隧道

2023年10月26日

2023/10/26 能勢電日生中央駅→万膳→猪名川町木津→くろまんぷ→林田→県道319号→上佐曽利→県道323号→波豆川→県道68号→三田市香下→千刈カンツリークラプ→山田川→JR三田駅

 今年の夏はいつまでも暑かったです。その分秋が一気進んでます。夏が不完全燃焼だった分秋らしい場所へ行きたいです。でも少しお天気が不安定になって来てるので、昨年のように出遅れてしまわないようにしなければ。

 秋の花はコスモス。公園の花壇もあるけれど、やはり広々した畑一面のお花に浸るのは格別。でも大きな花畑はたいてい交通不便。その代表格が三田市の波豆川のコスモス。猪名川町から三田市の間の丘陵地にありすま。近隣を見ると、東側には能勢電の日生中央駅、南側にはJRの武田尾と道場駅、西にはJRの三田と新三田駅。でも、どこから行くにしてもけっこうな坂を登って10km以上の行程。折りたたみのちび自転車では無理なので(一応三田からの路線バスはあるけれど)お出かけ自転車の出番です。

 一昨年は武田尾からまっすぐ北上し、少し下ってから東の日生中央へ走りました。昨年は日生中央から登って道場へ。という事で三田駅が残ってます。東からのアクセスルートは3つあり、そのうちいちばん北側の道が残ってますから、これと合わせる事を考えました。
 この北側のルートに近い所に面白そうな物を見つけました。県道の対岸の集落を山越えして結ぶ道に"くろまんぷ"と呼ばれる物があり、どうやらかなり古い隧道のようです。学生時代にこの県道は何度も走ったのですが、全然気付かず見逃していました。ここはぜひ寄らなきゃ。(今日の行程はいくつも小峠越えます。)
 道筋の関係で、今回のコースの半分ぐらいは昨年と重複しています。昨年の記事も併せてお読みください。

※ コース序盤はいくつかコンビニなどがありますが、その後は食料調達が難しいです。用意は計画的に余裕を持って。

[ 日生中央駅 ]

 朝の通勤とは逆向きの電車で終点の日生中央駅まで来ました。静かな駅前で自転車を組み立て。ここはらスタート。標高119m。

[ 住宅地を抜けると ]

 駅は丘陵地の南端。アップダウンを避けて一旦南に下り、そこから県道を北上します。この先しばらくは昨年と同じコースです。

[ 県道12号 ]

 猪名川に沿って続く県道を北上しています。この県道は学生時代に北から南の方向で何度も走りました。このあたりは拡幅されて綺麗になっていますが、まだ狭い所も残っています(現在も工事中)。 標高87m。

[ 道の駅いながわ ]

 ここで小休止。農産物を売ってますが、あまり荷物は増やせないので、枝豆をひと袋だけ買いました。ここから喧噪な県道12号を避けて川の西側の細道へ進みます。三田へはここを左折する県道68号が近いのですが、喧噪で勾配もきついです。標高105m。

[ 川沿いの道 ]

 普通の細道でしたが、少し進むと川沿いの遊歩道っぽい雰囲気になってきました。落ち葉もありますが、のんびり走るにはちょうど良い感じ。

[ 歴史街道 ]

 この細道のところどころに案内板がありました。歴史街道って、この道が現県道の旧道なのかもしれません。この少し先で道は左岸に渡り、その先へ続きます。

[ 木津 ]

 この橋は重要なチェックポイント。ここまでは昨年と同じ道。昨年はこの橋の先を左に折れました。今年は直進してその先を右へ。標高121m。

[ 坂道の入り口 ]

 町立楊津小学校を過ぎた少し先、ここから急坂になります。標高134m。
 おそらくこの先の山襞の向こう側の集落へ稜線の鞍部越えの峠道だったのでしょう。ここから4段のつつら折れで山腹を登ります。

[ 小山登り ]

 つづら折れの2段目の端。下が見えます。下の谷間を横に伸びている道が県道12号。川はこの左手で山塊の裾を回って大きく蛇行しています。この迂回を避けて山向こうへ向かう近道だったのでしょう。それにしてもけっこう一気に登ってます。坂が急なので、自転車は無理せずに押しです。

[ 東口 ]

 隧道の東の坑口です。津坂隧道、通称「くろまんぷ」です。林田隧道という名もあるようです。明治14年の手掘り隧道。標高190m。この隧道の上の稜線は218mありますから、隧道で約30m低くなった事になります。でも四角いコンクリートのポータルで古い隧道という風情は全然ありません。

[ 元々の坑門 ]

 コンクリートのポータルは後補の土止めのようです。中に入るとすぐに石積みのアーチがありました。トンネルの中は奇妙にぐねっと曲がっています。そして途中で勾配がかなり変わっています。どのように掘り進んだのでしょうか。岩質の関係なのかもしれません。洞内は素掘りで、黒い岩肌の素掘りだったので黒い間歩で「くろまんぷ」と呼ばれていたらしいですが、今は鉄骨補強とコンクリで巻かれています。照明も多く暗くも黒くもありません。

[ 西口 ]

 隧道は100mほどの長さ。山腹を半ばまで登って幅の狭い所を狙って掘り抜いた形です。こちら側の坑口の前は深い掘り割りになっています。西側の斜面はやや緩いですが、軽くうねりながら下って集落に入ります。

[ 県道12号 ]

 くろまんぷからの道をそのまま進むと、川岸まで下り橋を渡って県道に戻されます。ここから少しの区間。県道を走ります。標高158m。

[ 分岐 ]

 三田を示す青看板が出てきました。ここを左折します。標高161m。

[ 県道319号 ]

 県道下佐曽利笹尾線。ここから西の上佐曽利へ登って、そこから南下して下佐曽利に至ります。線無しの県道ですが険道では無さそうです。とっつきは緩いですが、この先で勾配が増します。先は長いので、無理せずにきつい所は押しで行きます。

[ 市堺 ]

 少しうねりながら登って来て視界が開けたら峠。ここから宝塚市になります。標高239m。

[ 下り坂 ]

 峠を越えたら緩く下るまっすぐな道。路面はちょっと綺麗になりました。

[ 谷口 ]

 南西に下ってきた道が西へ大きく曲がる。ここで左から合流してくるちょっと細い道は昨年通った道。今年通った県道の方が最高点が高いですが、距離がある分勾配が緩いです。路面の状態の点でも細道はお勧めできません。この先はかなりの区間が昨年と重複です。

[ 上佐曽利 ]

 ここにはダリア園があります。一昨年はここも訪れましたが、今回はパスして先に進みます。県道はここの交差点を左に折れています。直進する道は県道323号になります。標高210m。
 コスモス畑のある波豆川は県道323号でひと山乗り越えた先です。この区間も無理せずに半分ほど押しで乗り越えました。峠は323mで、越えれば三田市になります。

[ 坂の途中から ]

 峠から波豆川の集落への道は北側の山腹に沿って緩く下ってます。道の途中から見下ろす畑地の中にピンク色の区画が見えます。今年は綺麗に咲いているようです。

[ コスモ畑 ]

 コスモス畑到着。途中で休憩したり隧道見物したりしました。登坂ではけっこう押し上がりました。それでもここまで2時間半ほど。暑くなくほどよい晴天。予定よりちょっと早く来れました。ここでお花に浸って昼食。標高211m。
 今年のコスモスは見事にちょうど満開ぐらいの咲き加減。出遅れて残念だった昨年の分をすっかり取り戻して剰りあるぐらい。

[ 後半コース ]

 予定より少し早く来れてますし、体調も自転車も問題無し。予定どおりのコースで進みます。 (波豆川から西へ進むコースも有り得ますが標高280mの大坂峠です。)
 コスモス畑の横の道は広く綺麗です。昨年はこちらをとおりましたが、途中に少しアップダウンがあります。そこで今年は一昨年の逆コースで(途中まで)川の右岸の細道を下ります。

[ 県道68号 ]

 波豆川に沿って下って来た道(市道らしい)が川を渡って集落を抜けた先、ここで出会うのが県道68号。この道は北摂から三田へ抜ける主要道で北摂里山街道の愛称があります。左はぐっと下って朝に通った道の駅の所へ出ます。右は緩くアップダウンしながら新三田駅の近くに出ます。

[ 土手道 ]

 県道68号は大型車も通って喧噪です。なるべくなら走りたくない。できるだけ迂回する事にします。波豆川の土手に軽トラ道のような地道がありました。急ぐ訳ではないので、行ける所までこちらを走ります。

[ 県道しか道がない ]

 その先はしばらく有効な脇道が無い区間が続きます。仕方ないです。車と競り合う気は無いので、横の歩道をのたのた走ります。

[ 千苅貯水池 ]

 この西へ進む区間はほぼ千苅貯水池の湛水域の北端に沿っています。この貯水池は神戸市の飲み水を支える大きなダム湖。波豆川はここに注いでいます。ダムの下は道場駅の近くで武庫川に注いでいるのですが、湖周を回る道がありません。そのためここを下ることができません。つまり東西のどちらかに迂回する必要があります。

[ 迂回路 ]

 県道68号は喧噪で面白くありません。しかし探すと千刈湖の西の山地を乗り越えて南下する道が見つかりました。ゴルフ場のコースの間を通って三田市の方へ抜けています。市道でしょうか、ストリートビューが撮られてました。抜けれるならこっちの方が絶対楽しいはず。標高185m。

[ 不明の道 ]

 樹間の道で、路面はちょっと荒いけれど険道という感じではありません。ランドナーで走るには手頃な感じ。今日の4つ目で最後の登りです。ここもきつい所は無理せずに押しで行くつもりです。

[ 市道?私道? ]

 道がちょっと細くなりました。脇にはカンツリークラブの名のある注意看板。この道はカンツリークラブへのアクセス道路のようです。時折ちょっと大きな乗用車が通ります。

[ ゴルフコース横 ]

 そのうち道の横の樹木の間から綺麗に刈り込まれた芝生がのぞき見えるようになって来ました。道の横がコースになっている様子。そしてゴルフ場の関係車の出入りするような道が繋がってます。横道には通行禁止と書かれていますが、フェンスや門はありません。

[ 峠? ]

勾配が緩くなってしばらく、どうやら鞍部を越えるようです。標高248m。

[ ゴルフ場の中? ]

 道は正体不明のままゴルフ場の中を進んでいます。ゴルフコースを行き来するような道は平然とこの道と交差分岐しています。市道なのか私道なのか、良くわかりらないけれど、そのまま道なりに(立ち入り禁止でない方へ)進みます。

[ 外へ出たらしい ]

 そのうちに再び樹間の道になりました。落ち葉は少ないけれど路面はそこそこ荒い。ガードレールもフェンスもなくて、ちょっと林道っぽい。どんどん下ります。こちらから登るとすると、単調な登りでそれなりにしんどそうな勾配です。

[ 山田川の谷 ]

 カンツリークラブからの林間の道は山田川沿いの農地に出て来ました。ここまで来ると終点は近いです。標高155m。

[ ふりかえり ]

 山田川の谷の農地に沿って進んで来ました。ここから山の方を振り返ってみました。今日は予想以上に良い秋らしい晴天になりました。陽は秋の色で風もちょっと涼しい。快適なサイクリング。

[ 道の先 ]

 道谷間の道の先に三田の市街地が見えて来ました。ここで右折してまっすぐ進むと三田駅。標高146m。

[ 三田駅前 ]

 三田駅前は完全に街です。駅前のバス停の近く、エレベーターの横で自転車を袋詰め。ここから大阪方向の電車は頻発してます。電車の時間を気にしなくて良いのは気楽です。コスモス畑を出てからここまで1時間半ほど。のったり走ったけれど案外早かった。予定よりだいぶ早い帰宅になります。

 11月もどこかへ行きたいです。問題はお天気。


mars2015 at 19:58コメント(0)

2021年09月10日

2021/09/10 JR亀岡駅→国道372号→国道423号→明智橋→西別院→余野→府道110号→佐保→府道1号→彩都西駅

 依然関西地域の新型肺炎の感染は依然収束とはほど遠い状態。どこへ行くにしても気遣いが要ります。これに加えて今年はお天気が良くないです。梅雨の時期は中途半端な天気の日が続いて、それが過ぎたら一気に酷暑。台風は来るし。その後は妙な前線が居座って。その合間をは雑事に潰されて。という感じ。
 この間に変速機を交換しています。近隣を何度か走って様子は見たのですが、これで遠出して大丈夫なのか。この点ではエスケープが容易な片輪行のコースが良いのですが、なかなか面白そうな所は無い。うだうだしているうちに秋が近づいて来ています。少し動きやすくなった感じなので、あらためて『自転車でお出かけ』。あれこれ考えたのですが、結局は往復とも輪行のコースになりました。

 吹田の市街地の真ん中を通る府道14号は亀岡街道の別名があります。この道は府道110号から国道423号と道番を変えながら亀岡へ続きます。コースの大部分は何かの折に通っているのですが、全線を走った事はありません。あらためてこの道を辿ってみることにしました。とは言っても、吹田市内の交通の多い区間を回避する(以前に走っている)意味でモノレールの彩都駅を利用します。所要時間も少し短縮になります。

[亀岡のお城 ]

 通勤の人流による京都駅の混雑を避けるため、少し遅い時間に行動。吹田駅から輪行して、京都駅を9時頃に通過しました。自転車組み立てて亀岡駅出発が10時頃。昨年もここで写真撮ってます。

[国道372号 ]

 亀岡市内は何度も走って様子が判っています。今回はお城の前から西へ進んで、国道372号へ入ります。この道は2017年3月に篠山へ走った区間を経て福知山へ向かいます。ここからしばらくの区間は2014年8月に(逆方向)走っています。

[格下げ]

 国道9号と交差したあたりから急に道がしょぼくなりました。青看に大きく池田の地名が出て来ました。これはこの先の423号の行き先です。

[京都縦貫道 ]

 372号は縦貫道に沿うように西に折れます。この延長が国道423になります。道は曽我谷川に沿う緩い傾斜の平地を進みます。

[府道407号 ]

 ここは2014年8月に通っています。この時は茨木から安威川沿いに亀岡へ走りました。写真左から来て手前へ折れました。今日はここを直進します。

[田園]

 曽我谷川は府407号の通る谷から来ています。この平地の西側は犬飼川が流れています。犬飼川は山地の手前で西に折れます。国道423号はこの川の谷間へは入らずまっすぐ山へ向かいます。
 犬飼川の谷間は狭く屈曲が多く距離が長いです。国道423の前身は摂丹街道。昔の道はこれを避けて近道をするように山越えしていたのでしょう。

[通行規制区間 ]

 さすがに400番代国道らしい姿です。ここから4段のつづら折れで一気に高度を稼ぎ山地の上に出ます。道幅は狭いまま勾配を増して行きます。

[だいぶ登りました]

 交通量は多くないですが、時折大型車の通ります。さすがにカーブの付近は広く余地が取られていますし、少しづつ拡幅工事がおこなわれているようです。
 山腹をへつりながら登ります。国道としては急ですが、自転車のインナーの2〜1段でのたのた登れるぐらいの勾配。

[谷筋]

 つづら折れで稼いだ高さで細い川の谷間に入り込みました。景色的にはそろそろ峠という感じなのですが、まだ登りが続きます。

[明智橋]

 小川を渡る橋がありました。小さなコンクリート橋です。親柱には昭和5年の年号があります。おそらく、近い将来に道が拡幅されるとこの橋は失われるのでしょう。国道はここから反対側の山腹に取り付きます。

[明智の戻り岩]

 この国道はハイキングコースでもあるようですが、案内板が壊れかけたままになっています。解説板はありませんでした。おそらく戻り岩というのはこの右手のあたりの岩壁でしょう。この谷間は法貴谷というようです。地図にはこのすぐ先に法貴峠という地名があります。
 ここまで亀岡駅から1時間あまり。案外早く来れています。

[峠?の道]

 開けた所へ出たとたんに綺麗な道に出会いました。ごく最近に付け替えがおこなわれたようです。地図ではこのあたりが法貴峠なのですが、新しい道はそのまままっすぐ山腹を登って行きます。

[旧道]

 綺麗な道が始まる所の直ぐ近く、細い道が分かれていました。細いけれど、勾配は緩い。おそらく、こちらは国道の旧道。分岐の部分で線形を修正した感じで、そこだけ舗装が綺麗です。この先は廃道にはなっていない様子。

[やっぱり元国道 ]

 少し進むと路面に黄色の線が描かれたままになっていました。ちょっとしょぼい道幅も少し前の道の続きっぽいです。
 この先、治水工事らしい作業現場があり、その先で新しい道に合流しました。こちらの分岐には車止めが置かれていました。

[妙見山への道]

 山の中という程ではないけど、やや狭い所を抜けると鳥居があって、その前にこんな物がありました。この道は通称摂丹街道。池田川西を結ぶと同時に能勢の妙見山への道でもあったのでしょう。
 このあたりから、周囲は丘陵地の間の平地っぽい感じになります。ここまでずっと登って来たので、下りっぽく感じますが、実際にはまだ最高点には至っていません。

[笑路]

 ここで府道732号亀岡能勢線が分岐します。この道は山の中をうねうねアップダウンしながら国道477号と府道106号と交差して宿野の北で府道54号に入ります。つまり、昨年11月今年3月にも出会った道です。
 このあたりの土地は全体が緩い起伏の丘陵地です。その間の平地に集落が散らばっていて、それを結ぶ道が複雑に絡み合っています。

[西別院柚原]

 このあたりは昨年夏にヒマワリ畑訪問で(路線バス+徒歩)訪れたので少し馴染みがあります。
 ここでは東別院から来た府道733号と交錯します。この道はすぐ先で右側の谷間へ下ります。西側に犬飼川の谷間が近づいて来ていますが、川はだいぶ低い所にあります。国道は谷間ではなく丘陵の裾をへつるようにして高度を保っています。

[府境]

 少し下りの区間もあるけど僅かづつ登って来た道。アウターの2〜3段で走れましたが、確かにペダルほ漕がないと進まない。
 だらだら登って全然峠という感じがありませんが、最高点は京都と大阪の府境の少し手前あたり。標高は390mほどですから、亀岡から北摂に抜けて来る道としては高い峠になります。ここから道は勾配を増して下って行きます。

[妙見山への道]

 峠からの道の勾配が少し緩んだところ。右に分岐する道は野間峠を経て能勢へ向かいます。この道は学生時代から何度も通った道。最近では2014年1月に来ています。
 今日はこのまま国道で余野へ向かいます。この区間はいつも余野から野間への方向だったので、この向きで走るのは初めてになります。

[府道109号]

 この道は2015年1月に通っています。この時は府道110号通って妙見山を目指したものの、雪のため断念して府道109号経由で帰宅しました。だからここから先はこの時の逆コースという事になります。

[余野の街]

 ここは豊能の交通の中心。あちこちと結ぶバス路線も集まって来ています。ここまで、亀岡から約2時間。ちょうどお昼なので、ここで昼食と休憩。

[府道110号]

 余野の街から池田へ下り掛けるあたりに分岐があります。府境の峠からここまで50mほど下ったのですが、ここからまた登りになります。

[上り坂]

 府道は箕面の山塊を越えます。峠は440mほどですから、余野からは短い区間で100mほど登るけっこうな勾配です。左側には希望ヶ丘の住宅地があり、時々バスや大型車も通りますから、きつい所は無理せずに押しで行きました。

[峠]

 峠が市境になっています。そのすぐ先から上音羽。集落は左側の谷で、府道は緩く下りながら山腹を巻いて西隣の谷へ出ます。

[府道43号]

 佐保川の谷に入ると少し勾配が増します。以前に来たのは冬で今回は夏。すっかり景色が違います。
 ここから少しの間、府道43号との重複区間になります。このあたりの府道は集落を結んで右往左往する感じで良く判りません。

[泉原]

 佐保川に沿って下っています。ここで府道43号と分離します。青看には43号の行き先に豊中箕面と書かれています。間違いでは無いけれど、これに従って進むと箕面の山中に引き込まれます。

[佐保]

 新名神を潜ると佐保です。ここで短区間府道1号と重複します。この府道もいろんな道を継ぎ接ぎしたもので、良く判らない道です。今日はここから府道1号で彩都へ向かいます。

[府道1号]

 府道1号の彩都に至る区間の道は2本あります。この少し先(写真の前方)にあるのは新しい広い道で彩都の中心を貫きます。ここで右折する方は田舎っぽい細道。やはりランドナーには細道が似合うと思うので、今回もこちらへ。

[背中合わせ]

 細道を緩く登って来ました。終点はあと少し。ちょっと道から逸れて振り返ってみました。田園風景の中、写真右端の田舎道が府道1号。この先は彩都のニュータウン。小さな峠ひとつで風景は一変します。

[モノレールの駅]

 細道は団地の縁を進み、唐突に広い道に出ます。ここはもう彩都の中心部。亀岡からここまで、休憩や昼食も含めて約4時間。距離は短いですが、そこそこの峠を2つ越えたので案外時間がかかりました。今日はここから輪行。
 モノレールで輪行というのは初めてです。まあ、ICカードで自動改札通って乗るのですから、普通の電車と大差無いですが。




mars2015 at 22:48コメント(0)

2021年03月23日

2021/03/23 JR並河駅→府道731号→加舎→府道54号→宿野→府道104号→国道173旧道→龍化渓谷・龍化隧道→一庫ダム→能勢電山下駅

 そろそろ暖かくなって日照時間も長くなっています。輪行でお出かけするには良い時期です。しかし新型肺炎で困った状況が続いています。自転車でのたのた走るあたりは人混みとは無縁なのですが、問題は現地までの交通。混雑時間帯の乗車や乗 り換えに配慮しなければなりません。
 あれこれ考えて、とりあえず脚馴らしと様子見のつもりで、余裕のある行程で行けそうなコースを設定しました。

 概要は昨年11月に走ったコース西隣のエリアを通る。途中のポイントは2か所。昨年11月に走った時に横に見た谷間を登る。東側を通った知明湖(一庫ダム)の西側を通る。
 往路復路とも輪行です。だから電車の混雑の具合が問題になります。きつい登坂を先に済ませて、時間の調節が効くエリアを後にするという考えで、亀岡側から豊能へ走ります。晴天の陽に向かって走ることになりますが仕方ないです。

[JR並河駅 ]

 並河駅は亀岡駅の次の駅。自動車交通の多い亀岡駅周辺を避ける意図です。何度の走って飽きたという事もあります。行程的には少し短縮になります。
 今日はJR吹田駅から輪行。通勤の混雑直後に京都駅を抜けるように時間を調節。混雑して換気の心配のある快速・新快速は避けて各停に乗りました。

[国道9号と交差]

 駅から少しで国道9号と交差します。この道は府道409号。この少し先で高速道路を潜ります。その先で府道は南下して国道372方向に向かいますが・・・

[田園風景 ]

 京都縦貫道の高架を潜りった先で南下。その少し先で、喧噪な交通を避けて地域道へ逸れます。谷間が尽きたところで国道372に。ちょっと近道になります。

[ 本梅の交差点]

  国道372を少し走り、湯ノ花温泉入り口で分岐して、府道731号に入り、低い鞍部を抜けた先。この道は2013年7月に走っています。府道のこの区間は 昨年11月にも通りました。交差する道は国道477で、左折するとひいらぎ峠を越えて能勢に至ります。府道のこの区間は国道372と国道477の短絡道し て使われています。

[本梅川の谷間]

 交差点を直進。本梅川の谷間に入りました。
写真正面方向が国道が越える峠。国道は左の山裾を上って高度を上げてゆきます。国道の峠は約270mで、案外低いてす。府道は谷間を川に沿って西に向きを変えます。交通量がぐっと減って道も細くなります。

[登りはじめました]

 集落を過ぎると、一気に勾配を増して山越えになります。この先の峠は約370m。3段のつづら折を交えて高低差160mを登ります。地形的には谷間に挟まれた鞍部ですが、傾斜はきついです。

[峠]

 つづら折りの道はかなりの勾配です。逆にみれば距離は短いですから、無理せずに半分以上押しで登りました。
 山腹はゴルフ場になっていました。そこを過ぎてもう少し登り、視界が開けたら最高点。ここまで、のたのた走って1時間半ほど。

[下り ]

 峠の西側はすぐに集落がありました。ここは細い谷間で、東側よりは緩いけれどけっこうな坂道です。緩くうねりながら標高差80mほど下ります。この道は亀岡側からバスが来ています。

[畑野町広野]

 ここで府道54号(園部能勢線)に出会います。直進方向は瑠璃渓の560mの峠を越えて2017年3月に園部から走った道へ続きます。今日は左折して南下します。ここは亀岡(千代川)からのバスが来ています。

[府堺]

 道は川に沿って緩く下っています。少し進むと京都府から大阪府に入ります。この少し先まで阪急バスが来ています。(バス路線は府堺を越えていない)

[大路次川の谷間]

 そのまま川沿いに下ります。勾配は緩くなりますが、狭い谷間が続きます。この先もずっとこの川に沿って走ることになります。

[府道732号]

 のどかな道が続きます。この宿野のあたり、いろいろ道が交錯しています。まず府道732号と出会いました。この道は昨年11月にも交差した道です。倉垣から左手の山塊をうねうね越えてここまで来ています。

[府道104号へ]

 ここは宿野交番の前。路線番号は出ていませんが、ここが府道104号の分岐点。Y字の右が54号で、緩く鞍部越えて国道173に向かいます。今日はここを左に104号を進みます。

[府道4号]

 道は農地のある川沿いではなく山裾近くの集落の中を抜けています。
現れた青看板には茨木の地名がありました。箕面から妙見山を通る迷走府道の4号の続きです。ここから少しの区間、府道104号は4号と重複になります。この先の区間は学生時代に猪子峠・名月峠と抜けて走った道筋ですが、風景はすっかり変わっています。

[道なりに]

  重複区間は僅かで、すぐにY字で分岐します。どちらへ進んでも国道173に出ます。今日はここを左です。道筋は道なり左という感じに整備されています。稲 地という地名に心当たりがあるので、学生時代にはここを右へ進んでいたと思います。(そのまま島まで抜けて西側の川筋を下ることが多かった。)

[国道173・現道]

  川沿いに下ると前に高速道路のような高架道が見えてきます。これは現在の国道173号。昔はしょぼい道だったのですが、今は山塊をトンネルで抜いて続く立 派な道になっています。右は峠を越えて福知山方面へ。左は川西方向からいくつものトンネルを抜けて来た道で、これは一庫ダムの付け替え道でもあります。
 喧噪な道は嫌です。今日はこの先、ダム湖に沿う道を通ります。この道の一部は旧国道です。高架道の先で川を渡る橋へ向かいます。

[国道173号と府道104号]

 橋で川を渡って西側に出ました。前が現国道173号。青看板で左横斜めに描かれている細道は、番号が書かれていませんが、やはり府道104号。そして、昔の国道173号。つまり、この付近が国道の新道と旧道の接続点。今日は左のこの細く描かれている道を進みます。

[旧国道?]

  昔の地図と照らし合わせてみました。おそらくこの道は国道173号の旧道。一見すると草臥れた姿ですが、道幅は広いです。この区間は学生時代、ダム建設前 の時期と建設中に何度か通ったことがあるはずですが、特に意識せずに走っていたのだと思います。何も記憶にありません。

[旧道と現道]

 旧道は狭い谷を川沿いにうねうね通っていました。対して現在の国道は橋とトンネルを繋いで直線的に抜けています。旧道と現道はところどころで接続しています。トンネル内も自転車通行可能のようですが、喧噪は嫌なので、当然ここは川沿いの道です。

[川沿いの道]

 このあたりは湛水域ではありませんから、この道は旧国道でしょう。
 ダムを造るようなところですから、谷間の幅は狭いです。急峻ではないけれど、川の間近に山が迫り出しているところが多いです。地域交通の道としては十分ですが、主要交通道としてはどうにも狭い道幅です。ダム建設がなくても付け替えが必要になったでしょう。

[現国道に合流]

 川沿いの道を辿ってきましたが、それが尽きました。少し登るかたちで現国道に導かれました。地図を照らし合わせてみると、この先少しの区間は拡幅の関係で旧道が上書きされているようです。

[龍化渓流地区]

 少し進んだところで左へ降りる分岐がありました。ここから川沿の周回道に出れます。
この先のエリアには、今は閉鎖とれていますが、キャンプ場などがあります。ダム湖の観光に合わせて整備されたようです。

 現国道はダム建設時に先行して作られたのではなく、建設地を迂回する代替道が先に作られ、そりより遅れて作られました。ダム建設中の期間にここを通ったことがありますが、その時に通った道は(それほど立派ではなかったので)この迂回路であったと思います。

[龍化吊り橋]

 川沿いの道を進んできました。この道は山腹をへつるように付けられています。勾配は少ないですが。大部分は通常のダムの周回道路程度の道幅です。乗用車の通行は問題ないですが、大型車は厳しいです。建設時の迂回路ではなく、後で整備されたのでしょう。

 河岸には遊歩道があります。これは昔の国道の跡地利用だそうです。ここは普段は露出していますが、下流側は満水時には水没するらしいです。
 途中の『川の案内所』の近くから遊歩道へ続く通路があります。この付近が代替道路と水没道路の分岐点ではないかと思います。

[通れない]

 老朽化だそうです。厳重に封鎖されています。それほど古くは無いはずなのですが。

[旧龍化隧道]

 道から見ると河原の遊歩道の先に素掘りの隧道が見えました。これは旧国道時代の隧道。満水時には水没するらしいですが、今日は水位がだいぶ低い様子。通れそうなので、吊り橋の横の階段で下へ降りてみます。

[素掘り]

 短いですが、見事な素掘り隧道です。ここは昔は国道で、当時は普通に自動車が通っていたはずです。遊歩道として整備されて擬木り手すりが付けられていま すが、元は普通に自動車が対面通行できる幅であった事がわかります。ここは満水時には水没するらしいですが、遊歩道の上にも部分的に土砂が載っていまし た。
 遊歩道はこの先へしばらく続いているはずなのですが、隧道を出たところで通れなくなっています。反対側からも隧道の姿を見たいので、一旦元の道へ戻ります。

[対岸の道へ]

 遊歩道の様子を対岸からも見たいと思ったのですが、残念ながら「吊り橋」が通れません。対岸に渡るには現国道の橋を使うしかありません。先の[龍化渓流 地区]の分岐まで戻ります。徒歩だとたいへんですが、自転車だとそこそこの距離です。分岐まで戻って、現道の橋で川を渡った先に湖岸周回道へ出る分岐があ りました。

[2つのトンネル]

 で、対岸の道を走って隧道のところまで来ました。旧道は川に沿って下っています。周回道路はダム水面に平行にほぼ水平です。ここまででけっこう高低差がついていることが判りますます。
 ここは山の鼻が大きく突出したところ。上の道にもトンネルがあります。こちらはコンクリートで固められていますが、幅はそれほどありません。

[下の隧道 ]

 旧国道は遊歩道として整備されましたが、ここは満水時には水没するエリア。隧道の先の路面は浸食されて崩れていました。このしばらく先に階段があり、そこまで遊歩道が続いていたようですが、道は途切れ途切れになっています。

[円山隧道]

  遊歩道の残渣の先は斜めに登る土の坂道になっていました。おそらくはダム建設時の搬入路か迂回路の名残り。そして、その横に何か黒っぽい影が見えました。 これはどう見てもトンネルのポータル。今日は水位がかなり低いので、半分顔を出した様子。珍しい光景に魅かれてのぞきに立ち寄ったらしい人影が見られま す。
 この水没区間には2つの隧道がありました。その下流側がこの『円山隧道』。こちらは土山の下でレンガ隧道だったうです。水没期間のうちに土被りが崩れてしまって哀れな姿になっています。扁額の部分が欠けていますが、それだけ外して上の道横に移設されているらしいです。

[湖岸は桜の時期]

 ここは二股になった谷間が水没しています。だからダム湖はY字型になっています。今日はY字の左側の外側を少し下って、戻って内側に渡り、そこから下のほうへ下ってきました。今は橋を渡ってY字の先端近くの左外側にいます。水位が低いのが判ります。

[一庫ダム]

 ダムの堤体のところまで来ました。
 今日は終始青空の晴天。途中で向かい風に会いましたが、のたのた気持ちの良いサイクリングでした。

[ダムの下へ]

 ダムから急な坂道を下って真下へ出てきました。

[帰路も輪行]

 帰路も輪行します。ダムから近いのは日生中央駅と山下駅。微妙に坂が少なくて近いという程度の意味で、山下駅へ向かいました。ここから川西能勢口駅乗り換えで服部駅まで。服部でまた自転車組み立てて帰宅という行程。
 並河からここまで、途中の休憩や寄り道観光や写真撮ったりという時間も含めて5時間ほど。遠出という程でない分、ゆったりできた気がします。次もこれぐらいの軟弱行程が良さそうです。



mars2015 at 00:00コメント(0)

2020年11月10日

2020/11/10 豊能・光風台→ダム湖岸道→府道106→ひいらぎ峠→国道477→府道731→亀岡

新型肺炎で困った状況が続いています。その関係で鉄道利用しての遠出には気を遣います。自転車でのたのた走るあたりは人混みとは無縁なのですが、問題は現地までの交通。混雑時間帯の乗車は避けるのは当然、駅での乗り換えも配慮しなければなりません。そうなると、どこなら、いつなら行けるのだろうか。

 走って面白そうな場所はいくつか考えているのですが、アクセスを考えると安心して行けそうな場所は限られて来ます。雑事の合間で天候の良い日を考えているうちに10月が過ぎて11月になってしまいました。だんだん日の出が遅くなり気温が下がって来ます。そこで、地図を見ていて気になった道を走ることにしました。

 北摂の池田・能勢・豊能・猪名川・川西のエリアは学生時代にはよく走りました。とは言っても、だいたいは決まったコースを中心に周回するような走り方。あらためて地図を見直すと、全然走った事の無い道や通ったことの無いエリアに気付きました。そしてこれらを繋ぐと1本のコースができました。となると、さの先はどこへ? あれこれ考えて、亀岡側へ抜けることにしました。
 そうなると、帰路は輪行で、混雑する京都駅での乗り換え。比較的人の少ない時間帯に京都駅を抜けられるように、スタートは朝なるべく早くにします。そのため、往路もほど良い所まで輪行することにしました。

 注意:このコースでは、前半はコンビニなどの店がありません。念のため電車乗車前に食料を調達しておくべきです。


スタート地点は、今までに利用した事の無い駅という事で、能勢電鉄の光風台駅。阪急の服部駅から輪行です。通勤とは逆向きです。通学の流れより少し早い時刻を狙って川西で乗り換え。
この駅は狭い谷間の底にあります。駅を出て、すぐ横にエスカレーターがあるので、これに乗って上の道まで上がってから自転車を組み立て。


谷底にあるのに駅名に『台』と付いているのは、谷の両側の丘陵地がニュータウンになっているため。
ここから西側にある一倉ダム湖岸へは新光風台の住宅地を抜けて行きます。この道は急坂を上って下る道。
実はこのあたりが、今日のコース中で最も急な坂道。自転車はインナーでのたのた登ります。


坂道を登って住宅地の西側へ出ました。眼下にダム湖が見えます。これだけ高低差があります。
この少し先が最高点。下り道も急坂です。地域交通の自家用車などが通ります。カーブもきついのでゆっくり下ります。


湖岸まで降りてきました。この道は府道604号。以前に走ったことのある道です。ダム湖の湖岸迂回道らしく、微妙に屈曲とアップダウンがあります。そこそこ車も通ります。


このダム湖はY字型をしています。こちらは右の斜線部の外側。両斜線の内側のV字の部分にも道があります。今回は喧噪を避けるよう、橋を渡って対岸の細道へ向かいます。


こちらの道は対岸の府道と違ってずいぶんのどかな雰囲気です。
ダム湖の中の突出部には公園があります。この道はそこへのアクセス路でもあります。


湛水域の端あたり、谷間がかなり狭まって来たところで、能勢町に入りました。
もう山は紅葉の時期で、道にはかなり落ち葉があります。それに半ば隠れて小石も散らばっています。ランドナーでゆっくり走るには気持ち良い道ですが、ロードバイクでガシガシ走るのは辛いでしょう。


湖岸の細道が終わって、橋を渡って対岸の府道と合流します。この道はすでに府道106号。府道604号はこの少し手前で東に折れて野間へ向かっています。この106号は、私にとっては初めて走る道です。
写真は振り返って南向いて撮ってます。左が府道106号。右が湖岸の細道です。


少し進むと谷間が開けてのどかな田園風景になりました。
今日は午後から曇る予報ですが、今のところは秋らしい青空。風は冷たいですが、陽差しは暖かく感じます。


田尻で府道4号と交差します。学生時代はこの4号を通ってここを横に抜けるのが定番のコースでした。
野間から猪の子峠を越えて右から来て、左へ進み名月峠を越えて国道に抜ける。今回はこの先をまっすぐ北へ走ります。


ここまで予定より少し早く来ています。
交差点の西側すぐの所に地元農産物の直売所がありました。これから峠越えでもあるので、重い物は避けて、葉野菜などを少し買いました。


交差する道は府道732号。国道477と国道173を結ぶ道。
この府道106号は、地域交通のほか、抜け道的にも使われているらしいです。交通量自体は多くないですが、時折トラックなども通ります。それでもほぼ直線で見通しの良い道なので、緩い気持ちで走れます。


だんだん山が近づいて来ます。ここまで、全体的には緩い登り坂。ずっとアウターの3段で楽々登って来てます。ファミリーサイクリングにも良さそうな雰囲気です。


大きな交差点があらわれました。このまま直進すると国道477号に合流し、まっすぐ峠に向かいます。
交差点の僅か手前にある細道は緩くカーブしながら集落を抜けて峠に続きます。今日はこちらを進みます。
国道は右から来て、ここでぐっと曲がってます。道筋として、綺麗に整形されていますが、この曲がり方はちょっと不自然。細道に対して新道/旧道の関係なのかもしれません。


細道は古くからの農村らしい雰囲気の集落を抜けてゆるゆると続いています。すぐ横に喧噪な国道があるとは思えない雰囲気です。
もう少しで峠。平地よりちょっと秋が早い感じです。ここでまたちょっと休憩。
写真は振り返って撮ってます。


細道は峠の僅か手前で国道に出会います。峠の手前で少し坂がきつくなった程度で、ずっとアウターで登って来ました。
この「ひいらぎ峠」は大阪府と京都府の境です。この先は一転して急勾配の下り坂です。


峠の少し下に枝道が描かれている地図もありますが、分岐点は柵で閉じられています。通行できれば面白そうなルートなのですが、仕方無いです。


でも、ただ国道を下るのは残念。左側の谷間に降りることにします。


本梅川の谷間へ降りました。ここを通るのは府道731号。このまま進むと亀岡です。
逆に西へ向かうと、つづら折れの峠越えで府道54号。川沿いに下ると、一倉ダム湖の左の斜線を通る。このコースも面白そうです。気候の良い時期に走ってみたいです。


府道731号は国道477号と交差します。
ここを左折して川沿いに進んでJR川並駅または千代川駅へ向かうコースも考えました。
今日は電車の本数も考慮に入れて、亀岡方向へ直進。道は山裾を緩く越して国道372へ合流します。
この道は以前に走っています。


国道372号との合流点が近づきました。この国道は広くて綺麗ですが、大型車も通って楽しくない道。
予定よりだいぶ早く来ています。お天気はだいぶ雲が増えて来ましたが、崩れる感じでは無い。体調も問題無し。そこで少し寄り道。右の細い道に逸れます。


この道沿いにあるのは「湯の花温泉」。
昼過ぎぐらいの時刻で交通は少ないです。坂はちょっときついですが、(北側からは)インナーに落とさずに登れました。


ふたたび国道372号と出会いました。普通なら、ここを右折なのですが、交差点の先へ進みます。
国道の北側に、ほぼ平行して集落を抜ける道があります。急ぐ行程では無いので、喧噪を避けてこちらを進むことにします。


交差点の先を右折したら、普通の住宅地の道。ところどころ細くなったり微妙にうねったりしていますが、おおむねまっすぐ続いています。案外古い道筋なのかもしれません。


そのままのたのた進むと、広い道に出会いました。これは国道9号。ここまで来れば亀岡駅はすぐ近く。
このあたりは、お花探訪や街並観光も含めて何度も来ているエリア。
まっすぐ進んでも良いけれど、まだお昼を少し過ぎたぐらいの時刻。寄り道することにしました。


ここは「ガレリア亀岡」。道の駅でもあり、農作物や特産品の販売コーナーがあります。
あとは駅まで行って自転車袋詰めして電車に乗るだけ。
フロントバッグの容量に限りがあるので、大物は買えないけれど、多少の重さは問題無し。季節最後らしい枝豆などお土産に。

 この後、亀岡駅から電車。京都駅の狭い乗り換え通路も、それほど『密』ではなく済みました。空いている各停の電車で吹田駅までゆっくり帰って、そこから走って寒くなる前に帰宅。
 走るという意味ではちょっと物足りないぐらいですが、紅葉しかけた山間の田園を見ながらのんびりしたという事では、たいへん楽しい一日でした。


mars2015 at 21:00コメント(0)

2020年09月16日

2020/09/16 亀岡→京都府道6号→昇尾峠(樫田トンネル)→大阪府道6号→摂津峡→芥川→高槻

諸事情でここ数年「自転車でお出かけ」できないでいました。それも少しづつ解消したところ、今度は新型肺炎騒ぎ。7月におっかなびっくり再開したものの、記録的な酷暑襲来で8月中はお出かけ自粛。

 酷暑が残暑に変わり、朝晩はだいぶ涼しくなりました。そこで自転車でお出かけ再開。それでも混雑した所は避けたい。特に輪行では鉄道を利用するので、混雑路線/駅と混雑時間帯にかからないように工夫します。

 しばらくぶりのお出かけ自転車です。再開初回の7月は自宅発着の輪行無し行程でしたので、今度は輪行有りの行程を試すことにしました。片輪行のコースも 考えたのですが、この時期で面白そうな所が思いつかなかったので、結局両方輪行のコースになりました。距離が短く時間的にも余裕のあるコースです。

 北摂と京都側の間には東西に長い山塊があります。国道9号はこの山塊の東の裾を回っています。国道176はこの西の端にあたります。北大阪から亀岡/園 部へ抜けるには、どこかでこの山塊を越す必要があります。最短ルートは府道110号から国道423号のルートですが、峠越えが2回になります。2013年 6月に走った国道477号は能勢を通る西寄りの峠を越える道。2014年8月の府道41号はやや東寄りの道。他にもいくつか峠があり、そこへ続く道もいく つか。

 地図を見ていると、比較的距離が短いルートがありました。大阪・京都府道6号枚方亀岡線。枚方大橋から高槻市内を抜けて亀岡へ。大阪側は芥川・田能川の 川沿い、亀岡側は年谷川の谷。標高は少し高いですが急坂区間は短く、屈曲もきつくないです。 ほぼ南北のコースなので、真夏の晴天ならば高槻→亀岡なので すが、地形と交通状況を考えると亀岡→高槻の方が良さそうです。

 酷暑の時期が過ぎるのを待っているうちに、台風が過ぎて秋の前線がうねりだしています。幸い今日は半曇りなので、早朝に家を出て、混雑前の電車で京都を 抜けて、朝の早いうちに亀岡に。そうすれば、途中ゆっくり走っても高槻に昼過ぎぐらいに着けます。早く着けるようなら、せっかくだから芥川の川沿いを辿っ て摂津峡を抜けることにします。


亀岡発は若干予定より遅れて8時頃になりました。ここは何度か来ています。駅前で自転車を組み立てて、南へ向いて出発。


亀岡は城下町。お城は駅のすぐ近く。お堀傍に『今年の人』の像がありました。


以前にひなまつりに合わせて街並を観光しています。今回は静かな街を西側へ抜けました。この細い古街の道が京都府道6号。


少し進んで街並を抜けると国道9号と交差。青看板には高槻が出てます。路線名の枚方は出ていません。
この先の行程で、山中は自販機はありますがコンビニや店はありません。飲食物はここで調達しておく必要があります。


京都縦貫道の高架の下を潜ります。川に沿って山へ向かって緩く登って行きます。中央白線の道で、交通量は多くないですが、大型車がスピード出して通ります。


川が谷に入り込んできました。少しづつ勾配がきつくなります。うねうね道が細くなって、中央の線が無くなりました。大型車は譲り合って行き違って通ってます。自転車も(恐いので)避けて道を譲ります。


府道46号の分岐の予告です。行き先に枚方の地名が出て来ました。距離は出てません。


大阪と京都の府境です。府道46号の分岐はこのすぐ先。峠はまだもうしばらくあり、道はまだまだ川沿いに登ってます。道の中央は白線から黄色線に変わります。


杉生のバス停。高槻市営バスは、峠を越えてここまで来ています。まあ、ここは高槻市だから不自然では無いのですが。ここが峠下集落。だんだん勾配がきつくなって来て、変速はインナーに落としています。


杉生の集落の外れから、峠に向かって高度を稼ぐように道は山に沿ってカーブして行きます。ぐっとひとつ折り返すあたりからぐっと勾配がきつくなります。無理せずにインナーで2速から1速で登ります。


登坂の折り返し点近く、真新しい林道の看板がありました。入り口は柵がしてありますが、(入り口から見える範囲では)車が通れそうな道です。トンネルができる前の峠越えの旧道っぽいですが、今回はパスして府道を行きます。


山腹をへつり登って、そのまま回り込んだ先が『樫田トンネル』。だいぶ汚れっぽいけど、片側歩道のしっかり近代トンネルです。トンネル内は緩い片勾配です。樫田は高槻側の峠下集落の名です。
何やらここは心霊スポットでもあるらしいです。長さは280mと短くまっすぐ先が見えてるのですが、前後の切り通しが深く、しかもカーブしているので風通しが悪く湿っぽいです。


トンネル内は緩い登りの片勾配。抜けたすぐ先が道の最高点です。標高は約360m。案外高いですが、尾根の高さは400mぐらいなので、長さの割に効果の大きなトンネルという事になります。
トンネルの名『樫田トンネル』で検索すると、『昇尾峠』という名が出て来ました。
ここまで、途中止まってよそ見しながらゆっくり走って、亀岡から1時間あまり。あとはほとんど下り道です。


道の最高点のすぐ左側の道の入り口。ここにも林道の看板がありました。やはりこの林道がトンネルの旧道だったようです。


峠から道はどんどん下って行き、すぐに峠下の樫田の集落。その手前に謎の青看板がありました。地図に描かれている府道6号はここを右に折れる道なのですが、通行止め??


左から来るのは府道733号です。地図では、ここから少しの区間は6号と重複区間になってます。現地の案内図では、この区間は北行きの一通で、南行きはこの谷の向こう側にある道を通るように指示されています。どうやら樫田の集落内の車の流れを規制するためのようです。


通行規制の侵入禁止は『自転車を除く』だったので、遠慮しながら侵入。すると 道の一部を仕切って狭めてありました。ここは道幅が広いですが、この先で細くなっています。少しづつ拡幅したけれど、狭い区間が残ったので、一方通行にし たという感じです。狭い区間も歩道があるので、こちらを走ります。


少し進むと、府道733号が右に分離して行きます。ここから道は対面交通になるようで、中央に黄色線が復活。迂回路が府道6号のルートに戻って来るのはもう少し先です。
ここにJAの産直野菜の直売所がありました。到着時刻ではまだ開店していなかったので、少し休憩して待ちました。(買った茄子がたいへん美味しかったです。)


樫田の集落のあたりは小さい盆地状になっていて、その先は屈曲する川に沿って 下る道です。この川は「田能川」。狭く暗い谷がちょっと明るくなった所が「出灰」。ここで東横の谷を流れて来た「出灰川」と合流して「芥川」になります。 写真は合流点付近から田能川の方を振り返って撮ってます。


この先もしばらく川沿いの狭い谷間が続きます。勾配はきつくなったり緩くなったり、道は黄色線だったり白線だったり。舗装はおおむね綺麗ですが、所々小石や砂があるので、ブレーキかけながらゆるゆると下って行きます。


青看板が出て来ました。府道6号は枚方亀岡線。つまり残りは19kmですが、今回の目的地は高槻駅ですから、国道171号の少し先までという事になります。


新名神の高架道を潜ります。この先で谷間の区間は終わりです。
この道は途中に採石場があり、その関係で砂利ダンプが通ります。幸い頻繁に通るという程では無かったですが、こちら側から登るとなると休日でなければ精神的に厳しい感じです。


新名神を潜った先で、府道6号は芥川の東側に出て、そのまま丘陵を越えて南下します。市街地の道は面白くないので、ここで川沿いの集落を通る道に逸れます。


原の集落の中から芥川の谷を振り返って見ました。住宅地と残った田畑が入り交じる日本の都市近郊らしい風景です。ここは大阪平野に続く平地ではなく、小さい盆地です。出口にもうひとつ狭隘部があります。


芥川が平野に出る直前最後の狭隘部が「摂津峡」。ここは景色で用命な観光地で、中間部は道路はありません。自動車なら迂回する必要があります。
ここまで、(休憩や買い物の時間を含めて)峠から2時間弱で来てます。まだお昼には早い時刻です。


私の自転車はランドナーで、地道は問題無し、多少の悪路なら押したり担いだりして越せます。
河岸の歩道は、大部分は土の平場ですが、一部に階段があり、大きな岩を乗り越すような箇所がいくつかあります。中間部は自転車に乗車して越すのは無理です。
幸い見た感じ観光客はほとんどいない(駐車場がほとんどカラ)ので、自転車連れて河岸の歩道に入りました。(階段は持ち上げて、大きな岩は担ぎ越えて、平地も安全のため押して通りました。)


摂津峡の峡谷を抜けると、摂津峡公園。その園内の道を下って来ました。峡谷はここで終わり。橋を渡って進めばそのまま高槻の市街地。それは面白くないので、もう少し芥川とお付き合い。


川と平行する道路もありますが、せっかくだから川の土手道を走ります。土の部分が多いですが、一部は舗装され、一部は公園のように敷石になっています。


その芥川もすっかり街の川になってしまいました。


国道171号と交差する所まで来ました。前に見えるのはJRの鉄橋。その向こうは阪急電車の鉄橋。
ここまで来ると、もうほとんど見知ったエリアです。国道を東に進めばすぐにJR高槻の駅。

当初の予定では、JR高槻駅から輪行でJR吹田駅という行程。特に予定外の事態が無かったので、だいぶゆっくりしたのですがお昼を少し過ぎたぐらいの時刻で来れました。ここから吹田の自宅まで、走ることはじゅうぶん可能(お買い物自転車で走れる距離)なのですが、ツーリングの自転車で喧噪な市街地を走るのは苦行です。輪行の練習/復習という事で予定どおり輪行で帰りました。電車の乗車時間に分解組み立ての時間が加わって、走って帰っても大差無いぐらいの時刻に帰宅。


mars2015 at 16:24コメント(0)

2016年10月29日

2016年10月22日 浜大津→琵琶湖疏水→小関峠→山科→蹴上→インクライン→南禅寺

 以前に琵琶湖と淀川の流れに沿って走りました。栃の木峠を発した流れは湖東へ下り琵琶湖に注ぎます。近江と若狭を隔てる野坂山地の谷筋も走りました。先々月先月のコース一帯も琵琶湖に流入する川の流域です。
 たくさんの川の水を集めた琵琶湖ですが、その出口は少ないです。自然の出口は宇治へ至る瀬田川だけですが、山地をトンネルで抜けて京都市内へ水を引く人口的な出口が作られています。これが琵琶湖疎水(京都疎水)。疎水は第一と第二の2つの水路が造られていて、このうち古い第一疏水は1885年(明治18年)着工、1890年(明治23年)完成。荷物を運ぶ舟の通行も考慮して作られていて、途中のかなりの部分が地表を通っています。

 琵琶湖と鴨川の水位の差が約45mあり、ここをそのまま繋ぐと流れが速くなって舟運には不都合です。この差を解消するため、京都側の『蹴上』にインクラインが作られました。この落差を利用して発電所が設けられ、その電力はインクラインで使われたほか、日本初の電車の運転にも使われました。
 京都市内の観光地に近いこともあって、インクラインは学校の遠足などでも訪れる観光地として知名度が高いですが、疎水自体はあまり知られていないように思います。

 琵琶湖がらみで残った大物!疎水の流れを追って自転車で走ることを計画しました。なるべく水路に近い道を辿って、三井寺近くの取水口から京都の東の蹴上へ。山科あたりの山腹に沿って流れるあたりは公園や遊歩道が整備されています。距離は短いですが、スピード出して走れる道ではありません。止まってあちこち見ながらだと、休憩いれて3〜4時間ぐらいでしょう。
 紅葉の時期には早いですが、のったりゆったり秋の散策サイクリングにすることにしました。今回も知人のIさんと一緒です。

[疏水の取水堰]

 新大阪から輪行で湖西線の大津京駅へ。ここから住宅地の中の古道らしい道筋を走って少し。京阪電車の三井寺駅の近くです。ここから疏水のたびが始まります。

[山へ向かって流れます]

 普通の川とは逆で、水は山へ向かって流れています。

[閘門があります]

 この先で水路は長い隧道に入ります。
 水路の水位と流れを調節するように、閘門が設けられています。この横に迂回水路があります。

[隧道の東口]

 湖畔からここまで、水路に沿って道が付けられています。
 水路はここからトンネルで湖西の山の下を抜けて山科へ向かいます。街道(国道)は南側の低い所へ廻っていますが、水路の真上近くを通って峠越えする道もあります。道の入り口はこの左側。

[峠のお地蔵さん]

 峠に至るの道は、途中の分岐が判りにくくて少し迷いました。標識が中途半端です。
 この「小関越え」の道は、高低差は小さいですが、けっこう急な坂です。上り詰めた所にお地蔵さんがありました。

[第一トンネルの西口]

 峠を下ると道はR161(西大津バイパス)をくぐり、JR線の近くまで来ます。ここから右に枝道を入った所が西の坑口。曲がり角が判り難いです。標識が欲しいですね。
 第一トンネルは当時日本最長2436m。

[疏水沿いの道]

 第一トンネル西口から先、しばらくの区間は疏水に沿って細道が続いています。曇天ですがほどよい気候の休日で、地図を片手に疏水探訪らしい人影があります。

[諸羽トンネル東口]

 元々は山裾に沿って流れていたのを、湖西線の線路を敷設するために付け替えたもの。昭和45年(1970年)にできた新しいトンネルなので扁額は無し。全長520mで出口が見えています。

[山裾の公園の道]

 この公園の部分は諸羽トンネルに付け替えられた疏水が通っていた跡地。
 地元の散策道として利用されているようです。

[諸羽トンネル西口]

 こちらの口も扁額は無しです。付け替えのよって流路が約260m短縮されたため、この区間は少し勾配がきつくなっているそうです。

[川の上]

 疏水はほぼ一定の勾配です。山科駅の北あたり、山裾に沿って緩く曲がっています。ほぼ等高線に沿うルートで、高い所は掘り下げて、低い所土手になっています。ここで疏水は谷の川と交差します。

[水路橋]

 上の写真の反対側(北側)から。
 谷の川より高いです。疏水は橋になって谷川を跨ぎ越えています。水は混じり合いません。

[山腹を辿る]

 高度を下げないように、山腹をへつるように水路が続いています。
 疏水に沿って散策道が続いています。モミジなどがたくさん植わっていますから、紅葉の時期には綺麗でしょう。

[街を見下ろす]

 山科駅の少し西のあたり。山裾を削り込むように東海道線が通っています。疏水がだいぶ高いと頃を通っていることが判ります。
 鉄道線は盛り土の路盤で少し南に寄りに進んで東山トンネルへ。疏水は山腹に沿って御陵へと、北西に向かいます。

[第二トンネル東口]

 天智天皇陵の北側を抜けて少し先。小山の突出部を避ける124mの短いトンネルがあります。
 疏水沿いの散策道はここで一旦途切れます。住宅地の中を辿って反対側へ廻りますが、この区間の道が判りにくかったです。

[第二トンネル西口]

 ここもレンガ積みのポータルです。装飾が凝っています。古い3つのトンネルの両側の口はそれぞれ意匠が異なっています。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 橋のたもにと石の標柱がありました。
 異様なほど大げさな鉄柵の内側の曲がった部分が「最古の鉄筋コンクリート橋」。橋に手摺りが無いので、両側に手摺りだけの鋼橋のような物を付け加えた形になってます。

[最古の鉄筋コンクリート橋]

 人道橋で、橋自体はたいへん薄い構造物です。
 貴重な物に手を加えずに置こうとした意図は判りますが、手摺りの見かけが台無しにしてます。下縁が橋の路面より少し高い位置で、橋に沿って湾曲した物にしてほしかったです。

[第三トンネル東口]

 最後の水路隧道の入り口。この隧道で東山を抜けた先が蹴上です。
 水路沿いの道はここまで、ここから一旦山裾の広い道へ廻ります。

[蹴上の坂]

 東山の山地を水路はトンネルで抜けていますが、道路は峠越えです。山科から三条へ向かうこの道は旧東海道。ぐっと登って峠を越えると京都の街が見えてきます。坂を少し下ったところを右に入ると

[蹴上船溜まり]

 第三トンネルを出たところは少し広い水面になっています。ここがインクライン上部の船溜まり。ここまで来た船は順番にインクラインに載ります。
 流れて来た水は、第二疏水の水と合わさり、水路鉄管を流れて発電所へ。一部は疏水分線として南禅寺の中を通って北へ流れます。

[インクライン]

 インクラインは一種のケーブルカーです。ここで舟を台車に載せて陸揚げして、下の船溜まりまで坂を下ります。展示されている台車には舟が載っていますが、公園のボートより少し大きい程度です。
 インクラインは1948年(昭和23年)に運行を終了し設備は撤去されました。現在は見られるレールなどは産業遺産として保存するために1977年(昭和52年)に復元されたもの。

[南禅寺]

 蹴上のインクラインのすぐ横。有名な大きなお寺です。
 疎水の水の一部はこの南禅寺の中を導水橋(水路閣)で抜け、京都市街の北東をぐるっと流れて鴨川縁へと高度を下げて行きます。このあたりが「哲学の道」として知られる水路。このあたりは(だいぶ昔ですが)一度走ったことがあるので、今日はインクラインの先の水路へ向かいます。

[南禅寺船溜り]

 インクライン下の船溜まりです。正面は動物園。観光地です。

[京都の街の中]

 南禅寺から鴨川へ、京都市美術館、平安神宮と続く一帯。水路は観光都市京都の中心部を流れています。

 すっかり油断していましたが、今日は「時代祭」の日でした。沿道は人出が多く交通規制されていて、水路に沿って辿るのは厳しい状態でした。仕方なしに水路から離れて鴨川の河川敷を通って四条に行きました。帰路は河原町から阪急電車に乗りました。


 小関峠の区間と蹴上手前の坂の他はほとんど平坦です。コースは大半が市街地に近い所を通っています。鉄道駅も多くあり、どこでもエスケープ可能です。小型の折りたたみ自転車でも支障無く走れますが、土や砂利の公園路の区間が多いのでロードバイクは不向きでしょう。
 昼食は、途中でコースを逸れて適当に探すつもりだったのですが、惰性で走るうちに食いはぐれました。樹木の多い公園のような所を走るのですがら、お弁当持ちの方が良かったかもしれません。


2016年04月11日

2016年04月08日 マキノ駅→海津大崎→大崎隧道→奥琵琶湖パークウェイ→藤が崎→賤ヶ岳隧道→余呉川→高時川→档鳥坂隧道→木ノ本駅

 4月は桜。やはり桜で有名な所を走りたいです。湖北の桜は大阪あたりより遅く、だいたい4月の10日あたりが見頃。鉄旅でお出かけするには都合が良いです。今年も湖北の桜を見に行くことにしました。
 湖北には桜の名所がいくつかあり、その筆頭は「海津大崎」。マキノ駅から徒歩圏(駅前にレンタサイクルあり)で、今までに徒歩で何度か行きましたし、一昨年は湖岸一周サイクリングとして、東から西へ桜を見ながら走りました。(この話は→)
 このすぐ東側にある「奥琵琶湖パークウェイ」も桜の名所として有名です。しかしここの一部区間は西から東の一方通行です。一昨年は反時計回りに走ったので、この区間を迂回しました。やはりこの区間の桜も見たいです。
 その東側の「賤ヶ岳」周辺も桜が綺麗なところで、ふもとを流れる「余呉川」の土手の桜は私のお気に入りです。木ノ本の駅から徒歩可能ですが、ちょっと距離があるので昨年は観光案内所で自転車を借りました。その時に得た情報では高時川のあたりも綺麗ということでした。(この話は→)
 今回はこれらの『桜の名所』と合わせて湖北の有名な隧道を訪ねることにしました。以前に高時川の谷を下った時に近くを通っているのですが、見逃していました。(この話は→)

 大阪近辺の桜は一気に満開になったところを強い雨と風で傷められて残念な姿になっています。しかし開花情報では湖北あたりはこの土日あたりが満開とか。曇天なのが残念ですが、人出を警戒して平日の金曜日のお出かけです。


[海津の街から]

 駅前から湖岸へ出て、海津の街並みを走ります。石積みの護岸から大崎の道沿いの桜が見えます。

[大崎隧道]

 湖岸の道を辿って観音さんの所まで来ました。このあたりはやはりけっこう桜見物の人が来ていますが、お天気の具合もあるのか混雑という程ではありません。
 マキノから徒歩で来る観光客の多くはこのあたりまで。観光船へ乗る人もあります。土産物屋もあり、バスの一行もここで降りて観光しているようです。ここから崎の区間には短いトンネルが続きます。ひとまとめで「大崎隧道」というらしく、両端にだけ扁額が付けられているそうです。でもマキノ側の扁額は隠れていて見えません。

[北琵琶湖周遊道路]

 海津から木之本まで、この湖岸の道は「北琵琶湖周遊道路」というらしいです。2車線ですが、隧道や屈曲部とか、バスや大型車は離合困難な幅。今日はあまり混んでいないですが、桜の時期のは自動車は一方通行に規制されます。

[湖岸の桜]

 道の湖側に桜が植わっています。路肩からは桜の枝越しに湖面が見えます。大崎をまわって半島部の東側へ出ると、対岸の「つづらお崎」が見えてきます。山腹にピンク色の筋が見えますが、あそこがパークウェイ。けっこう登っています。

[大崎隧道]

 一連の短い隧道を抜けて来ました。この道は本来は湖岸の集落を結ぶ地域道ですが、当初から観光も考えていたのでしょう。昭和初期のトンネルで中はコンクリ造りですが、ポータルは石積みで、それぞれ意匠が少しづつ違えてあります。その中でこの隧道だけ、落石覆いが付けられています。安全上仕方ないのは判りますが、美しさという点ではかなり残念です。
 この先の道の案内が付けられていますが、ここまで1本道で、この先もしばらく一本道です。

[二本松]

 桜並木が綺麗なのはだいたいこのあたりまで。海津側の入り口からここまで約4km。マキノ側が比較的駅から近いのに対して、ここから永原の駅まではちょっと距離があります。

[大浦]

 海津大崎の半島をまわって、大浦川の河口まで来ました。桜と景色を眺めて写真を撮って。止まり止まりしながらのたのた走って1時間ほど。
 ここは若狭から峠を越えて来る道と湖上の舟運の接続点のひとつとして昔は賑わった街らしいですが、今では静かな湖岸の集落。左手の少し先には永原の駅があります。昨年秋にはここから峠越えの道を走りました。(この話は→)
 ここから木之本へは、国道303号で塩津へ出るのが普通のルートです。国道は歩道もあって坂もあまりきつくないです。しかし途中の「岩熊トンネル」は長くて喧噪です。右のパークウェイはその名のとおりの観光道路で、屈曲した坂道で稜線越えです。

[狭い入り江]

 そのまま湖岸に沿って入り江を回り込んで菅浦へ向かいます。右側は海津からまわって来た道で、左側の半島がこれから進む先。リアス式海岸と似た感じで、山ひだがそのまま半島状に湖に突きだしている地形がよく判ります。

[桜並木の道]

 大浦から菅浦へ、湖岸の道を辿ります。この道沿いにもたくさん桜が植わっています。海津大崎のあたりに比べるとまだ若い樹ですが、その分花が多いです。
 このあたりの道は広くて綺麗です。平日という事もあるのでしょうが、自動車はあまり多く無いです。

[菅浦へ]

 菅浦の集落の手前。湖岸に沿って曲がりながら、半島の中ほどまで来ました。前方の山腹に斜めにピンクの帯が見えています。けっこう上の方まで登ることになります。
 ここから左の登って中段を右へ進んだ半島の突端が「つづらお崎の展望台」です。

[パークウェイ入り口]

 ここはパークアェイのゲート。いよいよここから登り。菅浦の集落への道は右下側です。ここから月出までがパークウェイで、途中の展望台までは対面交通です。

[上り坂]

 普通の道よりもきついけれど林道ほど厳しくはない勾配。自転車はインナーの1〜2ぐらいで登れます。幸いあまり混んでいませんでしたが、おそらく休日だと自動車に脅かされることになるのでしょう。

[大きくトラバース]

 山腹を北へ1段うねって登った2段目。下の方にパークウェイの入り口のあたりが見えます。このまま登りながら半島部の先の方へ。パークウェイは屈曲した坂道で観光バスも通ります。しかし路肩もしっかりとってあり、一部に駐停車できるような広い場所も設けられています。おそらく展望台まで行くのでしょうか、徒歩で登っている方もけっこういました。

[海津大崎]

 山腹をトラバースしながら登るうちに視点がだいぶ高くなって来ました。少し前に走った海津大崎の湖岸の桜並木が良く見えます。すっきり青空の晴天だと綺麗でしょう。

[展望台から]

 展望台まで来ました。ここまで来ると今度は湖東側が見えます。目の前は「水鳥センター」のあたりでしょう。駐車場の横には売店もあり、この一帯は観光地になっていました。大浦からここまで、景色見ながらのたのた登って1時間ほど。
 道はここで2手に分かれ、片方はそのまま永原(海津)方向へ戻り、他方は塩津経由で木之本へ向かいます。

[一方通行区間]

 展望台でゆっくりしてからパークウェィを先へ進みます。ここから先は東行きの一方通行です。大型車の対面交通には狭いという事と、途中に崩落危険箇所があるのが理由。自転車も一通なので、途中で戻る場合は降りて押して通らなければなりません。
 道は1段格下げという感じです。道幅は少し狭くなり、微妙に勾配が増しています。展望台までの区間に比べると交通量はだいぶ少ないですが、断続的に乗用車や観光バスが通ります。

[パークウェイ東側]

 パークウェイの後半はアップダウンが続く道です。この半島部はよほど地形が悪いのでしょう。突端で反対側へ回り込むのではなく、今度は北側へ山腹をへつりながら、もう1段登ります。
 尾根を越えてしばらく行くと、やっと賤ヶ岳側が見えて来ます。狭湾の対岸に2段のピンクの筋が見えていますが、現国道とその旧道でしょう。

[月出のゲート]

 一方通行区間の出口で、ここからは対面交通になります。この先は湖岸一周の時の逆コースということになります。(この話は→)

[湖北隧道]

 月出ゲートから先はパークウェイ開通前に作られた湖周道路の一部です。国道は半島の付け根を長いトンネルで抜いていますが、それ以前のルートは山ひだが薄くなる所まで登って、短い隧道で抜けていました。その隧道がこれ。土木遺産級の名トンネルですが、天井のモルタル剥落で少し前から通行止めになっています。

 このトンネルが通れないので、塩津側から長浦へ抜けられる道は現国道の「岩熊トンネル」だけになります。湖岸を反時計まわりで走ろうとする場合は要注意です。

 ここから下る途中で、登ってくる車とすれちがいました。どこへ行こうとしていたのでしょうか。県道の塩津側の入り口には、「月出から菅浦の間が一方通行という」以前からの表示だけで、「湖北隧道が通れない」ことの表示は見あたりませんでした。これはたいへん不親切でしょう。 

[藤が崎をまわって]

 ここから賤ヶ岳方向へは国道を走って「藤が崎トンネル」を抜けるのが早道です。でも喧噪な長いトンネルはイヤです。湖岸を辿って半島部をまわる旧道を走ります。元が1けた国道だけあって道幅は広いですが、通る車はほとんどありません。

[旧道への分岐]

 半島をまわる旧道は飯浦で一旦新道と合流。その少し先でふたたび旧道が分岐します。新道はそのまま低く進んで長いトンネルに入ります。旧道は山腹をうねうねと登ります。ちょっときつい傾斜です。

[賤ヶ岳隧道]

 さすがに旧国道の隧道です。立派な構えです。

[余呉川の桜]

 賤ヶ岳から下る道は、現国道と接する直前で余呉川を渡ります。ここから上流側の土手には大きな桜の古木が並んでいます。この一帯はのんびり静かで、のたのた徘徊するには良いところです。私は徒歩で2回、レンタサイクルで1回来ています。今回はあまり深入りせずに済ませます。

[余呉川の土手道]

 余呉川に沿って南下します。左岸を通る県道は国道への接続道路として機能しているらしく交通量が多いです。そこで右岸の土手の上の細道を通っています。県道には街路樹のように桜が植わっていますが、まだまだ若い樹です。

[高時川の土手]

 適当に集落道を辿って川毛のあたりで高時川に出ました。このあたりの桜はすごくいい感じです。来年はこちらをメインに徘徊するのも良さそうです。

[土手の道]

 高月から木之本の北側のあたりへと、そのまま高時川の土手道を走っています。土手のあちこち桜が植わっていて、ピンクの帯が破線状に続いています。土手道の景色はのどかですが、近くには大きな工場もあり、国道や高速道路やJR線とからみあっていて周囲からはいろんな音が聞こえて来ます。

[旧道]

 新道の「新档鳥坂トンネル」より少し北側に旧道との分岐があります。分岐の付近は整形されていて、気をつけていないと通り過ぎてしまうでしょう。地図ではこの区間も国道として色が塗られています。木之本の街の中の道とひとつづきで、古い道も現役国道になっているようです。

[档鳥坂隧道]

 あとりざかずいどう。昭和初期の完成だそうで、当時は県道だったらしいです。長さは短いですが、けっこう大きなトンネルです。このすぐ上には昔の徒歩道の掘り割りがあるらしいです。

[道通天地]

 ポータルはいい感じなのですが、洞内は補修されて全面パネルはめ込みになっています。明るく綺麗ですが、風情は無いです。しかしこれだけ手間をかけて維持されているのは、この道にそれだけ需要があるという事なのかもしれません。
 隧道を過ぎるとあとはどんどん下り。横の低いところを現道が通っていますが合流はしません。そして少しづつ離れながらそのまま木之本の街へ向かいます。

[木之本のお地蔵さん]

 旧道から続く道を進むとそのまま木之本の街の東側へ出ました。ゆっくり街並みを通ってお地蔵さんの所まで来ました。境内には桜が咲いています。ここまで来ると駅はすぐ近く。

 勢いにまかせて走り抜ければたいした事のないコースですが、桜に浸りながらのたのた走って6時間ほど。夕方は1時間に2本電車があり、新快速電車は2時間弱で新大阪に着きます。帰宅はぎりぎり夕食どきになりました。


mars2015 at 21:09コメント(0)

2016年03月20日

2016年03月20日 五条駅→国道168号→[五新(未成)線跡]→賀名生皇居跡→[賀名生梅林]→[五新(未成)線跡]→西吉野町城戸→一の木ダム→五条駅

 3月は梅の時期。大きな梅林は交通の便が良くない所が多いです。昨年は月ヶ瀬に行きましたから、今年も梅林へ行くことにしました。選んだ行き先は[賀名生梅林]。奈良の南ですが、山間部だからかここも見頃は遅目です。

 賀名生梅林の最寄り駅はJRの五条。ここから国道で谷間をしばらく登ったあたり。国道168号は十津川から新宮へ向かう道です。距離はあまり長く無いけれど、山中のうねうね登り道でトラックやバスも通ります。なるべくなら通りたく無い。裏道探していると、地形図に「バス専用道路」というのが書かれていました。ここは国鉄五新線の代替バスが走っていた道。そのバスもしばらく前に廃止になって廃道になっています。このため道路地図には載っていないのですが、一部はまだ地元の集落道としても使用(黙認?)されているようです。通れるならばおもしろそうです。
 五新線は五条から紀伊半島を縦断して新宮を目指す路線でした。しかし延々山中の区間越えるルートは技術的にも経済的にもあきらかに無謀。ルートの北側の1/5ほどの区間の部分開業を目指して建設が進められたのですが、それも完成できずに計画中止になりました。予定区間の半分ほどがバス道として使用されましたが、それも平行する国道経由となり、未成線は廃道になりました。

 3月中頃の訪問を予定したのですが、諸事情で1週遅れました。おそらく完全に見ごろは過ぎているでしょうが、それでも上の方はまだ見れるのではないかと、お天気の具合を見ながらお出かけ。

[五条駅]

 ここはJR和歌山線の駅。単線で列車の本数が少ないです。JR関西線の王寺からまわる他に南海高野線で橋本乗り継ぎという手もあり、所要時間は大差無いです。時刻の都合を見て、往路は橋本まわりの経路を取りました。
 駅前には観光案内所があり、ここで賀名生梅林の案内図を入手しました。ここにはレンタイサクルがありました。街並や皇居跡あたりまでの観光ならかなり有効なのではないかと思いました。

[道の分岐]

 駅前から少し下って国道24号へ。その角にあるコンビニでお茶と昼食を確保。国道を少し進むと青看板がありました。未成線の遺構はこの少し先にあるのですが、今回は梅林が目当て。左に折れて橋を渡ります。

[未成高架橋]

 道なりに走って街を抜けたあたり。国道を跨ぐ高架橋の橋台です。代替バスはここまで国道を走って来て、この左側から専用道路に入っていました。

[専用道入り口の封鎖]

 バス専用道だった頃の立て看板とゲートが残っていました。廃止後に付けられたらしい車止めがあり、その手前にはAバリも置かれています。車止めは取り外し式で、路面にはタイヤ跡がありました。
 とりあえず自転車は置いて、先の様子を見に行きました。

[未成高架のあと]

 入り口から坂道を登って市内方向を見たところです。切れ切れに土盛りが見えます。反対側は普通に舗装道路が続いていました。

[単線の路盤]

 路面は普通に狭い集落道か農道といった程度ですが、跨線橋の形とか微妙なカーブとカントの具合とか、路面以外は完全にローカル線の雰囲気。高速鉄道にはきついカーブでも道路と比べるとゆるゆるです。
 五新線はもともとは貨物輸送も考えた路線です。勾配はあまりきつくないです。お出かけ自転車はアウターの3速で普通に走れます。普通のお買い物自転車でもそれほど苦しくない程度。サイクリング道としてちょうど良いのではないかしら。

[交差点?踏切?]

 地平を行くローカル鉄道線らしく、地域の道と平面交差しています。カーブミラーとその下のトラ塗りの柵の取り合わせが妙です。こういうのがいくつもあります。こういう所から出入りしているのてしょうか、地元民の車が通っています。

[生子トンネル ]

 そのまま生子の集落を過ぎると、トンネルがあります。ここは生子(おぶす)トンネル(832m)。ここを抜けられるとすっごく楽なのですが、残念ながらしっかり封鎖されています。長さは長いけれど直線で出口も見えてます。自動車のすれ違いは困難でしょうけど、2輪車には解放しておいてほしいです。
 仕方ないので、右側の道を登って上の国道へ迂回。

[国道から]

 国道は河岸の凸部を高巻きして越えています。車はスピード出して通りますが、道幅はあまり広くなくてけっこうきつい登り坂。一応歩道はありますが、狭くてデコボコ。気分的にもしんどい。生子トンネルが通れないのが辛いです。
 くるっと突出部を回って鉄道路盤が見えるところまで来ました。国道は山腹をへつり登って、この区間でかなり高度を稼ぎます。下の線路も登り続けているはずですが、かなり高度差がついています。国道からこの下の集落へ下りる道があります。稼いだ高度はちょっともったいないけど、喧噪な国道はイヤなので下へ降ります。

[谷を跨ぐ橋]

 のどかな谷間の道。ここはバスが走った道ですが、踏切っぽい物があるので鉄道廃線跡っぽく見えます。上を大きく立派な農免道路の橋が跨いでいます。国道はあの橋の高さです。

[親房トンネル]

 集落を抜けて橋を渡って。路盤はひたすら登り続けています。うねうねとした谷間を行く鉄道線路らしいパターンで、山の端は短いトンネルで抜いて橋で対岸へ渡るくりかえしです。親房(ちかふさ)トンネルは曲がっていますが短い(139m)ので出口の明かりが見えます。

[トンネルの先に ]

 親房トンネルを抜ければ賀名生(あのう)地区です。すぐ先には尾名瀬トンネル(35m)が見えています。鉄道になっていれば、ここが梅林の最寄り駅になっていたところ。一旦ここで路盤を離れます。

[皇居?]

 バス停跡の近くの道から集落へ入り、橋を渡ってすぐに見える古民家風の建物。賀名生(穴生)は南北朝時代の一時期、南朝の行宮が置かれていたところです。このあたり、明日香・吉野から熊野へ抜ける道筋ですが、どう考えても行政府を置けるような所ではありません。避難所程度でしょう。この建物は元の敷地と伝わる所に建っているのですが、当時の建物ではありません。 

[梅林の入り口]

 皇居の前から資料館を通って国道へ出ました。梅林の入り口のあたりには売店がいくつかありました。見頃はすぎているのですが、けっこう観光客がいます。案内図には梅林をひとまわりするコースが示されています。これに従って観梅することにしました。一周が約4kmとか。

[梅の山へ]

 ここは近畿圏では有数の規模。梅林は谷間の斜面に拡がっています。最上部まで標高差で200mあまり。ミニ登山です。支谷から上りかけ、梅林の中の斜面を斜めにへつり登るような道筋でした。傾斜はけっこうありますが、林道や登山道に比べると緩いです。インナーの1〜2段で登れる程度ですが、無理無理登っても肝心の梅と景色を見なけりゃ意味が無いです。花のあるあたりは降りて押しながら、ところどころ止まってあたりを眺めながらのたのたと。

[斜面の梅の樹]

 下の方はもうほとんど散っていましたが、上の方でちょっと陽影っぽいあたりはまだまだけっこう咲いていました。この写真のあたりがだいたい最上部です。
 観光地らしく梅園内の道は舗装されていました。陥没や崩落はありませんが、ところどころ落ち葉や小石もあります。そして徒歩の通行人もいます。景色に見とれていると危ないです。とにかく最徐行で下りました。

[築堤 ]

 ゆっくり梅林をひとまわりして、第1目標はクリア。ふたたび五新線の路盤へ戻りました。ほとんど車の来ない道をゆったり走るのは気持ち良いです。このまま行けるだけ先へ進みます。アンズや桃でしょうか、この谷間のあたりには白や薄桃色の花を咲かせた樹があちこちに見えます。春の田園らしい風景です。
 このあたりは向加名生(むかいあのう)。路盤は集落の脇を築堤で進みます。土手にはピンクの花をたくさん咲かせた樹が並んでいました。花姿は小さな桜。ヒガンザクラの仲間でしょうか。このあたり、もし列車が走っていたら撮影の名所になったことでしょう。

[お花見]

 梅林の観光を含めて、ここまでの所要時間は2時間半ほど。花を眺めながら青空の下で昼食。

[長い橋]

 築堤の道はこの先で川と国道を一気に跨いでトンネルへ続きます。橋は「第七丹生川橋梁」で、トンネルは大日川トンネル(530m)。残念ながら橋の手前で封鎖されています。仕方ないので、ここで下の集落道に降りて国道へ。国道は川に沿ってぐるっと迂回しています。

[衣笠のバス停]

 大日川トンネルに相当する区間を過ぎると、国道は次の山襞を長いトンネルで抜いています。そしてこの国道トンネルに対応する道(旧道)があります。長い現国道のトンネルは通りたく無いですから、途中でこの脇道へ逸れます。
 この道から大日川トンネルを出た路盤は近いです。道の横の階段を上るとローカル線の駅っぽい物がありました。この区間は通る車も無いのでしょうか、路面の舗装の上には落ち葉などが積もっていました。このすぐ先には次の衣笠トンネルがあります。

[衣笠トンネル ]

 衣笠トンネルは微妙に曲がっていますが、長さ240mとあまり長く無いです。しかしここも封鎖されています。このトンネルの状態の悪化をきっかけに代替バスが廃止されたといういわく付きのトンネルです。洞内が鋼材で補強されていて、封鎖されていても当然という感じです。
 さきほどの階段を降りて下の道へ。この道(旧道)は川に沿ってぐるっとまわって進みます。 

[黒渕トンネル]

 山襞をまわって少し先。発電所の方から川を渡って対岸の黒渕の集落へ下りる道があります。五新線の路盤はこの集落を通っています。
 さきほどの衣笠トンネルとの間にはもうひとつ、黒渕トンネル(74m)があります。行き先の無い道ですが、路盤を少し戻って見るとちゃんと開通していました。
 あとはこのまま路盤を進みます。そろそろ谷も行き詰まって来た感じで、路盤の勾配が少し増したようです。貨物輸送にはぎりぎりぐらいの勾配で、昔のディーゼルカーではあまりスピードが出せなかったでしょう。

[南側の通行止め]

 そのまま谷間を登り続けると車止めがありました。どうやらここが専用道の城戸側の末端。写真は振り返って撮っています。
 このすぐ先にバスの待合所のような建物などがあり、そのあたり、観光案内の看板もありましたが、すっかり寂しい雰囲気です。

[使われなかった路盤]

 五新線の建設はこの先へも伸びていました。路盤の先は高架橋になり、そのままトンネルに続いています。しかしこの先の区間はバス道として利用されることもなく封鎖されています。

[城戸]

 五新線の部分開業の行き先は大塔村阪本でしたが、鉄道代替バスはここが終点でした。どんな所か気になっていたのですが、大きな集落がある訳でもなく、ただ谷間の道の分岐点という感じでした。
 ここからふたたび「向加名生」まで戻ります。国道を戻るという選択肢もあるのですが、やはり喧噪は嫌。もう一度未成線の路盤を辿って戻りました。

[梅林を遠望する]

 往路をそのまま戻っても良いのですが、それではあまりに近すぎ。もうひと周りします。地形図で周辺の道を探していると、向加名生から梅林と向かい合う東側の斜面を登ると、ちょうど山襞のあたりから梅林のある枝谷が見えそうでした。そのままひと山越して隣の谷を下って、うねうね走ると、小さなダム湖を経て五条駅へ戻れます。
 という事で、ふたたび標高差200mほどの山登り。こちらは農道か林道といった道で、綺麗に舗装されていますが傾斜はかなりきつかったです。無理せず半分以上押しで登りました。ちょっと距離は遠いですが、梅林のあたりが広く見えます。花いっぱいの時期にはきっと綺麗な景色でしょう。 

[道ばたの梅]

 このあたり、山腹の斜面はずいぶん拓かれています。柿の木らしいのが多いですが、梅もけっこう植わっています。昔は梅林だったのでしょうか、谷間の雑木に混じって花を咲かせる古木も見られます。

[現代の農道トンネル]

 この道は農免道路で、往路に谷間の上を跨いでいた橋の続き。谷間は高い橋で越えて山はトンネルで抜く。現代の土木ならではの力業です。道幅も広くてトンネルの断面も大きいです。遠慮して走る自転車を軽トラが猛スピードで追い抜いて行きました。

[一の木ダム]

 農免道路から県道へ進むのもアリですが、それでは面白くなさそう。集落道を伝ってダム湖の周回道路へ出ました。

[吉野川の谷間]

 ダムから下る道はすぐに緩やかになりました。吉野川へ続く谷間の傾斜地に出ると景気は一変。のどかな田園になりました。このままゆるゆると下ってゆけば五条の街並みへ続きます。

 古い街並みの様子はなかなか良い感じでした。次は駅前のレンタイサクルでのたのた街巡りするのも良さそうです。生子トンネルが通れるなら、梅林(の下)まで行くのも簡単でしょう。自転車がトンネル内を通れるようにして、向加名生あたりまでの五新線跡をサイクリング道として使えるようにすれば、観光に役立つと思います。

 五条の駅で自転車を袋詰め。王寺方面への電車には間に合わなかったので、帰路も橋本経由になりました。お土産は、梅林の下で買ったミョウガの梅酢漬け。柿の葉寿司は今晩の夕食です。 


2015年12月27日

2015年12月26日 湯浅駅→湯浅の町並み→小浦→広川ビーチ→和歌山県道23号→衣奈→戸津井→和歌山県道24号→小引→白崎→大引→紀伊由良駅


 毎月自転車で走るつもりでいますが、寒い時期はどこへ行くか悩ましいです。ある程度走れば体は温まりますが、走る前は寒いし、走った後は冷えます。寒風の中で自転車の分解組み立ては辛いですし、防寒着はかさばります。それでも今年はまだ少し暖かいです。本格的に寒くならないうちにお出かけすることにしました。
 陽の短い時期なので、輪行の時間も含めるとあまり長くは走れません。どうせならちょっとは暖かい所が良いです。そこで以前からちょっと気になっていたあたりをひと走りすることにしました。季節の花もありそうです。

 目当ての花は「白崎の水仙」。水仙群落へは何度か行っています。由良の駅からバスで終点まで行って、そこから海辺を徒歩2kmあまり。バスの本数が少ないのが難点ですが、道から見える海はたいへん綺麗です。そして、水仙郷の向こうにも綺麗な海広がって見えます。ここを自転車で走るのは気持ち良さそうです。
 由良駅の手前の駅は「広川ビーチ」。駅は海辺ではありませんが、車窓から見える海岸もいい感じです。もうひとつ手前の湯浅は醤油で有名な街で、昔の町並みが残っています。ここをちょこっと観光。ここから由良へ向かう道は和歌山県道23号と24号ですが、海辺の集落を通る道がこれと交錯するようにあります。旧道と新道の関係のように見えます海岸に近いあたりを辿って、なるべく車が少なくて静かで楽しく景色を見ながら走れそうなコースを考えました。寄り道の分も含めて20kmほどの行程です。

[ 湯浅の町並み ]

 日の出早々に家を出て新大阪へ。電車を乗り継いで2時間半あまり。組み立てた自転車に乗って、町並み保存地区をひとまわり。

[ 海辺へ ]

 市街をぬけて来た県道はここで左に折れますが、その道は広川まで鉄道線に沿って内陸を進みます。右の道は港の手前で曲がって、外海の方へと向かいます。

[ 湯浅の街を見おろす ]

 岩海岸には小さな半島のような突出部が多くあります。波のあたる崖下を避けて、たいていの道は一段高い所を越しています。このため、道はアップダウンの繰り返しになります。
 道は海岸へと小山の間の低い鞍部を越します。

[ 外海が見えて来ました ]

 ひと山越して少し下ると海が見えて来ました。ここは太平洋に続く紀州の外海。瀬戸内の海とは海の青さが違います。

[ ミカンの産地 ]

 海岸の突出部の間の小湾とその背後の土地に集落があり、道はこれを繋ぐようにひと山づつ越えています。道の沿った陽あたりの良さそうな山腹はミカン畑になっています。畑はすいぶん上の方まで続いていて、収穫作業をされている方の姿もありました。

[ 広川ビーチ ]

 気持ち良く走るうちに、少し大きな湾に出ました。海岸は砂浜になっています。ここが広川の海水浴場のようです。様子を見にちょっと寄り道しました。当然ながら、誰もいません。
 ここからJRの「広川ビーチ駅」へ行ってみることにしました。案内看板には1.2kmと書かれています。徒歩ならはちょっと遠い距離です。

[ 広川ビーチ駅 ]

 ここはホームだけの無人駅。駅舎に見えるのは観光物産センター「ふれあい館」。季節はずれだから閉まっているかとも思ったけれど、地元産の野菜ものとか、いろいろありました。駅前が湯浅から来ている県道23号ですから、道の駅的な機能も果たしているのでしょう。
 元々ここにあった信号所を駅に昇格し、その際に観光っぽい名にしたようです。海岸からも集落からも遠いのはそのためらしいですが、もう少し西側にずらした位置にできなかったのでしょうか。

[ 集落道 ]

 駅前から県道23号を進んで来ました。現県道は昔の道を拡幅した姿のようですが、集落の所だけ家並みを避けて迂回したようです。ところどころ、集落へ続く細道があります。こちらを辿ってすすみますが、またすぐに新しい道に取り込まれます。

[ 海岸をみおろす ]

 展望台というほどでは無いですが、海岸の崖の上に出たところに、ちょっと広い場所が作られていました。

[ 旧道へ ]

 鈴子という集落の手前。県道はこのまま坂を下り、海岸の高い護岸の上を通っていますが、左の細道は山腹に沿ってぐるっと回って進み、海岸の崖の上縁を辿っています。こちらが古い道でしょう。

[ 崖上の道 ]

 畑の脇、集落の脇を通った道は少し登って海岸の崖の上に出ました。小型の自動車でないと厳しい道ですが、そこそこ利用されているようです。標識によると、広川町から由良町に入るようです。

[ 見晴らし ]

 細道は地形に合わせて上下しながらうねうね続いています。この場所では拡幅も線形改良もできません。新しい広い道はこのすぐ下を通っていて、三尾川の谷間を越えて向かい側の崖上(段丘?)へ登ります。細道は山腹に沿って谷奥から登り返します。

[ 山越え ]

 海岸の突出部の上を回った先に分岐があります。ここが今回の行程の重要ポイント。
 左の広い道が県道23号。このまま山腹に沿って進み、陸側のずっと奥へ向かい、稜線を越えて国道が通る低地へ出ます。右の細道は一旦海岸の集落へ下ります。この2つの道はまた交錯するので、実はどちらを進んでも良いのですが、ここは右を選びました。

[ 県道との別れ ]

 集落を抜けて谷間を少し登ると、また広い道に出ました。そこで振り返ったのがこの写真。
 左の細道が集落から来た道。その上段を奥から来るのが県道。県道は中央のY字を曲がって写真の右へ行きます。写真手前方向がこれから進む道。この部分は県道整備の際に綺麗にしたのでしょうが・・・

[ 衣奈へ向かう ]

 県道から分かれた道は・・・すぐに細道に戻りました。そのまま右側の山腹にとりついて登りはじめます。右側の山は大島山というらしいです。左側の谷間には畑やミカン畑があります。その向こうの山腹のだいぶ高い所に白いガードレールが見えますが、あれが県道のようです。こちらの道もやや傾斜を増して登って行きます。

[ バス通り ]

 農地へのアクセス以外にも利用されていらしく、乗用車の通行もあります。大きなのが来たらイヤだと思っていたら、やはり来ました。道が細いのでミニのバスでも大きく見えます。

[ 切り通し ]

 緩くうねりながら登ってゆくと、その先は深い切り通しになっていました。

[ 衣奈 ]

 峠を越えると海側からの谷間に続いていました。その先が衣奈。大きな漁港がある集落です。
 衣奈へは国道の方から県道23号から県道24号を通って来れます。それでもこの道は周辺地域との交通路として重要な道のようです。軽トラや小型の乗用車が断続的に通ります。

[ 紀伊水道 ]

 この地域は紀伊半島が西へ張り出したところの南端のあたり。南側を流れる黒潮が横を擦って通ります。和歌山を過ぎてこのあたりまで来ると、急に一段暖かく感じられます。今日は風も弱くて陽も差して、ほど良いサイクリング日よりになりました。海を眺めながら、ここでちょっと遅い目の昼食にしました。

[ 県道? ]

 衣奈の漁港を過ぎた少し先。地図では、ここに新旧の道の分岐があるように描かれています。海岸線に沿って長いトンネルで突出部を抜いて海岸線近くを行く道と、崖の上に登って山塊の鞍部を越える道。線形では前者が新道で後者が旧道でしょう。しかし黄色(県道の色)で描かれているのは後者。
 右の広い道はそのままトンネルに続きます。すると、左のひょろい道が県道??

[ 海岸のトンネル ]

 大きなトンネルはちょっと長く、しかも緩く曲がっています。ほとんど車が通らないのが幸い。路面も綺麗です。それでもちょっと緊張して走るうちに出口が見えて来ました。
 
[ 建設技術のコラボ ]

 緩くカーブした大きなトンネルと大きく高い橋。現代の道路建設の定番です。こういう場所は大きなトラックが主役で自転車は肩身が狭いのが普通ですが、ここは軽自動車が時々通る程度。(大型車は県道を通っているという事は無いはずですが。)

[ 戸津井の港 ]

 橋は漁港の湾の上をひと跨ぎしています。風が強ければちょっと怖い高さです。

[ 橋を渡って ]

 橋を渡った新しい道はすぐに次のトンネルへ進みます。ここはその手前。左は戸津井の集落へ行く道で、その先には山中を抜けて来た県道24号があるのですが、(当然か)何も書かれていません。
 新しい道はここから長いトンネルで次の「小引」へ抜けるのですが、闇の中では面白くないですから、崖の上を行く「県道」へ進みます。

[ 県道の標識 ]

 集落側から折り返して一段上って来ました。下に新しい道の橋が見えるあたりに、やっと県道の標識がありました。こちらが県道だとは、新道を通っている人に気づかれたくないのかもしれません。

[ 白崎 ]

 一段高い所へ出ると視野がかわります。道脇の藪の間から海が見えます。視線のずっと先、ここまでとはちょっと形の違う岩が見えます。あのあたりが白崎鼻でしょうか。

[ 戸津井からの道 ]

 広い新道は小引までのようです。小引をすぎると、細道ではないけど、あまり広くない普通の道になりました。道は海岸沿いに進み、途中から崖の中段へ登ります。
 振り返ると、戸津井から来た道が見えます。遠くにトンネルと橋。手前の突出部の中段を県道が通り、新道はその下の地中です。

[ 白崎の水仙 ]

 白崎の水仙群落は見応えがあります。山腹と海岸近くに群生地があり、お天気が良ければ広大な海の景色とたくさんの水仙が楽しめます。
 観光地としては余所ほど知名度が高くないですが、それでも時期には賑わうらしいです。公共交通機関では来にくい所ですが、自家用車やバイクなら難しくない所です。今日は休日ですから、自家用車やバイク集団がたくさん居るのではないかと少し心配したのですが、やはりほとんどいませんでした。(ここまでの行程で行き会ったサイクリストの無し。)
 昨年は開花が不揃いで咲き具合も良くなかったですが、今年は早くからたくさん咲いていました。昼を過ぎて少し陽が傾きかけた時間ですが、やはり青い海とスイセンの取り合わせは綺麗です。

[ 白崎の奇岩 ]

 水仙群生地からはすぐ近く。名前のとおり、岬のあたりの岩山は白いです。ここは海洋公園として整備されていて、道の駅も置かれています。ここからは良く知った道ですから、ここでミカンを買いました。自転車でお出かけする場合の難点のひとつが荷物。あまりかさばる物や重い物は買って帰れません。

[ 由良への道 ]

 白崎から道は海岸に沿っていて、この区間は比較的綺麗に整備されています。歩くとちょっと長く感じる道ですが、自転車だとあっけいなほどです。

[ 大引 ]

 ここは大引の集落。ここまで由良からバスが来ています。左の木造の小屋がバスの待合所。民間の路線バスですが、事実上はコミュニティバスです。

[ ふりかえって ]

 ここから由良の駅へ向かいます。ふりかえると、青い海の向こうに白崎の白い岩が見えます。
 バスは途中で海岸を離れるルートを通りますが、今日はこのまま海に沿う県道を走ることにしました。見覚えのある景色と初めて見る景色。

 あまり風が無かったのが幸い。青空からの陽が気持ち良かったです。全部舗装された道で、ロードでも走れる程度の道です。微妙にアップダウンがありますが、長く続く登りはありません。観光時期でない休日という事もあるのでしょうか、新しい道も交通量は多くありませんでした。難点は途中で食料の調達が難しいぐらいです。(新大阪で買って行きました)
 ゆっくり走って景色を堪能して、町並み観光なども含めて所要3時間半ほど。電車を乗り継いで、帰路はやはりライトが要る時間になりました。


2014年11月16日

2014年11月15日 敦賀駅→疋田→小刀根隧道→刀根→久々坂峠→中ノ郷駅跡→木ノ本駅

 昨年の栃の木峠、今年春の木の芽峠と、越前から近江へ越す昔の街道の峠を越えました。その繋がりで、先月は北陸本線の旧線を訪ねて明治時代の隧道をたくさん通り抜けました。ここ山中峠は平安時代の街道でもありました。
 その続きで、北陸線の跡と昔の街道筋を辿る自転車旅を考えました。琵琶湖側から若狭に向かう道筋はいくつかあり、どのルートで峠を越えても25〜35kmの道程。健脚なら荷を背負っても1日で越す距離。自転車で輪行(鉄道の時刻を含んで)するには微妙に短いぐらい。でも、道中にはこの地域の歴史を感じさせる面白そうな物があります。(栃の木峠ルートは敦賀を経由せずに湖東へ直行します)
 ルートのいくつかは綺麗な自動車道が通っていますが、それは面白くないです。辿れる所は旧道や旧街道を通りたいです。私の自転車はランドナーですから、高速走行は不向きですが、地道や多少の不整地は問題無し。サイクルシューズではなく運動靴を履いていますから、階段や徒歩道でも押したり担いで越せます。



 という事で、寒くなる前にもうひと走りすることにしました。計画はしたものの、今年は秋が短くて季節は一気に冬に向かっています。先週は完全に天候不良。悔しいけれど天気予報見ながら我慢。今週も冬型で日本海側は変わりやすい天気ですが、もう1週待ってもどうなるか判りません。待ちすぎると雪が来て来年までお預けに。

 そんな事情でお天気を気にしながらの出発です。予報では、敦賀側では雲の具合で時折小雨。滋賀県側では風の具合では雨雲が越すがおおむね曇り。という感じ。陽が無くて風があれば気温は上がりません。天候と体調で行程を調節することにました。

 敦賀に着いた頃、少し強い雨が降っていました。とりあえず輪行の自転車を組み立てて様子を見ていると、雲が過ぎて雨がやんで、明るくなって来ました。この先、天候と所要時間を見ながら行程を考えることにしました。
 とにかく出発。まずは笙の川の谷を登って疋田まで。雨が酷くなりそうなら、新疋田駅まで(約700m)行き、そこから輪行で帰る。


[ 敦賀市街から ]
1411a

 敦賀は三方を山並みに囲まれて残り1方が海。南の山地と東の山地の角のあたりに切れ込んだ川の谷に交通が集中しています。
 ここは国道27号の分岐点。また国道8号のバイバスの分岐点。狭い谷間では足りなくて、北陸道の高速道路は山を堀抜いています。国道もバイパスを山に掘っていますが、自転車は当然直進です。

[ 旧道らしい ]
1411b

 賑やかな現国道を避けて、脇の集落を抜ける道へ迂回します。旧街道ではなく旧国道といった感じの道幅です。この上を舞鶴若狭道が跨ぎ越えています。このあたりの谷間では、拡幅や付け替えや新線建設のたびに古い道が部分的に上書きされるような事が繰り返されたようです。

[ 現北陸線の踏切 ]
1411c

 集落の裏山へ登る道です。この上にはお寺があるらしいです。山腹を削って北陸線が通っていて、踏切道が階段になっています。
 この先、峠までの距離が限られているので、鉄道はひたすら登らなければなりません。上下2段の線路のうち下側が旧線で複線化後の下り線(降坂)で、平地から山にとっついて、山腹をへつりながらひたすら登るコースで、この先ずっと25‰の勾配が続きます。上側が新しい上り線(登坂)で、輸送力の点から勾配を緩和するように作られています。こちらは駅を出てすぐから築堤で高度を稼ぎここまで来ました。この先、(峠までの距離を得るため)谷を渡り、反対側の山中をぐるっと1回りループして疋田へ向かいます。

[ 川沿いの谷間 ]
1411d

 多くの交通が集中するには狭い谷間です。笙の川は谷間をうねって流れています。谷を渡った鉄道は山腹をへつって(上り線は山中を)通っています。小河口を過ぎて、現国道も対岸へ渡ります。国道の喧噪を嫌って、集落道(旧国道?)を辿って走ります。そのまま市橋を過ぎて、現国道を渡ります。

[ 疋田の街 ]
1411e

 疋田は昔からの交通の要衝。古代の愛発関(あらちのせき)のあった場所と言われる所。そして疋田は舟運の街。小さな川船で笙の川をここまで遡上して、ここから人の背や馬の背で峠を越えて荷が運ばれた。今風に言えば貨物ターミナル。地域の歴史の見直と観光のために景観整備したそうで、街の中の通りの横には水路が造られています。元の水路はこの倍ほどの幅だったそうですが、この幅では下水か用水路でしょう。

 ここで小雨がパラつきだしましたが、とりあえず街並みを観光。風に乗った雲の悪戯程度で、ひとまわりしているうちに止みました。

[ 追分集落 ]
1411f

 ここは昔の街道の要衝。若狭と近江を結ぶ道はいくつかありますが、そのルートのほとんどは若狭側ではここを通ります。左は新道野越えて塩津・大浦への道。直進(右)は海津へ向かう七里半越え。江戸時代の追分集落。現代の国道8号と国道161号も市街の外側で分岐しています。宿場の飯屋のかわりに、ここにはコンビニが営業しています。この先の峠越えに備えて、追分のコンビニで昼食と飲料を買いました。

[ 疋田駅跡 ]
1411g

 旧北陸線は敦賀から笙の川の谷間を遡上して峠に向かっていました。傾斜の緩い谷の西側の登ってきた線路が東に折れて本流の谷に渡るあたり。街道の街の疋田には駅がありました。輸送力強化のために北陸線が付け替えられる際、新線は深坂峠の下を長いトンネルで抜くルートになりました。それにともなって、旧線は「柳ヶ瀬線」となりましたが、それも短期間で廃線に。この石積みはかってのホームの一部だそうですが、それらしい雰囲気はありません。1882年に開業した歴史的な鉄道駅だったのですから、もう少しそれらしく保存しても良かったのではないかしら。

[ 曽々木隧道跡 ]
1411h

 湖東から敦賀を目指した旧北陸線には4つの隧道がありました。そのうち、トンネルとして現存するのは3つ。失われたひとつ「曽々木隧道」がここ。国道8号拡幅の際に開削されて消滅しています。この区間は線形の良い旧北陸線跡を道路転用したようです。旧国道らしい道の側から写真を撮っています。

[ 分かれ道 ]
1411i

 国道8号と県道140号の分岐です。右の国道は峠をひとつ越えて塩津への街道筋です。左は刀根・杉箸とだけ書かれています。刀根は谷奥の集落で、杉箸はその手前を北に折れてた支谷の集落。木ノ本や近江側は触れられていません。ちなみに、杉箸の先はひと山越して(先月通った)獺河内に至ります。

 ここまで道はひたすら登ってきました。自転車にはそれほどきつくありませんが、蒸気機関車には厳しい25‰の連続。サミットまでの限られた距離で高さを稼ぐためのコース。大規模な築堤や切り通し無しで済む道筋を良く見つけたものだと思います。

 ここは今回の行程の重要な分岐点。天候が中途半端な場合、距離も所要時間も短い「新道野越」で近江塩津駅へ行くことができます。その上で滋賀県側が好天の場合は隣の谷筋へ越して永原駅へ向かうこともできます。
 幸い、一時崩れかけた天候も微妙に持ち直しぎみです。時間的にも予定よりもかなり早く進んでいるので、とりあえず刀根を目指します。ここで崩れても新疋田へ戻る余裕があります。

[ 刀根トンネル ]
1411j

 刀根隧道は両脇を北陸道のトンネルに挟まれる位置。高速道路の工事との関係で山の斜面にも手が加わっているようです。隧道はすっきり綺麗に堀り直されて昔の姿はありません。幅も広いし歩道もあり、交通には良いですが、ちょっと残念。

 北陸道の高速道路はほぼ旧北陸線のルートを辿っています。このあたり、山中峠と似ていて面白いと思います。

[ 隧道が続きます ]
1411k

 トンネルを進むとその先に次ぎの抗口が見えます。ここを驀進する汽車の姿が想像できます。自動車もそのまま勢い付けて・・・となると危ないです。大きな注意標識があります。

[ 小刀根隧道 ]
1411l

 こちらは昔の姿が残っています。土被りの少ない小隧道ですから、よく残してもらえたものです。
 ガードレールがありますが、間が切れていて自動車でも入れます。一般の車が紛れ込まないようにという配慮でしょう。この先への作業道として利用されているのでしょうか、路面にはしっかり轍があります。当然、自転車で入り込みます。

[ 敦賀側のポータル ]
1411m

 石積みとレンガ巻きの抗口です。煉瓦隧道かと見ると、中に入ってすぐの所から先は下半分石積みでした。
 この隧道は通れますが、道は通り抜けできません。旧線は橋を渡って隧道を潜ってふたたび川を渡り返す線形でした。県道は2つの橋を架けるかわりに川沿いに廻っています。といいう事で、この隧道の先には橋がありません。

[ 木ノ本側のポータル ]
1411n

 で、通り抜けて少し先まで行って戻って来ました。木ノ本側のポータルの縁巻きは隧道内と同じく石と煉瓦です。
 この隧道は敦賀市の文化財だそうですが、近代土木遺産としも素晴らしいものです。でもはやり道なんだから「通り抜けたい」です。

[ 刀根隧道の遺物 ]
1411o

 県道は谷間を川に沿ってひたすら登り続けますが、途中、刀根の集落へ寄り道します。この集落の横手を少し登った所に刀根駅がありました。峠の長い隧道を控えたスイッチバック駅です。駅跡は高速道のパーキングエリアに利用されて何も残っていないそうですが、集落内に大変な物があります。
 事前情報の収集の際に知りました。これは拡幅されて崩されてしまった刀根隧道の抗口の要石。集落内の刀根区公会堂の横に保存されています。ほんの少しですが、横の煉瓦もくっついています。

[ 刀根の集落の道 ]
1411p

 県道は川に沿って集落の外を通っています。集落内を貫く道は緩く曲がりながら谷を登って行きます。昔の街道の道の雰囲気です。ここ刀根は谷奥にしては大きな集落です。この先の峠を越えて湖東と結ぶ交通がかなりあったのかもしれません。

[ 柳ヶ瀬隧道 ]
1411q

 旧北陸線の隧道の残りひとつ。ここは昔の姿で現存していて、貫通していますが、「自転車では」通り抜けられません。長さは1352mと長く、普通の鉄道トンネルよりも狭い隧道。自動車は交互通行してますが、歩行者も自転車も通行禁止。(この横には北陸道のトンネルが通っていますが、こちらも自転車は通れません)

 という事で、迂回を考えなければなりません。
 北陸線は1882年に開業しています。先に紹介した3つのトンネルはその時の物ですが、柳ヶ瀬隧道は1884年の開通。この約2年間、この区間は徒歩連絡だったというのです。その道が残っていれば好都合なのですが、航空写真でそれらしい道筋が微かに感じられる程度で、すっかり消滅しているようです。

 しかしこのすぐ左横に「玄蕃尾城」跡へ行く道の入り口があり、ここを登ってゆけば山並みの稜線まで行けます。城跡へは滋賀県側からも登れるというのでしらべると、地形図に山腹をうねうねと下る徒歩道が記されていました。距離は2km弱。普通のハイキング道程度らしいので、ある程度時間をかければ自転車を連れて通り抜けられると判断しました。私の自転車はランドナーです。担いで斜面を歩いたり不整地を押して歩くのに不都合はありません。藪とか崩落とかがなければ、ゆっくり歩いて1時間程度でしょう。(道が途絶えていれば引き返すつもり)

[ 山間の道 ]
1411r

 道には落ち葉や小さな転石がありますが、時々清掃されているようです。普通の林道よりも舗装もきれいです。さすがに傾斜は増してインナーの1〜2で登ります。この谷筋に沿って登る道筋が昔のものかどうかは判りませんが、徒歩での峠越えとしてさほど険しくは無い程度です。

[ ここから登山道 ]
1411s

 谷間の先が明るくなって、峠が近い感じになった所で舗装道は終点。ここには少し広い駐車スペースとトイレがありました。この舗装道は観光道路のようです。自動車はここに置いて、あとは徒歩で城跡へという具合。横に折り返すように徒歩道があり、普通のハイキングコース程度に整備されています。幅が狭い所は自転車を担ぎ上げて、広い所は押しながら登りました。 

[ 峠らしい ]
1411t

 湿った落ち葉を踏みながら少し登ると、尾根線に出て視界が一気に明るくなりました。鞍部を削り下げたらしく、小さな切り通しのようになっています。左の斜面にはつづら折れて登る道があり、城跡へはこちらのようです。

[ 久々坂峠 ]
1411u

 ちゃんと観光地らしい標識がありました。峠の名は「 久々坂峠」だそうです。城跡への距離が書かれています。反対側は駐車場までの距離ですが、その先の刀根集落までの距離も書いてあって欲しかったです。

 この峠は標高約400mで中央分水界です。このルートは戦国時代まで主要交通路だったらしく、その後も湖東への短絡路として多く利用されたようです。明治11年(1878年)、明治天皇はここを輿に乗って通られたとか。

[ 景色一転 ]
1411v

 ちょっと暗い林間の谷間を登り詰めて稜線に立つと視界が一転する。徒歩で越える峠道らしい光景です。滋賀県側に出ると山の植相も一変して、視界の先の山は色とりどりに紅葉していました。雲間からの陽があたった山並が綺麗です。しばし、晩秋の山を鑑賞。今度は真下の谷へ下ることになりますが、こちらは斜面がきついです。

[ 柳ヶ瀬へ ]
1411w

 峠の東側は斜面をつづら折れながら斜めにトラバースして行く道。峠のすぐ下には登山道っぽい標識がありました。柳ヶ瀬まで1.3kmと。ある程度通行があるらしく、踏み跡があります。この先の道の状況は判りませんが、全く通り抜けられないという事は無さそうです。

[ 落ち葉の道 ]
1411x

 こちら側は完全に徒歩道です。傾斜はきついですが、自転車を押して歩くには支障無い程度。ただ道幅が狭いので足場の関係で担がなければならない所が度々。落ち葉や枯れ枝が多いです。大きな倒木も何本か。これは担いで越して。乗れそうな所もありましたが終始押しと担ぎです。ハイキング道というよりも登山道に近い感じです。谷側の傾斜がきつくて深いですから、ここはMTBでも押しでしょう。

[ 案内板に迎えられて ]
1411y

 この谷間には北陸道の高速道路と国道365号が通っています。地図にあるよりも多くつづら折れながら斜面を下ると、だんだん自動車の音が聞こえて来ます。下界が近づいて来たようです。
 落葉の林を抜けて植林地を下ってゆくと、1本の標識がありました。滋賀県側から城跡へ登る人向けの案内のようですが、距離が書かれていません。あまり通って欲しくないのでしょうか。こちら側には「倉坂峠」と書かれています。

[ 集落への道 ]
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 案内板の角を曲がると轍のある道になり、そのまま林の外に出ました。谷筋の向こうには北陸道が見えています。峠からここまで約30分で下って来れました。(峠の向こう側で分かれた県道は隧道を抜けた所で国道365号と合流しています)

[ 柳ヶ瀬の集落 ]
1411za

 山を下った道はそのまま集落の中の道に続いていました。ここは谷奥ですが、栃の木峠を越えて越前に至る街道が通る谷。集落の規模は大きいです。
 現国道365号は集落の外を通っています。旧北陸線の跡は大部分が現国道に上書きされているようです。国道とからみあうように集落を抜けて曲がって続く道が旧街道でしょうか。

[ 国道365号 ]
1411zb

 現国道は広い谷間を緩い曲線で通っています。柳ヶ瀬隧道の抗口がサミットで、そこまでひたすら登り続けた鉄道跡らしく、勾配はほぼ一定です。
 ロードで快走というには良いかもしれないけど、ランドナーで走り続けるにはあまりに単調な道。時折通る自動車も邪魔。集落道に逃れながら、秋の田園を見ながら気持ち良く走りました。木ノ本まであと9kmと出ています。

[ 中ノ郷駅跡 ]
1411zc

 中之郷まで来ました。ここは北国街道の宿として栄えた大きな大きな集落です。旧北陸線ではここに駅が設けられ、峠に向かう列車はここで補機を連結していました。そのため長いホームを持った大きな駅だったのですが、今は国道の脇にホームの一部が残されているだけです。
 この駅名標はこのレプリカで、正しい駅名は「中ノ郷」なのですが、集落の名に合わせたのか「中之郷」になっています。

[ 新線との出会い ]
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 中之郷から国道を走って来ました。道の先右手から鉄道線が寄って来ます。これは北陸線の新線で、ここから曲がってトンネルで塩津側の谷へ抜けます。この分岐の右手先に「中ノ郷」のかわりの「余呉駅」が設けられています。
 この国道は365号。右手の道は滋賀県道33号。余呉湖畔を通って塩津へ続く道ですが、山塊を越えるあたりが未成のままの不通道です。ここへ来て、唐突に「サイクルロード」の標識が出て来ました。琵琶湖周回で見たのと同じデザインですが、国道の標識(妙に背が低い!)と合体しているとすごくヘンです。

 国道がJR線をクロスして南に曲がる所で、直進して街道筋を木之本の市街地に向かいました。柳ヶ瀬から旧線跡を上書きして来た国道365号は、この先で新道野越えて湖岸を廻ってきた国道8号と合流します。

 中之郷のあたりから急に空が曇って来ました。それがここでバラバラと降りだしました。余呉駅が近いのですが、そこは何も無い駅。多少濡れるのは覚悟してこの先の木ノ本を目指すことにしました。

[ 木ノ本駅 ]
1411ze

 木ノ本駅まで来ました。ここから輪行です。自転車を袋詰めして、新快速電車に乗れば損大阪まで直行です。途中であちこち見ながら写真を撮りながらですが、予定よりも1時間早い電車に載れました。木ノ本駅には地元物産の売店が併設されています。名物というお菓子などをお土産に買いました。夕食前には自宅に着けます。

 ちなみに、ここも街の名は木之本ですが駅名は木ノ本です。この区間の電車は今は最長4両です。旧線時代にはここで貨物列車の組成がおこなわれていたとか。その名残か、少し前までは古びた駅舎と広大な敷地がありましたが、今は小ぎれに整備されています。ただ無駄に長いホームだけが昔の駅の規模を感じさせます。

 最後の最後に雨に降られました。けっこう強い降りになって服の中までいくらか浸みるぐらいでした。木之本に着いて自転車を袋詰めしているうちに止みましたから、途中で雨宿りしていればやりすごせたかもしれません。この時期の天気は悩ましいです。


2014年10月12日

2014年10月11日 今庄駅→桐駅跡→山中隧道→杉津→葉原隧道→ 新保駅跡→敦賀駅
(写真がたくさんになりましたから、今回の記事は2部に分けました)

 秋の10月は鉄旅の時期。「鉄×自転車」という事で、鉄旅切符で輪行して鉄道跡を走るプランを立てました。台風接近までの晴れ間を利用してお出かけします。今庄駅から敦賀駅までの走行。急坂は無く距離も長くはありませんが、途中でのエスケープは困難で、中間点の杉津以外では飲食物の調達は困難です。

 越前から近江を通って京へ向かう道筋はいくつかあります。昨年秋に走った栃の木峠は戦国時代に拓かれた峠で越前から近江へ直行する最短経路。それ以前は若狭の敦賀を経由するルートしかありませんでした。越前と若狭を隔てる山地を越すルートは時代とともに変わりました。

 今年の春に越えた「木の芽峠」は平安時代に拓かれて以来明治まで物流に利用されたルート。それ以前は山地の海寄りの側を低い峠の連続で越える距離の長いルートで、街道が木の芽峠経由に変わった後は早期にすたれて、今では一部の区間は徒歩道も消滅しているそうです。今庄から鹿蒜川の谷間をそのまま進み、山中峠を越える部分は明治時代に建設された鉄道のルートになっています。木の芽峠を越える街道は鉄道開通によって物流ルートから外れました。その鉄道も昭和になって木の芽峠の下を抜く北陸トンネルに交替して廃線となり、鉄道線跡は道路転換され、地域交通に利用されました。それも現国道476号が木の芽峠の下をトンネルで抜けるようになって生活道路のようになっているようです。ちなみに、北陸道の高速道路は山中峠ルートで、北陸新幹線は両峠の間あたりの地下深くを通ります。

[ 今庄の街 ]
1410-01
 新大阪からの電車を敦賀で乗り継いで、北陸トンネルを潜って今庄の駅へ。新線になる前の北陸線では峠下の駅。機関区がありここで機関車の連結をしていましたが、今は広い構内にその名残を留める程度。ここから旧線のルートを辿ります。
 今庄は昔は街道交通で栄えた街。今でも古い建物がたくさん残っています。駅前から街道へとちょっと回り道。ここの名物の「梅肉」は、梅干の果肉に甘みを付けた物。つい癖になる美味しさで、昔は宿場に泊まったお殿様も食べたとか。この先は峠越えの道ですが、たいして重くないので今回もお土産に買いました。

[ 南今庄 ]
1410-02
 今庄の街はずれで国道356号から現北陸線と平行するように分岐した県道207号。南今庄駅を過ぎると現北陸線はトンネルに入ります。
 今庄から山中峠を越えて杉津までの区間、旧線跡は「福井県道207号」になっています。前回は昔の峠越えの道を探る旅でしたが、今回は鉄道跡を辿る旅。だからひたすら県道を走ります。

[ 新道集落 ]
1410-03
 県道は鹿蒜川の谷間のを緩くカーブしながら進みます。田畑の中は築堤で、山沿いの所は削り下げ、ひたすら緩く登る傾斜は汽車の線路跡らしいです。
 新道は木の芽峠に向かう「新道」の追分集落。県道は集落の隅を通り抜けてそのまま谷間を進みます。

[ 大桐駅跡 ]
1410-04
 単線の峠越えの区間で輸送量を確保するため、区間内には行き違い待避ができる設備がたくさん設けられていました。ここは大桐(おおぎり)駅の跡。勾配の緩い所を選んだのでしようか、大桐の集落からは少し離れています。写真は今庄方向に向いて撮影しています。遠景に北陸自動車道が見えています。北陸道はこの先から長いトンネルで杉津まで一気に抜けます。

[ 築堤 ]
1410-05
 ここからいよいよ峠越え勾配区間です。今なら高架橋なのでしょうが、旧線らしい築堤がずっと続いています。一部は道路化にともなって拡幅されたようですが、ほとんどは両側が土手です。対面通行の自動車道としはちょっと狭いけれど、単線の路盤にしてはかなり広い幅です。

[ 新ルートの工事 ]
1410-06
 この山地を抜ける新しいルートが拓かれようとしています。北陸新幹線のトンネルがこの付近を通りますが、新トンネルは約20kmの延長でこの山地の下を一気に抜けるので、ここは斜坑の工事。工事に関係して、今庄かここまでの区間では道路の改修や一部の拡幅がおこなわれています。

[ 峠への勾配 ]
1410-07
 谷が狭まって来ました。山に沿って緩く曲がりながら路盤はずっと一定の勾配で登っています。この区間の勾配25/1000は蒸気機関車にとってはかなりきついです。貨物列車は機関車3台で登っていました。それでも勾配の途中で停車すると発車困難になります。
 鉄道としては急勾配でも道路の山越えよりはずっと緩やかで、ランドナー自転車なら全然きつくはありません。ママちゃりでも登れる程度。ただひたすら登り続けるのですが、緩やかに景色が変わって行くので楽しいです。列車の前方展望はすばらしかったでしょう。(鉄道時代には機関車牽引で前方展望は無かったはず。)

[ スノーシェッド ]
1410-08
 勾配が気分程度緩くなった頃に大きなコンクリートの洞門が見えて来ます。横の擁壁の上にも鉄骨の構造物があります。上段はスイッチパックになった山中信号所の折り返し線の末端。ここに設けられたのは、おそらく除雪の際の排雪も考慮したためでしょう。

[ スイッチバック ]
1410-09
 このあたりに山中信号所がありました。単線の列車の行き違いと同時に山越えする機関車が火床を整え蒸気圧を上げる場所。峠のトンネルの直前の勾配の途中で、スイッチバックの折り返し(待避線)が斜面の山側に2本、谷側に1本設けられていました。この左の草地が山側の折り返し線の下側の段。水平に先のスノーシェッドの上に続いています。
 大桐から登って来た列車は、この先で谷側の線に停車し、退行してこの線に入り、敦賀からの列車と交換して、ふたたび峠越えに向かう。この旧線に4箇所あったスイッチバックのうち、その形が残っているのはここだけです。

[ 峠へ登る道 ]
1410-10
 現在、山中峠へはここから林道が通じていて、徒歩なら反対側へ抜けられるそうです。けっこう眺望が良いらしいのですが、今回の主旨は廃線跡を辿ることなので、ここは見送りました。林道は尾根線に沿って木の芽峠から栃の木峠へ続いているのですが、自転車で踏破するのはきつそうです。

[ 峠のトンネル ]
1410-11
 信号所を出発して少し行くとトンネルが見えて来ました。この抗口あたりが峠越えの前半のサミット。トンネル内は緩く下りです。今庄側から走ることにした理由のひとつがこれ。狭い隧道内を自動車を樹にしながらのたのた登るのは避けたかったです。

[ 突っ込みトンネル ]
1410-12
 煉瓦のポータルのトンネルの左側に草に埋もれかけたトンネルの口があります。これは谷側の折り返し線の長さを伸ばすために、後から掘られた「突っ込みトンネル」で、中で行き止まりになっています。

[ 煉瓦の隧道 ]
1410-13
 延長は約1.2km。元が古い単線トンネルで自動車のすれ違いは無理ですが、直線で見通しが利きますから信号は付いていません。ヘッドライトを見てトンネルに入ることになります。
 今回は長く狭いいトンネルが続くので、自転車にはライトを2つ付けて来ています。このトンネルの中は1998年の整備で照明がついています。天井の照明に助けられて、ちょっと急いで走りましたが、幸い対向車も後続車もありませんでした。途中でちょっと止まってカメラを出しました。肉眼では良く見えなかったのですが、高感度のデジカメには煉瓦で巻き立てたトンネルの様子が写っています

[ 山中隧道 ]
1410-14
 両側とも煉瓦積みのポータルです。今庄側は一部崩れていますが、こちら側は保護棒も無く綺麗です。路盤は舗装されていて、多少でこぼこしていますが綺麗に維持されていて段差などはありませんでした。自転車のライトでは路面の一部しか照らせませんが、天井の照明で側壁が見えているのでコースを維持するのに困難はありませんでした。
 木の芽峠以前の交通路はこのあたりから斜面を下っていたようです。


[ 交互通行 ]
1410-15
 昔は長いトンネルを掘るのは難しかったです。なるべく谷を登って、山並みが狭くなった所を抜いています。自動車トンネルは抗口手前で急カーブしてトンネルに入る線形が多いのですが、鉄道は急カーブは苦手。鉄道トンネルは山腹から山襞へ斜めに入るものが多いです。
 このトンネルは全体が緩くカーブしていて見通しが利きません。そこで入り口に交互通行の信号があります。信号の間隔は3分間。その間に走り抜けないと対向車が来るかもしれません。写真を撮っているうちに、今庄側から乗用車が来ました。これに続いてトンネルに入ります。

[ 伊良谷隧道 ]
1410-16
 このトンネルの全長は467m。3分もかからずに無事に通り抜けられましたが、抗口では対向車が待っていました。この道路は冬期も除雪されていて通行可能だそうです。地元の交通路として活用されているようです。

[ 隧道が続きます ]
1410-17
 そのすぐ先にもうひとつトンネル。峠を越えた線路は山塊のへつるように山襞を短いトンネルの連続で越えて行きます。山中トンネルからずっと下り続けています。

[ 芦谷隧道 ]
1410-18
 このトンネルは側壁は煉瓦積みですが、両側とも石積みのポータルです。全長は223mの直線トンネルで、通り抜けてふりかえると、短い明かり区間を挟んで隣のトンネルが見えます。遊園地の乗り物に似合いそうな風景ですが、汽車の乗客は煙に苦しめられたでしょう。

[ 海が見えます ]
1410-19
 ここまで来ると海が見えます。武生からずっと内陸を進んできた北陸線からやっと見えるた海。このような景色は現北陸線にはありません。北陸線は海岸の地形が険しい区間が多く冬期の風や波もあって、元々海岸から離れた区間が多く、残った難所もトンネル化や換線が進んでいます。新幹線ルートはさらに海から離れてしまっています。

[ 曲がってます ]
1410-20
 このトンネルも見事に曲がってます。短いからでしょうか、信号はありません。 ライトは点けてますが、自動車に気づいてもらえるかは怪しいです。車が来れば側壁にヘッドライトがあたるでしょうから、気をつけながら走りました。


[ 曲谷隧道 ]
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 全長は260m。幸い対向車は来ませんでした。このトンネルは下半分が石積みで上が煉瓦巻きです。この線が開通したのは1896年。1962年に新線に転換されるまでは日々蒸気機関車の煙にいぶされていた訳です。谷間で山の湿り気が多いのでしょうか、ポータルは苔で緑色になっています。

[ 隧道5つ目 ]
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 この峠越えの旧線には12個のトンネルがあり、そのうちの10個が通行可能な状態で現存しています。そのうち6個がこの前半区間に連続しています。狭い谷筋を跨いだらすぐに次のトンネルです。

[ 第2観音寺隧道 ]
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 全長は310mですが、このトンネルも緩く曲がっています。下半分が石積みで上半分が煉瓦で石積みのポータル。この区間のトンネルはいずれも良く似た造りです。いずれも山襞を抜く短いトンネルで、抗口のあたり、冬期には雪害も心配な地形。今ならば谷を桟道のような高架橋で越えるようなルートになるでしょう。

[ もうひとつ ]
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 狭い谷を挟んで、またトンネルです。ひとつづつ止まって写真を撮っていますが、汽車で通り抜ければ一瞬の明かりでしょう。勾配はほぼ一定で依然下り続けています。逆に敦賀側から来るとずっと登りが続くことになる訳です。

[ 第1観音寺隧道 ]
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 このトンネルはまっすぐで短いです。全長は82m。この区間の(山中トンネルを除く)5つのトンネルには金属製のプレートがあります。道路として整備された時に付けられた物でしょう。列車に乗っていると、長大トンネルでもなければ名前を意識することはあまり無いですが、道路となるとやはり名前が書かれている方が嬉しいです。

[ 見下ろす ]
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 旧線は日本海側に張り出した山塊を避けるように中腹をトラバースしていました。トンネル群を抜けると、下に海と海沿いの平地が見えました。古代の交通路はこの区間は海岸沿いの平地を通っていたようです。山中峠からずっと下って来ましたが、まだけっこう高さがあります。

[ 下り坂 ]
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 連続したトンネルを抜けたら、そのまま少し勾配を増した坂を下ります。ここを過ぎれば峠越え区間も一段落です。山腹を緩く曲がって続く道の勾配はずっと一定。自動車道としては緩い目の傾斜ですが、汽車が登るには辛そうな勾配です。

[ 杉津への分岐 ]
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 左から北陸道が寄ってきています。この先の区間で鉄道跡は高速道路と交差します。この福井県道207号の名は「今庄杉津線」で、ここから杉津の海岸へと急坂を下ります。ここを左折する敦賀市道が鉄道跡です。

このあとは (2)部へ続きます



2014年10月11日 今庄駅→桐駅跡→山中隧道→杉津→葉原隧道→ 新保駅跡→敦賀駅

(写真がたくさんになりましたから、今回の記事は2部に分けました 第1部はこちら )

[ 杉津駅の跡 ]
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 旧線の山地越えは単一の峠ではなく、2つの稜線を越えています。杉津は2つの尾根の間で海まで続く幅の広い谷間で、山腹は壁のように緩く湾曲しています。古道は山中峠を越えた後、海岸へ降りて杉津を過ぎて、南側のウツロギ峠を登って木の芽川の谷へ越していたようです。勾配が嫌いな鉄道は、稼いだ高度をなるべく保ったまま次の峠を越えるようにルートを取っていて、杉津の駅は浜へ下る斜面の上部にありました。
 峠越えルートの中間点であり、海岸集落と結ぶ意味があったのでしよう。ここは開通当初から杉津には駅が設けられていました。北陸自動車道が作られる際に、廃線の駅跡は「杉津パキングエリア」に転用されました。このため駅の跡は何もありませんが、上り線(米原方向)のエリア内に碑と解説板が設けられています。

[ 大正天皇の見た景色 ]
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【この写真はクリックで拡大します】

 ここまで、写真撮りながらゆっくり来たのですが、予定より少し早く来ています。万が一を想定して食料は持参しているのですが、パーキングで暖かい汁物を買って昼食に。
 杉津は車窓風景で知られた所。ここを通った大正天皇がしばし眺められたという景色。残念ながら樹木の影になって、杉津駅跡の上り線パーキングからではあまり良く見えませんでした。そこでちょっと寄り道。急な坂道をうねうねと登って一段高い所にある「下り線パーキング」へ。
 視点が少し高くなって景色が一段と良く見えます。海に張り出す2つの山地とその間の海岸線がパノラマになって広がっています。(上の写真はデジカメで撮ってパソで貼り合わせました。) すぐ下には高速の上り線が見えます。現国道8号は海岸沿いの平地を通っています。杉津の海岸は夏には海水浴で賑わった所。鉄道が現役時代には観光客はここから海まで歩いたそうです。

[ 走って来た道筋 ]
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 ここから北側を見ると、少し前に下って来た道が見えます。一見のどかにみえる林間の道ですが、ここは重量の貨物列車や優等列車が走った路線跡。ここを走る汽車の姿は、それは見物だったでしょう。

[ 高速道路の脇に ]
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 杉津駅から敦賀側へ少しの地点には「河野谷隧道」という短いトンネルがあったそうですが、高速道の工事によって開削されて無くなっています。
 杉津からの道は敦賀市道だそうです。路面は大差ないのですが、県道の区間に比べると路肩や周辺の除草や整備が少しグレードダウンしています。そして、トンネルには照明がありません。

[ 曽路地谷隧道 ]
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 照明はありませんが、ほぼまっすぐな隧道で出口が見えるので助かります。全長は399m。今庄側と同様の意匠の石積みポータルです。

[ 高速道路の脇に ]
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 すぐ横を高速道路の杉津トンネルが通っています。普通ならば高速道に対する側道という位置なのですが、こちらは2ランクぐらい細い道。生活道路というよりも周辺農地への交通路として利用されている感じです。

[ 鮒ケ谷隧道 ]
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 このトンネルは全長は64mと短いです。元々山裾で土被りが小さかったようです。すぐ横を高速道路が明かりで通っていて、道路工事の際にいっしょに削られてしまっても仕方無かったぐらい。それでも良く残してくれたと思います。規模は田舎の隧道だけど、さすがに幹線鉄道の隧道。ポータルが立派です。

[ 5分間で ]
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 杉津からここまではごく緩く登って来ました。上下別ルートで峠越えをする北陸自動車道の中で、この稜線越えのトンネルだけは上下線が隣接(高低差がありますが)しています。その間に挟まれるように旧線のトンネルがあります。
 自転車にとってはこのトンネルが最大の難所。この隧道内が敦賀側の稜線越えのサミット。隧道はほぼ平らで全体に緩く下ります。緩くカーブしていて出口は良く見えないので、入り口には信号があります。信号の時間は5分。5分で抜けないと対向車が来るかもしれません。そして困ったことには天井の照明が無い。最悪は道の脇に待避して時間待ちするか押して通るか。

[ 葉原隧道 ]
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 ちょうど信号待ちをしている自動車がいました。信号が変わると、そのテールランプを目印に急いで後を追いました。照明が無いので自転車のライトが頼り。スピードを出すと周囲の視界は暗黒に感じられます。路盤の中央と思えるあたりをなるべく急いで走りますが、側溝が無いかわりに路肩の白線も無くて進路がとりにくいです。この隧道の延長は974m。明るい場所なら5分もかかりませんが、無理無い程度に急いで走って、時間を少し超過しました。幸い対向車には出会わないで済みました。
 このトンネルの南側に葉原信号所が設けられていました。スイッチバックの折り返し線を持っていたらしいですが、廃線後に整地され、現在は北陸自動車道の用地になって消えています。

[ 葉原へ下る ]
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 狭い谷間を抜けると一気に視界が開けました。位置い隧道から谷の下へと、大きくカーブした築堤が続いています。地方のローカル線っぽい風景です。 

[ 木の芽川へ ]
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 旧北陸線は敦賀から木の芽川の谷を遡上し、葉原から支流の谷へ進んでいました。この分岐にあたる場所がここ。北陸線は建設当時の国家的重要路線。集落を分断したり、今では用地取得がたいへんそうな所を平然と通っています。ここは神社の境内で、廃線後は神社に戻されたそうです。正面は木の芽峠から下ってきた国道。境内を左に迂回し、国道の下をくぐって国道に合流します。

[ 国道 ]
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 この道は国道476号。現代の木の芽峠越えの道です。峠の抜けるトンネルと合わせて拡幅整備された新しいバイパス道。旧線跡は新しい道の用地に転用され、この先は(ごく一部を除いて)上書きされています。
 春には木の芽峠から下ってきましたが、この道ではなく集落の中を抜ける古そうな道を辿りました。だからこの道ははじめて走ることになります。通行は多くありませんが、そのかわり乗用車はスピードを出していますし、大型車も通ります。部分的に歩道が無いのも弱点です。ランドナーには集落道の方が気持ち良いのですが、ここは我慢して走ります。

[ 獺河内 ]
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 木の芽川の谷には古い集落がいくつもあります。ここは獺河内。下って来た方を振り返ってみました。坂の先には葉原。そのまま進めば新保を過ぎて木の芽峠へ。元が鉄道跡だからでしようか、地方の国道というよりも高速道路っぽい勾配とカーブです。

[ 新保駅跡 ]
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 ここは獺河内ですが、昔の駅名は新保。元は路線開通後しばらく経ってから行き違いのために設けられた「東郷信号所」で、駅に昇格した際に谷の上の方の大きな集落の名を付けたようです。
 駅は川を跨ぐ付近にあり、数度にわたる拡張によって複雑な構造だったそうですが、今は駅跡の碑だけが残っています。

[ 獺河内隧道 ]
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 旧線内には12個の隧道がありましたが、そのまま現存するのは10個のみ。河野谷隧道は開削されて消滅しました。そしてもう一つの獺河内隧道がここ。トンネルとしては存在するのですが、国道のトンネルとして拡幅されて明治の姿を失っています。

[ 歩道になってます ]
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 この屈曲部には2つの隧道がありました。昔の道は隧道の外側を河岸を削って通っていました。先の箇所では隧道を拡幅して新しい国道としたため、トンネルの外側には廃道跡があります。対してこちらは古い隧道は残して川側を削って道を拡げ、隧道は歩道になっています。自動車は通れませんが自転車なら通り抜けられます。

[ 樫曲隧道 ]
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 全長は87m。元が鉄道トンネルですから、自動車用には狭くても歩行者には大きいです。直線で出口が良く見通せます。歩道らしく整備したという事でしょうか。古風な意匠の街灯が付けられていますが、鉄道トンネルとして見ると違和感があります。

[ 北陸トンネルの碑 ]
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 木の芽川に沿って下ってきしまた。ここは旧線と新線の切り替え場所の近くです。写真は新しい北陸トンネルの開通の碑。
 ここより少し上流側のあたりに深山信号場がありました。戦時中に作られた輸送力増強のための行き違い施設で、今ではその跡は消えています。

[ 現北陸線 ]
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 碑の側で見ていると、北陸トンネルに向かう電車が通りました。13,870mの長さで、電車は10分ほどで通り抜けます。旧線は単線で勾配区間が続き、行き違いはスイッチバック。山腹を辿る路線で雪害も多かったそうです。今後、北陸新幹線が開通するとこの北陸トンネルの区間も3セク分離されるようです。峠越えの道の消長はまだまだ続くようです。

 急な坂がなくて峠も低くコース自体が短いことともあり、ゆっくり目に走ったのですが予定より少し早く敦賀に着きました。休憩や寄り道を含めて、走行時間約4時間。途中のトラブルの際のリカバが難しい事を除くと、だれでも楽しく走れるように思います。景色の点でも楽に走るという点でも、今庄側から敦賀を目指す方が良いと思います。



2014年04月14日

注意:下記記事中の湖北隧道が傷みのため通行禁止となり、2016年4月現在で通行止めのままです。行かれる方は情報を確認してください。(→参照)

2014/04/11 (湖西編) 永原駅→[海津大崎]→マキノ→今津→新旭→堅田→唐崎駅

 琵琶湖は大きな湖ですが、湖岸の屈曲を辿らずに走る短いルートなら約160km。一気に駆け続ければ1日で廻れます。ふと思いついて、なるべく湖を見ながら数日かけて走る計画を始めました。そのパート3。  ( その1 その2 )

 前回は永原を終着にしました。敢えて距離を稼がなかった理由は、この永原からマキノまでの区間にあります。ここ「海津大崎」の湖岸に張り出した半島を周る道は桜並木で有名なところ。ここへは桜を見に何度か来ています。せっかく自転車で走るんだから、桜の時期にしなきゃ絶対にもったいない。

 今回の趣旨はなるべく湖岸の風景を見ること。永原から出発地の石山まではそこそこ距離があります。1回で走るとなるとかなり急ぐ行程になります。しかし2回に分ければ余裕たっぷり。一応の目的地を「堅田」に設定しましたが、行程の後半は鉄道駅が近いですから、なりゆきで走っても問題無し。

[ 湖岸の街 ]
1404a
 永原は大浦川の谷筋の入り江の街。舟運で栄えた街も今はのどかな農村と漁村の風景。そして湖岸観光の街。この時期は桜見物の人出があります。
 このあたりの湖岸道路は桜の時期の休日は人も車も大混雑になります。なるべく混雑を避けるため、今回は平日の走行です。それでもやはり見物の人出はかなりあります。

[ 海津の湖岸の道へ ]
1404b
 ここからマキノへ続く道は、木之本から続く「北琵琶湖周遊道路」の最終区間。大正から昭和にかけて作られた道です。
 海津の桜は、湖岸の道路の整備に携わった方が植えたのが初めとか。その後も植え足されて、半島をぐるりとまわる約4kmの道沿いが並木になっています。遠目に見ると、湖岸に沿ってピンクの帯になってます。

[ 青い湖と桜 ]
1404c
 海津の半島部は山並みが湖に張り出すようになっています。湖岸の道路は渚近くの山肌を削って付けられています。桜は道と湖面の間の狭いところに植わっています。若い樹も混ざっていますが、古木も多く、青い湖面に張り出すように枝を広げています。
 お天気が心配だったのですが、幸い今日は終日晴天で日中は暖かいとの予報。かなり霞っぽいです。桜見物という点では残念ですが、自転車で走るには楽です。(今日の行程の大半は陽に向かって走ることになります)

[ 大崎隧道 ]
1404d
 湖岸の道路にはトンネルがあります。昭和初期の隧道で、どれもあまり長くないですが、観光地の道路らしく綺麗に整えられた姿です。いずれもコンクリート隧道ですが、ホータルは石積み。石の積み方も自然っぽく見せる凝った造りです。5つの隧道でひと揃いという意味でしょうか、扁額は両端だけに付けられているようです。

[ 湖岸の桜 ]
1404e
 隧道も狭いけど湖岸の道も狭いです。自動車は譲り合いながらの行き違い。桜の時期には自家用車も増えますし、観光バスも来ています。たいていは花を見ながらゆっくりゆっくり走ってます。そして桜を見て歩く人の列も。土日は西から東への一通規制(自動車)がされます。私も所々で下車してお花見しながらゆっくり走ります。

[ 大崎隧道の西側 ]
1404f
 大崎の観光名所は観音さん。隧道の真上境内です。土産物屋や観光船の乗り場もあります。マキノ側からここまでは道幅もあり、遊歩道も整備されています。観光客の多くはマキノ側から来て、ここまでで帰るようです。遊歩道の入り口のあたり、屋台も出てにぎわっています。

[ 見頃の桜と海津の町並み ]
1404g
 海津の桜は近畿圏でもいちばん遅いです。今年は春の進み具合が読みにくくて、いつ見頃になるかずいぶん悩まされました。花が少なくても寂しいし、散ってしまうともっと悲しい。今日は微妙に満開直前というぐらいの樹が多いです。いちばん良い時期に来れました。見頃の桜の枝の向こうに海津の街の石積みの護岸が見えます。
 海津は琵琶湖の舟運で栄えた街。湖を通して湖南と湖北、そして峠を越えて若狭北陸を結んだ物流の拠点だったところ。今は街はずれを敦賀への国道が通っています。

[ 海津の街から ]
1404h
 半島付け根のあたりから湖岸に沿って海津の街が続いています。道の脇のところどころ、細い道が湖岸に続いています。ふりかんえれば、海津大崎の桜並木がよく見えます。私はこの景色が好きです。
 大崎の観光にはマキノ駅からバスが出ています。私も最初に来た時はバスを利用しましたが、帰路は混んだバスを敬遠してこの街を歩きました。桜見物に行かれる方は、ぜひ片道だけでもこの湖岸の町並みを歩いて見ることをお勧めします。

[ 海津の街の石積み護岸 ]
1404i
 海津の町並みには古い建物も多く残っています。街の湖岸側は、琵琶湖の波から街と建物を守るように、高い石積みになっています。石積みのところどころに切れ目があり、ここから浜の船へ荷の積み卸しをしたのでしょう。
 永原からここまで1時間あまり。観光しながらのったり来ました。街の通りは湖岸に沿って続いています。そのまま先へ進みます。

[ サイクルラインの標識 ]
1404j
 大崎の街並みを過ぎても、少し細くなりながら道が続いています。やや細いけど集落道よりしっかりした道。湖岸の集落を辿る交通路だったようです。滋賀県内の道はちょっと不思議です。各世代の新道が集落の中を避けて外縁を通っている感じで、古い道や細道の断片が上書きされずに残っています。
 しばらくぶりにサイクルラインの標識に出会いました。私はサイクルラインを辿っているのではないですが、距離の目安にはなります。ここから出発点まで残り75km。一気に走れば日没までに走れる距離ですが、それでは今回の目的に反します。あくまでのったり丁寧に湖岸を辿ります。

[ 松並木もあります ]
1404k
 一部県道に上書きされていますが、湖岸の道は姿を変えながらずっと続いています。このあたりの道は、湖岸のビーチや施設へのアクセス道として役立っているようです。自動車の多くは平行する県道を通るので、湖岸の道は静かで走りやすいです。湖岸の景色も微妙に変化します。湿地もあれば草地もあります。松並木の浜辺もあります。浜辺に遊歩道が造られている区間もあります。

[ 湖岸の集落を通る ]
1404l
 先を急ぐなら県道を走るのですが、今回はなるべく湖を見ながら走る旅。湖岸に沿う道の方を選びます。もちろん、集落内では安全第一。ちょっと遠慮しながら徐行して走ります。

[ あちこち桜がいっぱい ]
1404m
 大阪あたりの桜はもうかなり散っていまっていますが、琵琶湖も北のあたりはちょうど見頃ぐらい。集落のあちこちや川の土手など、あちこちにピンクの姿が見えます。今日は桜ざんまい。桜まみれです。来年も、どっか自転車でお花見って良さそう。

[ 今津の街 ]
1404n
 道なりに走っているうちに今津まで来ました。ここは去年の夏に「鯖街道」を小浜へ向かって走ったところ。この街並みに出会って、あらためて琵琶湖の湖岸を見てみたいと思ったのがこの「一周計画」の発端です。ちょっとスピードを落として街を見ながら(寄り道は無しで)走り抜けました。

[ 新旭の風車 ]
1404o
 今津を過ぎると県道が湖岸の道になります。現代的な道で、自動車がスヒード出して走っています。湖南編の時と同じような道。同様に歩道兼自転車道が付いていますから、こちらを走ります。
 このあたり、安曇川が運んだ土砂が体積した土地。湖西では山地からまっすぐ流れ下った川の河口あたりが湖岸に突出した形になっていて、この新旭の突出部は最大のもの。その湖岸にある謎の施設が「新旭風車村」。ずっと気になっていたので、休憩かたがた立ち寄りました。実態は家族向けの芝生と花壇の公園でした。しかしなぜ風車?

[ 安曇川から ]
1404p
 安曇川を渡ります。ここまでほとんど高低差無しの平地でしたが、ここの護岸はちょっと高くなっていました。上ると道の先が見えて来ます。
 この先の山地が張り出しているあたりが今回のコースの難所。湖西を北と南に分ける山地で、湖岸に平地はなく、JR線はトンネルを連ねて抜けています。現国道は山裾を削って湖岸を通っています。この区間は国道を走ることになります。

[ 喧噪区間を抜けて ]
1404q
 大型車の騒音にせきたてられながら、おおあわてで狭隘区間を過ぎました。一気に抜けたので、白髭神社も通り過ぎてしまいました。抜けて小休止して、来た方を振り返って見ました。現国道もこの区間は狭いです。歩道が湖岸と反対側にしか無いのは面倒です。

[ 集落道 ]
1404r
 町村合併で琵琶湖岸の街はすごく大括りになってしまいました。今回の出発点の永原は長浜市。海津から延々と高島市でしたが、山地の張り出しを超えて、ここからは大津市。
 北小松からはまたしばらく裏道づたいに走ります。湖岸の集落の中、湖岸のビーチ沿いの道と、ところどころ迷いながらうねうねと、細道を辿ってゆっくり進みます。

[ レイクサイド ]
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 琵琶湖を周回する道があるようですが、どうも名称がすっきりしません。自動車道では「湖岸道路」と「湖周道路」とあります。「さざなみ街道」ってのもありました。「近江湖の辺の道」というのも何度か現れましたが、これは徒歩観光の道のようです。自転車道は「サイクルライン」だと思っていたのですが、ここへ来て「レイクサイド自転車道」ってのがあらわれました。
 レイクサイド自転車道は、側道などを自転車用に整備したような感じです。わかりやすくカラー舗装してありますが、名前と反してあまり湖(レイク)の側(サイド)を通っていないようです。こんな道はまったく無視して、浜に近い細道伝いを(ところどころ県道にはじき出されながら)続けます。

[ 湖岸の細道 ]
1404t
 湖岸の近くを県道が通っています。県道を走り続ければ速いのはわかっていますが、ここへ来てそれは悔しい。湖岸には水泳場などがあり、これらへのアクセス道が湖岸に沿って通っています。今はビーチのシーズンではないので車もほんど通りません。県道からほんの少し入れば、すっかり静かな景色です。

[ 桜ざんまい ]
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 湖北の桜は満開少し手前でした。走るにつれて桜がどんどん開いて来て、ここではもう満開過ぎて散りはじめ。人の気配の無いビーチの桜をひとりじめです。

[ 湖岸の行き止まり ]
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 集落道や細道に入り込んでいると、けっこう行き止まりがあります。山に向かうとか、大きな建物に正対するコースだと、行き止まりも予見しやすいのですが、川の河口近くに橋が無いとか、水辺へ直行とか。それでも坂道でないから、多少戻っても気楽です。
 ツーリングというよりも街チャリの感覚。距離は稼げませんが、変化があって楽しいです。どこがどこか判然としないまま、走り続けていると、水辺の先に琵琶湖大橋が見えて来ました。

[ 琵琶湖大橋のたもと ]
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 当初の目標地点の堅田まで来ました。橋の下の「米プラザ」(道の駅)で休憩&お土産タイム。山坂が無いと多少の荷物は問題ありません。この先は市街地です。お菓子と野菜とおかず物を少々、ほど良い程度にお買い物。
 あちこち寄り道してますが、予定より少し早目に来ています。ちょっと陽が傾いて来ましたが、この時期はまだまだ明るいです。次回の事も考えてもう少し先へ進みます。

[ 堅田の湖岸 ]
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 堅田のあたりは湖西のミニ水郷といったところです。昨夏、バスで通った際に窓から見えた街の風景はなかなか良さそうでした。でも、今日は街巡りが目的ではないので、そのまま湖岸に近づく方向へ進みます。湖岸はあちこち大小の船着き場や船泊まりになっています。

[ 浮御堂 ]
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 堅田で湖岸というと、これでしょうか。でも、ゆっくり見るのはまたの機会という事にして、先へ進むことにししまた。

[ 唐崎 ]
1404z


 堅田からはだんだん市街地になって来ます。湖岸も大きな建物が増えて来て、細道を辿るのが無理になって来ました。雄琴を過ぎる頃には国道を走ることになりました。国道を走ると一気に距離は稼げますが、全然楽しくありません。坂本のあたりでは、国道が湖岸側の道なのですが、大きな建物に遮られて湖面はほとんど見えません。
 今日の最終地は「唐崎」にしました。唐崎は近江八景の名勝。万葉集にも出てくる地名。ここへ来たのだから、有名な松を見て帰ることにしました。松の横の垂れ桜が風に揺れていました。

 次はここ唐崎から石山へ。この先のお天気が気になります。


2014年01月04日

2014/01/02 吹田→池田→余野→野間峠→妙見山→野間→一庫ダム→多田→川西→吹田

 学生時代の一時期、池田市内に住んでいました。この関係で、能勢のあたりは良く走っていました。新年には能勢の妙見山の山上へ。寒風の中を山へ登り、下って猪名川のあたりをひと回りして帰るパターン。
 数年前にこれを思い出して、新春早々にお出かけしたのですが・・・・年末から降った雪に阻まれて途中で断念しました。今年は再挑戦です。年末から降雪も降雨も無くて路面は問題無さそうです。

[池田の街はずれ]
1401a
 今は吹田市内在住です。池田まで輪行というのは中途半端なので自宅から走ります。池田へは国道176号ですが、新年でも交通量はあります。豊中市内は裏道伝いに走れますが、その先は平坦な裏道が無いです。池田で分岐した国道173号に入り北上。このあたり、高速道路の延伸で整備されて景色がすっかり変わっています。自転車ではあまり走りやすくないです。
 ここは市街地の外れの分岐。能勢の表示のある左の173号は夏に亀岡から下って来た経路。こちらへ行くと妙見山の表の登山口。ここは右の423号へ進みます。ちなみに、亀岡へは左の173から477へ辿る(夏に走った)経路でも行けます。

[道が綺麗になってます]
1401b
 伏尾台を過ぎると綺麗な昔の細くくねった坂道に戻ります。しかし久安寺を過ぎて少し行くと景色が一変。突然新しい道が出現します。前回来た時には工事中だった所が新しい道になっています。このあたり、箕面から山の中を抜けて来た「箕面バイパス」との接続点なのですが・・・どうやら新名神もここへ繋がるようです。そうなると谷間の隘路も拡幅されるのでしょうか。ちなみに、箕面バイパスを抜けて来れれば吹田から近いのですが・・・残念ながら自動車専用道です。

[自動車はこちらから]
1401c
 前回はこの少し手前で路面を覆う雪に遭って引き返しました。
 田園風景の中、止々呂美の先に現れる交差点。標識は605号になっていますが、箕面の山を越えて来た府道4号。現在、自動車で妙見山へ登るルートはこちらになっていますが、自転車だから古い野間峠まわりのルートを目指して直進。

[野間峠]
1401d 与野の先で左折して野間へ向かう峠道に入ります。ここは昔のままの細い道。けっこう急な上り坂でまっすぐ一気に高度を上げます。峠のトンネルの直前が妙見山への道の入り口。鳥居をくぐると、道はさらに勾配を増して林の中を登ります。ここは無理せずに自転車は押して上がります。林間に見える徒歩道に気を引かれますが、そのままうねうねと車道を。
 途中、先の府道と合流すると自動車の通行が増えて来て、休憩を兼ねて止まって避けながらの登坂。

[妙見山の参道]
1401e 昔はもっと静かだったと記憶しているのですが・・・大勢の人出で賑わっています。参道には店も出ています。自転車はこのあたりに置いて、この先は徒歩で。池田からここまで、休憩を含めて約2時間。

[妙見山の門]
1401f
 賑やかな所を過ぎて段々道を上ると、なにやら派手な建物が建っていますが、その向こうの門は昔の印象のままでした。

[山上からの眺め]
1401g
 今年はお天気がすっきりしません。年末からずっと中途半端な曇天続き。朝のうちは雲間から少し青空も見えていたけれど、今は完全に曇り。晴れれば阪神間から海まで見えるのですが、すっかり霞んでいます。
 夏でも山上は下界より一段涼しいのですが、この時期けっこう寒いです。登ってきた時の熱がさめると体が冷えて来ます。冷え切らないうちにと、山を下ります。

[寒そうな姿の大ケヤキ]
1401h 野間峠のトンネルまで戻って、今度は野間へ向かいます。峠の西側はうねうねつづら折れの道。少ないけれど車も来るので万全の注意で徐行。漕がずに風にあたっていると余計に冷えます。
 峠を下ってそのまま少し進んだら「野間の大けやき」。夏にも来た所です。今はすっかり葉を落としてスカスカ。誰もいません。学生時代は、ここから北西に進んで「猪の子峠」「名月峠」と越えて猪名川町へ抜けるのが定番のコースでした。今回はアプローチの距離が伸びていますから、ここから多田までショートカット。

[一庫ダム]
1401i
 川に沿って緩く下る道は、綺麗に整備されていました。道が綺麗なのは北摂の水瓶「一庫ダム」のため。道はそのままダム湖湖畔の周回道路に続きます。ダム建設の頃は何度かこのあたりを走ったのですが、完成後はほとんど訪れていませんでした。実はこの東岸の道を走るのは初めて。
 ダムの堰堤を渡ってその下へ下ると国道173へ合流。山下からは賑やかな市街地で、道は良いけれど交通も多い。このまま進めば池田なのですが、それでは面白くないです。山下から西に折れれば猪名川町から下ってくる道に出れそうです。こちら側が昔よく走ったコース。

[多田神社]
1401j 細道を抜けて西の川筋へ出ました。昔よりはずっと綺麗に整備されていますが、それでも細いままの道。川に沿ってゆるゆると下ってゆくと多田。有名な多田神社は賑やかな街から少し外れたあたりにあります。この川沿いの道からは、川を渡る朱色の橋が架かっています。しばらくぶりに来たのだから、橋を渡って門前へ。こちらもけっこうな人出。自転車を置く場所も無さそうなので、石段の下で失礼しました。

[池田へ戻って来ました]
1401k
 そのまま川の西側の道を辿ると川西の市街へ。東岸の道より少し距離がありますが走りやすい道です。川西の駅の少し手前で折れて、呉服橋を渡るともう池田の市街地。あとはお買い物自転車に混じって車の流れを避けながらのたのたと国道を豊中方向へ。この区間、気持ちよく走れる抜け道がないかしら。



2013年11月24日

2013/11/23 (湖北編) 長浜→[賤ヶ岳隧道]→近江塩津→[湖北隧道]→永原駅

 琵琶湖は大きな湖ですが、湖岸の屈曲を辿らずに走る短いルートなら約160km。一気に駆け続ければ1日で廻れます。ふと思いついて、なるべく湖を見ながら数日かけて走る計画を始めました。

 前回は出発点の瀬田の唐橋から走って長浜に至りました。琵琶湖岸には桜の名所があちこちあります。桜の時期に桜を見ながら走るのも良さそうす。そのためにも寒くなる前にもう少し先に進んでおくことにしました。湖北の湖岸の道は冬には雪に閉ざされます。今回の目標地点は永原。距離は短か目ですが、見所いっぱいです。

[長浜の城]
1311a
 長浜の港から湖岸に沿った道を辿って公園へ。コンクリート城が建ってます。ここから湖岸の県道を辿って木ノ本へ向かいます。この区間も歩道が広く取ってあって自転車が通れます。起伏も少なく快適に走れます。

[姉川を渡る]
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 先月通った栃の木峠の「淀川の源」を発した高時川は、姉川と合流してここで琵琶湖に注ぎます。

[余呉川を渡る]
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 椿坂峠から余呉へ下った流れは延々南下して来ます。湖東の北側の平野部は、湖北の賤ヶ岳から続く山並みが湖岸に沿って半島のように伸びていて、その狭湾が堆積平野になったような地形です。余呉川はその東側に沿って下って来たのですが、道はそのまま湖岸を進みます。
 このあたり、冬の水鳥たちを見に来られている方が大勢いました。大きな望遠鏡とか持って歩いています。徐行注意して走行。

[湖北の湖岸]
1311d
 ここは高月の湖岸の平地の北端。湖南から湖東のほとんどは湖岸は川が作った平地です。ところが湖北には山地から伸びた稜線が細い半島状に突き出しています。この先の湖岸へ道は続いていません。

[トンネルです]
1311e
 山並みが湖岸に迫って来ると道はぐっと曲がって隧道で平野側へ逃れます。この先は飯浦まで湖岸とはお別れ。この片山トンネルは約300m。古隧道ではありませんが、緩くカーブしていて狭いです。歩道はあっても自転車で走るにはぎりぎり。路面もあまり良くないので、無理せずに押して抜けました。抜けたすぐ先で、余呉川と再会します。

[余呉川の土手道]
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 大きな車が走る道は嫌いです。歩道が無いとなおさら。この道は国道への抜け道になっているらしく、交通量が目立って増えて来ました。そこで横手の川の土手道へ待避。ランドナーですから、多少の砂利は全然支障無し。秋の景色を眺めながら気持ち良く走れます。(この西側に集落道もあります。)
 少し走って、木ノ本からの国道が見えたあたりで左に折れて、集落道を伝って賤ヶ岳の方へ。国道は賤ヶ岳の山並みの下をトンネルで抜けます。賤ヶ岳トンネルには歩道がありますが、長くて大型車がたくさん通って騒がしいです。しかしここには旧道と古い隧道もあります。

[賤ヶ岳隧道]
1311g
 新道は平坦ですが、旧道は山を少し登って狭まった所を抜けています。湖岸に近いのは新道の方なのだけど、騒がしいのは嫌です。賤ヶ岳側から回り込んで、折り返す線形で山腹を登ると、煉瓦と石造りの立派なポータルに迎えられます。昭和初期の隧道で、現トンネルができるまで、この道が国道でした。地元の集落道として現役です。(積雪期は通行規制されるらしいです)

[トンネルを抜けると]
1311h
 昔のトンネルは、なるべく短く曲がらずに、掘りやすさ第一で作られています。谷筋を登り斜面をトラバースして、ぎりぎりの所で山に向き合って真っ直ぐ山へ入る。
 このトンネルも琵琶湖側の坑口はまっすぐ湖面を向いています。隧道を抜けると視線先は湖北の景色。スピードを出し過ぎれば、そのまま空へ飛んでしまいそう。

[秋色の琵琶湖]
1311i
 ここにはしばらく前に徒歩で来たことがあります。桜に誘われながら、木之元から歩いて来て、ここから見た景色は見事でした。またこの景色を見たいというのも、ここまで登ってきた理由。少し視点が上がるだけで景色はぐっと拡がります。薄曇りで霞みっぽいですが、黄色や赤に緑と、紅葉しかかった山が綺麗です。この時期に来れて良かったです。

[藤ケ崎の湖岸道]
1311j
 旧道を下って「飯浦」で新道と交差。新道はまたトンネルですが、旧道は藤ケ崎を周る湖岸の道です。交通は新道の立派なトンネルに流れていますが、旧道も観光道路として利用されているらしく綺麗に整備されています。洞門もあります。大きなトラックとかスピード出している乗用車がいないと快適ですが・・・それはトンネル抜けて来た国道と合流するまで。気をつかいながら走って、道の駅まで辿り着いたらたっぷり休憩。

[琵琶湖の北端から]
1311k
 塩津浜は舟運で栄えた港の街。大川の川筋を遡れば深坂峠を越えて敦賀へ至ります。このあたりが琵琶湖の北端です。

[湖岸の景色]
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 景色に誘われてそのまま湖岸の道へ入り込んでしまいました。陽のあたる山と静かな湖面。風も穏やかでほどよく暖かい。このまま走って行きたいけれど、この道は半島の向こうには続いていません。国道は半島の基部を「岩熊(やのくま)トンネル」で抜けています。長いトンネルですが、自転車通行可能な広い歩道が付いています。そしてもうひとつ、半島の稜線を越える道があります。奥琵琶湖パークウェーと呼ばれる観光道路で、半島の突端近くの稜線上の展望台と両側を結んでいて、曲がりくねって坂のきつい道です。

[冬は通れません]
1311m
 この先の区間は、12月から3月末まで通行止めになります。なんとか11月中に来ておきたかった理由がこれ。年号の所だけ書き換えるというのは除雪する気が全然無いという事。国道のトンネルを抜ける道の方が近くて綺麗ですから、通行止めになっても(季節外れの観光客以外は)特に支障無いでしょうけど。

[一方通行の予告]
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 で、このパークウェーには困った点があります。景色が良いかわり、山腹の斜面を横断するように登る道。路面整備が滞って狭い区間があるらしく、展望台から東側は一方通行になっていて、こちら側から展望台へは行けない。つまり、パークウェーを通ってこちらから永原へは抜けられないのです。
 ただし、この標識の規制は2km先から。という事で、月出の展望台までは行けます。そのまま(対向車に注意して)進みます。

[一段高い視点]
1311o
 湖岸から約100m登って来ました。やはり観光道路で、傾斜はややきついですが、道幅はゆったり2車線あります。落ち葉とか小石とか少し散らばってますし、舗装の補修も中途半端ですが、走りにくい道ではありません。道が広くなって視界が開けた所が月出の展望台。少し前に走った藤ケ崎の道がずっと下に見えます。

[自転車も通れません]
1311p
 で、月出の展望台を過ぎてすぐに現れたのがこの標識。坂の下で予告されていた一方通行はここからです。反時計周りで湖岸を辿ろうとすると、このパークウェーを抜けられません。しかし、このすぐ横の山腹に『ぬけあな』があるのです。

[湖北隧道]
1311q
 ここまで登って来た本当の理由は、これを見たかったから。近代土木遺産Aランクだそうです。短いトンネルですが、独特の趣のある立派なポータルです。岩熊からここまでの区間は昭和初期に作られた道ですが、パークウェー開通の際にまっすぐ進むように線形を整形されたようです。ほとんどの車は気づかずに通りすぎてしまうでしょう。もったいない。

[扁額]
1311t
 この隧道の西側の扁額です。この道は、元々は湖岸の集落を結ぶ連絡道として計画されたらしいですが、当初から湖岸の観光も考えていたのでしょう。達筆で読めませんが、「風光随一」と書かれているらしいです。
 西側からここまで谷間を登って来て、隧道を抜けたら視界は一転します。私は湖岸の側から登って来ましたが、この隧道は西側から登って来る方が楽しいと思います。

[隧道からの景色]
1311r
 で、隧道の中から湖岸の方を向いた視界。山襞の薄い所を抜いた短い隧道で、出口は湖岸側の山腹に開いています。出口の先の路面は後から盛り上げられたと思われます。これが無ければ、そのまま空中散歩の視界です。

[風光随一]
1311s
 という事でトンネルから直進して、あらためて湖岸の景色を。崖のような急斜面で眼下には青い琵琶湖。正面には賤ヶ岳の山並み。文字通り風光随一の見晴らし。

[湖北隧道・西側]
1311u 今ではこの隧道を抜ける車はほとんど無いようです。洞内も路面も綺麗ですがポータルの周囲は茂った藪草と散らばる小石。現役の隧道ですが、奇妙なぐらい静かです。隧道とまわりの風景をひとりじめ。


[市道]
1311v
 隧道から西側は市道ですが、ほとんど林道のような雰囲気です。全線舗装されて維持されていますが、落ち葉や小石も散らばっていて、道端には山仕事の方の軽トラも居ました。じゅうぶん徐行して、うねうねと樹間のサイクリング。下りきったあたりで国道と合流。国道トンネルを抜けて来たサイクリングロードとも合流。広い歩道が取ってあって走りやすいです。

 谷間へ下りきったあたりで、サイクリングロードの標識は左を誘導しています。ここからのコースは再び湖岸を辿ります。長浜からここまで、観光や休憩を含めて4時間あまりの走行。陽の短い時期ですが、走ろうと思えばまだしばらく走れますが、この先は次回に残しておくことにします。

[次回予告]
1311w
 永原駅はもう湖西線です。ホームは高架の上で、その下は大浦川。視線の先は大浦の港。この川筋も若狭から山を越えて琵琶湖に至る昔のルートのひとつ。そして、ここから湖岸を辿る道は桜並木で知られる道。という事で、この続きは春4月の桜の頃に走る予定です。お天気はどうかしら。


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