代にこの県道は何度も走ったのですが、全然気付かず見逃していました。ここはぜひ寄らなきゃ。(今日の行程はいくつも小峠越えます。)
 道筋の関係で、今回のコースの半分ぐらいは昨年と重複しています。昨年の記事も併せてお読みください。

※ コース序盤はいくつかコンビニなどがありますが、その後は食料調達が難しいです。用意は計画的に余裕を持って。

[ 日生中央駅 ]

 朝の通勤とは逆向きの電車で終点の日生中央駅まで来ました。静かな駅前で自転車を組み立て。ここはらスタート。標高119m。

[ 住宅地を抜けると ]

 駅は丘陵地の南端。アップダウンを避けて一旦南に下り、そこから県道を北上します。この先しばらくは昨年と同じコースです。

[ 県道12号 ]

 猪名川に沿って続く県道を北上しています。この県道は学生時代に北から南の方向で何度も走りました。このあたりは拡幅されて綺麗になっていますが、まだ狭い所も残っています(現在も工事中)。 標高87m。

[ 道の駅いながわ ]

 ここで小休止。農産物を売ってますが、あまり荷物は増やせないので、枝豆をひと袋だけ買いました。ここから喧噪な県道12号を避けて川の西側の細道へ進みます。三田へはここを左折する県道68号が近いのですが、喧噪で勾配もきついです。標高105m。

[ 川沿いの道 ]

 普通の細道でしたが、少し進むと川沿いの遊歩道っぽい雰囲気になってきました。落ち葉もありますが、のんびり走るにはちょうど良い感じ。

[ 歴史街道 ]

 この細道のところどころに案内板がありました。歴史街道って、この道が現県道の旧道なのかもしれません。この少し先で道は左岸に渡り、その先へ続きます。

[ 木津 ]

 この橋は重要なチェックポイント。ここまでは昨年と同じ道。昨年はこの橋の先を左に折れました。今年は直進してその先を右へ。標高121m。

[ 坂道の入り口 ]

 町立楊津小学校を過ぎた少し先、ここから急坂になります。標高134m。
 おそらくこの先の山襞の向こう側の集落へ稜線の鞍部越えの峠道だったのでしょう。ここから4段のつつら折れで山腹を登ります。

[ 小山登り ]

 つづら折れの2段目の端。下が見えます。下の谷間を横に伸びている道が県道12号。川はこの左手で山塊の裾を回って大きく蛇行しています。この迂回を避けて山向こうへ向かう近道だったのでしょう。それにしてもけっこう一気に登ってます。坂が急なので、自転車は無理せずに押しです。

[ 東口 ]

 隧道の東の坑口です。津坂隧道、通称「くろまんぷ」です。林田隧道という名もあるようです。明治14年の手掘り隧道。標高190m。この隧道の上の稜線は218mありますから、隧道で約30m低くなった事になります。でも四角いコンクリートのポータルで古い隧道という風情は全然ありません。

[ 元々の坑門 ]

 コンクリートのポータルは後補の土止めのようです。中に入るとすぐに石積みのアーチがありました。トンネルの中は奇妙にぐねっと曲がっています。そして途中で勾配がかなり変わっています。どのように掘り進んだのでしょうか。岩質の関係なのかもしれません。洞内は素掘りで、黒い岩肌の素掘りだったので黒い間歩で「くろまんぷ」と呼ばれていたらしいですが、今は鉄骨補強とコンクリで巻かれています。照明も多く暗くも黒くもありません。

[ 西口 ]

 隧道は100mほどの長さ。山腹を半ばまで登って幅の狭い所を狙って掘り抜いた形です。こちら側の坑口の前は深い掘り割りになっています。西側の斜面はやや緩いですが、軽くうねりながら下って集落に入ります。

[ 県道12号 ]

 くろまんぷからの道をそのまま進むと、川岸まで下り橋を渡って県道に戻されます。ここから少しの区間。県道を走ります。標高158m。

[ 分岐 ]

 三田を示す青看板が出てきました。ここを左折します。標高161m。

[ 県道319号 ]

 県道下佐曽利笹尾線。ここから西の上佐曽利へ登って、そこから南下して下佐曽利に至ります。線無しの県道ですが険道では無さそうです。とっつきは緩いですが、この先で勾配が増します。先は長いので、無理せずにきつい所は押しで行きます。

[ 市堺 ]

 少しうねりながら登って来て視界が開けたら峠。ここから宝塚市になります。標高239m。

[ 下り坂 ]

 峠を越えたら緩く下るまっすぐな道。路面はちょっと綺麗になりました。

[ 谷口 ]

 南西に下ってきた道が西へ大きく曲がる。ここで左から合流してくるちょっと細い道は昨年通った道。今年通った県道の方が最高点が高いですが、距離がある分勾配が緩いです。路面の状態の点でも細道はお勧めできません。この先はかなりの区間が昨年と重複です。

[ 上佐曽利 ]

 ここにはダリア園があります。一昨年はここも訪れましたが、今回はパスして先に進みます。県道はここの交差点を左に折れています。直進する道は県道323号になります。標高210m。
 コスモス畑のある波豆川は県道323号でひと山乗り越えた先です。この区間も無理せずに半分ほど押しで乗り越えました。峠は323mで、越えれば三田市になります。

[ 坂の途中から ]

 峠から波豆川の集落への道は北側の山腹に沿って緩く下ってます。道の途中から見下ろす畑地の中にピンク色の区画が見えます。今年は綺麗に咲いているようです。

[ コスモ畑 ]

 コスモス畑到着。途中で休憩したり隧道見物したりしました。登坂ではけっこう押し上がりました。それでもここまで2時間半ほど。暑くなくほどよい晴天。予定よりちょっと早く来れました。ここでお花に浸って昼食。標高211m。
 今年のコスモスは見事にちょうど満開ぐらいの咲き加減。出遅れて残念だった昨年の分をすっかり取り戻して剰りあるぐらい。

[ 後半コース ]

 予定より少し早く来れてますし、体調も自転車も問題無し。予定どおりのコースで進みます。 (波豆川から西へ進むコースも有り得ますが標高280mの大坂峠です。)
 コスモス畑の横の道は広く綺麗です。昨年はこちらをとおりましたが、途中に少しアップダウンがあります。そこで今年は一昨年の逆コースで(途中まで)川の右岸の細道を下ります。

[ 県道68号 ]

 波豆川に沿って下って来た道(市道らしい)が川を渡って集落を抜けた先、ここで出会うのが県道68号。この道は北摂から三田へ抜ける主要道で北摂里山街道の愛称があります。左はぐっと下って朝に通った道の駅の所へ出ます。右は緩くアップダウンしながら新三田駅の近くに出ます。

[ 土手道 ]

 県道68号は大型車も通って喧噪です。なるべくなら走りたくない。できるだけ迂回する事にします。波豆川の土手に軽トラ道のような地道がありました。急ぐ訳ではないので、行ける所までこちらを走ります。

[ 県道しか道がない ]

 その先はしばらく有効な脇道が無い区間が続きます。仕方ないです。車と競り合う気は無いので、横の歩道をのたのた走ります。

[ 千苅貯水池 ]

 この西へ進む区間はほぼ千苅貯水池の湛水域の北端に沿っています。この貯水池は神戸市の飲み水を支える大きなダム湖。波豆川はここに注いでいます。ダムの下は道場駅の近くで武庫川に注いでいるのですが、湖周を回る道がありません。そのためここを下ることができません。つまり東西のどちらかに迂回する必要があります。

[ 迂回路 ]

 県道68号は喧噪で面白くありません。しかし探すと千刈湖の西の山地を乗り越えて南下する道が見つかりました。ゴルフ場のコースの間を通って三田市の方へ抜けています。市道でしょうか、ストリートビューが撮られてました。抜けれるならこっちの方が絶対楽しいはず。標高185m。

[ 不明の道 ]

 樹間の道で、路面はちょっと荒いけれど険道という感じではありません。ランドナーで走るには手頃な感じ。今日の4つ目で最後の登りです。ここもきつい所は無理せずに押しで行くつもりです。

[ 市道?私道? ]

 道がちょっと細くなりました。脇にはカンツリークラブの名のある注意看板。この道はカンツリークラブへのアクセス道路のようです。時折ちょっと大きな乗用車が通ります。

[ ゴルフコース横 ]

 そのうち道の横の樹木の間から綺麗に刈り込まれた芝生がのぞき見えるようになって来ました。道の横がコースになっている様子。そしてゴルフ場の関係車の出入りするような道が繋がってます。横道には通行禁止と書かれていますが、フェンスや門はありません。

[ 峠? ]

勾配が緩くなってしばらく、どうやら鞍部を越えるようです。標高248m。

[ ゴルフ場の中? ]

 道は正体不明のままゴルフ場の中を進んでいます。ゴルフコースを行き来するような道は平然とこの道と交差分岐しています。市道なのか私道なのか、良くわかりらないけれど、そのまま道なりに(立ち入り禁止でない方へ)進みます。

[ 外へ出たらしい ]

 そのうちに再び樹間の道になりました。落ち葉は少ないけれど路面はそこそこ荒い。ガードレールもフェンスもなくて、ちょっと林道っぽい。どんどん下ります。こちらから登るとすると、単調な登りでそれなりにしんどそうな勾配です。

[ 山田川の谷 ]

 カンツリークラブからの林間の道は山田川沿いの農地に出て来ました。ここまで来ると終点は近いです。標高155m。

[ ふりかえり ]

 山田川の谷の農地に沿って進んで来ました。ここから山の方を振り返ってみました。今日は予想以上に良い秋らしい晴天になりました。陽は秋の色で風もちょっと涼しい。快適なサイクリング。

[ 道の先 ]

 道谷間の道の先に三田の市街地が見えて来ました。ここで右折してまっすぐ進むと三田駅。標高146m。

[ 三田駅前 ]

 三田駅前は完全に街です。駅前のバス停の近く、エレベーターの横で自転車を袋詰め。ここから大阪方向の電車は頻発してます。電車の時間を気にしなくて良いのは気楽です。コスモス畑を出てからここまで1時間半ほど。のったり走ったけれど案外早かった。予定よりだいぶ早い帰宅になります。

 11月もどこかへ行きたいです。問題はお天気。


mars2015 at 19:58コメント(0)

2023年08月25日

2023/08/25 近江鉄道朝日大塚駅→御代参街道→岡本宿→日野→伊勢道→鎌掛→笹尾峠→土山宿→JR甲賀駅

 中途半端な梅雨の後は記録的な酷暑。報道もお出かけは控えるようにと。このアオリで今年も「自転車でお出かけ」の予定がズレ込んでいます。それでも酷暑が猛暑ぐらいになって、やっと朝晩は残暑っぽくなってきました。そこで月が変わる前に8月分のお出かけをする事にしました。

 今回の行き先は『御代参街道の峠越え』。だいぶ前から構想していたコースです。御代参街道と言われる道は江戸時代に天皇の代参で多賀大社と伊勢神宮へ詣でた一行が通った事にちなんだものらしいです。愛知川で中山道から分かれ、八日市から日野を通り、小さな峠をひとつ越えて東海道の土山宿を結ぶ、湖東湖北から伊勢へ向かうショートカットのような道で、八日市・岡本・鎌掛(かいがけ)に宿場が設けられたようです。こちらに鈴鹿峠と土山宿の記事があります。

 街道の説明図などを地図に落とし込んでみました。鎌掛の手前までほぼ平地の道で、日野の近くまで近江鉄道の線路がこれに沿って通っています。問題は鎌掛の先の峠。峠の区間に相当する道(県道)は少し西を通っていて、峠を越える道筋は地図では途切れています。この峠区間を中心に行程を考えます。

 峠へ向かう道の鎌掛側の入り口は以前に確認しています。その先は路面の状態がかなり悪いと予想されます。路面の悪い区間は下りの方がリスクが高いです。さらに問題となるのは土山側の峠道への入り口。峠の土山側は宅地造成などで切り開かれていて元の道形が完全に失われています。このため峠道の入り口が見つからない可能性があります。そのため鎌掛側から土山へ抜けます。
 土山は東海道の宿場ですが鉄道路線からは外れていますからここのアクセスも問題です。東海道を辿れば近江鉄道水口駅ですが、ひと山越せばJR草津線の油日と甲賀駅が近いです。水口への道は以前に走っているので今回はこちらを利用する事にしました。これに合わせて、出発点は日野のひとつ手前の宿場『岡本宿』の最寄りの朝日大塚にしました。

※ 朝日大塚駅と甲賀駅の近くにはコンビニがありませんが、途中の日野と土山にはいくつかあります。

[ 朝日大塚駅 ]

 暑さと人流を避ける意味で朝早く出発して、京都を抜けて、草津・貴生川と乗り継いできました。朝日大塚は無人の小さな駅で、駅前には何もありません。標高135m。

[ 細い道 ]

 どうやら御代参街道は駅の北側で線路と交差する位置を通っていたようです。駅の横を斜めに抜ける道があります。これを進むと県道に出ますが、街道はそれより手前で左に折れていたようです。何となくこの道のようです。

[ のんびり道 ]

 集落を抜けて農地の中を緩くうねりながら平地へ下ってゆきます。

[ 県道45号 ]

下りきった先で県道に合流しました。岡本宿の少し手前です。この道は近江八幡から日野へ行くバスが通っています。

[ ガリ版発祥の地 ]

 洋館風の建物が目につきます。ここはガリ版伝承館。謄写版の発明者の堀井新治郎・耕造親子が郷里に建設した洋館が改修されて展示施設になっています。標高136m。

[ 岡本宿 ]

 普通の地域道らしい道幅ですが、微妙なうねり方が古い道を感じさせます。

[ 本陣跡 ]

 道沿いにいくつか石の標識が置かれています。でも昔の建物は本陣も旅籠も何も残っていません。

[ 鋳物師 ]

 朝日野駅の近くまで来ました。なにか歴史のありそうな地名です。標高142m。

[ 三十坪 ]

 県道はこの先まだまっすぐで、その先が日野駅です。街道は日野の街へ向かって三十坪で曲がっていたようです。今回はここで曲がりましたが、どうやら当時の道筋はもう少し手前で曲がっていたようです。

[ 日野へ ]

 県道から左に入ると細くうねった道に出会いました。昔の街道っぽいです。そしてこの道は近江鉄道の線路とと斜めに交差します。標高155m。

[ 日野商人街道 ]

 細道は国道477号と交差し、その先へ続いています。そして日野駅前から日野の街へ続くバス道に出会いしました。細道はこの先へも続いてるように見えますが、街道はここで一旦日野の街へ向かいます。

[ 伊勢道 ]

 商人街道が日野の街へ入る手前、ここに伊勢道というバス停があります。ここに大きな石灯篭があり、御代参街道の道筋を示すような案内標識もありますが、この先どこまで辿れるのでしょうか。標高169m。

[ 伊勢道 ]

 御代参街道の説明がありました。ここから右に折れて農地の中の細道を辿ります。この先、どこまで行くのか。どこかで日野川を渡るのか、渡らないのか。地図では道が判然としない区間になります。(川の流路とともに道が変わった?)

[ 国道307と交差 ]

 道の先に案内標識がありました。この先まだ進むようです。

[ 農地の中 ]

 農地の区画整理の関係でしょう。緩く曲がった道は直線的な道にぶつかって途切れていました。ここは案内標識が欲しい。地図で見て見当付けて左折右折と進んでみます。

[ 国道307号を越える ]

 ここは案内がありませんが、道筋の先の集落の中に細い道が続いています。おそらくこれでしょう。

[ 標識が出た ]

 集落抜けてそのまま進むと細い橋がありました。その横に案内標識。やはりこの細道が街道らしい。という事でそのまま橋を渡りました。すると綺麗な道に出ました。愛称でしょうか「しゃくなげ街道」というらしいです。この道は鎌掛の近くに続きます。とりあえずこの道を行く事にしました。

[ また標識 ]

 先ほどの橋を渡ったのは、どやら間違いだったらしいです。あそこには左に折れる細道がありました。これを通って寺尻を通るのが正解なのでしょうか。でも結局はこの『しやくなげ街道』を進むことになった訳です。標高186m。

[ ここを曲がるらしい ]

 山裾の広い道を進んできました。でも、どう見てもこの道は昔の街道っぽくありません。ホントにこの道で良いのだろうかと不安なった頃に標識が出てきました。これに従ってここを曲がりますが、この道も古い街道っぽくない線形です。標高194m。

[ 県道41号 ]

 途中にちょっと気になる道もありましたが、標識が無いのでそのまま進むと、結局県道に出てきました。鎌掛に行くには右に折れるしかありません。
 この道は日野の街の中心部から分岐して来た道で、綺麗な道です。昔の街道を辿るというのでなければ、こちらを走れば楽に早く来れます。標高191m。

[ 鎌掛の入り口 ]

 県道を進んで鎌掛の集落の入り口まで来ました。この集落を越えた奥側に『ダリア園』があり、その関係でここには来た事があります。今回は集落の中はササっと通り抜けて峠へ向かいます。標高201m。

[ 県道182号 ]

 鎌掛の街を抜けた先で綺麗な道に出ました。ここを右折して川近くに進みます。この川が笹尾峠の谷へ続きます。(写真前方の橋)

[ 峠への道 ]

 橋の手前の細道を入りました。川に沿って農地の間を緩く登ります。標高213m。

[ 険道41号 ]

 農地の道は川を渡ってその先で県道に合流します。と言っても、この道はだいぶ怪しい状態。さきほどと一転して険道という感じです。

[ 標識が出た ]

 県道を上っていると道沿いに標識が出ました。やはりここが御代参街道で間違いない。でもこういう物は重要な交差点や分岐にこそあって欲しい。もう少しこの道を進みます。

[ 重要な分岐 ]

 県道41号は笹尾峠には向かいません。西側の山腹をへつり登って越えてひとつ西の谷へ下ります。(途中の最高点330m)
 笹尾峠への道はここを左です。案内標識がありますが、そのまま県道を進むように書かれているようです。以前にタリア園へ来た際にここまでは偵察しています。今日はここを左に進みます。標高233m。

[ コンクリ舗装 ]

 分岐の先は川に沿って谷間を登る道です。滑り止め刻んだコンクリ舗装です。轍の後がはっきりしていますが、小石が散らばって草も生えてます。ちょっと勾配がありますが、自転車でゆっくり登れます。この区間はグーグルマップには道として書かれていますが、地形図では1本線です。

[ 橋 ]

 しばらく行くと道はコンクリの橋で川を渡ります。ここで道はぐっと格下げになります。舗装が無くなり勾配も増します。轍はあるけれど小石が多いです。この先はグーグルマップには書かれていません。ここからは無理せずに押しで行きます。標高243m。

[ 樹間の道 ]

 両側は植林地である程度手入れされています。この道は森林の管理道路(林道)として使われているようです。

[ 峠が近い ]

 先がだいぶ明るくなってきました。どうやら峠が近いようですが、ここへ来て勾配がぐっと増しました。軽トラでもきついぐらいの勾配。道の一部がふたたびコンクリ舗装になっていて、峠側から道が迎えに来たのかと思ったのですが、舗装区間はすぐに途絶えてふたたび地道になりました。

[ 道が怪しい ]

 地形図ではもう2重線の道(自動車通行可能)が迎えに来ている位置ですが、依然勾配のきつい地道です。そしてそろそろ峠のはずなのに、道は右に折り返すように稜線へ登って行きます。この道は地形図では点線です。標高362m。

[ 踏み分け道 ]

 登って来た道の正面の土手の笹薮の向こうが明るいです。この向こうが開けているのでしょうか。よく見ると、少し横に笹が踏み分けられたような跡があります。

[ 舗装道 ]

 試しに入り込んでみると、すぐ先に舗装した路面が見えました。おそらくさきほどの右の道を工事した残土で閉塞したのでしょう。土手は高くないし藪も薄いので、自転車を持ち上げて簡単に越せました。

[ 案内標識 ]

 峠の土山側は宅地造成されています。峠から出た所の舗装道路はごく短く、すぐに造成地の周囲を周る道に出ましたるここに御代参街道の案内標識がありました。ずいぶんしばらくぶりです。

[ 造成地 ]

 造成はしたものの、結局ほとんどが裸地のままです。いくつか家が建っていますが、空き家らしい姿が目立ちます。いくらかは住人もいるようですし、畑にしている所もあります。

[ 下界へ ]

 造成地はかなり段差があり、道の勾配がきついです。ここはその最下段。この直線で約20m下ってます。本来の御代参街道はこの造成地の東側にあったようですが、道形が失われているみたいです。

[ 野洲川の谷 ]

 ひとつ折り返して南へ向くと土山のある野洲川の谷が見下ろせます。標高307m。

[ 国道1号 ]

 道なりにそのまま下って来て、現東海道の国道1号に出会いました。写真は交差点を振り返って撮ってます。標高235m。
 なお、本来の御代参街道の分岐点はここではありません。途中から左に折れて野洲川を渡り、もう少し東側に出ています。

[ 東海道土山宿 ]

 現国道のすぐ南側が昔の東海道で、道がカラー舗装されています。
 ここまで朝日大塚から約3時間。途中写真撮ったりした事もありますが、やはり峠の押し歩きが時間取ってます。

[ 県道24号 ]

 土山宿の中を少し西に進むと、広い道に交差しました。これが県道24号。一旦下って(標高207m)橋を渡り、対岸の丘陵地を上り下りして、甲賀の駅近くに出てきます。今日はこれを進みます。標高223m。

[ 甲賀忍者の里 ]

 橋を渡り丘の裾を登って一つ目の鞍部を越えます。甲賀忍者の地元らしい案内看板がありました。標高238m。



 甲賀町のあたりは小さな丘と谷間が入り組んだ地形です。どの鞍部を越えて谷間を辿るか道の選び方が難しいです。県道24号は綺麗な道です。交通はあまり喧噪ではありませんが、その分やや単調です。この先は一旦標高210mまで下って235mで登ってもうひとつの鞍部を越え、そのまま緩く下って駅近くに出ます。ネットの地図情報を手繰ると、このあたりから自転車で抜けるコースを示す物がありました。地形図に落とし込むと一本線(車両通行可能な道)の表示だが、一部が切れている(点線=徒歩道か?)。グーグルマップでは道はこの付近で途切れている。逆に航空写真には途切れた少し先を通る道(グーグルマップの道の位置は山林)が写っている。どうやら林道か作業道+農道で自転車なら通れるという事かもしれない。怪しいので、時間に余裕があればこちら、厳しそうならば県道を通るというプランにしたのですが・・・



[ 怪しい道への入り口 ]

 怪しい抜け道への入り口。地形図では一本線、グーグルマップではこのあたりは自動車道の表示。ちょっと草が伸びてますが、轍のはっきりした地道です。問題はこの先。県道を進むと毎時1本の電車には微妙に半端な時間なので、脇道の方を通ってみる事にしました。地形図で見ると、この道は標高245mぐらいまで緩く登り、やや急に向こう側の農地235mへ下っているようです。

[ 草の茂る道 ]

 樹間を抜けてしばらく行くと道の草が増えてきました。まだこのあたりは轍がはっきりしてますが、この先だんだん薄くなって、藪に笹が混じり、そのまま笹薮になりました。山林の作業道なのでしょうか、藪の下には轍が見えるので、しばらく前までは車が通っていたようです。グーグルマップではまだ道です。引き返しも考えましたが、藪を分けて押し通りましたが、グクールマップの道の表示が途切れるあたりで先は藪に飲まれていました。横の方を藪越しに見ると、林の木の間に踏み跡が見えねそのすぐ先に農地が見えました。そこで藪を越えて、踏み分け道(徒歩道?)を辿り藪を分けて道に出る事ができました。予想以上に怪しい道でした。この道は絶対にお勧めしません。

[ 農道 ]

 グーグルマップには載っていなくて航空写真に写っていた道はやはり農道でした。ここから先はほとんど平地です。この道をそのまま進んで人里まで出ました。標高218m。

[ 甲賀忍者の里 ]

 そのまま進んで県道129号まで出ました。これを西に折れて少し先が県道24号。
 甲賀の街のあたり、さすがに忍者の里らしく道の角の飛び出し看板が忍者になっています。 

[ 甲賀駅 ]

 JR草津線のこの区間はほぼ毎時1本。微妙に半端な時間になってしまい、結局予定より1時間遅い電車になりました。標高199m。
 この後、草津から先でダイヤの乱れを食らってもう少しおそくなりましたが、暗くなる前には余裕で帰宅できました。やはり早目行動??


mars2015 at 22:22コメント(0)

2022年11月03日

2022/11/03 能勢電日生中央駅→猪名川町役場前→万膳→木津峠→県道319号→上佐曽利→波豆川→大原野→川下川ダム→県道327号→道場駅

 気候の良いうちにもうひと走りと思っていくつか計画を立てていましたが、天気の良い日はあれこれ用事が入り、結局10月中は出かけられませんでした。このままでは落ち着かないので、月は変わってしまいましたが、隙間の晴天を狙って遠出という程でないコースを走りました。

 行き先は猪名川町と三田市の間の丘陵地、昨年の10月に走ったエリアですが、走り残しのような区間があります。そしてここには広いコスモス畑があります。ここの見頃は少し遅目なのですが、もう咲き終わっているでしょう。それでも半分偵察という感じでひと周りすることにしました。、
 このエリアにアクセスする鉄道駅は、東に能勢電の日生中央駅、西にJR三田駅、南にJRの武田尾駅で、どれもほぼ同じ程度の距離です。そして少し距離は長くなりますが、JR道場駅もあります。昨年は武田尾から日生中央へ走りました。今回は日生中央から道場駅へ向かいます。

 ※ コースの序盤はコンピニなどありますが、中盤以降はありません。飲料は所々自販機があります。

[ 日生中央駅 ]

 朝の少しだけ早めに出発。休日ですが人流とは逆向きです。阪急服部駅から輪行。川西能勢口で能勢電車に乗り継ぎ。車内にはハイキングらしいグループがのっていましたが、妙見山方向へ行ようです。日生中央駅は静かでした。

[ ニュータウン ]

 駅前から走り出してすぐ。松尾台の住宅地の中。公園通りはほぼ平坦な道ですが、この先で直角に折れて急坂を下ります。標高120m。
 昨年は県道68号をとおりました。このコースは距離は近いのですが、喧噪でアップダウンが多いです。そこで今回は南へ迂回することにしたのです。

[ 山裾の道 ]

 交通の少なそうな細道を選んで走ります。山裾に沿って続く"上野原線"は古い地域の道らしくのどかな雰囲気です。標高86m。

[ 猪名川町役場前 ]

 細道を辿ってくると、そのまま町役場の前に出ました。ここから県道12号を北へ進みます。ここから先、万膳の分岐までの区間は交通が多いですが、抜け道がないので仕方ないです。標高84m。

[ 県道12号 ]

 学生時代には能勢から猪名川町あたりを何度も走りましたが、すべて時計回りの経路でした。たがらこの道も何度も通りましたが、すべて北から南に走っていたので北向きに進むのはなんと今回が初めてという事になります。

[ 良いお天気 ]

 すっかり秋らしい青空の晴天になりました。朝のうちはちょっと肌寒く感じましたが、陽が照って次第に気温が上がってきました。あちこち柿が色づいています。

[ 道の駅いながわ ]

 万膳の分岐の角に道の駅があります。好転の休日だからでしょうか、バイクがたくさん停まっていました。ロードバイクのグループも。私もここで小休止。標高105m。

[ 集落道 ]

 自動車と一緒に走るのは嫌いなので、道の駅の所から川の西側の細道"万膳1号線"に逃げます。こちらは地元民の軽トラが少し通るぐらい。

[ 猪名川沿い ]

 猪名川はこのあたりでは谷間を大きく曲がりながら流れる細い流れになっています。西側の道が途切れるので、橋を渡って東側に出ました。この土手道を進みます。標高112m。

[ 対岸の細道 ]

 川の東側の土手道を進むうちに、対岸に細道が見えてきました。この道へ進みたいのですが近くには橋がありません。もう少し進みます。(写真は振り返って撮っています)

[ 農道? ]

 集落内の橋を渡って西側の道に入りました。一応舗装はされていますが、路面がかなり荒れています。地域道というより農地のアクセス道という雰囲気ですが、このすこし先で曲がると登りになります。標高122m。

[ 林道? ]

 道は一気に急な登りになりました。路面はけっこう荒れています。谷川に沿って谷間を一気に登るので勾配はけっこうきついです。インナーに落としてのたのた登り、急な所は無理せずに押して登りました。路面がよくないので、下りもしんどそうです。

[ 木津峠 ]

 薄暗い谷間を上り詰めて空が開けてきたら峠。ここは猪名川町と宝塚市の境だと思うのですが、標識などはありません。標高230m。

[ 県道319号 ]

 峠から少し下ると県道に合流します。標高213m。
 県道は北側から240mの峠を越えて回り込んでます。最高点は少し高いですが、取りつきが高く行程が長い分で勾配は緩そうです。次の機会があればこちらの道を通ってみるつもりです。

[ 上佐曽利 ]

 県道を少し進むと上佐曽利。ここにはダリア園があります。今年はダリアはまだたくさん綺麗に咲いていました。県道319号はここから左に折れます。直進は323号です。標高210m。
 ここからしばらくの行程は、昨年の逆コースになります。

[ 三田市へ ]

 県道323号はそのまま峠を登り越えます。この峠は東側の方がきつい感じです。無理せずに一部は押して登りました。峠を越えた少し先から三田市になります。標高234m。

[ 波豆川 ]

 峠を下りきると波豆川。標高213m。
 さすがにコスモス畑のコスモスはほとんど咲き終わっていました。その少し横の方の農地の縁に植わっているコスモスはまだ綺麗だったので、そちらまでちょっと登って来ました。写真はここから東向きに撮っています。写真正面の道はさきほど下って来た県道323号です。県道323号はこの先西へ標高280mの大坂峠を越えます。
 私はここから波豆川の谷間を下ります。ここも昨年の逆コースです。

[ 宝塚市大原野 ]

 谷間を下る途中で宝塚市に入っています。谷間の道は県道68号"北摂里山街道"に出会いました。自動車ならばこの道を行くのでしょうが、交通量が多く喧噪なので避けて小さな山塊を南に越える道を辿ることにしました。このまま進んで県道33号に入ります。この道も昨年の逆コースです。

[ 川下川へ ]

 県道33号を南下してきました。緩く登って鞍部(標高229m。)を越えると西側に細い川筋が見えてきました。今日はこの川下川の谷を下ります。標高222m。
 波豆川は道場駅の近くで武庫川に注ぎますが、途中に神戸市の水源の千刈貯水池のダム湖があり、その湖周を通る道が無いのです。そこで隣の谷を下る訳です。

[ 川下川に沿って ]

 道は微妙にアップダウンしながら川に沿って狭い谷間をうねうね続きます。

[ 川下川ダム ]

 川下川ダムは宝塚市の水源ダムです。標高175m。
 堤高45mですから、道はこの分の急な下りになります。

[ 新名神 ]

 道は新名神の高架の下を潜りました。高速道はずいぶん高い所を通っています。

[ 明かり区間 ]

 川下川が武庫川に合流する所のすぐ近く。武田尾から道場の区間、JR線は武庫川の谷の屈曲する山腹にトンネルを掘って抜けています。川下川の谷間の部分は短い明かり区間となっています。

[ 不通の県道 ]

 ダムからの道は第一道場トンネルの坑口の上を乗り越えて武庫川の近くに出ます。すぐ下に川に沿った道が見えますが、これは県道327号"切畑武田道場線"。この道が通れれば、武田尾は近いのですが、一部が川岸ごと流失して完全に不通になったまま放置されています。

[ 通行止め ]

 ダムからの道が県道に合流する所で振り返って撮っています。簡単な通行止めです。
 県道は川下川の所で無くなっているのですが、こちら側の部分はダムの堤下への作業道への入り口として使われているようです。標高128m。

[ 県道327号 ]

 この県道は昨年武田尾駅から走った道の片割れです。あちら側と違ってあまり手入れされていません。

[ 武庫川の谷 ]

 三田の盆地から宝塚までの山地の間を抜ける谷間は武庫川が削ったもの。けっこうぐねぐねと屈曲しています。県道はこの川に沿ってぐるっと周る形になっています。勾配はないけれど、なんか無駄に走らされている感じがします。

[ JR線の高架 ]

 県道は川の屈曲部をZ字に周り、その先で高架に出会います。トンネルを抜けて来たJRの線路です。駅はもう少し先。

[ 道場駅 ]

 道場駅は無人駅ですが大阪の近郊区間で電車の本数は多いです。輪行で電車に乗れば帰路は楽です。今回は宝塚で阪急に乗り換えて帰りました。標高140m。

 途中で景色や花を見てのんびりしましたし、後半部分でかなり向かい風になったこともあり、日生中央から道場まで総計で4時間半ほどの行程になりました。
 急坂は無理せずに押すならば、それほどハードなコースではありませんが、途中のエスケープができないのが難点でしょう。 


mars2015 at 16:21コメント(0)

2022年09月10日

2022/09/10 JR米原駅→天野川→近江長岡駅→東海道線旧線跡→柏原→今須→今須川→藤古川→養老鉄道美濃高田駅

 今年もお出かけしにくい状態が続いています。コロナ蔓延の事もありますが、お天気の具合が全く良くない。やっと酷暑が残暑に変わったけれど、その隙狙うように台風が摺り寄って来てます。そのため当日になるまで天気が読めないという事が多い。自転車でお出かけとなると準備が要るのでこれはたいへん困ります。

 好天待ちで一枚残していた鉄旅切符。期限ぎりぎりでやっと使えました。機会ある毎にちょこちょこ調べて溜めたプチお出かけプランからひつ選びました。
 日本の巨大土木工事の話で時々出てくるのが『日本横断運河』。琵琶湖を経て伊勢湾と若狭を結ぶ。若狭側は平安時代以来深坂峠を開削する構想が何度も出たらしいですが、南側はどこを通るつもりなのか探しても良くわかりません。地図で見ていちばん低いのは天野川から今須川を繋ぐルート。天野川は昔は舟運にも利用されたらしいです。対して今須川の利用は不明ですが、その先揖斐川を経て桑名へ抜けるのは難しく無さそう。
 実際の今須川は狭い谷間を屈曲して流れる川で高低差が大きく舟運は難しそうです。この狭い谷間は交通には不向きなので、街道は関ヶ原から今須峠を越えていたのでしょう。

 とは言っても、川に沿って谷間を抜ける道筋は(交通が多くなければ)自転車には面白そう。という事で、関ヶ原を通らずに近江から美濃へ走る事を考えました。
 今回は川筋の谷間を走るのが主題。全コース谷間を通るはっきりした道はありますが、広くて判りやすそうな道は自動車が多いかもしれない。喧噪よりは閑静。旧道や集落道は大歓迎。ランドナーだから多少の藪道は問題無し。沿いに走る定番は土手道だけど、地図ではちゃんと続いているのか判然としません。行きつ戻りつ探りながら走るのも趣向かもしれませんが、今回は軟弱にはっきりした所だけ繋いで走ることにしました。

※今回のコースは以前に関ヶ原から木之本に走ったコースの近くを通ります。また一部は中山道を走ったコースと重なります。


[ 米原駅 ]

 朝だいぶ早く出発して人流増える前に京都駅を通過、8時過ぎに米原着。今回は先への乗り継ぎは無いので往路便は自由が利きます。最近はスマホ等で検索して乗り継ぐ人が多いので、乗り継ぎの便利な便は混雑しますが、接続の悪い便は比較的空いている事が多いです。
 米原は東海道線から北陸線が分岐する駅で新幹線もあります。このため構内が広いです。交通量の多そうな道は避けて、川へ出やすそうな道筋を考えて西口から走る事にしました。標高87m。

[ 天野川を渡る ]

 市街地を抜けて県道234号を北に進んで来ました。国道のバイパスを潜った先で川に出会います。これが今日の前半のお供の"天野川"。ここで橋を渡って右岸に出ます。この先は土手道を中心に走る予定です。

[ 天野川の土手道 ]

 県道から川沿いに曲がって、国道バイパスとJR北陸線を潜って、川の土手道に上がりました。このあたり、谷間は開けていて、川はゆったり流れています。標高93m。

[ 農地の道 ]

 川に沿うように東に進んで来ました。土手上の道は途切れて、その下の農地の縁の道に降りました。傾斜は緩いですが、谷間はだいぶ狭まって来ました。

[ 川を渡る ]

 川沿いに土手の細道を走る場合の問題点は、道が所々途切れる事。土手の昇降で何とかなる事もありますが、川の屈曲にともなって行き止まりになってる事もあります。怪しそうな場合は橋を渡って対岸に逃れるのが早道。標高111m。

[ 狭隘部 ]

 川を渡ってすぐ、先にJRの踏切が見えています。ここは醒ヶ井の手前で谷が狭くなった所。このすぐ先に国道21号が通っていて、その上の山裾を名神高速が通っています。
 川沿いの道はこの先の状況が不明なので、この踏切を渡り、国道の手前の(旧道らしい)集落道を東に進みますが、少し先で国道に合流します。

[ 醒ヶ井東 ]

 醒ヶ井は中山道の宿場。旧街道に沿って町並みが残っています。ここは以前に中山道を辿った時に通っているので、今回はそのまま国道を走って来ました。国道21号(つまり中山道)はこの先で支流に沿って緩く右に曲がって鞍部(標高152m)越えて柏原に向かいます。
 今回は天野川を辿るのが目的。ここで左に折れてJR線を潜って川岸に出ます。この先の短区間は左岸は通れないので、一度右岸に渡り越してから戻る必要があります。(川岸に拘らなければ判りやすい道があります。)

[ 天の川に沿って ]

 川沿いに進むと県道248号に出会います。この道はこここからしばらく天野川に沿って北上します。このすぐ右の線路はJR東海道線です。東海道線はこの先少しの区間は中山道を離れて川筋の谷間を通っています。標高129m。

[ 県道248号 ]

 川沿いの道は少し勾配を増して登り続けています。谷の先に伊吹山が見えて来ました。川の流れはすこし細くなりました。ここまでの行程は(地道の土手道などを除いて)アウターの3段ぐらいで走って来れてます。土手道探したりで少しロスしてますが、ここまで1時間半ほど。

[ 伊吹山の裾 ]

 山塊の間を抜けて少し広い盆地のような所に出てきました。正面は伊吹山。山裾の斜面が扇状地のように広がっています。天の川の流れの多くは伊吹山から来ているようです。

[ 近江長岡駅 ]

 山裾をほとんど回りきった所にあるのが近江長岡駅。最初の(1883年)東海道本線は最初は関ヶ原から伊吹山の裾を登って長浜に至る道筋でした。それが1889年に米原へ向かうように変更されました。その時にできた駅です。そして、1899年に関ヶ原からのルートが柏原経由になりましたが、ここで接続する形になりこの駅は残りました。その後、1952年から1999年まで大阪セメントの専用線がここに繋がっていました。
標高136m。

[ 旧線跡 ]

 駅前から路線番号が県道244号になりました。この道は東海道線が関ヶ原から伊吹山の裾を回っていた頃の線路跡。この先、国道365号に合流し関ヶ原に至る区間が旧線跡。

[ 山裾巻くカーブ ]

 東海道線が1889年に柏原経由に変更された際、中山道沿いではなく近江長岡まで北上して旧線に接続するルートが採られました。そのためこの山塊の裾を巻く急カーブができてしまいました。当時の機関車事情から狭い谷間の登り勾配を避けたのでしょうが、現代の電車にとっては速度制限区間になってしまいました。標高140m。

[ 伊吹山への道 ]
 JR線は右にカーブしましたが、川はもう少し北上し、それから右に曲がります。正面に見えるのは新幹線の高架。この道は東海道線の列車が通り、その後はセメント列車が通った線路跡。

[ せんろみち ]

 県道は新幹線の高架の少し手前で川を渡ります。そのもう少し手前、案内のプレートがありました。大阪セメントの専用線はここから緩く左に曲がり、伊吹山の裾にあったセメント工場に続いていました。

[ 専用線跡 ]

 遊歩道か自転車道のように見えますが、下は丈夫そうな鉄の桁。重いセメント列車が通った鉄橋でしょうか。渡っているのは天野川。
 専用線の跡は工場跡付近までらしいです。近江長岡駅から近いのであらためて走りに来ようと思います。

[ 天野川の流れ ]

 ここから川は東にに向きを変えます。明確な自動車道はだいぶ北側を回っているので、川沿いに辿ろうとすると土手道を選ぶしかありません。
 現在の川は治水の堰が多数設けられて階段状です。昔はどんな流れだったのでしょうか。

[ 山塊に沿って ]

 このあたりは伊吹山からの堆積物が山塊の間を埋めた盆地状の土地です。傾斜はたいへん緩いです。

[ 自転車道? ]

 川に沿うように道を探しながら進んでいます。土手道は農道か畦か判らない細道となりながら続いてます。多少荒れていますが一応舗装されています。どうやら、一時期は自転車道として整備され(かけ)たのでしょうか。案内の標識など無いので、どこをどう進むとどこへ行くのか判りません。

[ 怪しい橋 ]

 土手道は落ち葉ぐらいの所もありますが、大半草が覆っている所もあります。そして支流の流れを渡る橋はこんな状態。自転車も車両だけど、降りて押して通るならOKかな? 床板は傷んでいますが、桁はまだ大丈夫そうでした。

[ 南へ ]

 川は分岐しながら山塊を回るように南に向きを変え、さらに2つに分岐します。それらは柏原宿東西の端を通ってさらに南の山に向かいます。どちらを進むのが良いのか迷いますが、今回は流れの大きそうな方という事で西側の流れに沿って進みます。東海道線もこちらのルートです。カーブがきつくなりますが、柏原の街近くを通そうとしたのでしようか。標高155m。

[ 小山の間を縫って ]

 盆地の出口近く。川は小山の間の狭い所を通ります。ごあたり、土手道が途切れるようなので、線路潜って集落側に出ます。線路はこの先で急なカーブになっています。標高161m。

[ 小川に ]

 川は分岐するたびに細くなり、すっかり田舎の小川になりました。

[ 柏原宿 ]

 中山道(旧街道)に出ました。観光用でしょうか、茶色のカラー舗装です。ここは柏原宿の西の端。このあたりも盆地の続きのような感じでほぼ平坦です。現国道はこの街並みの南側を通っています。標高170m。

[ 中山道 ]

 柏原宿を抜けたら少し登り坂になり、そのまま進んで来るとここに出ました。このあたりしばらく前に逆向きに走った所。
 中山道の旧街道はここで線路の北側に移り、少し登って山裾を通ります。線路はこの先しばらくの区間切り通しになっています。

[ 峠 ]

 柏原からの道が少し登った所、この神社のあるあたりが峠のようです。鞍部越えの分水界で、西は琵琶湖経て大阪湾へ、東は揖斐川通って伊勢湾へ。標高184m。

[ 下って ]

 そのまま旧街道を下って来ました。ここで旧街道は一旦線路の南に渡ります。このすぐ先を現国道が通っています。標高170m。

[ 今須へ ]

 現国道を渡ってもう少し下ると今須の宿場。ここから中山道は低い峠(165m)を西に越えて不破関(125m)まで下ります。東海道線もほぼこのルートです。

[ 今須川 ]

 今須の街の少し南側を流れている川が今須川。南側の山地から流れ出てここで東に向かいます。ここから川沿いに進みます。標高152m。

[ 集落道 ]

 今須川に沿って谷間を下っています。谷間には県道229号が通っています。地図で見ると、一部にこれと平行する道があります。集落道あるいは旧道でしょう。喧噪は嫌いなので、なるべくこれらに逸れて走ります。

[ 谷の川 ]

 今須川の谷はかなり険しい地形です。山地の高低差もあり、ここをうねうねと曲がりながら川が流れています。旧道はこの川に沿って集落を通って曲がりながら続いています。県道は集落の外側を通り屈曲をショートカットしています。

[ 新道と旧道の関係 ]

 川沿いに屈曲している細道はやはり旧道のようです。分岐がありがちな形に整形されています。長さのある旧道の方でもけっこう勾配です。下りだから気持ちよく走れますが、登りだとかなりきつい感じです。

[ 急流 ]

 谷の屈曲がきつくなって来ました。道は川沿いから山腹の少し高い位置に移って来ています。昔の人にとっては交通容易ではない場所です。

[ 深い谷 ]

 このあたり、道は山腹を緩く下って、標高約105m。谷が深く下の川がだいぶ遠くなっています。高低差は20mほどありそうです。
 道はこの先、谷が開けるあたりで平地に向かってぐっと下って行きます。川はもう少しうねって平地に出ます。

[ 藤古川の谷 ]

 今須川の谷が開けた所は藤古川の谷間。ここで藤古川に入ります。藤古川は伊吹山の東側から不破関近くを流れて来た川です。ここからしばらく藤古川の土手を走ります。標高59m。

[ 藤古川 ]

 合流点の少し下に堰があります。水量がかなり変動するのでしょう。河原が広いです。

[ 土手の桜の道 ]

 農地に沿って川の土手の道を走っています。土手は桜並木が続いています。花の時期は綺麗そうですが、ちょっと簡単には来れそうにないのが残念。

[ 最近の農地には ]

 農地沿いの土手道が途切れ、農地の中の道へ出なければならなくなりました。最近の農地にはありがちなのですが、ここに獣対策の柵がありました。幸い施錠はされていなくて、手で鎖を外して開けられるようになっていました。通った後でちゃんと閉鎖しておきます。標高41m。
 この少し手前で藤古川は養老山地から来た牧田川に合流しています。だいぶ大きな川になっています。

[ 牧田川 ]

 牧田側はかなり幅の広い川で、大きな橋がいくつか架かっています。終着地は川の右岸なので、どこかで渡る必要があります。川の土手の両側に県道が通っていて、どちらもけっこう交通量があるようです。先の道筋から右岸の県道56号を下る事にしました。やはり大型車の通って喧噪でしたが、数Kmの区間を注意して走って、県道が右に分離したら土手道は静かになりまた。あたりの風景はすっかり広い平野の中。標高18m。
 
[ 美濃高田駅 ]

 米原から3時間あまりの走行。予定より1本早い電車に余裕持って到着。ここから輪行で、大垣でJRに乗り換えて帰路です。帰路の電車は自転車で走った道の横を通ります。

 大垣からのJRは毎時2本の頻度ですが、養老鉄道は地方私鉄で、日中はだいたい2時間に3本ぐらいの間隔。帰路が輪行になる場合、駅着の時刻の調整に悩むのですが、この養老鉄道は特別なのです。ここ日中時間帯は車内に自転車をそのまま持ち込めるのです。(実際当日お買い物自転車そのまま乗せてる人が複数いました。)
 余裕のある時間に高田駅に到着できれば自転車を分解して袋詰め。余裕が無ければそのまま乗車して大垣駅で袋詰め。車内で分解して袋詰めという手もあり得ますが、美濃高田からの乗車時間は約15分ですから微妙に厳しそうです。


mars2015 at 12:15コメント(0)

2020年11月10日

2020/11/10 豊能・光風台→ダム湖岸道→府道106→ひいらぎ峠→国道477→府道731→亀岡

新型肺炎で困った状況が続いています。その関係で鉄道利用しての遠出には気を遣います。自転車でのたのた走るあたりは人混みとは無縁なのですが、問題は現地までの交通。混雑時間帯の乗車は避けるのは当然、駅での乗り換えも配慮しなければなりません。そうなると、どこなら、いつなら行けるのだろうか。

 走って面白そうな場所はいくつか考えているのですが、アクセスを考えると安心して行けそうな場所は限られて来ます。雑事の合間で天候の良い日を考えているうちに10月が過ぎて11月になってしまいました。だんだん日の出が遅くなり気温が下がって来ます。そこで、地図を見ていて気になった道を走ることにしました。

 北摂の池田・能勢・豊能・猪名川・川西のエリアは学生時代にはよく走りました。とは言っても、だいたいは決まったコースを中心に周回するような走り方。あらためて地図を見直すと、全然走った事の無い道や通ったことの無いエリアに気付きました。そしてこれらを繋ぐと1本のコースができました。となると、さの先はどこへ? あれこれ考えて、亀岡側へ抜けることにしました。
 そうなると、帰路は輪行で、混雑する京都駅での乗り換え。比較的人の少ない時間帯に京都駅を抜けられるように、スタートは朝なるべく早くにします。そのため、往路もほど良い所まで輪行することにしました。

 注意:このコースでは、前半はコンビニなどの店がありません。念のため電車乗車前に食料を調達しておくべきです。


スタート地点は、今までに利用した事の無い駅という事で、能勢電鉄の光風台駅。阪急の服部駅から輪行です。通勤とは逆向きです。通学の流れより少し早い時刻を狙って川西で乗り換え。
この駅は狭い谷間の底にあります。駅を出て、すぐ横にエスカレーターがあるので、これに乗って上の道まで上がってから自転車を組み立て。


谷底にあるのに駅名に『台』と付いているのは、谷の両側の丘陵地がニュータウンになっているため。
ここから西側にある一倉ダム湖岸へは新光風台の住宅地を抜けて行きます。この道は急坂を上って下る道。
実はこのあたりが、今日のコース中で最も急な坂道。自転車はインナーでのたのた登ります。


坂道を登って住宅地の西側へ出ました。眼下にダム湖が見えます。これだけ高低差があります。
この少し先が最高点。下り道も急坂です。地域交通の自家用車などが通ります。カーブもきついのでゆっくり下ります。


湖岸まで降りてきました。この道は府道604号。以前に走ったことのある道です。ダム湖の湖岸迂回道らしく、微妙に屈曲とアップダウンがあります。そこそこ車も通ります。


このダム湖はY字型をしています。こちらは右の斜線部の外側。両斜線の内側のV字の部分にも道があります。今回は喧噪を避けるよう、橋を渡って対岸の細道へ向かいます。


こちらの道は対岸の府道と違ってずいぶんのどかな雰囲気です。
ダム湖の中の突出部には公園があります。この道はそこへのアクセス路でもあります。


湛水域の端あたり、谷間がかなり狭まって来たところで、能勢町に入りました。
もう山は紅葉の時期で、道にはかなり落ち葉があります。それに半ば隠れて小石も散らばっています。ランドナーでゆっくり走るには気持ち良い道ですが、ロードバイクでガシガシ走るのは辛いでしょう。


湖岸の細道が終わって、橋を渡って対岸の府道と合流します。この道はすでに府道106号。府道604号はこの少し手前で東に折れて野間へ向かっています。この106号は、私にとっては初めて走る道です。
写真は振り返って南向いて撮ってます。左が府道106号。右が湖岸の細道です。


少し進むと谷間が開けてのどかな田園風景になりました。
今日は午後から曇る予報ですが、今のところは秋らしい青空。風は冷たいですが、陽差しは暖かく感じます。


田尻で府道4号と交差します。学生時代はこの4号を通ってここを横に抜けるのが定番のコースでした。
野間から猪の子峠を越えて右から来て、左へ進み名月峠を越えて国道に抜ける。今回はこの先をまっすぐ北へ走ります。


ここまで予定より少し早く来ています。
交差点の西側すぐの所に地元農産物の直売所がありました。これから峠越えでもあるので、重い物は避けて、葉野菜などを少し買いました。


交差する道は府道732号。国道477と国道173を結ぶ道。
この府道106号は、地域交通のほか、抜け道的にも使われているらしいです。交通量自体は多くないですが、時折トラックなども通ります。それでもほぼ直線で見通しの良い道なので、緩い気持ちで走れます。


だんだん山が近づいて来ます。ここまで、全体的には緩い登り坂。ずっとアウターの3段で楽々登って来てます。ファミリーサイクリングにも良さそうな雰囲気です。


大きな交差点があらわれました。このまま直進すると国道477号に合流し、まっすぐ峠に向かいます。
交差点の僅か手前にある細道は緩くカーブしながら集落を抜けて峠に続きます。今日はこちらを進みます。
国道は右から来て、ここでぐっと曲がってます。道筋として、綺麗に整形されていますが、この曲がり方はちょっと不自然。細道に対して新道/旧道の関係なのかもしれません。


細道は古くからの農村らしい雰囲気の集落を抜けてゆるゆると続いています。すぐ横に喧噪な国道があるとは思えない雰囲気です。
もう少しで峠。平地よりちょっと秋が早い感じです。ここでまたちょっと休憩。
写真は振り返って撮ってます。


細道は峠の僅か手前で国道に出会います。峠の手前で少し坂がきつくなった程度で、ずっとアウターで登って来ました。
この「ひいらぎ峠」は大阪府と京都府の境です。この先は一転して急勾配の下り坂です。


峠の少し下に枝道が描かれている地図もありますが、分岐点は柵で閉じられています。通行できれば面白そうなルートなのですが、仕方無いです。


でも、ただ国道を下るのは残念。左側の谷間に降りることにします。


本梅川の谷間へ降りました。ここを通るのは府道731号。このまま進むと亀岡です。
逆に西へ向かうと、つづら折れの峠越えで府道54号。川沿いに下ると、一倉ダム湖の左の斜線を通る。このコースも面白そうです。気候の良い時期に走ってみたいです。


府道731号は国道477号と交差します。
ここを左折して川沿いに進んでJR川並駅または千代川駅へ向かうコースも考えました。
今日は電車の本数も考慮に入れて、亀岡方向へ直進。道は山裾を緩く越して国道372へ合流します。
この道は以前に走っています。


国道372号との合流点が近づきました。この国道は広くて綺麗ですが、大型車も通って楽しくない道。
予定よりだいぶ早く来ています。お天気はだいぶ雲が増えて来ましたが、崩れる感じでは無い。体調も問題無し。そこで少し寄り道。右の細い道に逸れます。


この道沿いにあるのは「湯の花温泉」。
昼過ぎぐらいの時刻で交通は少ないです。坂はちょっときついですが、(北側からは)インナーに落とさずに登れました。


ふたたび国道372号と出会いました。普通なら、ここを右折なのですが、交差点の先へ進みます。
国道の北側に、ほぼ平行して集落を抜ける道があります。急ぐ行程では無いので、喧噪を避けてこちらを進むことにします。


交差点の先を右折したら、普通の住宅地の道。ところどころ細くなったり微妙にうねったりしていますが、おおむねまっすぐ続いています。案外古い道筋なのかもしれません。


そのままのたのた進むと、広い道に出会いました。これは国道9号。ここまで来れば亀岡駅はすぐ近く。
このあたりは、お花探訪や街並観光も含めて何度も来ているエリア。
まっすぐ進んでも良いけれど、まだお昼を少し過ぎたぐらいの時刻。寄り道することにしました。


ここは「ガレリア亀岡」。道の駅でもあり、農作物や特産品の販売コーナーがあります。
あとは駅まで行って自転車袋詰めして電車に乗るだけ。
フロントバッグの容量に限りがあるので、大物は買えないけれど、多少の重さは問題無し。季節最後らしい枝豆などお土産に。

 この後、亀岡駅から電車。京都駅の狭い乗り換え通路も、それほど『密』ではなく済みました。空いている各停の電車で吹田駅までゆっくり帰って、そこから走って寒くなる前に帰宅。
 走るという意味ではちょっと物足りないぐらいですが、紅葉しかけた山間の田園を見ながらのんびりしたという事では、たいへん楽しい一日でした。


mars2015 at 21:00コメント(0)

2020年07月30日

2020年7月30日 糸田川・神崎川→安威川→正雀川→山田川→大正川→茨木川→勝尾寺川

 諸事情でここ数年「自転車でお出かけ」できないでいました。
 それも少しづつ解消して、今年の春から徐々に復活と考えて、あちこちコースを考えていたのですが、世界的な事情が生じてそれどころではなくなりました。

 長閑な田園を自転車で走る事自体は比較的問題無いと思うのですが、そこまでの行程が問題です。
 通行人や自動車の多い市街地を長距離走るのは危険でもあり、苦痛でもあります。そこで輪行となるのですが、そうなると、よほど時間帯と行き先を選はない限り、多数の人との接触が避けられません。時間的に輪行で行ける行き先が限られてしまいます。今年は夏の鉄旅も自粛するつもりでいます。

 とは言っても、まったく引きこもっているのも悔しいので、比較的近いエリアで走り残しているエリアを探してお出かけすることにしました。例年より長く続いた梅雨がやっと開けそうな時期、ぎりぎり7月のうちのお出かけです。

 しばらくぶりの『お出かけ自転車』なので、自転車の調子の確認と人間の脚慣らしの意味で、輪行無しのコースを考えました。自宅から川筋を辿って半円状に走るコースで、鉄道駅が近くにあり、何かあればエスケープが可能です。


 自宅から江坂の街を抜けて糸田川に沿って神崎川まで来ました。神崎川の左岸は以前に走っていますが、今回は右岸を遡上します。以前のRUNはこちら


神崎川の河岸は歩道/自転車道になっています。川には鉄道橋や道路橋が多く架かっていて、土手道はこれらと交錯して面倒なので、河岸の道を走ります。


阪急千里線の鉄橋の下をくぐります。この橋は最近架け替えられた物です。古い鉄橋の橋脚のうち、河川敷ににある物は残されてますが、川の中にあった歴史的な橋脚は撤去されています。


安威川と神崎川の合流点です。神崎川は淀川から別れて来て、猪名川に流れ込みます。安威川は茨木の山から流れて来ていて、流量的にはこちらの方が多いのではないでしょうか。安威川については、以前のRUNを。


阪急京都線と交差します。この近くの阪急の駅名は"相川(あいかわ)"です。川の名は安威川(あいがわ)です。


岸部駅の南あちりまで来ましたが、ここで河川敷が通行止めになっていました。仕方ないので土手の上に上がります。


正雀川が合流して来ます。千里丘陵は箕面の山塊から南に張り出した丘陵状の土地で、放射状に小さな川が流れ出ています。これらは最終的にはすべて神崎川に流入します。局地的な豪雨などあれば、短時間に水位が上がります。


続いて山田川が合流して来ます。ここを渡る橋は少し川上にあります。ここの迂回は僅かですが、川岸を辿る場合、道の続き具合が気になります。このあたりは河川敷の歩道も途切れています。


鳥飼の近くまで来ました。近畿道と中央環状とモノレールの橋の下をくぐります。


すぐ先で今度は大正川が合流して来ます。この川は千里丘陵の東側から摂津市内を流れて来た川でけっこう大きいです。写真の橋を渡ります。(大正川の様子はこちら)


この付近、河川敷が通行できなくなっています。そこで土手道を行くのですが、草が茂って『シングルトラック』になっています。


河川敷の通行止めは梅雨時の増水で荒れた後の復旧作業のためのようです。川縁の手すりに草がひっかかっていて、路面には泥が溜まっています。淀川と猪名川の水位が上がると神崎川の水位も上がります。その状態で山地に雨が降ると、この付近の川が増水します。まあ、河川敷は増水時の遊水池的な役割を持っているので、こうなるのは本来の姿なのですが。


土手道が舗装道路になりました。左岸はちゃんとした道なのですが、こちら岸は細道です。地元らしい車は時々通りますが、おおむね静かな道です。北摂の山塊に向かって、川の流れは東からゆっくり北に向きを変えます。まだこのあたりは川が作った堆積地で、傾斜は緩いです。のたのた走ります。


阪急京都線と交差します。土手道はこの先は途切れています。普通なら、歩行者や自転車は河川敷へ降りるのですが、このあたりの河川敷は整備のため通れません。仕方ないので、少し戻って土手下の道を通って迂回します。


続いて、JR線と交差します。幸い、この付近の河川敷は通行できるので、下へ降りて進みます。


すぐ先が茨木川の合流点です。右が安威川で左が茨木川。ここは昭和初期に付け替えられた流れで、昔は茨木市街地を流れていたようです。
安威川に沿って進むと山地に入り込んで、その先は亀岡です。これは以前に通ったコース。今回は左の茨木川に沿って進みます。


川はすぐに国道171号と交差します。国道171号は昔の西国街道。このあたりも、以前に走りました


茨木川はここで2つに分かれます。右は佐保川で、府道110号が通る谷を登ります。今回は左の勝尾寺川に沿って進みます。府道110号のURNはこちら


川は箕面の山塊と千里丘陵の間の鞍部に向かって東から南東に向きを変えます。そして国道171号と交錯します。このあたり、昔の西国街道は川に沿って通っていました。写真で国道の橋の手前の川沿いの細い道が昔の街道です。


山の間の傾斜を探るように、川筋は細かく曲がります。ところどころで土手道は途切れます。仕方ないので、対岸に渡り、先へ進みます。


この道は旧西国街道。歴史的な道として整備したのでしょうか、このあたりは土色のカラー舗装になっています。街道は少し手前で川を渡っていました。そして、この少し先で再び右岸に渡ります。


川はこの少し手前で2つに分かれています。左は西に続く鞍部から来る支流で、本流は箕面の山塊に向かって北に向きます。そして、ふたたび国道171号と交差します。


地図では川の右岸には道が描かれていませんが、こちら側は自動車通行止めの道になっていました。自転車で進むにはかえって好都合です。この細道はしばらく先まで続きます。


茨木市から箕面市に入りました。ここで『彩都』へのアクセス道路府道1号とモノレールの高価をくぐります。このあたりから、北西の山に向かって登り傾斜が増して来ます。


丘陵地で開発が進んでいるエリアです。山を切り開いた住宅地と谷間に残る農地が混在しています。道を探りながら川沿いに進むのがだんだん厳しくなってきました。


粟生間谷のあたりまで来ました。川が刻む谷が狭く深くなって来て、この先で川沿いの道は消えます。この川が刻む谷に沿って進む道は府道4号で、これを辿ると勝尾寺を経て、箕面の山を越えて豊能に向かいます。


その府道4号。さきほどの橋のすぐ右側です。今回は山登りではなく、川を巡る旅なので、勝尾寺川とのつきあいもここまで。

この先は府道4号から府道9号で粟生外院で鞍部を越え、丘陵の西側へ出ました。そこは千里川の流域。千里川に沿う道は何度も走って慣れた道。途中の野畑から府道43号に逸れると自宅まですぐなのですが、それではちょっと物足りない。そこで川沿いの道のまま、豊中駅の北側を抜けて伊丹空港の際を通り、猪名川との合流点まで走りました。このあたりも「お買い物自転車」でしょっちゅう走っているエリア。


次は片輪行、あるいは近所で時間の厳しくない輪行のコースを考えています。その頃には夏らしい天気になっているはずです。


mars2015 at 21:00コメント(0)

2017年03月26日

2017年03月19日 JR園部駅→京都府道54号→国道372号旧道→天引峠→福住→日置→篠山市街→JR篠山口駅

 3月3日はひなまつり。最近は地域の交流や観光行事として雛祭りイベントをおこなう所があちこちあります。古い街道の街並などの普段とは違う様子が見れるので、この時期は狙ってお出かけしています。現在の暦で3月3日はまだ寒く春の花も乏しく、まだ雪の所もあります。そこで、山沿いや北の方では月遅れで4月3日に雛祭りをする所があります。この頃ならちょっとお出かけもしやすくなります。

 地域振興として雛祭りをする街にもいろいろあります。普通に観光客が訪れるような所もあれば、昔の街道街などでなかなか遠方から訪れる人の多くない所もあります。鉄道駅から遠いなどで、地元の生活が自家用車に依存するようになると、余計に公共交通が貧弱になります。そういった所へ行くのに役立つ手段のひとつが自転車。
 観光対象となる景観地区などのエリアが駅からある程度広いとか駅から離れているというような場合、駅前にレンタサイクルがある所があります。昨年訪れた竹原ではこれを利用して楽に街巡りができました。しかしレンタサイクルは台数に限りがあり、予約ができず利用できない場合もありますから、これに頼った計画はリスクが大きいです。そこで昨年は小型軽量の折り畳みの自転車を導入しました。平坦地であれば駆け足程度の速さで総計十数m程度の行動ができます。大げさに見えなくて多少の荷物も積めます。今年の亀岡の城下町エリアの雛祭り訪問にはこれを活用しました。
 逆に自転車前提で考えると、別の可能性が出て来ます。サイクリング用の自転車であれば、より長い距離を走れますから、駅から遠い所や広く分散した会場を回ることもできますし、周辺地域も併せて見て回ることができます。お出かけ自転車の難点は、嵩張って重いこと、分解組み立てに時間がかかること、土産物などあまり積載できないこと、頻繁に駐停車するのに適していないことです。

 地域の雛祭りイベントの情報を集めている中に「丹波篠山ひなまつり」という催しがありました。観光地でもある篠山市街のほか、市内のいくつかの集落を会場にして、3/18〜3/26の開催。篠山の市街は鉄道駅からは離れていますが、バス交通が容易です。
 当初はバス利用で篠山市街だけ見に行くつもりだったのですが、お出かけ自転車を利用して以前から気になっていた場所を訪ねることにしました。会場のひとつの福住の『田舎の街道集落』は伝統的建造物群保存地区になっていますが、バスでの訪問がたいへん難しい場所です。

 篠山は丹波地域の中核となる城下町ですが、奇妙ないきさつで鉄道に裏切られてきた歴史があります。最初は京都から亀岡・篠山・社を経て姫路に至る「京姫鉄道線」が計画され、これとの絡みもあったらしく「阪鶴鉄道(現福知山線)」は市街地からかなり離れた所を通りました。京姫線が中止されたため、篠山口駅と市街地を結ぶ「篠山(軽便)鉄道」が建設されました。その後は東に伸ばして園部に結ぶ「園篠鉄道」も計画されましたが、これは結局建設されませんでした。しかしこの福知山線と山陰線を結ぶ線は太平洋戦争との絡みで国策として建設されることになり、これと同時に篠山鉄道は廃止されました。「国鉄篠山線」は早い開通を目指したらしく、篠山口から市街地の南を直線的に抜けて福住までで建設されました。目的の京都連絡は果たせず、市街地から遠い路線は利用が振るわずに、結局赤字路線整理の第一陣として昭和47年に廃止されました。

 篠山口駅から篠山市街地までは約5kmの距離。ここから福住までは15kmほど。観光用のママチャリでは厳しい距離ですが、お出かけ自転車なら観光して往復するのにちょうど良いぐらいの距離です。
 昔の「西京街道」はこの先の天引峠を越えて亀岡に向かいますが、天引峠を下った所から北東に行けば園部はあまり遠くないです。峠を越える必要はありますが、距離的には篠山へ戻るよりも園部の方が近いです。そして、このルートは計画倒れになった篠山線延伸ルート。
 という事で、今回は{未着工計画線+古い街道街+2つの廃線跡+雛祭り観光}という盛りだくさんなプランになりました。ルートを調べている中で、天引峠のトンネルの上に国道の旧道がある事が判り、ここも辿ることにしました。

[園部駅]

 新大阪から輪行。京都駅で乗り換えて園部駅まで来ました。ここから走ります。
ひな祭りのイベントの中身が判りませんでしたが、休日の方が賑わっているだろうという考えで、開幕直後の日曜に訪ねることにしました。ひな祭りの観光時間をじゅうぶん取るため、朝のやや早い時間の出発です。

[国道477号]

 駅前から国道9号で園部の市街へ進み、国道477号を西へ。青看板に篠山の地名が出てきました。

[府道54号へ]

 国道477号は亀岡の近くまで南下し、そこから豊能を経て川西へ向かいます。2013年に走ったコースに繋がる道です。
 今日は直進して府道54号に入ります。

[府道54号]

 府道は市街地を抜けると田園地帯を進みます。道が立派な割には交通は多くないですが、休日の午前中だからでしょうか。

[園部川の谷]

 府道54号の行き先に「能勢」が出てきました。この府道は国道447と国道173の間を南下して峠を越します。今日はその前に西へ折れます。

[鉄道が通ったかもしれない]

 府道54号は園部川の谷を緩く登って行きます。カーブも緩く単調な道です。国鉄の線路が当初の計画どおり建設された場合はここを通ったはずですが、蒸気機関車でもあまりきつくない程度の勾配です。自転車もアウターで楽々走れます。鉄道が建設されたなら、天引峠はトンネルになったはずです。園部駅から現国道のトンネルまでの標高差とすると、平均の勾配は15‰程度になります。最急勾配を20‰程度に抑えるなら、このあたりから登りかけなければなりません。

[天引の集落道]

 府道は国道372号と交差しますが、その手前で天引の集落を抜ける道へ折れました。
 山裾に沿って緩くカーブする道に沿って古い集落が続いています。峠道が通る谷の集落らしい雰囲気です。

[国道の分岐]

 集落を抜けてそのまま進み、国道372号に出会うところまで来ました。どうやらここが天引峠を越える国道の新道と旧道の切り替え点のようです。新道はここからトンネルに向かって直線的に登ります。旧道の入り口は間違って侵入しないように狭められていますが、この先しばらくは地元交通に利用されています。
 写真は振り返って東を向いて撮っています。遠方に見える青看板の所が府道54号の分岐です。

[峠の旧道の封鎖点]

 新道に沿って少し進んだ所。新道へのエスケープのすぐ先に緩い封鎖がありました。旧道は林道か作業道として使われているらしく、路面にはタイヤの痕がたくさんあります。
 道はここから少し勾配を増して登って行きます。ひと昔前の国道としてはありがちな程度の勾配です。ギヤをインナーに落としてゆるゆると登って行きます。

[林道っぽい]

 大きく1回折り返して高度を稼いで、そのままカーブしながら山腹を登ります。落ち葉はかなり積もっていますが、枝は少なく路面が隠れるほどではありません。タイヤ跡もはっきりしています。定期的に清掃されているのでしょうか。
 路面は林道っぽいですが、カーブの所は広く道幅が採ってありところどころ中央の白線も残っています。道路標識も残っています。

[県境の峠]

 林間を登ったところに看板がありました。ここから篠山のようです。この手前の路傍には台座に「往来安全」と彫られたお地蔵さんがありました。

[国道の標]

 旧道好きには知られた残置看板です。
 現国道のトンネルは峠の真下を斜交するように通っています。トンネルは標高で50mほど峠を下げたことになります。

[篠山側の下り道]

 峠を過ぎるとやや急な勾配で下ります。やや開けた谷間の道で、路面は比較的綺麗です。旧道区間は落ち葉と路傍の倒木程度で崩落は無し。封鎖のため4輪は通れませんが、2輪なら通り抜け可能。ランドナーには気持ち良い道でした。

[新道への出会い]

 篠山側は新道から分岐する線形に整形されていて、入り口にはオレンジ色のポールが立てられています。
 ここから新道に入って少し進み、西野々で左の集落道へ折れます。

[福住の集落へ]

 ここは京都から播磨や山陰への交通路「西京街道」の集落です。伝統的建造物群保存地区に指定されています。国道から逸れて集落の中の道を走ります。

[一里塚]

 この道は篠山から峠を越えて亀岡へ向かう街道でした。篠山藩が道しるべに置いた物だそうです。篠山城下から3番目の一里塚という事ですから、ここから篠山城の大手門までは約12km。

[福住の家並]

 福住地区では2つの古い建築がひな祭りの会場になっていました。
 イベントの際に街並を訪ねる楽しみのひとつはこういった古い建築を中から見れることです。

[国道173号]

 福住は東西の西京街道と北摂から登ってきた街道が交わる街道街。古い集落を抜けたすぐ先で、国道372と国道173がひとからみします。
 国道372は、この先を西に進んで緩い丘越えします。

[篠山川に沿って]

 国鉄篠山線の線路は丘を避けて川に沿って北側を回っていました。国道の喧噪を避ける意味もあって、こちらを通って日置へ向かいます。
 日置の集落もひなまつりの会場になっています。日置も福住も現国道は直線的に集落の外を通っています。集落内の道は拡幅されて昔の街道の道幅ではありません。

[国鉄篠山線跡?]

 日置から篠山市街へはいくつかのルートが取れます。日置を抜けた旧街道らしい道は国道372号と交差して、その先は県道77号になります。
 今回は一旦昔の街道から離れて農地の中を直線的に抜けている細い道を選びました。道筋の続き具合から見て、おそらくこれが国鉄篠山線の廃線跡でしょう。この道は県道77号と交差した先は県道306号となり、篠山口へ向かいます。

[京口橋]

 県道77号に折れて篠山市街へ向かいます。篠山川を渡る橋の名は「京口橋」。篠山の城下を出て京へ向かう橋という事でしょう。

[河原町の街並み]

 御城下の南東側。お城観光の人波からはちょっと外れた一角です。街道沿いの商家の並ぶ街並が綺麗に残っています。
 篠山市街でのひなまつりは、ここ河原町のあたりと、お城の西側の西町の2カ所の保存地区が中心で、二階町あたりのお店にもひな人形が飾られていました。観光案内所にレンタサイクルがあるようですが、徒歩で回ると、この付近だけでもけっこう広さがあります。

[城下町を出て]

 西町を出て、篠山口駅へ向かいます。県道36号はひと山越えて西脇へ向かいます。ここで左に分岐して県道299号へ進みます。この道筋が昔の「篠山鉄道」のルートに近いらしいです。

[篠山口へ]

 舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インターの近くまで来ました。今ではこのあたりが交通の要衝。この先、亀岡43kmの表示は県道306号から国道372号と辿るルート。篠山口の駅もあと少し。

 篠山口で自転車を袋詰め。ここから大阪方向は快速電車が毎時ほぼ2本あります。電車の時間を気にしなくても良いのは気分的に楽です。快速電車は大阪駅終着です。今回は楽をする事を考え、伊丹駅で後続の高槻行き各停に乗り換えました。大阪駅の乗り換えは混雑して階段通りますが、川西池田または伊丹駅なら同一ホームです。各停なので吹田駅(自宅には新大阪より少し近い)まで乗車しました。
 ひな人形と古い家屋や街並を見てゆっくりしましたが、園部から篠山口まで走るだけなら3時間ほどでしょう。


mars2015 at 20:21コメント(0)

2016年10月29日

2016年10月22日 浜大津→琵琶湖疏水→小関峠→山科→蹴上→インクライン→南禅寺

 以前に琵琶湖と淀川の流れに沿って走りました。栃の木峠を発した流れは湖東へ下り琵琶湖に注ぎます。近江と若狭を隔てる野坂山地の谷筋も走りました。先々月先月のコース一帯も琵琶湖に流入する川の流域です。
 たくさんの川の水を集めた琵琶湖ですが、その出口は少ないです。自然の出口は宇治へ至る瀬田川だけですが、山地をトンネルで抜けて京都市内へ水を引く人口的な出口が作られています。これが琵琶湖疎水(京都疎水)。疎水は第一と第二の2つの水路が造られていて、このうち古い第一疏水は1885年(明治18年)着工、1890年(明治23年)完成。荷物を運ぶ舟の通行も考慮して作られていて、途中のかなりの部分が地表を通っています。

 琵琶湖と鴨川の水位の差が約45mあり、ここをそのまま繋ぐと流れが速くなって舟運には不都合です。この差を解消するため、京都側の『蹴上』にインクラインが作られました。この落差を利用して発電所が設けられ、その電力はインクラインで使われたほか、日本初の電車の運転にも使われました。
 京都市内の観光地に近いこともあって、インクラインは学校の遠足などでも訪れる観光地として知名度が高いですが、疎水自体はあまり知られていないように思います。

 琵琶湖がらみで残った大物!疎水の流れを追って自転車で走ることを計画しました。なるべく水路に近い道を辿って、三井寺近くの取水口から京都の東の蹴上へ。山科あたりの山腹に沿って流れるあたりは公園や遊歩道が整備されています。距離は短いですが、スピード出して走れる道ではありません。止まってあちこち見ながらだと、休憩いれて3〜4時間ぐらいでしょう。
 紅葉の時期には早いですが、のったりゆったり秋の散策サイクリングにすることにしました。今回も知人のIさんと一緒です。

[疏水の取水堰]

 新大阪から輪行で湖西線の大津京駅へ。ここから住宅地の中の古道らしい道筋を走って少し。京阪電車の三井寺駅の近くです。ここから疏水のたびが始まります。

[山へ向かって流れます]

 普通の川とは逆で、水は山へ向かって流れています。

[閘門があります]

 この先で水路は長い隧道に入ります。
 水路の水位と流れを調節するように、閘門が設けられています。この横に迂回水路があります。

[隧道の東口]

 湖畔からここまで、水路に沿って道が付けられています。
 水路はここからトンネルで湖西の山の下を抜けて山科へ向かいます。街道(国道)は南側の低い所へ廻っていますが、水路の真上近くを通って峠越えする道もあります。道の入り口はこの左側。

[峠のお地蔵さん]

 峠に至るの道は、途中の分岐が判りにくくて少し迷いました。標識が中途半端です。
 この「小関越え」の道は、高低差は小さいですが、けっこう急な坂です。上り詰めた所にお地蔵さんがありました。

[第一トンネルの西口]

 峠を下ると道はR161(西大津バイパス)をくぐり、JR線の近くまで来ます。ここから右に枝道を入った所が西の坑口。曲がり角が判り難いです。標識が欲しいですね。
 第一トンネルは当時日本最長2436m。

[疏水沿いの道]

 第一トンネル西口から先、しばらくの区間は疏水に沿って細道が続いています。曇天ですがほどよい気候の休日で、地図を片手に疏水探訪らしい人影があります。

[諸羽トンネル東口]

 元々は山裾に沿って流れていたのを、湖西線の線路を敷設するために付け替えたもの。昭和45年(1970年)にできた新しいトンネルなので扁額は無し。全長520mで出口が見えています。

[山裾の公園の道]

 この公園の部分は諸羽トンネルに付け替えられた疏水が通っていた跡地。
 地元の散策道として利用されているようです。

[諸羽トンネル西口]

 こちらの口も扁額は無しです。付け替えのよって流路が約260m短縮されたため、この区間は少し勾配がきつくなっているそうです。

[川の上]

 疏水はほぼ一定の勾配です。山科駅の北あたり、山裾に沿って緩く曲がっています。ほぼ等高線に沿うルートで、高い所は掘り下げて、低い所土手になっています。ここで疏水は谷の川と交差します。

[水路橋]

 上の写真の反対側(北側)から。
 谷の川より高いです。疏水は橋になって谷川を跨ぎ越えています。水は混じり合いません。

[山腹を辿る]

 高度を下げないように、山腹をへつるように水路が続いています。
 疏水に沿って散策道が続いています。モミジなどがたくさん植わっていますから、紅葉の時期には綺麗でしょう。

[街を見下ろす]

 山科駅の少し西のあたり。山裾を削り込むように東海道線が通っています。疏水がだいぶ高いと頃を通っていることが判ります。
 鉄道線は盛り土の路盤で少し南に寄りに進んで東山トンネルへ。疏水は山腹に沿って御陵へと、北西に向かいます。

[第二トンネル東口]

 天智天皇陵の北側を抜けて少し先。小山の突出部を避ける124mの短いトンネルがあります。
 疏水沿いの散策道はここで一旦途切れます。住宅地の中を辿って反対側へ廻りますが、この区間の道が判りにくかったです。

[第二トンネル西口]

 ここもレンガ積みのポータルです。装飾が凝っています。古い3つのトンネルの両側の口はそれぞれ意匠が異なっています。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 橋のたもにと石の標柱がありました。
 異様なほど大げさな鉄柵の内側の曲がった部分が「最古の鉄筋コンクリート橋」。橋に手摺りが無いので、両側に手摺りだけの鋼橋のような物を付け加えた形になってます。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 人道橋で、橋自体はたいへん薄い構造物です。
 貴重な物に手を加えずに置こうとした意図は判りますが、手摺りの見かけが台無しにしてます。下縁が橋の路面より少し高い位置で、橋に沿って湾曲した物にしてほしかったです。

[第三トンネル東口]

 最後の水路隧道の入り口。この隧道で東山を抜けた先が蹴上です。
 水路沿いの道はここまで、ここから一旦山裾の広い道へ廻ります。

[蹴上の坂]

 東山の山地を水路はトンネルで抜けていますが、道路は峠越えです。山科から三条へ向かうこの道は旧東海道。ぐっと登って峠を越えると京都の街が見えてきます。坂を少し下ったところを右に入ると

[蹴上船溜まり]

 第三トンネルを出たところは少し広い水面になっています。ここがインクライン上部の船溜まり。ここまで来た船は順番にインクラインに載ります。
 流れて来た水は、第二疏水の水と合わさり、水路鉄管を流れて発電所へ。一部は疏水分線として南禅寺の中を通って北へ流れます。

[インクライン]

 インクラインは一種のケーブルカーです。ここで舟を台車に載せて陸揚げして、下の船溜まりまで坂を下ります。展示されている台車には舟が載っていますが、公園のボートより少し大きい程度です。
 インクラインは1948年(昭和23年)に運行を終了し設備は撤去されました。現在は見られるレールなどは産業遺産として保存するために1977年(昭和52年)に復元されたもの。

[南禅寺]

 蹴上のインクラインのすぐ横。有名な大きなお寺です。
 疎水の水の一部はこの南禅寺の中を導水橋(水路閣)で抜け、京都市街の北東をぐるっと流れて鴨川縁へと高度を下げて行きます。このあたりが「哲学の道」として知られる水路。このあたりは(だいぶ昔ですが)一度走ったことがあるので、今日はインクラインの先の水路へ向かいます。

[南禅寺船溜り]

 インクライン下の船溜まりです。正面は動物園。観光地です。

[京都の街の中]

 南禅寺から鴨川へ、京都市美術館、平安神宮と続く一帯。水路は観光都市京都の中心部を流れています。

 すっかり油断していましたが、今日は「時代祭」の日でした。沿道は人出が多く交通規制されていて、水路に沿って辿るのは厳しい状態でした。仕方なしに水路から離れて鴨川の河川敷を通って四条に行きました。帰路は河原町から阪急電車に乗りました。


 小関峠の区間と蹴上手前の坂の他はほとんど平坦です。コースは大半が市街地に近い所を通っています。鉄道駅も多くあり、どこでもエスケープ可能です。小型の折りたたみ自転車でも支障無く走れますが、土や砂利の公園路の区間が多いのでロードバイクは不向きでしょう。
 昼食は、途中でコースを逸れて適当に探すつもりだったのですが、惰性で走るうちに食いはぐれました。樹木の多い公園のような所を走るのですがら、お弁当持ちの方が良かったかもしれません。


2016年08月21日

2016年0ユ月19日 亀山宿→関宿→坂下宿→鈴鹿峠→土山宿→水口宿→横田の渡し

 先月は岐阜県の関ヶ原から滋賀県の彦根へ走りました。ほぼ鉄道の東海道本線に沿ったコースですが、昔の街道ではここは中山道。街道の東海道は熱田から桑名へ向かい、四日市から西へ進み鈴鹿峠を越えるルートで、この道は現在も国道1号線となっています。今回はこのルートで三重県側から滋賀県へ抜けることにしました。

 旧東海道の情報は三重県の「みえの歴史街道のウォーキング・マップ」がたいへん役に立ちました。

 名古屋側から京都方向へ抜けようとすると途中に山地があります。その中央に横たわっているのが鈴鹿山地。先月通った中山道は北側の低くなった所を越えています。昨年走った北国脇往還はその北の伊吹山の裾を回る道でした。鈴鹿山地の南西の端は柘植の北のあたりで、鉄道の草津線が越えています。この間にはいくつか峠がありますが、標高357mの鈴鹿峠以外はどれも700m級以上の高い峠です。
 
 鈴鹿山地は北西側が緩く南東側が急傾斜です。鈴鹿峠の三重県側は特に険しく、標高はあまり高くないのですが、箱根と並ぶ難所と言われました。現国道1号線のこの区間は上下別線になっていて、北行きは山腹を大きくへつり登り、峠はトンネルになっています。

 現在の鈴鹿峠越えの区間は、徒歩や自転車で越すにはかなり厳しい区間です。おそらく東海道でいちばんの難所です。現国道は山腹をひたすら登る道で、大型のトラックなどがたくさん通ります。ここを自転車で登るのは嫌です。峠越えの部分は旧街道が徒歩道として残っています。できればこちらを通りたいですが、元々は石畳のつづら折れで、途中の現国道と絡むあたりでは階段、その先は徒歩道整備で石段と。ここを自転車に乗って通るのは無理ですが、距離は数百m。ここはランドナーらしく、押しと担ぎで行きます。
 現代の鈴鹿越えの難点は周辺事情。峠を挟むかなりの区間でコンビニや商店などが無いです。ここを越す公共交通もありません。自転車の場合は関から水口までエスケープ不能です。

 峠は三重県側から滋賀県側へ越すことになります。地形のほか、関・亀山を通る関西線の列車は本数が少ないことも考慮しました。峠越えのあとの区間が長いですが、比較的平坦で国道を通れば暮れてもあまり暗くないです。朝早く出発して、亀山から関宿・坂下宿・土山宿・水口宿と走り、その先の草津線の三雲駅から輪行というプランにしました。現国道1号が通っている区間ですが、各宿場の街のほかも、なるべく旧街道らしき道筋を通ることにしました。

[亀山宿]

 駅前で自転車を組んで、お城の近くまで来ました。ここに東海道を示す標識がありました。歴史の道筋として整備されているようです。道は最近多くなった土色のカラー舗装になっています。

[野村一里塚]

 カラー舗装に導かれながら亀山宿の町並みを走り、街はずれまで来ました。平日の10時前で、あまり人通りはありません。

[街道の道すじ]

 亀山の街は鈴鹿川から1段高い所にあります。道は緩くアップダウンしながら続いています。町並みの外側を県道と国道が通っているので、この道は旧街道っぽい感じです。

[関宿のいりぐち]

 旧街道は現国道とからんで、すぐに分岐。現国道とJR線は関宿の外をまわります。関宿も川から1段高い所にあります。

[関宿の景観]

 関宿は歴史的景観の保存に力を入れている街です。電柱が撤去されています。通りはあまり拡幅されていないので、昔の宿場の道の雰囲気は感じられます。
 関宿はしばらく前に町並み観光で訪れたことがあります。駅から近くて徒歩観光にも良い場所です。平日ですが、観光らしい人がいくらかいました。

[伊勢神宮の鳥居]

 ここは関宿の「東の追分」。この鳥居は伊勢神宮の一の鳥居。ここから南に折れるのは「伊勢別街道」で、京都・滋賀から伊勢神宮へのショートカット。ここから20mk弱の津で四日市から来る「伊勢参宮街道」に合流します。

 この鳥居のすぐ先、現国道との交差点にコンビニがあります。ここから先は食料や飲料の調達困難区間です。昼食と予備の飲料を購入しました。

[関宿の西の追分]

 関宿の町並みを抜けて来ました。宿場を出たすぐの所が「西の追分」。東海道はまっすぐ進んで鈴鹿峠へ。左に折れると「大和街道」で伊賀を経て奈良へ。現国道では1号線と25号線です。


[国道1号]

 旧街道はすぐに現国道に飲み込まれます。大型車が通って喧噪ですから、基本的には歩道を辿って進みます。途中に集落がある所では、現国道はそれを裂けるように外側を回っています。国道拡幅の際に付け替えたのでしょう。辿れそうな所は国道を避けて集落道を通りました。

[沓掛への分岐]

 現国道はこのあたりから谷の西側の山腹を登りはじめます。旧街道は川に沿って谷の東側を進みます。分岐はT字路っぽく整形されていますが、この道は国道1号の旧道として使われていた道でしょう。集落を貫いて続く道は、中央の白線はほとんど消えていますが、たっぷり2車線幅。

[元?東海自然歩道]

 このあたり、東海道を歩く人向けなのでしょうか、道案内の標識がけっこうあります。その中で、「自然歩道」の字を塗りつぶした物が目に付きます。ここから鈴鹿峠まで4.3kmとありますが、まだこのあたりは緩い登りです。

[鈴鹿馬子唄会館]

 「坂は照る照る 峠は曇る あいの土山雨が降る」と鈴鹿馬子唄。その横の坂道には東海道の宿の名を記した標柱がありました。

 夏も終わりで天候が気になる時期です。朝の列車が柘植から加太を越えるあたりでは小雨が降っていました。関宿あたりでも路面が濡れていましたが、雨は朝のうちに過ぎたらしく、山にかかっていた靄も晴れてきています。さて、この先の峠はどうでしようか。

[現国道の登り]

 こちらの道は緩く登り続けていますが、現国道の北行き車線は山腹をへつるようにして、もうだいぶ高い所まで登っています。

[坂下宿]

 坂下宿だったあたり、宿場らしい景観はまったく無いです。街道の宿としての役割を終わったあと、道の拡幅ですべて失われたのでしょう。広い道に沿って普通に民家と農地が続くだけ。

[現国道と出会う]

 坂下宿のあたりを過ぎて少し。旧街道でもあった旧国道はここで現国道に出会います。現国道は拡幅と峠の勾配緩和のため、このあたりは上下別線になっています。北行きは新しい勾配緩和線で、勾配のきつい古い線が南行きに使われています。
 集落を抜けて来た旧道の先は、現在は「南行き」ですから鈴鹿峠には行けません。そのかわり、横に乗用車サイズの細い道が残されています。これを辿ると峠のすぐ近くまで進めます。(現国道北行きへの合流も可能)

[谷のどん詰まり]

 谷間をゆっくり登ってきました。坂下宿を過ぎると少しづつ勾配がきつくなって来ましたが、ここまではまだアウターで登れる程度です。この先からは現国道が辿らなかった急坂の峠道が待っています
 横の現国道はここから一旦左の支谷に折れて、山腹を登って高度を稼ぎます。目の前の山腹には斜めに登って行く車が見えます。けっこう高度差があります。こちらの道は最後にがっつり上ってあの上まで行く訳です。

[鈴鹿峠へ0.6km]

 現国道と分かれてすぐ先。峠への道標がありました。道案内があると心強いです。暑い夏の平日という事もあるでしょうが、やはりこのあたりの人通りは少ないです。峠区間で出会ったのは、この少し手前で徒歩の2人連れだけでした。(朝に土山を出て来た?)
 表示は鈴鹿峠へ0.6kとありますが、おそらく峠の入り口までの距離でしょう。

[片山神社へ]

 この道は峠直下の「片山神社」への道としても使われているようです。

[峠への道]

 現国道と分かれたあたりから少し傾斜がきつくなりますが、依然乗用車幅の舗装道路。ギヤをインナーに落としてのたのたと登ります。

[峠の登り]

 片山神社のところ、標識がありました。右手に折れて登る急な石畳が東海道のようです。自転車はここから『押し』ですが、石畳の石が大きなゴロゴロ石なので、単純に押すだけでは進めません。ほとんど持ち上げて越す感じ。勾配がきついので普通の平坦な石畳では滑ってしまうからでしょうか。
 道は数回つづら折れして登りますが、道の角は狭いです。勾配のきつさもありますが、馬で越すのは無理でしょう。昔の東海道の鈴鹿峠は物流ルートとしては役だっていなかったと思われます。

[国道下の階段]

 つづら折れの道を登って視界が開けると、現国道(南行き)の高架がありました。この先が階段区間。道路につぶされた旧街道のかわりにコンクリの階段が付けられたようです。階段横にスロープなど無いので、自転車は担ぎ上げです。

[国道の横]

 コンクリ階段で一気に高度を稼ぎました。国道と同じ高さまで来ました。神社から峠までの徒歩登り区間の標高差の半分以上を登ったことになります。
 峠の下では半曇りで山腹に霞がまとわりついていましたが、ここではすっかり晴天です。ここで小休止。

[階段の続き]

 国道の横の広場は、もともとは国道の路盤だったようです。谷間に橋で道を造って山腹に沿ったカーブをひとつ外したようです。広場の山腹側に、丸太を模したコンクリ製の手すりのついた階段。ハイキングコースにありがちな意匠です。一度折り返したあとは石段でした。峠の観光に整備したのでしょうか。この区間も自転車は担ぎです。

[峠に至る]

 折り返す石段を登って、それが尽きて土の道になってすぐ、前方が明るくなって来ました。どうやら峠のようです。
 ここまで、数十mを除いて自転車は押しが1/3で担ぎが2/3ぐらいです。これはクロスバイクでもMTBでも大差無いでしょう。また、勾配と足場の具合から見て、降りる方が難しいと感じました。

[県境]

 三重県と滋賀県、伊勢と近江の境。石の標柱がありました。ここを境に周囲は暗い森から明るい茶畑に変わります。
 ここまで亀山からちょうど2時間。当初の予定より30分ほど早く来れています。

[峠の石灯籠]

 峠を越してすぐ、大きな石の灯籠があり、その横が休憩所になっていました。この真下を国道のトンネル通っています。その工事の関係で石灯籠は移築されているらしいです。
 馬子唄とは違って滋賀県側はすっかり夏空です。日差しは強いですが、峠は涼しい風が吹き抜けていました。ここで昼食と休憩。

[峠を下ると]

 峠から農地の横の道を下るとすぐに現国道に出会いました。ここからしばらく、街道は国道に上書きされています。大阪あたりに比べると車は多くないですが、大きなトラックがスピード出して通ります。そこで歩道を伝って進みます。路面状態が良くないですが、仕方無いです。

[新名神]

 名神高速道路は愛知県の北から岐阜を抜けて関ヶ原を越す中山道ルートなのに対して、新名神は東海道に近いルートです。桑名から亀山へと進み、山越えは鈴鹿峠のもうひとつ東を長いトンネルで抜けています。

[峠を下った]

 延々とだらだら下って谷間の平地に出て少し。「あいの土山」の道の駅があります。ここまで来れば飲食物の心配はありません。このあたりが昔の土山宿の入り口で、昔の旅人もここまで来れば安心だったでしょう。ここは現代の自動車にとっても峠越え区間の終点。駐車場には休憩のトラックなどがたくさん停まっていました。

[土山宿へ]

 道の駅のすぐ横の道が土山宿へ続く旧街道。ここも路面は土色のカラー舗装です。

[土山宿]

 土山の宿場の街はずいぶん大きいです。三重県側の宿場が狭い間隔で並んでいるのに対して、滋賀県側は間隔が広いです。鈴鹿越えする旅人はここを朝に出つよう日程を組んだでしょう。峠を越えた旅人もほとんどここで泊まったでしょう。うねりながら続く道沿いに商家や旅籠だったような建物が並んでいます。

[日野への分岐]

 土山の宿場を西へと抜けてふたたび現国道と交差するあたり。石の道標がありました。日野から近江八幡と案内されていますが、山裾に沿って湖東へ抜けるショートカット「御代参街道」の分岐のようです。

[野洲川を渡る]

 街道は野洲川を渡るあたりまで来ました。道が川を渡るには「渡し」か「橋」が要ります。永久橋が架かれば付近の渡しは廃止されますし、橋は道の付け替えにともなって架け替えられます。
 野洲川を渡るあたりで、旧道らしい道の延長には歩行者用の細い橋が架かっていました。少し上流側にある鋼橋が現国道の橋。幅は狭いですが、河床まではだいぶ高さがあります。昔の東海道はどうやって越していたのでしようか。

[集落道]

 地図上に街道らしく続く道筋を辿って進んで来ています。道幅は拡げられていても、微妙にうねる線形は古い道っぽいです。とぎれながらもカラー舗装されているのは、ここが旧街道だからでしょうか。

[松並木]

 街道の松並木っぽい感じで大きな松の木が並んでいる所もありました。

[水口宿へ]

 このあたり、旧街道は野洲川の河岸から1段高くなった縁に近いあたりを辿っています。その道と現国道がクロスして、そこから県道が分岐するあたり。県道の横に入る細道が旧街道。

[街道沿い]

 道の佇まいも両側の家並みも普通の集落道。そのわりに微妙にくねりながら続く道。

[一里塚]

 道の脇に一里塚がありました。ところどころに、「東海道」とか「水口宿」とか書かれた標識もあります。

[水口の街並み]

 水口は城下町としても栄えた街。街路が平行して街並みが拡がっています。街道をそのまま進むと商店街っぽい道につながっていました。

[水口石橋駅付近]

 駅前商店街っぽいところを進むと、電車の踏切がありました。近江鉄道の水口石橋駅の近くまで来ました。
 一応、今回のコースでは数少ないエスケープポイント。もっともここまで来ると予定の「三雲駅」まではあと少し。時間もほぼ予定どおりなので、先へ進みます。


[水口から先へ]

 水口の街並みを抜けて、その先へ続く道を進んで来ました。ここも東海道らしいです。

 水口宿の次の宿場は石部で、草津線の三雲駅はそのほぼ中間点です。三雲駅からはほぼ草津線沿いですが、だんだん市街地になって行くので、暑い中を走ってもあまり面白くなさそうという理由で、今回の終着は三雲駅にしました。ここからは毎時2本の便があり、草津乗り継ぎで大阪までは近いです。

[野洲川を渡る]

 街道が野洲川に行き当たるところ。ここには昔は渡しがあったそうです。その後は木橋が架かりましたが、現国道の橋が架かると廃止されたそうです。現国道の橋は少し川下ですから、川沿いにそちらへ回ります。

[三雲駅前]

 現国道に出て橋を渡り、その下を潜るとすぐ先が三雲駅。鈴鹿峠から3時間ほど。途中で少しゆっくり休憩を入れたこともあって、ほぼ予定どおりの時間で来れました。
 鈴鹿峠はけっこう涼しかったです。午後の日差しという事もあるでしょうが、それが水口あたりまで来るとずいぶん暑く感じるようになって来ました。ここまで来ると、ホント猛暑という感じになりました。

[横田の渡し跡]

 ここの電車は30分に1本。時間が半端なので、少し寄り道することにしました。
 東海道は現国道よりも上流で川を渡っていました。そこで線路沿いの道を少し上流側へ行ってみました。すると、こんな物がありました。この道は甲賀から伊賀へ至る道で、鈴鹿峠が拓かれる前の時代の東海道であった道です。

 お天気が心配でしたが、後半が照りすぎぐらいの感じで全く降られずに済みました。街道観光向けに看板や案内標識が設けられていて、道筋を辿るのにそれほど苦労は無く済みました。宿場以外も集落を辿って走りましたから、スピードは出さずにゆっくり走行です。峠越えと休憩含んで約40kmを約5時間。

 関宿から土山宿まで、途中に店もなにも無い区間を徒歩で抜けるのは厳しそうです。自転車の場合も水口までエスケープ困難です。やはり現代の鈴鹿は東海道一番の難所なのかもしれません。自転車で峠の旧街道を越える場合、三重県側から滋賀県側へ越すのが良いと思います。


2016年04月11日

2016年04月08日 マキノ駅→海津大崎→大崎隧道→奥琵琶湖パークウェイ→藤が崎→賤ヶ岳隧道→余呉川→高時川→档鳥坂隧道→木ノ本駅

 4月は桜。やはり桜で有名な所を走りたいです。湖北の桜は大阪あたりより遅く、だいたい4月の10日あたりが見頃。鉄旅でお出かけするには都合が良いです。今年も湖北の桜を見に行くことにしました。
 湖北には桜の名所がいくつかあり、その筆頭は「海津大崎」。マキノ駅から徒歩圏(駅前にレンタサイクルあり)で、今までに徒歩で何度か行きましたし、一昨年は湖岸一周サイクリングとして、東から西へ桜を見ながら走りました。(この話は→)
 このすぐ東側にある「奥琵琶湖パークウェイ」も桜の名所として有名です。しかしここの一部区間は西から東の一方通行です。一昨年は反時計回りに走ったので、この区間を迂回しました。やはりこの区間の桜も見たいです。
 その東側の「賤ヶ岳」周辺も桜が綺麗なところで、ふもとを流れる「余呉川」の土手の桜は私のお気に入りです。木ノ本の駅から徒歩可能ですが、ちょっと距離があるので昨年は観光案内所で自転車を借りました。その時に得た情報では高時川のあたりも綺麗ということでした。(この話は→)
 今回はこれらの『桜の名所』と合わせて湖北の有名な隧道を訪ねることにしました。以前に高時川の谷を下った時に近くを通っているのですが、見逃していました。(この話は→)

 大阪近辺の桜は一気に満開になったところを強い雨と風で傷められて残念な姿になっています。しかし開花情報では湖北あたりはこの土日あたりが満開とか。曇天なのが残念ですが、人出を警戒して平日の金曜日のお出かけです。


[海津の街から]

 駅前から湖岸へ出て、海津の街並みを走ります。石積みの護岸から大崎の道沿いの桜が見えます。

[大崎隧道]

 湖岸の道を辿って観音さんの所まで来ました。このあたりはやはりけっこう桜見物の人が来ていますが、お天気の具合もあるのか混雑という程ではありません。
 マキノから徒歩で来る観光客の多くはこのあたりまで。観光船へ乗る人もあります。土産物屋もあり、バスの一行もここで降りて観光しているようです。ここから崎の区間には短いトンネルが続きます。ひとまとめで「大崎隧道」というらしく、両端にだけ扁額が付けられているそうです。でもマキノ側の扁額は隠れていて見えません。

[北琵琶湖周遊道路]

 海津から木之本まで、この湖岸の道は「北琵琶湖周遊道路」というらしいです。2車線ですが、隧道や屈曲部とか、バスや大型車は離合困難な幅。今日はあまり混んでいないですが、桜の時期のは自動車は一方通行に規制されます。

[湖岸の桜]

 道の湖側に桜が植わっています。路肩からは桜の枝越しに湖面が見えます。大崎をまわって半島部の東側へ出ると、対岸の「つづらお崎」が見えてきます。山腹にピンク色の筋が見えますが、あそこがパークウェイ。けっこう登っています。

[大崎隧道]

 一連の短い隧道を抜けて来ました。この道は本来は湖岸の集落を結ぶ地域道ですが、当初から観光も考えていたのでしょう。昭和初期のトンネルで中はコンクリ造りですが、ポータルは石積みで、それぞれ意匠が少しづつ違えてあります。その中でこの隧道だけ、落石覆いが付けられています。安全上仕方ないのは判りますが、美しさという点ではかなり残念です。
 この先の道の案内が付けられていますが、ここまで1本道で、この先もしばらく一本道です。

[二本松]

 桜並木が綺麗なのはだいたいこのあたりまで。海津側の入り口からここまで約4km。マキノ側が比較的駅から近いのに対して、ここから永原の駅まではちょっと距離があります。

[大浦]

 海津大崎の半島をまわって、大浦川の河口まで来ました。桜と景色を眺めて写真を撮って。止まり止まりしながらのたのた走って1時間ほど。
 ここは若狭から峠を越えて来る道と湖上の舟運の接続点のひとつとして昔は賑わった街らしいですが、今では静かな湖岸の集落。左手の少し先には永原の駅があります。昨年秋にはここから峠越えの道を走りました。(この話は→)
 ここから木之本へは、国道303号で塩津へ出るのが普通のルートです。国道は歩道もあって坂もあまりきつくないです。しかし途中の「岩熊トンネル」は長くて喧噪です。右のパークウェイはその名のとおりの観光道路で、屈曲した坂道で稜線越えです。

[狭い入り江]

 そのまま湖岸に沿って入り江を回り込んで菅浦へ向かいます。右側は海津からまわって来た道で、左側の半島がこれから進む先。リアス式海岸と似た感じで、山ひだがそのまま半島状に湖に突きだしている地形がよく判ります。

[桜並木の道]

 大浦から菅浦へ、湖岸の道を辿ります。この道沿いにもたくさん桜が植わっています。海津大崎のあたりに比べるとまだ若い樹ですが、その分花が多いです。
 このあたりの道は広くて綺麗です。平日という事もあるのでしょうが、自動車はあまり多く無いです。

[菅浦へ]

 菅浦の集落の手前。湖岸に沿って曲がりながら、半島の中ほどまで来ました。前方の山腹に斜めにピンクの帯が見えています。けっこう上の方まで登ることになります。
 ここから左の登って中段を右へ進んだ半島の突端が「つづらお崎の展望台」です。

[パークウェイ入り口]

 ここはパークアェイのゲート。いよいよここから登り。菅浦の集落への道は右下側です。ここから月出までがパークウェイで、途中の展望台までは対面交通です。

[上り坂]

 普通の道よりもきついけれど林道ほど厳しくはない勾配。自転車はインナーの1〜2ぐらいで登れます。幸いあまり混んでいませんでしたが、おそらく休日だと自動車に脅かされることになるのでしょう。

[大きくトラバース]

 山腹を北へ1段うねって登った2段目。下の方にパークウェイの入り口のあたりが見えます。このまま登りながら半島部の先の方へ。パークウェイは屈曲した坂道で観光バスも通ります。しかし路肩もしっかりとってあり、一部に駐停車できるような広い場所も設けられています。おそらく展望台まで行くのでしょうか、徒歩で登っている方もけっこういました。

[海津大崎]

 山腹をトラバースしながら登るうちに視点がだいぶ高くなって来ました。少し前に走った海津大崎の湖岸の桜並木が良く見えます。すっきり青空の晴天だと綺麗でしょう。

[展望台から]

 展望台まで来ました。ここまで来ると今度は湖東側が見えます。目の前は「水鳥センター」のあたりでしょう。駐車場の横には売店もあり、この一帯は観光地になっていました。大浦からここまで、景色見ながらのたのた登って1時間ほど。
 道はここで2手に分かれ、片方はそのまま永原(海津)方向へ戻り、他方は塩津経由で木之本へ向かいます。

[一方通行区間]

 展望台でゆっくりしてからパークウェィを先へ進みます。ここから先は東行きの一方通行です。大型車の対面交通には狭いという事と、途中に崩落危険箇所があるのが理由。自転車も一通なので、途中で戻る場合は降りて押して通らなければなりません。
 道は1段格下げという感じです。道幅は少し狭くなり、微妙に勾配が増しています。展望台までの区間に比べると交通量はだいぶ少ないですが、断続的に乗用車や観光バスが通ります。

[パークウェイ東側]

 パークウェイの後半はアップダウンが続く道です。この半島部はよほど地形が悪いのでしょう。突端で反対側へ回り込むのではなく、今度は北側へ山腹をへつりながら、もう1段登ります。
 尾根を越えてしばらく行くと、やっと賤ヶ岳側が見えて来ます。狭湾の対岸に2段のピンクの筋が見えていますが、現国道とその旧道でしょう。

[月出のゲート]

 一方通行区間の出口で、ここからは対面交通になります。この先は湖岸一周の時の逆コースということになります。(この話は→)

[湖北隧道]

 月出ゲートから先はパークウェイ開通前に作られた湖周道路の一部です。国道は半島の付け根を長いトンネルで抜いていますが、それ以前のルートは山ひだが薄くなる所まで登って、短い隧道で抜けていました。その隧道がこれ。土木遺産級の名トンネルですが、天井のモルタル剥落で少し前から通行止めになっています。

 このトンネルが通れないので、塩津側から長浦へ抜けられる道は現国道の「岩熊トンネル」だけになります。湖岸を反時計まわりで走ろうとする場合は要注意です。

 ここから下る途中で、登ってくる車とすれちがいました。どこへ行こうとしていたのでしょうか。県道の塩津側の入り口には、「月出から菅浦の間が一方通行という」以前からの表示だけで、「湖北隧道が通れない」ことの表示は見あたりませんでした。これはたいへん不親切でしょう。 

[藤が崎をまわって]

 ここから賤ヶ岳方向へは国道を走って「藤が崎トンネル」を抜けるのが早道です。でも喧噪な長いトンネルはイヤです。湖岸を辿って半島部をまわる旧道を走ります。元が1けた国道だけあって道幅は広いですが、通る車はほとんどありません。

[旧道への分岐]

 半島をまわる旧道は飯浦で一旦新道と合流。その少し先でふたたび旧道が分岐します。新道はそのまま低く進んで長いトンネルに入ります。旧道は山腹をうねうねと登ります。ちょっときつい傾斜です。

[賤ヶ岳隧道]

 さすがに旧国道の隧道です。立派な構えです。

[余呉川の桜]

 賤ヶ岳から下る道は、現国道と接する直前で余呉川を渡ります。ここから上流側の土手には大きな桜の古木が並んでいます。この一帯はのんびり静かで、のたのた徘徊するには良いところです。私は徒歩で2回、レンタサイクルで1回来ています。今回はあまり深入りせずに済ませます。

[余呉川の土手道]

 余呉川に沿って南下します。左岸を通る県道は国道への接続道路として機能しているらしく交通量が多いです。そこで右岸の土手の上の細道を通っています。県道には街路樹のように桜が植わっていますが、まだまだ若い樹です。

[高時川の土手]

 適当に集落道を辿って川毛のあたりで高時川に出ました。このあたりの桜はすごくいい感じです。来年はこちらをメインに徘徊するのも良さそうです。

[土手の道]

 高月から木之本の北側のあたりへと、そのまま高時川の土手道を走っています。土手のあちこち桜が植わっていて、ピンクの帯が破線状に続いています。土手道の景色はのどかですが、近くには大きな工場もあり、国道や高速道路やJR線とからみあっていて周囲からはいろんな音が聞こえて来ます。

[旧道]

 新道の「新档鳥坂トンネル」より少し北側に旧道との分岐があります。分岐の付近は整形されていて、気をつけていないと通り過ぎてしまうでしょう。地図ではこの区間も国道として色が塗られています。木之本の街の中の道とひとつづきで、古い道も現役国道になっているようです。

[档鳥坂隧道]

 あとりざかずいどう。昭和初期の完成だそうで、当時は県道だったらしいです。長さは短いですが、けっこう大きなトンネルです。このすぐ上には昔の徒歩道の掘り割りがあるらしいです。

[道通天地]

 ポータルはいい感じなのですが、洞内は補修されて全面パネルはめ込みになっています。明るく綺麗ですが、風情は無いです。しかしこれだけ手間をかけて維持されているのは、この道にそれだけ需要があるという事なのかもしれません。
 隧道を過ぎるとあとはどんどん下り。横の低いところを現道が通っていますが合流はしません。そして少しづつ離れながらそのまま木之本の街へ向かいます。

[木之本のお地蔵さん]

 旧道から続く道を進むとそのまま木之本の街の東側へ出ました。ゆっくり街並みを通ってお地蔵さんの所まで来ました。境内には桜が咲いています。ここまで来ると駅はすぐ近く。

 勢いにまかせて走り抜ければたいした事のないコースですが、桜に浸りながらのたのた走って6時間ほど。夕方は1時間に2本電車があり、新快速電車は2時間弱で新大阪に着きます。帰宅はぎりぎり夕食どきになりました。


mars2015 at 21:09コメント(0)

2016年03月20日

2016年03月20日 五条駅→国道168号→[五新(未成)線跡]→賀名生皇居跡→[賀名生梅林]→[五新(未成)線跡]→西吉野町城戸→一の木ダム→五条駅

 3月は梅の時期。大きな梅林は交通の便が良くない所が多いです。昨年は月ヶ瀬に行きましたから、今年も梅林へ行くことにしました。選んだ行き先は[賀名生梅林]。奈良の南ですが、山間部だからかここも見頃は遅目です。

 賀名生梅林の最寄り駅はJRの五条。ここから国道で谷間をしばらく登ったあたり。国道168号は十津川から新宮へ向かう道です。距離はあまり長く無いけれど、山中のうねうね登り道でトラックやバスも通ります。なるべくなら通りたく無い。裏道探していると、地形図に「バス専用道路」というのが書かれていました。ここは国鉄五新線の代替バスが走っていた道。そのバスもしばらく前に廃止になって廃道になっています。このため道路地図には載っていないのですが、一部はまだ地元の集落道としても使用(黙認?)されているようです。通れるならばおもしろそうです。
 五新線は五条から紀伊半島を縦断して新宮を目指す路線でした。しかし延々山中の区間越えるルートは技術的にも経済的にもあきらかに無謀。ルートの北側の1/5ほどの区間の部分開業を目指して建設が進められたのですが、それも完成できずに計画中止になりました。予定区間の半分ほどがバス道として使用されましたが、それも平行する国道経由となり、未成線は廃道になりました。

 3月中頃の訪問を予定したのですが、諸事情で1週遅れました。おそらく完全に見ごろは過ぎているでしょうが、それでも上の方はまだ見れるのではないかと、お天気の具合を見ながらお出かけ。

[五条駅]

 ここはJR和歌山線の駅。単線で列車の本数が少ないです。JR関西線の王寺からまわる他に南海高野線で橋本乗り継ぎという手もあり、所要時間は大差無いです。時刻の都合を見て、往路は橋本まわりの経路を取りました。
 駅前には観光案内所があり、ここで賀名生梅林の案内図を入手しました。ここにはレンタイサクルがありました。街並や皇居跡あたりまでの観光ならかなり有効なのではないかと思いました。

[道の分岐]

 駅前から少し下って国道24号へ。その角にあるコンビニでお茶と昼食を確保。国道を少し進むと青看板がありました。未成線の遺構はこの少し先にあるのですが、今回は梅林が目当て。左に折れて橋を渡ります。

[未成高架橋]

 道なりに走って街を抜けたあたり。国道を跨ぐ高架橋の橋台です。代替バスはここまで国道を走って来て、この左側から専用道路に入っていました。

[専用道入り口の封鎖]

 バス専用道だった頃の立て看板とゲートが残っていました。廃止後に付けられたらしい車止めがあり、その手前にはAバリも置かれています。車止めは取り外し式で、路面にはタイヤ跡がありました。
 とりあえず自転車は置いて、先の様子を見に行きました。

[未成高架のあと]

 入り口から坂道を登って市内方向を見たところです。切れ切れに土盛りが見えます。反対側は普通に舗装道路が続いていました。

[単線の路盤]

 路面は普通に狭い集落道か農道といった程度ですが、跨線橋の形とか微妙なカーブとカントの具合とか、路面以外は完全にローカル線の雰囲気。高速鉄道にはきついカーブでも道路と比べるとゆるゆるです。
 五新線はもともとは貨物輸送も考えた路線です。勾配はあまりきつくないです。お出かけ自転車はアウターの3速で普通に走れます。普通のお買い物自転車でもそれほど苦しくない程度。サイクリング道としてちょうど良いのではないかしら。

[交差点?踏切?]

 地平を行くローカル鉄道線らしく、地域の道と平面交差しています。カーブミラーとその下のトラ塗りの柵の取り合わせが妙です。こういうのがいくつもあります。こういう所から出入りしているのてしょうか、地元民の車が通っています。

[生子トンネル ]

 そのまま生子の集落を過ぎると、トンネルがあります。ここは生子(おぶす)トンネル(832m)。ここを抜けられるとすっごく楽なのですが、残念ながらしっかり封鎖されています。長さは長いけれど直線で出口も見えてます。自動車のすれ違いは困難でしょうけど、2輪車には解放しておいてほしいです。
 仕方ないので、右側の道を登って上の国道へ迂回。

[国道から]

 国道は河岸の凸部を高巻きして越えています。車はスピード出して通りますが、道幅はあまり広くなくてけっこうきつい登り坂。一応歩道はありますが、狭くてデコボコ。気分的にもしんどい。生子トンネルが通れないのが辛いです。
 くるっと突出部を回って鉄道路盤が見えるところまで来ました。国道は山腹をへつり登って、この区間でかなり高度を稼ぎます。下の線路も登り続けているはずですが、かなり高度差がついています。国道からこの下の集落へ下りる道があります。稼いだ高度はちょっともったいないけど、喧噪な国道はイヤなので下へ降ります。

[谷を跨ぐ橋]

 のどかな谷間の道。ここはバスが走った道ですが、踏切っぽい物があるので鉄道廃線跡っぽく見えます。上を大きく立派な農免道路の橋が跨いでいます。国道はあの橋の高さです。

[親房トンネル]

 集落を抜けて橋を渡って。路盤はひたすら登り続けています。うねうねとした谷間を行く鉄道線路らしいパターンで、山の端は短いトンネルで抜いて橋で対岸へ渡るくりかえしです。親房(ちかふさ)トンネルは曲がっていますが短い(139m)ので出口の明かりが見えます。

[トンネルの先に ]

 親房トンネルを抜ければ賀名生(あのう)地区です。すぐ先には尾名瀬トンネル(35m)が見えています。鉄道になっていれば、ここが梅林の最寄り駅になっていたところ。一旦ここで路盤を離れます。

[皇居?]

 バス停跡の近くの道から集落へ入り、橋を渡ってすぐに見える古民家風の建物。賀名生(穴生)は南北朝時代の一時期、南朝の行宮が置かれていたところです。このあたり、明日香・吉野から熊野へ抜ける道筋ですが、どう考えても行政府を置けるような所ではありません。避難所程度でしょう。この建物は元の敷地と伝わる所に建っているのですが、当時の建物ではありません。 

[梅林の入り口]

 皇居の前から資料館を通って国道へ出ました。梅林の入り口のあたりには売店がいくつかありました。見頃はすぎているのですが、けっこう観光客がいます。案内図には梅林をひとまわりするコースが示されています。これに従って観梅することにしました。一周が約4kmとか。

[梅の山へ]

 ここは近畿圏では有数の規模。梅林は谷間の斜面に拡がっています。最上部まで標高差で200mあまり。ミニ登山です。支谷から上りかけ、梅林の中の斜面を斜めにへつり登るような道筋でした。傾斜はけっこうありますが、林道や登山道に比べると緩いです。インナーの1〜2段で登れる程度ですが、無理無理登っても肝心の梅と景色を見なけりゃ意味が無いです。花のあるあたりは降りて押しながら、ところどころ止まってあたりを眺めながらのたのたと。

[斜面の梅の樹]

 下の方はもうほとんど散っていましたが、上の方でちょっと陽影っぽいあたりはまだまだけっこう咲いていました。この写真のあたりがだいたい最上部です。
 観光地らしく梅園内の道は舗装されていました。陥没や崩落はありませんが、ところどころ落ち葉や小石もあります。そして徒歩の通行人もいます。景色に見とれていると危ないです。とにかく最徐行で下りました。

[築堤 ]

 ゆっくり梅林をひとまわりして、第1目標はクリア。ふたたび五新線の路盤へ戻りました。ほとんど車の来ない道をゆったり走るのは気持ち良いです。このまま行けるだけ先へ進みます。アンズや桃でしょうか、この谷間のあたりには白や薄桃色の花を咲かせた樹があちこちに見えます。春の田園らしい風景です。
 このあたりは向加名生(むかいあのう)。路盤は集落の脇を築堤で進みます。土手にはピンクの花をたくさん咲かせた樹が並んでいました。花姿は小さな桜。ヒガンザクラの仲間でしょうか。このあたり、もし列車が走っていたら撮影の名所になったことでしょう。

[お花見]

 梅林の観光を含めて、ここまでの所要時間は2時間半ほど。花を眺めながら青空の下で昼食。

[長い橋]

 築堤の道はこの先で川と国道を一気に跨いでトンネルへ続きます。橋は「第七丹生川橋梁」で、トンネルは大日川トンネル(530m)。残念ながら橋の手前で封鎖されています。仕方ないので、ここで下の集落道に降りて国道へ。国道は川に沿ってぐるっと迂回しています。

[衣笠のバス停]

 大日川トンネルに相当する区間を過ぎると、国道は次の山襞を長いトンネルで抜いています。そしてこの国道トンネルに対応する道(旧道)があります。長い現国道のトンネルは通りたく無いですから、途中でこの脇道へ逸れます。
 この道から大日川トンネルを出た路盤は近いです。道の横の階段を上るとローカル線の駅っぽい物がありました。この区間は通る車も無いのでしょうか、路面の舗装の上には落ち葉などが積もっていました。このすぐ先には次の衣笠トンネルがあります。

[衣笠トンネル ]

 衣笠トンネルは微妙に曲がっていますが、長さ240mとあまり長く無いです。しかしここも封鎖されています。このトンネルの状態の悪化をきっかけに代替バスが廃止されたといういわく付きのトンネルです。洞内が鋼材で補強されていて、封鎖されていても当然という感じです。
 さきほどの階段を降りて下の道へ。この道(旧道)は川に沿ってぐるっとまわって進みます。 

[黒渕トンネル]

 山襞をまわって少し先。発電所の方から川を渡って対岸の黒渕の集落へ下りる道があります。五新線の路盤はこの集落を通っています。
 さきほどの衣笠トンネルとの間にはもうひとつ、黒渕トンネル(74m)があります。行き先の無い道ですが、路盤を少し戻って見るとちゃんと開通していました。
 あとはこのまま路盤を進みます。そろそろ谷も行き詰まって来た感じで、路盤の勾配が少し増したようです。貨物輸送にはぎりぎりぐらいの勾配で、昔のディーゼルカーではあまりスピードが出せなかったでしょう。

[南側の通行止め]

 そのまま谷間を登り続けると車止めがありました。どうやらここが専用道の城戸側の末端。写真は振り返って撮っています。
 このすぐ先にバスの待合所のような建物などがあり、そのあたり、観光案内の看板もありましたが、すっかり寂しい雰囲気です。

[使われなかった路盤]

 五新線の建設はこの先へも伸びていました。路盤の先は高架橋になり、そのままトンネルに続いています。しかしこの先の区間はバス道として利用されることもなく封鎖されています。

[城戸]

 五新線の部分開業の行き先は大塔村阪本でしたが、鉄道代替バスはここが終点でした。どんな所か気になっていたのですが、大きな集落がある訳でもなく、ただ谷間の道の分岐点という感じでした。
 ここからふたたび「向加名生」まで戻ります。国道を戻るという選択肢もあるのですが、やはり喧噪は嫌。もう一度未成線の路盤を辿って戻りました。

[梅林を遠望する]

 往路をそのまま戻っても良いのですが、それではあまりに近すぎ。もうひと周りします。地形図で周辺の道を探していると、向加名生から梅林と向かい合う東側の斜面を登ると、ちょうど山襞のあたりから梅林のある枝谷が見えそうでした。そのままひと山越して隣の谷を下って、うねうね走ると、小さなダム湖を経て五条駅へ戻れます。
 という事で、ふたたび標高差200mほどの山登り。こちらは農道か林道といった道で、綺麗に舗装されていますが傾斜はかなりきつかったです。無理せず半分以上押しで登りました。ちょっと距離は遠いですが、梅林のあたりが広く見えます。花いっぱいの時期にはきっと綺麗な景色でしょう。 

[道ばたの梅]

 このあたり、山腹の斜面はずいぶん拓かれています。柿の木らしいのが多いですが、梅もけっこう植わっています。昔は梅林だったのでしょうか、谷間の雑木に混じって花を咲かせる古木も見られます。

[現代の農道トンネル]

 この道は農免道路で、往路に谷間の上を跨いでいた橋の続き。谷間は高い橋で越えて山はトンネルで抜く。現代の土木ならではの力業です。道幅も広くてトンネルの断面も大きいです。遠慮して走る自転車を軽トラが猛スピードで追い抜いて行きました。

[一の木ダム]

 農免道路から県道へ進むのもアリですが、それでは面白くなさそう。集落道を伝ってダム湖の周回道路へ出ました。

[吉野川の谷間]

 ダムから下る道はすぐに緩やかになりました。吉野川へ続く谷間の傾斜地に出ると景気は一変。のどかな田園になりました。このままゆるゆると下ってゆけば五条の街並みへ続きます。

 古い街並みの様子はなかなか良い感じでした。次は駅前のレンタイサクルでのたのた街巡りするのも良さそうです。生子トンネルが通れるなら、梅林(の下)まで行くのも簡単でしょう。自転車がトンネル内を通れるようにして、向加名生あたりまでの五新線跡をサイクリング道として使えるようにすれば、観光に役立つと思います。

 五条の駅で自転車を袋詰め。王寺方面への電車には間に合わなかったので、帰路も橋本経由になりました。お土産は、梅林の下で買ったミョウガの梅酢漬け。柿の葉寿司は今晩の夕食です。 


2015年12月27日

2015年12月26日 湯浅駅→湯浅の町並み→小浦→広川ビーチ→和歌山県道23号→衣奈→戸津井→和歌山県道24号→小引→白崎→大引→紀伊由良駅


 毎月自転車で走るつもりでいますが、寒い時期はどこへ行くか悩ましいです。ある程度走れば体は温まりますが、走る前は寒いし、走った後は冷えます。寒風の中で自転車の分解組み立ては辛いですし、防寒着はかさばります。それでも今年はまだ少し暖かいです。本格的に寒くならないうちにお出かけすることにしました。
 陽の短い時期なので、輪行の時間も含めるとあまり長くは走れません。どうせならちょっとは暖かい所が良いです。そこで以前からちょっと気になっていたあたりをひと走りすることにしました。季節の花もありそうです。

 目当ての花は「白崎の水仙」。水仙群落へは何度か行っています。由良の駅からバスで終点まで行って、そこから海辺を徒歩2kmあまり。バスの本数が少ないのが難点ですが、道から見える海はたいへん綺麗です。そして、水仙郷の向こうにも綺麗な海広がって見えます。ここを自転車で走るのは気持ち良さそうです。
 由良駅の手前の駅は「広川ビーチ」。駅は海辺ではありませんが、車窓から見える海岸もいい感じです。もうひとつ手前の湯浅は醤油で有名な街で、昔の町並みが残っています。ここをちょこっと観光。ここから由良へ向かう道は和歌山県道23号と24号ですが、海辺の集落を通る道がこれと交錯するようにあります。旧道と新道の関係のように見えます海岸に近いあたりを辿って、なるべく車が少なくて静かで楽しく景色を見ながら走れそうなコースを考えました。寄り道の分も含めて20kmほどの行程です。

[ 湯浅の町並み ]

 日の出早々に家を出て新大阪へ。電車を乗り継いで2時間半あまり。組み立てた自転車に乗って、町並み保存地区をひとまわり。

[ 海辺へ ]

 市街をぬけて来た県道はここで左に折れますが、その道は広川まで鉄道線に沿って内陸を進みます。右の道は港の手前で曲がって、外海の方へと向かいます。

[ 湯浅の街を見おろす ]

 岩海岸には小さな半島のような突出部が多くあります。波のあたる崖下を避けて、たいていの道は一段高い所を越しています。このため、道はアップダウンの繰り返しになります。
 道は海岸へと小山の間の低い鞍部を越します。

[ 外海が見えて来ました ]

 ひと山越して少し下ると海が見えて来ました。ここは太平洋に続く紀州の外海。瀬戸内の海とは海の青さが違います。

[ ミカンの産地 ]

 海岸の突出部の間の小湾とその背後の土地に集落があり、道はこれを繋ぐようにひと山づつ越えています。道の沿った陽あたりの良さそうな山腹はミカン畑になっています。畑はすいぶん上の方まで続いていて、収穫作業をされている方の姿もありました。

[ 広川ビーチ ]

 気持ち良く走るうちに、少し大きな湾に出ました。海岸は砂浜になっています。ここが広川の海水浴場のようです。様子を見にちょっと寄り道しました。当然ながら、誰もいません。
 ここからJRの「広川ビーチ駅」へ行ってみることにしました。案内看板には1.2kmと書かれています。徒歩ならはちょっと遠い距離です。

[ 広川ビーチ駅 ]

 ここはホームだけの無人駅。駅舎に見えるのは観光物産センター「ふれあい館」。季節はずれだから閉まっているかとも思ったけれど、地元産の野菜ものとか、いろいろありました。駅前が湯浅から来ている県道23号ですから、道の駅的な機能も果たしているのでしょう。
 元々ここにあった信号所を駅に昇格し、その際に観光っぽい名にしたようです。海岸からも集落からも遠いのはそのためらしいですが、もう少し西側にずらした位置にできなかったのでしょうか。

[ 集落道 ]

 駅前から県道23号を進んで来ました。現県道は昔の道を拡幅した姿のようですが、集落の所だけ家並みを避けて迂回したようです。ところどころ、集落へ続く細道があります。こちらを辿ってすすみますが、またすぐに新しい道に取り込まれます。

[ 海岸をみおろす ]

 展望台というほどでは無いですが、海岸の崖の上に出たところに、ちょっと広い場所が作られていました。

[ 旧道へ ]

 鈴子という集落の手前。県道はこのまま坂を下り、海岸の高い護岸の上を通っていますが、左の細道は山腹に沿ってぐるっと回って進み、海岸の崖の上縁を辿っています。こちらが古い道でしょう。

[ 崖上の道 ]

 畑の脇、集落の脇を通った道は少し登って海岸の崖の上に出ました。小型の自動車でないと厳しい道ですが、そこそこ利用されているようです。標識によると、広川町から由良町に入るようです。

[ 見晴らし ]

 細道は地形に合わせて上下しながらうねうね続いています。この場所では拡幅も線形改良もできません。新しい広い道はこのすぐ下を通っていて、三尾川の谷間を越えて向かい側の崖上(段丘?)へ登ります。細道は山腹に沿って谷奥から登り返します。

[ 山越え ]

 海岸の突出部の上を回った先に分岐があります。ここが今回の行程の重要ポイント。
 左の広い道が県道23号。このまま山腹に沿って進み、陸側のずっと奥へ向かい、稜線を越えて国道が通る低地へ出ます。右の細道は一旦海岸の集落へ下ります。この2つの道はまた交錯するので、実はどちらを進んでも良いのですが、ここは右を選びました。

[ 県道との別れ ]

 集落を抜けて谷間を少し登ると、また広い道に出ました。そこで振り返ったのがこの写真。
 左の細道が集落から来た道。その上段を奥から来るのが県道。県道は中央のY字を曲がって写真の右へ行きます。写真手前方向がこれから進む道。この部分は県道整備の際に綺麗にしたのでしょうが・・・

[ 衣奈へ向かう ]

 県道から分かれた道は・・・すぐに細道に戻りました。そのまま右側の山腹にとりついて登りはじめます。右側の山は大島山というらしいです。左側の谷間には畑やミカン畑があります。その向こうの山腹のだいぶ高い所に白いガードレールが見えますが、あれが県道のようです。こちらの道もやや傾斜を増して登って行きます。

[ バス通り ]

 農地へのアクセス以外にも利用されていらしく、乗用車の通行もあります。大きなのが来たらイヤだと思っていたら、やはり来ました。道が細いのでミニのバスでも大きく見えます。

[ 切り通し ]

 緩くうねりながら登ってゆくと、その先は深い切り通しになっていました。

[ 衣奈 ]

 峠を越えると海側からの谷間に続いていました。その先が衣奈。大きな漁港がある集落です。
 衣奈へは国道の方から県道23号から県道24号を通って来れます。それでもこの道は周辺地域との交通路として重要な道のようです。軽トラや小型の乗用車が断続的に通ります。

[ 紀伊水道 ]

 この地域は紀伊半島が西へ張り出したところの南端のあたり。南側を流れる黒潮が横を擦って通ります。和歌山を過ぎてこのあたりまで来ると、急に一段暖かく感じられます。今日は風も弱くて陽も差して、ほど良いサイクリング日よりになりました。海を眺めながら、ここでちょっと遅い目の昼食にしました。

[ 県道? ]

 衣奈の漁港を過ぎた少し先。地図では、ここに新旧の道の分岐があるように描かれています。海岸線に沿って長いトンネルで突出部を抜いて海岸線近くを行く道と、崖の上に登って山塊の鞍部を越える道。線形では前者が新道で後者が旧道でしょう。しかし黄色(県道の色)で描かれているのは後者。
 右の広い道はそのままトンネルに続きます。すると、左のひょろい道が県道??

[ 海岸のトンネル ]

 大きなトンネルはちょっと長く、しかも緩く曲がっています。ほとんど車が通らないのが幸い。路面も綺麗です。それでもちょっと緊張して走るうちに出口が見えて来ました。
 
[ 建設技術のコラボ ]

 緩くカーブした大きなトンネルと大きく高い橋。現代の道路建設の定番です。こういう場所は大きなトラックが主役で自転車は肩身が狭いのが普通ですが、ここは軽自動車が時々通る程度。(大型車は県道を通っているという事は無いはずですが。)

[ 戸津井の港 ]

 橋は漁港の湾の上をひと跨ぎしています。風が強ければちょっと怖い高さです。

[ 橋を渡って ]

 橋を渡った新しい道はすぐに次のトンネルへ進みます。ここはその手前。左は戸津井の集落へ行く道で、その先には山中を抜けて来た県道24号があるのですが、(当然か)何も書かれていません。
 新しい道はここから長いトンネルで次の「小引」へ抜けるのですが、闇の中では面白くないですから、崖の上を行く「県道」へ進みます。

[ 県道の標識 ]

 集落側から折り返して一段上って来ました。下に新しい道の橋が見えるあたりに、やっと県道の標識がありました。こちらが県道だとは、新道を通っている人に気づかれたくないのかもしれません。

[ 白崎 ]

 一段高い所へ出ると視野がかわります。道脇の藪の間から海が見えます。視線のずっと先、ここまでとはちょっと形の違う岩が見えます。あのあたりが白崎鼻でしょうか。

[ 戸津井からの道 ]

 広い新道は小引までのようです。小引をすぎると、細道ではないけど、あまり広くない普通の道になりました。道は海岸沿いに進み、途中から崖の中段へ登ります。
 振り返ると、戸津井から来た道が見えます。遠くにトンネルと橋。手前の突出部の中段を県道が通り、新道はその下の地中です。

[ 白崎の水仙 ]

 白崎の水仙群落は見応えがあります。山腹と海岸近くに群生地があり、お天気が良ければ広大な海の景色とたくさんの水仙が楽しめます。
 観光地としては余所ほど知名度が高くないですが、それでも時期には賑わうらしいです。公共交通機関では来にくい所ですが、自家用車やバイクなら難しくない所です。今日は休日ですから、自家用車やバイク集団がたくさん居るのではないかと少し心配したのですが、やはりほとんどいませんでした。(ここまでの行程で行き会ったサイクリストの無し。)
 昨年は開花が不揃いで咲き具合も良くなかったですが、今年は早くからたくさん咲いていました。昼を過ぎて少し陽が傾きかけた時間ですが、やはり青い海とスイセンの取り合わせは綺麗です。

[ 白崎の奇岩 ]

 水仙群生地からはすぐ近く。名前のとおり、岬のあたりの岩山は白いです。ここは海洋公園として整備されていて、道の駅も置かれています。ここからは良く知った道ですから、ここでミカンを買いました。自転車でお出かけする場合の難点のひとつが荷物。あまりかさばる物や重い物は買って帰れません。

[ 由良への道 ]

 白崎から道は海岸に沿っていて、この区間は比較的綺麗に整備されています。歩くとちょっと長く感じる道ですが、自転車だとあっけいなほどです。

[ 大引 ]

 ここは大引の集落。ここまで由良からバスが来ています。左の木造の小屋がバスの待合所。民間の路線バスですが、事実上はコミュニティバスです。

[ ふりかえって ]

 ここから由良の駅へ向かいます。ふりかえると、青い海の向こうに白崎の白い岩が見えます。
 バスは途中で海岸を離れるルートを通りますが、今日はこのまま海に沿う県道を走ることにしました。見覚えのある景色と初めて見る景色。

 あまり風が無かったのが幸い。青空からの陽が気持ち良かったです。全部舗装された道で、ロードでも走れる程度の道です。微妙にアップダウンがありますが、長く続く登りはありません。観光時期でない休日という事もあるのでしょうか、新しい道も交通量は多くありませんでした。難点は途中で食料の調達が難しいぐらいです。(新大阪で買って行きました)
 ゆっくり走って景色を堪能して、町並み観光なども含めて所要3時間半ほど。電車を乗り継いで、帰路はやはりライトが要る時間になりました。


2015年11月24日

2015年11月20日 阪急嵐山駅→府道50号→ 六丁峠 →保津峡駅→林道松尾谷線 → JR亀岡駅]

 毎月1回自転車でお出かけするつもりでいます。だから何処へどの時期に行くか、先回りして計画を立てています。11月は紅葉の時期。ならば紅葉の名所へ行きたい。自転車から紅葉を見れる場所。自転車でなければ行きにくい場所。

 京阪神あたりで紅葉の名所はいくつかありますが、観光地として知名度が高いのが嵐山。この上流の保津峡あたりも観光の名所。秋には色づいた山が綺麗です。保津峡には川下りの観光船と観光トロッコ列車が通っていて、上流側は亀岡です。
 トロッコ列車の線路は昔の山陰本線です。複線電化された現在の線路は長大トンネルでここを抜いていて、峡谷は僅かな明かり区間から見えるだけです。京都側から亀岡へ向かう道路はこの峡谷を避けて、国道は南側から回り込み、府道は北側の山の中を越しています。
 保津川の右岸には、昔は曳き綱をして遡上するための綱道があったそうで、岩伝いに徒歩ならこの道筋を辿ることはできるそうです。しかしこの峡谷に沿った道筋をバイクで通行した話に出会いました。いくつかの地図を見ると、峡谷に近い山中を辿る道筋が(部分的に)描かれています。ここを通り、紅葉の峡谷を眺めながら走ることを考えました。

 嵐山からJRの保津峡の駅付近へは、府道50号が通っています。この道は峡谷の張り出し部分を高巻きするように乗り越えています。サミットは「六丁峠」で、距離は短いけれど坂のきつい道のようです。保津峡駅側の区間はかなり川に沿っていて、景色も見えそうです。道幅が狭く自動車は地元の交通程度らしいですから、自転車でのたのた走るには良さそうです。この区間の川に近い所を辿る道があったらしいですが、現在はハイキング道としても通行不能らしいです。
 JRの保津峡駅から先、府道は支流に沿って北側へ大きく迂回して水尾へ向かいます。この道を約1kmほど行ったあたりから対岸を折り返す道があるようです。地形図では、この道は山腹を急坂で登って峡谷の崖の上へ出て、峡谷に沿って進み、最後は亀岡側の府道に繋がっています。しかし他の地図では、この道はまったく描かれていないか、行き止まりになっています。これに近い位置に徒歩道が描かれている地図もありました。林道か廃道かそれらを転用したハイキング道でしょうか。航空写真で見ると、地形図の道筋のあたりに明瞭な路面が見えます。ここを走って亀岡を目指すことにしました。
 途中にけっこうな高低差を越える急坂の峠区間がありますが、全体を通しても距離は長くないです。ゆっくり景色を見ながら走るのを目的に、お天気の良い平日(嵐山の混雑を避ける意味)を狙ってお出かけです。

[ 桂川 ]

 通勤時間帯の終わりぎりぎりに吹田から輪行。阪急の嵐山駅で自転車を組み立て出発。阪急の駅は桂川の右岸にあり、嵐山には届いていません。観光客に混じって桂川沿いの公園へ。

[ 渡月橋 ]

 観光名所の橋。観光客に混じって自転車を押しながら渡りました。観光シーズンですから、平日でもけっこう混雑しています。

[ 川下りの終点 ]

 渡月橋の上流側が観光船の下船場所です。ここまで下った船はトラックに積まれて出発点へ戻されますが、(峡谷沿いに通れる道が無いので)国道8号を通るそうです。

[ 秋の嵐山 ]

 今年の紅葉は全然美しくありません。色づいてる樹も枝ごとに色の具合が不揃いです。まだ緑の樹もあれば色づかずに散ってしまった樹もあります。それでも観光客は多いです。

[ トロッコ嵐山駅 ]

 嵐山の中心部へは向かわず、西側へ公園を抜ける道を通りました。竹林の間から線路が見えます。ここが新旧の山陰線の分岐点。嵯峨野駅を出たトロッコ列車はここから右の旧線へ入ります。

[ 観光エリアの端 ]

 観光シーズンですから、嵯峨野あたりの道は徒歩の観光客や人力車がたくさん通っています。観光用のレンタサイクルも走っています。これらのスピードに合わせて有名な寺の並ぶ一帯をゆっくり走り、化野念仏寺過ぎて少し先まで来ました。このあたりが観光エリアの端。人の姿がぐっと減ります。府道50号はここを左に折れると山の道になります。

[ 府道50号 ]

 左に分かれた道は樹間を急な坂道で上りだします。ひとうねりふたうねりするうちに傾斜はぐっと増して来ました。路面は少し湿っていて小石や落ち葉もあります。少ないけれど自動車の通行もありますから、ここは安全第一。無理せずに押して登ります。

[ 六丁峠 ]

 峠下からの標高差は100mほどです。坂が急な分だけ短い距離で峠に着きます。切り通しの向こうの視界が急に明るくなった所が峠。切り通しの上の高い所には観光道路の橋が架かっています。峠を越えるのに橋の下を潜るというのは奇妙な感じです。

[ 保津川を見下ろす ]

 峠を過ぎると道は峡谷側に出ます。下に保津川が見えます。高低差が100mあまり。道は写真左側の山塊を越えて来ました。川はこれを迂回するように手前側から奥側へ曲がって流れています。見えている鉄橋は旧線(トロッコ列車)のもの。

[ ヘアピンカーブの道 ]

 峠を越えた道は川岸へと100m高低差を下ります。峠の亀岡側の道はうねうね九十九折りですが、やはり勾配はきついです。やはり路面に小石や落ち葉が少しあります。スピードを出すのはリスキーですし、せっかくの景色を見なきゃもったいない。途中で止まりながら最徐行で下りました。

[ 峡谷の景観 ]

 ヘアピンをふたうねり越えて峡谷側に張り出したあたりに来ました。奥が亀岡側。トロッコ列車は対岸の崖下を通っています。谷に架かる細い橋はトロッコ保津峡駅へ渡る橋です。ハイキングらしい通行人が少しあります。

[ 観光道路風 ]

 支流の谷に回り込みながら九十九折れの急坂を下って来ました。この支流を渡る橋が落合橋。道はそのままトンネルに続いています。ここまで来るとかなり人がいます。保津峡の駅から歩いて来たのでしょうか、がっつりハイキングというよりも散策らしい姿の人が多いです。

[ ハイキング道っぽい ]

 依然狭い道ですが、路面は峠区間よりもきれいです。道は河原より1段高いあたりを緩く上下しながら続いています。

[ トロッコ保津峡駅 ]

 駅は対岸にあります。ここから少し下った所に細い橋が架かっています。

[ JR保津峡駅 ]

 JR保津峡駅は長いトンネルとトンネルの間の短いあかり区間の橋の上にあります。駅のホームから峡谷の写真を撮っているらしい人が見えます。先の落合橋からJRの駅までは1kmほどです。この区間は保津川に沿っていて傾斜も緩いです。徒歩観光らしい姿が見られます。

[ 道しるべ ]

 JR保津峡駅の近くまで来ました。左に折れて橋を渡る道は駅で行き止まり。府道はここから右に折れて支流の谷を登り、水尾を経て北へ向かいます。水尾経由でも亀岡へ行けますが、400mの峠越えで距離もあります。

[ ハイキングコースの案内板 ]

 府道50号は支谷に沿って登ります。傾斜はややきついぐらいですが、路面はけっこう荒れています。支谷に入ってから1kmほど。そろそろ分岐があるあたりと思っていると、ハイキングコースの案内看板がありました。明るいハイキングらしい絵柄ですが、肝心の道など、ずいぶんおおざっぱに省略されています。

[ 廃ハイキング道 ]

 案内板の横には亀岡を指す標識がありましたが、その先は激藪です。この先通行止めの看板も古びています。だいぶ前から通れないまま放置されているようです。
 いくつかの地図にあった徒歩道はこれでしょう。ここで谷を渡って対岸の斜面を登る道筋であれば、崩落していなくても自転車連れて抜けるのはしんどいでしょう。

[ 一般車両の通り抜けはできません ]

 ハイキング道の標識より少し先。頑丈そうなコンクリ橋がありました。ここが亀岡への抜け道の分岐。道ばたのカラーコーンと長く放置されているような標識。一般でない車は通り抜けできるのか?途中でどうなっているのか判りませんがかなり通行量があるらしく、道にははっきり轍があります。写真を撮って小休止していると普通の乗用車が1台抜けて来ました。

[ 林道松尾谷線 ]

 林道定番のおことわり書きがありました。やはりこの道は林道でした。看板の横にあった標識によると、この林道の延長は3kmほど。途中にガレ場があっても越せないほどの距離では無いでしょう。

[ 舗装道路 ]

 小石がだいぶ散っていますが、しっかり舗装された道です。ちゃんとガードレールもあります。自動車もけっこう通っているらしく、くっきり轍が付いています。地形図で見ると、この先の稜線越えまで標高差が100mほど。

[ 廃キングコースと交錯 ]

 地図の混乱は、この林道と廃なハイキングコースの交雑によるものらしいです。距離は少し長いですが、林道を通れば済むので荒れた徒歩道が放置されているのかもしれません。

[ 林道の峠 ]

 東側から登る道は細い沢に沿って稜線を目指す線形です。路面の状態もあるので、激坂の所は無理せずに押して登りました。傾斜が緩くなって視界が急に開けた所が峠でした。

[ 崖の上から ]

 このあたりは保津峡がいちばん狭く切れ込んで蛇行しているあたり。ハイキングコースはそのまま高巻きするように山塊を乗り越しますが、林道は少し下って崖の上の方に出て、そのまま緩く下りながら崖の縁に沿って続きます。峡谷の屈曲に沿う分だけ距離は長いですが、景色は良いです。
 道が山の端をまわりこんだあたりまで来ました。直下を川下りの船が通って行きます。このあたりでも川もまで80mほどの標高差があります。

 ここまで来ればもう難所は無さそうです。予想以上に順調に来れました。お天気もほど良いので、ここで昼食をとってのんびり休憩。その間に何台かの自動車とバイクとハイカーが通りました。自転車は無しでした。

[ トロッコ列車 ]

 対岸をトロッコ列車が通っています。
 現山陰線は保津峡の両岸の山腹を串刺しするように6本の長いトンネルと5つの短い橋で抜けています。対して旧線は短いトンネルで山の端を避けながら川に沿う崖をへつるように通っています。単線ですが元々は重要な幹線です。石積みとコンクリ補強と交えた護岸は観光鉄道には不似合いなぐらいごつい姿です。

[ 現・山陰本線 ]

 現在の山陰線は長いトンネルを連ねてここを抜けています。峡谷の屈曲部は長いトンネルで抜いて、そのまま橋を渡って対岸の山腹へ。電車はこの短い明かり区間を一気に走り抜けてゆきます。車窓から景色を見る余裕はほとんどありません。

[ 保津峡を見下ろす ]

 保津峡は山間の谷間ではなく、元々は傾斜の緩い平地が隆起した所。峡谷の両岸は緩い丘陵地です。道は崖の上縁近くをへつりながら微妙にアップダウンしながら続いています。

[ 高見の見物 ]

 木々の間から見下ろす川はだいぶ下にあります。下からはザワザワ・ゴーゴーという川の音が響いて来ます。喚声がきこえたので下をのぞくと、川下りの船が通っていました。

[ 地道になりました ]

 林道はそのまま川に沿って続きました。道幅も勾配もあまり変わりませんが、ちょっと谷間が広くなったあたりで、それが突然地道に変わりました。ここで地道とは。
 路面の変わり目の近くに林道の標識が立っていましたから、ここまでの舗装道路が林道? ならばこの先の地道は? 小石は多目で水溜まりもありますが、深い洗掘は無く、ランドナーなら気分良く快走という程度の道です。

[ 保津峡 ]

 地道を緩く下って走るうちに、川との高低差がだんだん縮まって来ます。峡谷も少し幅が広がって来ました。峡谷見物も終点が近いようです。

[ トロッコ列車 ]

 川の右岸の一段高い所にはトロッコ列車の線路があります。観光鉄道といっても、元々は山陰本線の線路。擁壁も橋梁も強固に見えます。時刻を見て少し待っていると、ゴトゴトと音が聞こえてきました。秋の観光シーズンらしく、平日ですが列車は満員のようです。

[ 保津川下り ]

 大きく屈曲して流れる川には大きな淀みと岩の間を流れる急流が交互にあります。流れに乗って瀬を越える船からは喚声が聞こえます。

[ 府道401号 ]

 地道を進むと、六角形の標識が裏側を向けて立っていました。ふりかえって見るとやはり府道の看板。地道の方に向いて立っているのだから、ここまでの地道はやはり府道なのでしょうか。

[ 川沿いの集落道 ]

 標識を過ぎると路面は舗装にかわりましたが、道幅は依然細いまま。樹間を少し進むと集落になりました。
 こちらは川の左岸。亀岡の駅は右岸ですから、この先で川を渡らなければなりません。駅近くに大きな橋がありますが、高い高架に続く自動車向けの橋で、これを自転車で通るのは面倒そう。

[ 亀岡の風景 ]

 集落を過ぎたあたりに細い橋が架かっています。護岸より低く手すりもない簡素な橋。この橋を渡って右岸へ。川下りの観光船が橋の下をくぐってゆきました。船頭さんは身をかがめていました。あたりはのどかな秋の田園風景です。

[ 川下りの乗船場 ]

 川の土手に沿ってもう少し遡上。高く大きな橋をくぐった少し先が川下りの船の乗り場。ここまで来ると亀岡の駅はもう目の前。今度はトンネルの連続で保津峡を抜けて戻ることになります。
 コース全体、急傾斜の厳しい登坂区間は少なかったです。下りは落ち葉や小石を警戒したこともありますが、景色を見るために頻繁に停車してゆっくり走行。途中ではのんびり休憩もしました。総計で4時間近い所要時間ですから、平均するとハイキングより少し速い程度。
 亀岡駅で自転車を分解して袋詰めして、快速電車を乗り継いで新大阪へ。陽の短い時期だけど、余裕をもって明るいうちに帰宅できました。


2015年08月22日

2015年08月22日 美濃赤坂→垂井→関ヶ原→国道365号→県道531号→大清水→春照→郡上→高月→木之本

 夏の暑さは一段落して急に秋っぽくなって来ました。問題はお天気が不安定なこと。前線がのったり横たわっていて、台風も近 くを通ってゆきます。お天気の具合を見てお出かけの計画を立てました。
 急な降雨がありそうな時は山地越えのコースは避けたいです。雨のあとは地道とか路面や路肩の心配もあります。交通量の多い 幹線道路も、降られれば危険が増します。

 前線の雨と台風の合間の晴れ間を利用して、美濃から関ヶ原を越えて近江へと、比較的軟弱なコースを走ることにしました。 がっつり山地を越えて彦根へ向かう中山道に対して、伊吹山の裾をまわる「北国脇往還」の道。電車の窓から何度も遠くに眺めて いたあたりで、昔の東海道線の鉄道線路はこちら側を通って長浜へ向かっていました。北国脇往還は美濃から若狭・越前への短絡 ルートです。賤ヶ岳の合戦の際には、大垣から木之本へと、豊臣秀吉の軍勢が5時間ほどで走り抜けた道です。
 いろいろあるあたりですが、今回の目的は、歴史街道を辿るというのでもなく、旧線路跡を辿るというのでもなく、ただのんび り伊吹山山麓を満喫する旅という感じ。

 昔の街道に相当するのが現国道365号。関ヶ原から長浜への鉄道線路跡は道路転用され、国道と県道になっています。この道 に沿う集落をつなぐように続く細い道が旧街道でしょう。峠越え区間の最高点は300mあまり。蒸気機関車の列車が通っていた 道筋ですから、自転車にとっては急勾配というほどではないでしょう。
 一応の終点は、長浜または木之本。出発地は、中山道 の宿場の美濃赤坂にしました。コース全体が現在の鉄道駅からあまり遠くない所を通っています。国道でも集落道でも道の具合と 気分で適当に選んで走れます。コース沿いに集落がたくさんあり、自販機やコンビニもあちこちあります。つまり、どこでも途中 エスケープ可能で、ルートもコースタイムも適当ですみます。

[ 美濃赤坂駅 ]
1508a
 夏の鉄旅の時期です。少し早く家を出て、ここまで輪行。大垣で乗り換えて2駅で終点の美濃赤坂。無人駅ですが、駅舎は大き く立派です。

[赤坂の宿場 ]
1508b
 ここは中山道の宿場街。本陣の跡のあたりまで来ました。ここから近江へと、古い街並みを眺めながら西へ向かいます。

[道の案内看板 ]
1508c
 集落道より少し太いぐらいの道筋です。家並みの中を緩くうねりながら続いている線形は古い街道っぽいてす。主要道と交差す るあたり、ところどころに案内看板がありました。地図を見て道を辿りながら垂井に向かいます。川沿いの平地ですが、少しづつ 登っています。

[垂井宿]
1508d
 中山道はここで川を渡って右岸の山腹へとりつくようです。地図で見ると、点在する集落を辿ってそのまま左岸を進む道もあり ます。左岸の道の方が古い時代のものでしょうか。微妙に悩みましたが、今回は中山道を辿ることにします。
 最初のエスケープポイントの垂井駅がありますが、当然ここはそのまま進みます。

[垂井の一里塚 ]
1508e
 垂井の集落を抜けると現中山道の国道21号と交差します。山腹に沿って登る道の途中にある中山道の一里塚です。集落道は現 国道と交錯しながら続きます。横の国道は大型車が通って喧噪ですが、こちらは静かです。

[相川の谷間]
1508f
 旧街道が現国道と交錯するあたりで、歩道橋の上に登ってみました。右が現国道21号。真下が現JR東海道線。この区間の勾 配は25‰だそうで、貨物列車などは勾配緩和のため向こう側の山腹に沿って(迂回)登っています。自転車にはさほどきつくな い登りです。

[関ヶ原 ]
1508g
 なるべく国道は避けて旧道らしい道を走っています。しかし一部は上書きてれて細道が途切れています。大型車も通るので、道を渡るのもやっかいです。
 ここは第2のエスケープポイントの関ヶ原駅。集落道はゆっくり走って、のったり観光しながらですが、ここまで1時間あまり。 自転車の調子も問題無いので、そのまま先へ進みます。

[関ヶ原の集落道]
1508h
 関ヶ原駅の西で線路を渡りました。このあたりは「関ヶ原の合戦」の戦場となったあたり。陣地跡とか塚とかいろいろありますが、それらは横目で見流して先へ進みます。
 関ヶ原からの先の区間の現国道は365号で、国道のルートが鉄道跡らしいです。地図ではこの国道と交錯してながら集落を抜ける道が見え ます。こちらが旧街道よのようです。街道といって脇街道だからでしょうか、けっこう細い道です。

[観光地]
1508i
 関ヶ原は歴史上有名な場所。いろんな物があります。ここは『珍』かがった施設らしいですが、今日は横目で見てそのまま通過。

[長浜・木之本へ]
1508j
 伊吹山への登山道の入り口の交差点。ここからもう少し峠道が続きます。青看板に長浜と木之本の地名がありました。長浜へは19kmで、木之元へは31km。近いような遠いような微妙な距離。

[峠の街道っぽい]
1508k
 休日ですが交通量はそれほど多くないです。それでも国道は喧噪。乗用車は速いし、大型車は威圧感がありますし。鉄道線路跡を忠実に辿るという気は全然無いので、なるべく横の集落の道へ入り込みます。
 細い道は緩く曲がりながら続きます。狭いし凹凸はあるし落ち葉や小石もあります。ロードバイクで急ぐ人は国道をどうぞ。のたのたとろとろ走るランドナー にはこんな道が最高!! って、きもち良く走っていたら、この道は少し先で新道に踏みつけられてとぎれていました。ちょっと引き返して、右手上の国道へ戻 りました。

[鉄道線路跡と街道の分岐]
1508l
 県境を越えて滋賀県に入ってます。関ヶ原からここまで藤古川に沿って登ってきました。旧東海道本線は地形の緩い所を狙って、ここから川筋を離れて左手の支谷から峠越えし、長浜へ向かいます。
 ここは重要なセーブポイント。鉄道跡をたどるならば左へ。低い峠を越えれば、現東海道線の近江長岡駅も近いです。鉄道線のルートにも興味はありますが、まだ時間はお昼前。旧街道ルートを行くことにしました。

[旧街道はこちら]
1508m
 さきほどの交差点は騙しでした。青看板が木之本を示していたのはバイパス道で、旧街道はこちらのようです。少し坂を登って集落へ。結局はその先でバイパス道に回されるのですが・・・

[峠を前にして]
1508n
 峠下の集落を抜けました。岐阜側をふりかえって見ています。この谷間を登ってきた訳です。道の先に細い地道がありました。これが旧街道でしょうか。地図 では県道色に塗られていますが、途中で檄藪になってて通り抜けられそうにありませんでした。(廃道?) バイパスへ回りました。

[峠]
1508o
 県道(バイパス)は山裾の丘陵部を越えます。ここが峠でしょう。この先の雨水は天野川となり、米原へ流れます。

[林間の道 ]
1508p
 峠を越えて少し。林間の細道がありました。どうやら、こちらが旧道。バイパス道は伊吹山の裾に沿ってそのまま高度を保って進みます。先を急ぐなら右でしょうけど、まだ陽は高いです。こんな美味しそうな道を通らない手はありません。
 時刻はお昼を少し過ぎた頃。ここで休憩して昼食。

[大清水の集落]
1508q
 丘陵地から下って来ました。視界が一気に開けました。このあたりから先は伊吹山の南西側の大きな扇状地。伊吹山から地中を流れ下った水が湧き出す所で、このような地名なのでしょう。

[泉神社のわき水]
1508r
 せっかくだから、集落の中へと少しまわり道。お賽銭を置いて、お水をいただきました。有名な湧水ですが、冷たくて口あたりの良い水でした。水質はもちろ ん湧き出す勢いもたいしたもの。大きなボトルとかポリタンクとか持って水を汲みに来ている方が何人も。
 峠も越えたし、この先の道には自販機も多いです。残り少ない自転車のボトルの水は飲みきって、ここに御神水をいっぱい詰めました。この先、何ごともなければ家まで持ち帰ってお茶をいれることにします。

[伊吹山]
1508s
 弥高川の扇状地の中段を通る道(県道)を辿っています。現県道バイパスはこの少し上を通っています。地図で見ると、扇状地の裾に連なる集落を繋ぐような道筋もあります。現国道365号(線路跡)はこの少し下を斜めに下るように通っています。

[春照の街 ]
1508t
 扇状地を巻くように進んで来ました。ここは春照。脇街道の重要な宿場でした。一見ふつうの農村ですが、道に沿って長く伸びた街の中には立派な建物や大きなお寺などがあります。

[みちしるべ ]
1508u
 陸路で木之本・越前へ向かう北国脇往還。長浜へ出て船で湖上を北や西へ向かう行き方もあります。ここは昔の道の分岐点。今日は右へ進みます。

[田園サイクリング]
1508v
 伊吹山に沿って走って来るうちに、南側の山塊が迫ってきました。自動車が多くて喧噪な道を避けて細道を辿っています。この山間を流れる川は姉川。国道 (線路跡)は川の対岸を通っています。のどかな田園風景です。陽が照るとちょっと暑いけれど、やはり青空は気持ち良いです。
 このあたりから、だんだん向かい風が強くなって来ました。平地だけど、いくらか漕がないと進みません。スピードを出そうとすると空気抵抗が大きくなるので、そのままのたのた走行を続けます。
 
[今荘橋]
1508w
 ここもコース上の重要なポイント。山塊を避けて対岸を北上してきた鉄道線路は、ここで西に向きを変えて長浜へ向かいます。鉄道跡を辿るなら、長浜へエス ケープするなら、ここが分岐点。現国道はそのまま対岸を北上します。急ぐなら橋を渡って国道へ。でも今日はこのまま集落づたいに走ります。

[草野川橋]
1508x
 姉川に沿った平地はきれいに区画整備されています。点在する集落と集落の間の道は整理されて旧道らしい道筋は判らなくなっています。どのみち、大きな川 は新しい道の橋を渡ることになるので、国道を通っています。(地図で集落の繋がりを辿ると、街道はもうひとつ下流の新湯田橋を渡るコースだったかもしれません)

[虎姫へ ]
1508y
 今回のコースは少し横を鉄道が通っています。だから随所でエスケープ可能です。この点は先月のコースとは真逆。道ばたに自販機やコンビニがあるのも大違い。
 ほぼ平坦な農地の中を行く道で、国道の歩道は走りやすいです。でもそれではこの地を走る値打ちが無いです。地図で道を探しながら田んぼの中の道へ進みます。

[農道サイクリング]
1508z
 という事で、国道から農地の間の道へ。水田の稲穂は少し色づいて来ています。なんとなく夏も終わりが近い雰囲気です。
 琵琶湖周辺の平地には小さな山塊がいくつも散らばっています。山地が沈降してその間の谷が湖の堆積で埋められたのでしょうか。道はその山塊(元は島?)の間の平地を伝うようにうねうねと続いていたのでしょう。

[郡上宿跡]
1508za
 小谷の城跡の近く。郡上宿の看板がありました。何も無いよりはずっとマシだけど、観光的な意味はどのぐらいあるのかしら。
 ここもエスケープポイントです。このあたりから真西の位置に河毛駅があります。向かい風が続いてちょっとしんどいですが、お天気は良いです。このまま先へ進みます。

[道標]
1508zb
 すぐ横を現国道が通っていますが、それは最後の手段。できるだけ集落伝いに細道を走っています。耕地ではあきらかに旧道の線形では無いところが多いです が、集落内をうねりながら通るような道は古い道っぽいです。ところどころ、文字のかすれた道標があったりします。中にはあきらかに新しい物もあります。石造りでも、この手形はどうかと思います。

[高時川を渡る]
1508zc
 高時川は福井県境の栃の木峠から流れて来る川。ここまで来ると湖北という感じがします。木之本まではあと少し。

[サイクリングロードの標識]
1508zd
 橋を渡ると、なんとなくお馴染みの標識が迎えてくれました。ここからしばらく、高時側の土手の桜並木の道がサイクリングロードになっているようです。葉陰でちょっと涼しい道を走ります。
 ここも予定したエスケープポイントのひとつ。このまま直進すると高月駅です。微妙な時間ですが、ここまで来たのだから、予定どおり木之本を目指すことにします。

[木之本]
1508ze
 高月の街並の先には木之本の家並みが続いていました。国道365号と国道303号と国道バイパスがからみ合ったあたりを避けて、集落道を適当に走ってい るうちに、木之本の宿の南側の鍵の手に出て来ました。(写真は鍵の手側からふり返ったところ)
 木之本の街はなにやら飾り付けがされていて、屋台とか準備中。お地蔵さんのお祭りでしょうか。何度が来てお馴染みの通りを抜けて木之本の駅へ。自転車を袋詰めにして、新快速電車に乗ればそのまま新大阪です。夕飯頃には帰れます。

 途中で寄り道や観光や休憩もしましたが、美濃赤坂から木之本まで、5時間半ほどかかりました。後半向かい風に遭いましたが、平均時速10kmほど。自転 車ツーリングとしてはゆっくり目でしょうか。馬を乗り継いでこの行程を5時間で駆け抜けた秀吉軍はずいぶんしんどかったで しよう。
 木之本の駅前の観光案内所は地元産物の直売所になっています。あとは電車にのって帰るだけです。お土産は茄子や羊羹。そして道中の御神泉の水。 


2015年04月29日

2015年04月29日 マキノ駅→海津→[追坂峠]→国道161号→[マキノ町野口]→[国境]→[深坂]→[疋田]→国道8号→敦賀駅

 4月は桜と思っていくつか行き先を考えていたのですが、先月後半から今月初めの頃はお天気が良くなかったです。少ない晴れ間は花巡りに使ってしまって、サイクリングに出かけられませんでした。
 そのお天気もやっと安定して来ました。雑事の合間を見合わせて、月が変わらないうちに自転車でお出かけ。合間を見て走ろうと地図しらべしてあったコースの中から、今回は「七里半越え」の道。歴史ある峠越えのコースですが、がっつりとハードなコースではなく、ちょっと隙間狙いのようなコースです。

 越前から近江へ抜けるルートはいくつかあります。その中で直接湖西へ抜けるルートが「七里半越え」と呼ばれる道。敦賀から海津まで約30kmの道程で、急坂は少なく最高点も400m弱。馬の背による物流の主要ルートでしたが、峠越えの山中の区間が長いため旅人にはけっこう辛い道だったそうです。現在の国道161号がこの道で、現在も大型トラックなどが往来する道です。この点では休日の方が走りやすいのではないかと考えました。

 いくつかの理由で、敦賀から峠越えて近江へ南下する方向に走るつもりだったのですが、今朝の天気予報で急遽コースを逆に変えました。新大阪から輪行はマキノまでにして、ここから敦賀へ走る。

[海津の街]
1504a
 マキノ駅から一旦湖岸へ出ました。ここは琵琶湖の舟運で栄えた海津の街。通りを走って街の入り口まで来ました。昨年の桜の時期には、湖岸の桜並木を通ってここへ(写真右の道から)来ました。今日は左へ進みます。

[旧道っぽい]
1504b
 海津の街から来た道は現国道161号(と303号の重複)に出会います。自動車はここで右折するのですが、直進する細道があり、この道はそのまま谷の中に続いています。農道のようですが、道型はなんとなく昔の道っぽいです。

[現国道と]
1504c
 細道は一旦現国道に出会います。現国道はここから山腹をへつりながら追坂峠へ向かって黙々と登って行きますが、細道はそのまま谷間をゆるゆると進みます。自動車道の喧噪よりも静かな田舎道の方が楽しいので、細道の方を進みました。細道は所々に小石の散らばるでこぼこ道になりながら林間に入ります。

[琵琶湖が見える]
1504d
 細道は最後はつづら折れて現国道の高さへと登りました。追坂峠まであと少しの地点。振り返ると下に琵琶湖が見えます。若狭から来て最初に琵琶湖が見えるのが追坂峠。昔の旅人がやっと一息付ける場所。

[追坂峠]
1504e
 現代の峠には茶屋ではなく道の駅があります。山地を越えてひと息きつたくなるのは自動車交通でも同じでしょうか。自家用車などけっこう賑わっていました。
 当初の予定と逆に走っているので、ここで昼食を調達。売店には美味しそうなお菓子とか新鮮な野菜とかいろいろ売っていましたが、私はこれからが長道中。山中での非常食も兼ねて(無事にお土産になりました)草餅を買っただけで我慢。

[知内川の谷]
1504f
 湖岸からここまで100mほど登って来ました。急坂はここまで。追坂峠はほとんど片峠です。下るほどもなく平地になります。田畑が広がり集落があります。ここは知内川の谷間です。敦賀への道はこの谷間を登ります。知内川は琵琶湖に注ぐまでに西へ大きく回り道するので、距離短縮したのでしょう。
 せっかくだから、国道をそれて集落道を走りました。右手から合流して来たのは国道303号。長いトンネル2つで山地を抜いて国道8号と繋いでいます。

[野口の集落]
1504g
 国道を横目で見て、そのまま集落道を辿りました。野口は知内川の谷の最奥の集落。集落の建物や道の続き具合はなんとなく古い街道っぽい雰囲気です。

[ひたすら登り道]
1504h
 昔の道の大半は現国道に上書きされているらしいです。野口の集落を抜けると、谷間は細くなり、先へ続く道は国道だけになります。道は左右に少しづつ曲がりながら微妙に傾斜を増減しながら、ただひたすら登ります。急傾斜ではなく、大部分はアウターの1か2ぐらいで一部をインナーで登るぐらい。大型車が通る道で冬は凍結する道です。路面はかなり傷んでいますし、路肩が狭い所もあります。多くはなくても車が通ると神経を使います。

[峠?]
1504i
 だらだら登り続けて行くうちに、道の横に看板が立っていました。滋賀県と福井県の県境。ここから先は緩く下っているので、どうやらここがサミットのようです。
 このルートの最高点は中央分水界なのですが、峠の名の標識はありませんでした。まあ、景色も全然変わらなくてあまり峠らしく無いですが。

[国境スキー場]
1504j
 峠は稜線越えではなくて、両側は高い山腹が続いています。西側はこのあたりでは一段高い乗鞍岳の山塊。峠の一帯はスキー場になっていて、道の横は駐車場などになっていて、余計に峠道らしく無いです。

 朝の天気予報では「午前中は晴れて陽が照る」「朝から夕方まで南寄りの風が吹く」とありました。長時間陽に向かって走るのはしんどいし、向かい風も辛いです。そこで急遽行程を反転した訳です。山中の風はあまり強くなかったですが、空は見事に晴天になりました。

[下りはじめ]
1504k
 小休止のあと、今度はだらだらと下り坂。川の名が五位川に変わりましたが、景色はあまり変わりません。勾配の緩急の差がちょっと大きくなり、カーブが少しきつくなり、路面の傷み具合が少し酷いぐらい。安全第一でカーブではぐっと減速して、ただ黙々と下り道です。

[駄口]
1504l

 峠の北側の最初の集落。「駄」とついてますが、昔の街道交通と何か関係があるのでしょうか。山間の谷の小さな集落です。

[深坂への道]
1504m
 そろそろ谷が開けてくるあたり、道の脇に深坂という地名表示がありました。実は地図でアタリを付けてあったのですが、やはり細道がありました。入り口は林間の作業道のようですが、急坂を下ると川縁に出ました。序盤の細道と同じような線形。旧道っぽいです。

[深坂古道の分岐点]
1504n
 深坂古道は大昔からある湖北の山地を越える道。ここからひと山越せば西浅井。つまりここは昔の交通路の分岐点。このすぐ下に追分集落があります。
 この道は若狭から琵琶湖岸への最短ルートですが、道が険しいため東の新道野越え(現国道8号)や今回辿った七里半越え(現国道161号)が開かれた後は物流ルートとしては価値が低下し、現在は徒歩道となっています。現在はJRがこの峠の下をトンネルで抜けています。

[追分の集落]
1504o
 川沿いの細道はそのまま緩くうねりながら集落の中を抜けています。追分と同時に山間に向かう街道の峠下集落という感じです。

 集落を抜けると道は国道に合流します。そのすぐ先が「新疋田」の駅。駅名は新疋田ですが疋田の集落からは少し離れています。(深坂へは新疋田からすぐに行けます)

[疋田トンネル]
1504p
 峠越えの谷間の道も細い部分がありますが、ここはかっての国道161号最大の難所。最近横に広い新トンネルができて解消しましたが、ここJR北陸線の下をくぐるトンネルは主要国道の幅ではありません。今は歩道用に転用されているので、自転車でゆったり通り抜け。 

[疋田の集落]
1504q
 トンネルを抜けたところから、国道をそれて細道へ進むと古い家並みの集落に続いていました。ここは疋田の集落。細道は旧道だったようで、そのまま集落の中心へ続いていました。
 疋田へは昨年の秋には敦賀側から来ました。ここは敦賀側から川船が上がる街で、湖東へ向かう道と湖西へ向かう道の追分集落でもありました。街の中は観光を意識したような景観整備がされていますが、どの程度観光客が訪れているのでしょうか。

[現代の追分]
1504r
 現代の追分はこちら。左の国道8号は塩津へ向かう新道野越えの道、右の国道161は今日のコースの七里半越えての道。昨年秋にはここを左に進んで、途中から久々坂峠を越える道を辿りました。現代の追分のすぐ横にはコンビニがあって、往来する人のひとときの休憩の場となっています。

[笙の川]
1504s
 谷間の川も疋田で合流して笙の川になりました。敦賀の街へと谷間を下ります。国道8号を行けば早いのでしょうが、自動車の喧噪は好みでは無いので、疋田の街の中心の道へ戻りました。集落道はそのまま現国道8号と交差して対岸へ渡りました。そのままなりゆきで市橋・小河口と旧道を走りました。昨年秋に走ったコースの逆です。
 琵琶湖側から敦賀側へ出る川筋は実質1つしかありません。道路交通も鉄道もこの谷間に集中しています。谷の出口は一段狭まっていて、国道8号はトンネルで山の中をパイパスしています。この区間は脇道は無いので、川沿いの古い方の国道を走ります。

[敦賀の市内へ]
1504t
 敦賀市内に入って来ました。ここから敦賀駅へはたいした距離では無いのですが、自動車の多い喧噪な街中の道です。気をつけながらのたのたと走行。
 マキノから敦賀まで、今回の所用時間は約3時間。途中で集落道へ入り込んだりプチ観光したり、所々止まって写真撮ったりしましたが、予定より1時間ほど早く着きました。急坂ではない単調な谷間の坂道で、登りも下りも淡々と走ったからでしょう。もっとも、ロードバイクでガンガン走れば2時間とかからないのでしょうけど。次は新道野越えでしょうか。でも国道8号よりは深坂の峠越えの道の方が面白そうです。

 予定と逆コースになったので、お土産は敦賀駅で買いました。鯖寿司は夕食に。お出かけ自転車だとかさばる物は買えないのが難点です。

2015年02月13日

2015年02月13日 吹田→ 池田 → 県道12号 → [多田] → [多田の銀山跡] → 県道12号 → 川西 → 吹田

 寒い時期は輪行はしたくないです。まだ陽も短いので、自宅から遠出というほどには遠くないあたりを走って、そのまま自宅へ帰るコースが良いです。
 今年は雪に阻まれましたが、昨年の正月は池田から能勢の妙見山を回って帰りました。学生時代に何度か走ったコースですが、学生時代よりも出発地が遠くなった分、後半をショートカットしました。ずいぶん昔のことで、コース沿いのあたりの風景も道自体もその後の開発で大きく変わっていました。
 今回はこの「走っていないエリア」にからめて、川西から猪名川町のあたりをひとまわりすることにしました。このあたり、しばらく前に大きな団地が造成されて、田舎っぽい細い道を代替するバイパスが造られています。そして、新名神の関係もあってか、最近また道に手が加わっているらしいです。

 このエリアの中心地の多田は昔から開けたところ。その神社より西のあたりに、昔は銀や銅を採掘していた鉱山がありました。この鉱山は私がこのあたりを走るしばらく前に閉山して、跡地はすっかり整地されて何もなくなっていました。最近になって、手堀り時代の古い坑口のあたりとかちょっと整備して資料館のような物が造られましたが、なかなか訪ねる機会がありませんでした。
 ここと合わせて、昔の道と新しい道のからみあったあたりをへろへろと走る計画を立てました。名付けて「新旧兵庫県道12号と多田銀山の旅」。前半は旧道→新道と辿って銀山へ。ひと山越えて(後述)から旧道→新道と走って川西へ。

[ 絹延橋を渡る ]
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 池田から多田へは国道173で行くのが早いですが、自転車ではおもしろくありません。川の西岸を辿る抜け道へまわります。それにはこの橋が便利。なじみの橋は、護岸の整備と合わせて掛け替えられたらしく、きれいな橋になっていました。渡って少し川に沿って北上すると、県道12号に入ります。

[ 多田へ ]
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 川西市街と多田の街を分ける狭隘部を抜けたすぐ先。川を渡って国道と県道をつなぐ橋がありますが、その名は「銀橋」。銀山と関係あるのかしら。

[ 川沿いの旧道 ]
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 多田からしばらくそのまま川沿いに北上します。この道は古い方の12号。路面は綺麗になりましたが、一部を除いて道幅は細いまま。通行量は少ないですが、時々大きな車も通ります。元気そうなロードバイクに抜かれてもそのままのたのたサイクリング。

[ 旧道の上は ]
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 で、その上を見上げると、雑木の隙間から家並みが見えます。この上の丘陵地はすっかり開発されて住宅地になっています。広い新道はこの上を通っています。

[ 新道と交錯 ]
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 県道12号は川西から北上して篠山へ抜ける道。このあたり、新しい道と古い道が交錯しています。そしてどちらも県道12号の名前です。その間にいくつかの道の新道旧道が入り交じってなかなか複雑です。
 ここは清和台を抜けて(左から)来た新道との合流点。ちょっとだけ行くとまた分離します。今回はそのまま新道を進みます。帰路はまたここを通ることになります。

[ 新道は自動車道 ]
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 昔の道も部分的には改良されていますが、狭い谷間ではどうしようもない様子。まあ、車さえ少なければ川沿いの道は勾配が緩くて自転車には都合が良いのですが。対して、あたらしく造成された団地のアクセス道としては当然なのですが、新しい道は余地を求めて丘陵を登り降りするコース。現代の自動車にはどうって事の無い勾配でも自転車には優しくないです。7%の勾配の長い坂道って、乳母車とか買い物カートとか、ほとんど通行不能。

[ 銀山への分岐 ]
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 ひと山越えて少し行くと、銀山への分岐があります。このへんはすっかり昔とは違った風景でした。綺麗な道の交差点には観光地っぽい指示標がありました。

[ 抗口へ ]
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 銀山のあたりへの道は綺麗に舗装されていました。いかにもって感じの公園と資料館があり、そこをひととおり見学してから、その先へ。ひととおり観光整備されていて、ちゃんと標識がありました。ここから坑口と採掘跡を見学。

[ ここは中を見れます ]
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 ここは青木間歩。ここの坑道は少しだけ中へ入ってみれます。ほんの少しだけ。中は水平な坑道だけで何も無し。

[ 銀山奉行から ]
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 道なりに少し上って、その先のY字を左に。どんな道か不安でしたが、きれいな舗装道路で、分岐にはちゃんと標識もありました。
 ここは江戸時代の坑口。周辺の岩はかなり脆い感じです。崩れを防止してそれらしく見える程度に整備されていますが、当然立ち入りできる状態ではありません。

[ 通り抜けできません ]
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 先の分岐まで戻って、今度は右へ。この鉱山のある谷間の道は行き止まりで、本来なら下まで戻るのですが、ここでちょっとズルします。地図ではこの1本線の道の先は点線になってて、猪名川の大きな谷へ抜けています。点線区間は2km弱。私の自転車はランドナー。不整地でもある程度は走れるし、押したり担いだりしてもけっこう行けます。

[ 谷間の農地 ]
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 通り抜け不能が告げられた道は、軽トラ幅になったまま続きます。少し広がった谷間には段々になった耕地がありました。

[ ここから徒歩道 ]
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 耕地を抜けた先の池のあたり、自然歩道との分岐から先は本当に徒歩道になりました。少しは乗車できましたが、流水跡があったり、岩があったり。一部はかなりの傾斜。2/3ぐらい押しで坂道を上ると視界が開けて峠へ。

[ 稜線の道 ]
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 峠から少しの間、稜線を行く細道になっていました。砂っぽい路面で幅が狭いので、ここは無理せずに押して通りました。朝のうちは陽も出ていたのですが、残念ながら曇天になって、時々粉雪がチラチラする天気になりました。下界が近いらしく、下から自動車の音が聞こえます。

[ 高低差があります ]
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 稜線が切れた所から、下の谷が見えます。けっこう高低差があり、これを下る道はかなり厳しい道が予想される状況。道はどうやって続いているのか。見ると、丸木を装った資材で階段状に歩道が付けられていました。一応は「歴史街道」という事で、ひととおりの整備がされたようです。
 という事で、自転車は担いで降りることにしました。歩道整備されていなければ、戻ることを考えた状況です。

[ 住宅地の裏の藪 ]
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 歩道は階段化された急傾斜の箇所がいくつかありました。マウンテンなら乗車できそうな区間もいくらかありましたが、無理せずに全部押して通りました。この山自体が鉱山の続きの地質のようです。岩は脆くて、所々に鉱物質を感じさせる岩の路頭が見えてます。
 地面が砂地から落ち葉にかわって少し。唐突に住宅地の裏に出てきました。こちらから見ると。この獣道が向こうの谷へ続いているようには観じられません。逆コースなら自転車連れて入り込もうなんて思わないような場所。

[ 道の駅へ ]
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 住宅の間を抜けると、すぐに「道の駅」の施設がありました。ここは意外と大きな施設でけっこう賑わっていました。ちょっと休憩して、直売所の農産物を買いました。立派な野菜がいろいろあって、自転車のバッグに入る程度しか買えないのがちょっと悔しいです。お餅を買うか苺を買うか迷って苺を選択。

 荷物が増えて、カメラを取り出せなくなったので、ここから先は写真無しです。ごめんなさい。

 ここは万善。すぐ前の道は(新道が合流して1本になった)県道12号。このあたりは昔は何度も走ったところです。一部は拡幅されたりカーブとか修正されていますが、道の位置はほぼ同じです。でもまわりの景色はすっかり違っていてどこがどこだか。

 今回のコースはだいたい8の字を描くような形。万善から12号を辿って、紫合へ。ここは国道173方向への分岐点。昔はその時の気分で直進か左折か。今は右折が加わっています。右折(つまり173から直進)は県道12号の新道。ひと山越えて朝に通った道に続きますが、今回はそのまま古い方の道を進みます。
 往路の交錯地点で、今度は新道を辿って川西へ。片側2車線で綺麗な歩道がある道で、安全なことは確かですが、無駄に急坂を上り下りするのはしんどいです。自転車はアウターの1段からインナーの2段。お買い物だと電動自転車が要るぐらいの坂。延々と登ってサミットを越えても、周囲は同じような住宅地が続く。峠を2つ越えたけど、精神的には全然面白くないです。次は気持ちの良い峠越えをしたいです。

 のったり走行と観光と徒歩と買い物、全部合わせて約6時間の行程でした。

2014年04月14日

注意:下記記事中の湖北隧道が傷みのため通行禁止となり、2016年4月現在で通行止めのままです。行かれる方は情報を確認してください。(→参照)

2014/04/11 (湖西編) 永原駅→[海津大崎]→マキノ→今津→新旭→堅田→唐崎駅

 琵琶湖は大きな湖ですが、湖岸の屈曲を辿らずに走る短いルートなら約160km。一気に駆け続ければ1日で廻れます。ふと思いついて、なるべく湖を見ながら数日かけて走る計画を始めました。そのパート3。  ( その1 その2 )

 前回は永原を終着にしました。敢えて距離を稼がなかった理由は、この永原からマキノまでの区間にあります。ここ「海津大崎」の湖岸に張り出した半島を周る道は桜並木で有名なところ。ここへは桜を見に何度か来ています。せっかく自転車で走るんだから、桜の時期にしなきゃ絶対にもったいない。

 今回の趣旨はなるべく湖岸の風景を見ること。永原から出発地の石山まではそこそこ距離があります。1回で走るとなるとかなり急ぐ行程になります。しかし2回に分ければ余裕たっぷり。一応の目的地を「堅田」に設定しましたが、行程の後半は鉄道駅が近いですから、なりゆきで走っても問題無し。

[ 湖岸の街 ]
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 永原は大浦川の谷筋の入り江の街。舟運で栄えた街も今はのどかな農村と漁村の風景。そして湖岸観光の街。この時期は桜見物の人出があります。
 このあたりの湖岸道路は桜の時期の休日は人も車も大混雑になります。なるべく混雑を避けるため、今回は平日の走行です。それでもやはり見物の人出はかなりあります。

[ 海津の湖岸の道へ ]
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 ここからマキノへ続く道は、木之本から続く「北琵琶湖周遊道路」の最終区間。大正から昭和にかけて作られた道です。
 海津の桜は、湖岸の道路の整備に携わった方が植えたのが初めとか。その後も植え足されて、半島をぐるりとまわる約4kmの道沿いが並木になっています。遠目に見ると、湖岸に沿ってピンクの帯になってます。

[ 青い湖と桜 ]
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 海津の半島部は山並みが湖に張り出すようになっています。湖岸の道路は渚近くの山肌を削って付けられています。桜は道と湖面の間の狭いところに植わっています。若い樹も混ざっていますが、古木も多く、青い湖面に張り出すように枝を広げています。
 お天気が心配だったのですが、幸い今日は終日晴天で日中は暖かいとの予報。かなり霞っぽいです。桜見物という点では残念ですが、自転車で走るには楽です。(今日の行程の大半は陽に向かって走ることになります)

[ 大崎隧道 ]
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 湖岸の道路にはトンネルがあります。昭和初期の隧道で、どれもあまり長くないですが、観光地の道路らしく綺麗に整えられた姿です。いずれもコンクリート隧道ですが、ホータルは石積み。石の積み方も自然っぽく見せる凝った造りです。5つの隧道でひと揃いという意味でしょうか、扁額は両端だけに付けられているようです。

[ 湖岸の桜 ]
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 隧道も狭いけど湖岸の道も狭いです。自動車は譲り合いながらの行き違い。桜の時期には自家用車も増えますし、観光バスも来ています。たいていは花を見ながらゆっくりゆっくり走ってます。そして桜を見て歩く人の列も。土日は西から東への一通規制(自動車)がされます。私も所々で下車してお花見しながらゆっくり走ります。

[ 大崎隧道の西側 ]
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 大崎の観光名所は観音さん。隧道の真上境内です。土産物屋や観光船の乗り場もあります。マキノ側からここまでは道幅もあり、遊歩道も整備されています。観光客の多くはマキノ側から来て、ここまでで帰るようです。遊歩道の入り口のあたり、屋台も出てにぎわっています。

[ 見頃の桜と海津の町並み ]
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 海津の桜は近畿圏でもいちばん遅いです。今年は春の進み具合が読みにくくて、いつ見頃になるかずいぶん悩まされました。花が少なくても寂しいし、散ってしまうともっと悲しい。今日は微妙に満開直前というぐらいの樹が多いです。いちばん良い時期に来れました。見頃の桜の枝の向こうに海津の街の石積みの護岸が見えます。
 海津は琵琶湖の舟運で栄えた街。湖を通して湖南と湖北、そして峠を越えて若狭北陸を結んだ物流の拠点だったところ。今は街はずれを敦賀への国道が通っています。

[ 海津の街から ]
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 半島付け根のあたりから湖岸に沿って海津の街が続いています。道の脇のところどころ、細い道が湖岸に続いています。ふりかんえれば、海津大崎の桜並木がよく見えます。私はこの景色が好きです。
 大崎の観光にはマキノ駅からバスが出ています。私も最初に来た時はバスを利用しましたが、帰路は混んだバスを敬遠してこの街を歩きました。桜見物に行かれる方は、ぜひ片道だけでもこの湖岸の町並みを歩いて見ることをお勧めします。

[ 海津の街の石積み護岸 ]
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 海津の町並みには古い建物も多く残っています。街の湖岸側は、琵琶湖の波から街と建物を守るように、高い石積みになっています。石積みのところどころに切れ目があり、ここから浜の船へ荷の積み卸しをしたのでしょう。
 永原からここまで1時間あまり。観光しながらのったり来ました。街の通りは湖岸に沿って続いています。そのまま先へ進みます。

[ サイクルラインの標識 ]
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 大崎の街並みを過ぎても、少し細くなりながら道が続いています。やや細いけど集落道よりしっかりした道。湖岸の集落を辿る交通路だったようです。滋賀県内の道はちょっと不思議です。各世代の新道が集落の中を避けて外縁を通っている感じで、古い道や細道の断片が上書きされずに残っています。
 しばらくぶりにサイクルラインの標識に出会いました。私はサイクルラインを辿っているのではないですが、距離の目安にはなります。ここから出発点まで残り75km。一気に走れば日没までに走れる距離ですが、それでは今回の目的に反します。あくまでのったり丁寧に湖岸を辿ります。

[ 松並木もあります ]
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 一部県道に上書きされていますが、湖岸の道は姿を変えながらずっと続いています。このあたりの道は、湖岸のビーチや施設へのアクセス道として役立っているようです。自動車の多くは平行する県道を通るので、湖岸の道は静かで走りやすいです。湖岸の景色も微妙に変化します。湿地もあれば草地もあります。松並木の浜辺もあります。浜辺に遊歩道が造られている区間もあります。

[ 湖岸の集落を通る ]
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 先を急ぐなら県道を走るのですが、今回はなるべく湖を見ながら走る旅。湖岸に沿う道の方を選びます。もちろん、集落内では安全第一。ちょっと遠慮しながら徐行して走ります。

[ あちこち桜がいっぱい ]
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 大阪あたりの桜はもうかなり散っていまっていますが、琵琶湖も北のあたりはちょうど見頃ぐらい。集落のあちこちや川の土手など、あちこちにピンクの姿が見えます。今日は桜ざんまい。桜まみれです。来年も、どっか自転車でお花見って良さそう。

[ 今津の街 ]
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 道なりに走っているうちに今津まで来ました。ここは去年の夏に「鯖街道」を小浜へ向かって走ったところ。この街並みに出会って、あらためて琵琶湖の湖岸を見てみたいと思ったのがこの「一周計画」の発端です。ちょっとスピードを落として街を見ながら(寄り道は無しで)走り抜けました。

[ 新旭の風車 ]
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 今津を過ぎると県道が湖岸の道になります。現代的な道で、自動車がスヒード出して走っています。湖南編の時と同じような道。同様に歩道兼自転車道が付いていますから、こちらを走ります。
 このあたり、安曇川が運んだ土砂が体積した土地。湖西では山地からまっすぐ流れ下った川の河口あたりが湖岸に突出した形になっていて、この新旭の突出部は最大のもの。その湖岸にある謎の施設が「新旭風車村」。ずっと気になっていたので、休憩かたがた立ち寄りました。実態は家族向けの芝生と花壇の公園でした。しかしなぜ風車?

[ 安曇川から ]
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 安曇川を渡ります。ここまでほとんど高低差無しの平地でしたが、ここの護岸はちょっと高くなっていました。上ると道の先が見えて来ます。
 この先の山地が張り出しているあたりが今回のコースの難所。湖西を北と南に分ける山地で、湖岸に平地はなく、JR線はトンネルを連ねて抜けています。現国道は山裾を削って湖岸を通っています。この区間は国道を走ることになります。

[ 喧噪区間を抜けて ]
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 大型車の騒音にせきたてられながら、おおあわてで狭隘区間を過ぎました。一気に抜けたので、白髭神社も通り過ぎてしまいました。抜けて小休止して、来た方を振り返って見ました。現国道もこの区間は狭いです。歩道が湖岸と反対側にしか無いのは面倒です。

[ 集落道 ]
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 町村合併で琵琶湖岸の街はすごく大括りになってしまいました。今回の出発点の永原は長浜市。海津から延々と高島市でしたが、山地の張り出しを超えて、ここからは大津市。
 北小松からはまたしばらく裏道づたいに走ります。湖岸の集落の中、湖岸のビーチ沿いの道と、ところどころ迷いながらうねうねと、細道を辿ってゆっくり進みます。

[ レイクサイド ]
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 琵琶湖を周回する道があるようですが、どうも名称がすっきりしません。自動車道では「湖岸道路」と「湖周道路」とあります。「さざなみ街道」ってのもありました。「近江湖の辺の道」というのも何度か現れましたが、これは徒歩観光の道のようです。自転車道は「サイクルライン」だと思っていたのですが、ここへ来て「レイクサイド自転車道」ってのがあらわれました。
 レイクサイド自転車道は、側道などを自転車用に整備したような感じです。わかりやすくカラー舗装してありますが、名前と反してあまり湖(レイク)の側(サイド)を通っていないようです。こんな道はまったく無視して、浜に近い細道伝いを(ところどころ県道にはじき出されながら)続けます。

[ 湖岸の細道 ]
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 湖岸の近くを県道が通っています。県道を走り続ければ速いのはわかっていますが、ここへ来てそれは悔しい。湖岸には水泳場などがあり、これらへのアクセス道が湖岸に沿って通っています。今はビーチのシーズンではないので車もほんど通りません。県道からほんの少し入れば、すっかり静かな景色です。

[ 桜ざんまい ]
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 湖北の桜は満開少し手前でした。走るにつれて桜がどんどん開いて来て、ここではもう満開過ぎて散りはじめ。人の気配の無いビーチの桜をひとりじめです。

[ 湖岸の行き止まり ]
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 集落道や細道に入り込んでいると、けっこう行き止まりがあります。山に向かうとか、大きな建物に正対するコースだと、行き止まりも予見しやすいのですが、川の河口近くに橋が無いとか、水辺へ直行とか。それでも坂道でないから、多少戻っても気楽です。
 ツーリングというよりも街チャリの感覚。距離は稼げませんが、変化があって楽しいです。どこがどこか判然としないまま、走り続けていると、水辺の先に琵琶湖大橋が見えて来ました。

[ 琵琶湖大橋のたもと ]
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 当初の目標地点の堅田まで来ました。橋の下の「米プラザ」(道の駅)で休憩&お土産タイム。山坂が無いと多少の荷物は問題ありません。この先は市街地です。お菓子と野菜とおかず物を少々、ほど良い程度にお買い物。
 あちこち寄り道してますが、予定より少し早目に来ています。ちょっと陽が傾いて来ましたが、この時期はまだまだ明るいです。次回の事も考えてもう少し先へ進みます。

[ 堅田の湖岸 ]
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 堅田のあたりは湖西のミニ水郷といったところです。昨夏、バスで通った際に窓から見えた街の風景はなかなか良さそうでした。でも、今日は街巡りが目的ではないので、そのまま湖岸に近づく方向へ進みます。湖岸はあちこち大小の船着き場や船泊まりになっています。

[ 浮御堂 ]
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 堅田で湖岸というと、これでしょうか。でも、ゆっくり見るのはまたの機会という事にして、先へ進むことにししまた。

[ 唐崎 ]
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 堅田からはだんだん市街地になって来ます。湖岸も大きな建物が増えて来て、細道を辿るのが無理になって来ました。雄琴を過ぎる頃には国道を走ることになりました。国道を走ると一気に距離は稼げますが、全然楽しくありません。坂本のあたりでは、国道が湖岸側の道なのですが、大きな建物に遮られて湖面はほとんど見えません。
 今日の最終地は「唐崎」にしました。唐崎は近江八景の名勝。万葉集にも出てくる地名。ここへ来たのだから、有名な松を見て帰ることにしました。松の横の垂れ桜が風に揺れていました。

 次はここ唐崎から石山へ。この先のお天気が気になります。


2013年08月22日

2013/08/17 [由良川水系] 福知山 → (氷上回廊) → 西脇 [加古川水系]

 本州の表と裏を分ける背骨にあたる中央分水界。日本を横断しようとすると、どこかでこれを越えなければなりません。乗鞍岳の 3026mを最高点に関東や中部地方では1000m以上ですが、西日本は案外低く、先日の鯖街道の水坂峠は標高280m。そして、本州でいちばん低い低い所は兵庫県にあって、なんと100m以下。ここを境に北側は由良川水系で若狭湾へ約70km、南側は加古川水系で瀬戸内海へ約70km。川に沿ってここを越えれば、高い峠を登らずに日本横断できる?
 急な坂や険しい峠はなくても距離はけっこうあります。がんばって走って2日、余裕を見ると3日のコースでしょうか。しかし、両側とも下流部はかなり単調な走行になりそうです。軟弱サイクリングとしては、まんなかの美味しそうな所だけつまみ食いするのが良さそうです。
 コースのほとんどは鉄道が近くを通っています。どこからどこまで走っても良いのですが、道の具合と景色に加えて列車の便数と時間も考えて、福知山から西脇へ走ることにしました。朝少し早目に家を出て、新大阪から輪行で福知山へ。

[福知山城]
130817A 大阪からの福知山線の電車はひと山ふた山と山地を越え、石生から先しばらく今回のコース近くを通ります。車窓から地形や地勢のチェックができます。

 自転車を組み立てて、市街地を抜けて川縁の道へ。福知山へは仕事で何度か来たことがありますが、ちゃんと市内を見たことはありません。今回もお城は下から見上げただけ。


[土師川]
130817B
 福知山からしばらく、国道をはなれて走ります。このあたり、川筋は東側に大きく曲がっていて、国道と鉄道は西側の山地を越えています。低い分水界を目指して、それより高い峠を登らされるのは悔しい。ここから川に近い道を辿ることにします。コースを考えると、岩崎まで東岸を行くことになります。国道9号で行く方が早いのですが、土手道や集落道をつないで行けそうでした。

[土手道の先の藪道]
130817C
 川筋をトレースするというならば土手道にこだわるべきなのですが、土手の昇り降りや屈曲が多くて距離が長くなりますし、行き止まりとか通行止めとかロスもあります。そして・・・良さそうな舗装道路でも・・・砂利道になって・・・轍道になって・・・草藪道になって・・・ せいぜい集落道ぐらいが無難です。
 このあたり、国道は175と176の重複区間です。陰陽連絡の主要ルートであり、舞鶴道へ出入りする車も通る道で、通行量が多く大型車も通ります。なるべく県道や集落道へ逃げるようにしながら、平地の中をひたすら走ります。なんとなく走って、春日の道の駅で休憩と昼食。

[黒井川]
130817D 春日から谷間は西に曲がります。枝別れして細くなった川の流れは小川というか用水路ぐらい。谷の幅も狭くなって来ましたが、険しい峡谷なんかでは全然なくて、道の脇には田畑が広がっています。横の川の流れを見ると、遡上しているのが判るというぐらいの坂道です。
 このあたりの山の間を抜けて続く平地が氷上回廊。まるで日本列島の掘り割り道のようです。

[石生の駅前]
130817E 道からちょっと逸れて石生の駅前へ。電車の窓から見える看板です。ここの案内板で、分水嶺?の位置確認。駅から南に少し行った踏切の先の交差点が"それ"らしいです。

[日本一低い分水界]
130817F で、ここが水分れの交差点。写真は東から西を向いています。福知山からの道は右側。前は加古川への川筋。ここで国道176は左へ分かれて山地を越えて大阪へ。そして、後ろ側はこの川の源流へと坂を登って続く道。
 ちなみに、ここは本州一低い分水界。日本一低い分水界はここではなくて北海道の千歳市にあって約20mとか。

[水の分かれ道]
130817G
 交差点から坂道をぐぐっと登ると水分れ公園。公園内の細い水路の分岐が由良川と加古川の接点らしいです。山からの水はここで左右分かれて日本海と瀬戸内海に。神の手ではなく、水辺で遊ぶ子どもたちの手で振り分けられています。
 公園から下って石生の町並みを抜けて走っていると方向が怪しくなってきます。とにかくこのあたり、完全に平地で周りは良く似たような丸っこい低山ばかり。田畑の中の水路を見てもどの流れがどう流れているのか辿れません。やや山沿いを行く国道を避けて、西岸の県道へ逃れます。

[加古川]
130817H 加古川の本流は丹波の粟鹿山。石生からの細い流れはすぐに取り込まれていまって、気づけば大きな川になっています。流量が増えるにつれて護岸が立派になってきます。川を渡る橋は両岸の田畑より1段上です。
 川の流れは確かに下っているのですが、走る道は全然下り坂を感じません。向かい風が吹いてきて、しっかり漕がないと前に進みません。特に谷間が狭くなったあたりでは風が強まって感覚は完全に上り坂。しかもそういった場所は道が狭い。相手が風だと急ぐほど抵抗が増すので、集落道に逃れながらのったり走行することにしました。
 加古川線の電車は本数が少ないです。西脇以北はかなり少ないですが西脇からは毎時1本ほど。西脇へ到着する時刻を考えてペース調整。がんばって走るかわりに1本遅らせることにしました。

[日本のへそ]
130817I
 西脇といえば、やはりこれ。東経135度と北緯35度の交点がこの市を通っています。川筋からちょっと東に寄り道。

[海抜63m]
130817J へそ公園の公園からはちょっと外れたあたり、川沿いの橋の下のような所に標識柱がありました。石生の分水嶺からここまで、なんと33mも下って来たことになるんですね。って、河口まではあとこの倍ぐらい下ることになるんですね。
 川はさらに合流して流量を増しながら瀬戸内海に向かいます。道も一段と交通量を増して来ます。なるべく国道を避けて平行する道を探りながら市街地へ。

[西脇駅]
130817K で、西脇の駅まで来ました。ここから輪行です。また自転車を分解して袋詰め。手際よくできれば約10分なのですが、余裕を見て20分の時間を見込むことにしています。少し早く着いて、荷物を片付けてから、何か飲んで食べてリフレッシュするのが理想。
 JRの西脇市駅は市街地からかなり離れた利便性の低い立地。そのためもあって、利用者が少ないようです。駅前のあたりにはコンビニところか店は全然ありませんでした。自販機の飲料で我慢。どっか途中でお菓子でも買っておくんだったなあ。
 加古川駅で新快速に乗り継いで、新大阪で自転車を組み立て。ひとっ走りするとちょうど夕食時でした。お腹すいた。


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